戻らなくてはと繰り返す王女を巧みに誘導して車の助手席に座らせた。
波江には誰から電話が来ても誰が訪ねてきても折原臨也は終日外出だとだけ言うように頼んできた。
彼女であればいかなる依頼人にも「知らぬ存ぜぬ外出中だ」の鉄壁の守りを貫いてくれるに違いない。
彼女の弟が「折原臨也を出せ」と言ってきさえしなければ。



「送るよ」
「お気持ちはありがたいのですが」
「だって急いでるんでしょう?それに東京は海外の評判よりもずっと危ない場所だからね。女の子のひとり歩きなんてすぐに職務質問を受けて取調室で牛丼食べることになっちゃうよ。時間的にはお昼だけど起き抜けに牛丼はつらいでしょ。牛丼ってわかる?ジャパニーズワンプレート料理。あ、シートベルト付けて」

「は、はぃ・・・いえ、あの」

「日本では最近助手席だけじゃなくて後部座席もシートベルト着用義務にしようって動きが強まってるから助手席は当然やってもらわないと、俺が点数ひかれちゃうからね。ゴールド免許死守にご協力をお願いします、だって保険の値段が全然違うんだよ。締めた?オッケ。では出発」






***

ボサノバ風の音楽をかけながら混雑する明治通りをひた走る。

誘拐されると思ったのか、はじめのうちは怯えていたがやがて窓外を流れる景色や大勢の人々を食い入るように見つめるようになった。
臨也は信号待ちの間に窓にかじりつく王女をちらりと覗って唇の端をもちあげた。

はどこから来たの?」
「ホテルです。名前は・・・、なんといったかしら」
「じゃあどうやってここまで来たか覚えてる?」
「それが、あまり」
「だよねえ。すごい酔っ払ってたから。目標物とか何かないかな」
「ホテルの窓から背の高いビルが見えました」
「背の高いビルが見えるホテルねえ。・・・見えたのはものすごく高いビル?」
「ええ、とても」
「了解。たぶんあそこだ」
「ご存知なのですか」
「もちろん。都内の地理には詳しいんだ」

王女様はほっとした様子で胸をなでおろした。
そして心置きなく窓の外を見つめた。

「すてき」

うっとり呟く。

「そう?」
「あこがれますわ。大きなショーケースをなぞって歩くんです」

外を見つめながら、窓のふちを細い二本指がとことこ歩く。

「立ったままアイスクリームを食べたり、雨の中を歩いたり、楽しくてドキドキするようなこと。あなたはくだらないこととお思いになるかもしれませんが」

「・・・いや。いいね」
「本当にそう思います?」
「本当さ。楽しそうだ」
「ええ」
「さっき誘拐されると思った?」

急に話が変わって、王女は目をぱちくりした。それから

「すこしだけ」

と肩をすくませて笑った。

「イザヤさん、親切にしてくださってありがとう」

誘拐されていると思ったほうがいいよばーか

「どういたしまして」














「え?ここじゃないの?」

池袋サンシャイン60の地下駐車場に臨也の声が響いた。

「なんとなくここではないような気が」

駐車場だけで違うと言い切るには自信がないらしい。
コンクリの壁をきょろきょろ見上げながら王女殿下は不安げに立ち尽くしている。

「ホテルがあった場所の地名覚えてる?」
「東京です」
「じゃあ合ってる。外から見たほうが判断しやすいかもね」
「そと」

王女の目が光を宿した。
臨也はにこりと笑う。



「行く?」

頭の中は明日の新聞におどる記事の見出しでいっぱいだ。






***



王女殿下 白昼の狂行!
アイスクリーム屋のアルバイターを表敬訪問 若者の未来の選択肢をつみ取る!




臨也と王女はサンシャイン60には入らなかった。
くらむほど眩しい外に出た途端、の目は道行く人、近くのお店、遠くのビル、車、ありとあらゆるものにひきつけられた。
あっちへふらふらこっちへふらふら、外に出た名目をすっかり忘れておいでのご様子だ。
数歩後ろからこれを眺める臨也は王女という最強の手駒をどんな事件に利用してやろうかとにやにやが止まらない

「あぶない」

臨也が腕を引きとめなければ赤信号に引きつけられて行くところであった。
先頭にいた車に軽くクラクションを鳴らされたというのに、は瞳を輝かせて笑っていた。
歩行者用信号とクラクションでこれほど喜べるとはエコな人だ。
このぶんだと王女を使って事件を引き起こす前に、王女が事故る。

かと思えば路上で聖辺ルリのコンサートチケットを売るあやしげな外国人に声をかけられ、贈呈と勘違いしたのかチケットをうけとると
「光栄です」
などと言っている。チケットはその場でダフ屋に返させた。

「君、お金持ってるの」
「持ったことはありません」
「あ、そ」

そんな人が路上のアイスクリーム屋を見つけた時にはどうなるか。



そうそう発見されたりはしないという自信はあるが、一応あたりに気を配りながら道端でアイスを食べた。
予防線は張ってある。

「朝食がこんなのでいいの?」
「とてもおいしいです」
「ならいいけど」
「作ったパティシエにお礼を言って参りますわ」
「ストップ」

またうろうろしそうになった姫君を引きとめる。

「よしなよ。アイスクリームをコーンに盛っただけの時給820円のアルバイターが君みたいな美人にパティシエとしての腕を称賛されたら、本気でパティシエの道を目指し始めてしまうかもしれない。考えてもみて、彼はDJを目指しているかもしれない。あるいはプロ野球選手、AV男優、ミュージシャンの夢があるかもしれない。そんな彼をパティシエにする気かい?若者の未来の選択肢をつみ取るなんて非道な行いだ。わかるね?」

早口で言われては目をパチパチやった。
たぶん臨也が言ったことの8割は理解不能だったのだろう。
煙に巻くために言ったのだ、理解できなくて大変結構。
は視線を足元にやって考えた末に、

「若者の未来は大切だと思いますわ」

とわかった部分だけうなずいて見せた。大変結構。
臨也はなんとなくめんどくささを感じながらアイスを食った。てか普通の朝ごはん食べたい。
そういえばコートを羽織る自分と対比して、ブラウスとスカート姿のは寒くないのだろうか。
王女様らしく、息もできないようなコルセットを腰につけていたりするから腹巻効果は享受しているのだろうか。
コルセット、つけてるんだろうか。

臨也はアイスのコーンを口に入れたまま、ブラウス越しのくびれをじいっと見つめた。

「・・・」

食が進む。

人ラブを公言する折腹臨也といえど三大欲求を種族愛で補えるほど器用ではない。
女体ラブ、もたまには興るのだ。
・・・ごくまれに。

視線に気づかれ目が合うとは嬉しそうに笑った。
おいしいですよ、と笑顔が物語る。
そうだね、と作り笑いで表現してから視線をはずした。

が妙な動きを見せ始めたのは、彼女の朝食がコーンまで到達した頃であった。
通行人の若い女性を数人目で追って、それから背後のガラスに自分の姿を映して確認した。
上向いたり、下を向いたり、左を向いたり、右を向いたり。
最後は必ず、ひどく残念そうに艶のよい清楚すぎる髪を掴んだ。






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