ガチャ
「・・・あら、ごめんなさい」
パタム



11時25分、
いつもよりだいぶ遅い時間に折原臨也は起床した。
波江の声を聞いた気がしたが、ベッドから眠気まなこでドアを振り向いても波江の姿はそこになかった。
首を戻してきて、カッ、と目を見張る。

間近にうつくしい姫君。

夢ではなかった。

王女はまだ眠り続けている。
比喩なく、まさに眠り姫。
起こさぬよう、無声でニヤリした。
臨也は黒いメインケータイではなく、目覚まし用のケータイでもなく、王女様の顔を撮影した赤いケータイを握り締めたまま寝ていたらしかった。
目覚ましかけるの忘れてた・・・。まあいいか。
今日の予定はすべてキャンセルだから。



顔を洗いに寝室を出た。

『大使館、発表、王女、突然、ご発病、ご予定、中止』

メインである黒いケータイを握り、画面を流れるニューストピックスを眺めた。また笑いがこらえきれない。

「突然のご発病、おいたわしや」

「なに笑っているの。気持ちわるいわ」
「あ、波江さんおはよう。いたんだ」

波江はしばし黙り、相変わらず興味なさそうに呟いた。

「・・・いて悪かったわ」
「そういう時は“いて悪かったわね”じゃない?」

軽く笑いながら洗面所にひっこむ。
顔を洗い、口の中に歯ブラシをつっこんだところで波江が妙な言い方をした理由にようやく気がついた。さきほどの「・・・あら、ごめんなさい」はやはり波江の声だったのだ。いつまでたっても仕事に出てこない雇い主を起こしに来たら女とベッドで寝ていたと。そういえば、靴を脱ぐ文化に浅い王女殿下は、丁寧に靴箱へ靴を収納してしまっていたっけ。
洗面所からひょこっと顔を出す。

「あのひとは別にそういうんじゃないから心配しないで大丈夫」
「なんで私が心配なんかしなくてはいけないのかしら」
「手は出してないよ」
「聞いていないわ。・・・据え膳を食べないのはどうかと思うけれど」
「ハハッ、そんな度胸ないなあ」

再び洗面所にひっこみ歯磨きを続けた。
波江が(不能なのかしら)と洗面所の方に哀れみを向けたとは知らず。






***

準備は整った。
さあ、お楽しみはこれからだ。

「姫、ご起床のお時間でございますよ」

メインとして使用している黒いケータイは12時を示している。
王女は閉じるまぶたにぎゅっと力をこめ、枕にひたいをすり寄せる。

「Dr.Watson?」

母国語で寝言を言った。
臨也はいたずらを思いついて、そこからは英語で続けた。

「・・・はい、こちらに。ご気分はいかがですか」
「夢を見ておりました」
「さようでしたか。どのような」
「道端で眠っておりましたら、若い男の方がいらして、お話をしました」

笑い声が漏れそうになった。口を押さえてこらえ、ポケットから赤いケータイを取り出す。
このおもしろ映像をムービーで撮っておかなくては!慌てて操作した。

「細身で、お酒をくださらない、意地悪な方でした・・・」

王女はそこで深く息をつく。

「すばらしかった」

このうえなく愛しげに呟いた。
形のよい唇が幸せそうに微笑む。

たかがそれだけ

あまりに馬鹿らしくて、臨也は嘲笑しそびれた。
録画ボタンも押しそびれた。

「・・・」

もう一度キーを操作し、寝起きを1枚撮影して腕を下ろす。
そのとき、黒いメインケータイの着信音が鳴った。
アドレス帳登録名『シダックス池袋店』こと政府との仲介役からの電話である。

「はい。・・・ああ、お久しぶりです。ええ・・・はい、ニュースで。ご発病とか・・・ええ」

着信音で目を覚ました美しい瞳と視線が重なった。
びっくりして目を見張っている。

「はい・・・、そうですか。・・・・・・ええ」

臨也は無感動に視線を合わせたまま通話を続ける。

「・・・あいにく。まだ私のところに情報は入ってきていませんね」

何かわかればご連絡します、では。と結んで終話した。



「おはよう」

臨也は薄い笑みをはりつけて日本語で挨拶した。王女はビクリと震える。

「・・・どくたーわとそんは」

混乱と動揺うずまく寝起きでも異国語が出るとは恐れ入った。

「俺の知り合いの医者にワトソンって人はいないかな」
「いままで話しておりました」
「そうなの?」
「・・・」

ひどくこちらを警戒している。

「・・・起き上がっても構いませんか」
「もちろん」

玉体をゆっくり起こすと、ベッドの背もたれに背中をぴったりつけ、毛布を胸元までかき寄せた。
そして自分が見知らぬワイシャツを着ていることに気づく。

「これは・・・あなたのものですか」
「そう」
「で、ではわたくしはあなたと一夜を過ごしたのですか」
「言いようによってはその言葉のとおりだね」

王女は毛布の中に手をつっこんで何か確かめ、さあっと青ざめた。さしずめ、妙に風通しのよい下半身を確かめたのであろう。

「無理やりにっ?」

大きな瞳の奥に怒りを宿して臨也を見上げた。

「ひどいなあ。君がうちのマンション近くのバス停でベロンベロンに酔っ払って俺に絡んできたんだよ。うちにあげないとキスするぞ、って。そうそう、先に言っておくと隣の部屋に女性の秘書もいるから二人きりじゃないよ。安心していい」

朝までは二人きりだったけど。

「わたくしがそのようなことを。ああ・・・そうとは知らず、ごめんなさい」
「気にしないで」
「ベッドまでお借りしてしまって、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんてとんでもない」
「・・・本当に?」
「本当さ」

だって俺もベッドで寝たもん。

「仕事がフリーランスだからね。融通がきくんだよ。夜更かしできるし寝坊もできる。平日に泥酔してバス停のベンチで寝ていても大丈夫。結構いいでしょう?」

きょとんとしていたのがくすりと笑う。王女は平静を取り戻しはじめた。
毛布を引き寄せたままなのを見るに、警戒はとけきれていないようであるが。

「あなたのお名前は」
「俺は折原臨也」
「イザヤさん。はじめまして」

緊張気味な頬を懸命に笑顔に作り変え、白い手のひらが差し出された。

「はじめまして。よろしく」
「よしなに」

面食らっても顔には出さない。

「君の名前は?」
「・・・それは、その・・・こう呼んで下さい、と」
。かわいい名前だ」
「ありがとう」

だいぶほぐれてきた。笑顔も自然だ。毛布は胸から離さない。

「よければこれから食事でもしない?俺もさっき起きたばっかりでさ。もうお昼だけど」
「おひる」
「12時」
「じゅうに!い、いけない、わたくし戻らなくてはっ」

慌ててベッドから降りようとしてピタっと止まった。
どのように下半身を隠そうかともたつく。
臨也はくると背を向けてドアを指差した。

「出て左へ行って廊下の左側がバスルーム。どこへ行くの知らないけどシャワー浴びて顔を洗ったほうがいいでしょ。歯ブラシは洗面台の新しいやつ開けていいから。波江さん・・・秘書が君の服をひろって脱衣所にかけておいてくれてるし」
「まあ・・・ご親切にしてくださってありがとうございます」

お辞儀をしたのであろう間があってからタタタタと小走りに出て行った。

臨也は寝室のカーテンを開いた。上空を軍用ヘリが通り過ぎていく。
シャワーの音がかすかに聞こえはじめてから、臨也は声にだして笑った。

笑わずにいられるものか

一国家の命運がこの手の中にある!






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