一夜明け、空は晴れた。

メディアはこぞって羽島幽平と聖辺ルリの池袋熱愛デートを報じた。
ブログ、巨大掲示板、SNS、ツイッター、その他コミュニティサービスは同話題でもちきりだ。
目撃証言は多数ネットにあがっていたが昨夜から今日未明まで降り続いた大雨のせいで、はっきりそれとわかる証拠写真をアップロードできた者はいなかった。

「昼休みに行ってきていいかしら」
「・・・」

波江は自分のデスクから声を発した。折原臨也は返事をしなかった。
彼が対面している大きなモニタが邪魔で臨也がこちらの声に気づいているのかすらわからない。

「聞こえてるの?」
「・・・」

デスクまでわざわざ寄っていき、腕組みして見下ろした。
密閉型ヘッドホンをつけたままの臨也がようやく気づき、ヘッドホンを浮かせる。

「なに?」
「外で食べてくるから」
「あぁ。どうぞ」

あれだけ声をださせておいて軽く返されたことに腹が立つ。

「さっきから何を見ているのよ」
「キャー、イヤー、波江さんのエッチ!」

お風呂でどこでもドアが開いてしまった時のしずかちゃんを真似てモニタを隠される。
気持ち悪かったので関わらないことにした。

「・・・行ってくるわ」
「はいは〜い、いってらっしゃい」

にこやかに手が振られた。

弟以外に関心を示さない波江であるから、新聞のはしに小さく載っている王女の姿と昨日雇い主と同衾していた女性の姿が重なることはなかった。

パタンと玄関のドアが閉じられると、折原臨也は再びモニタに目をもどした。
芸能スクープのせいで、回復した王女の記者会見を放映する主要テレビ局はひとつもない。
かろうじてネット配信型のWebサイトが会見の模様を生中継しているばかりだった。














「まずは記者団を代表いたしまして、王女殿下がご病気から快癒されましたことを心よりお慶び申し上げます」

速やかに翻訳を伝えようとした通訳を、王女は落ち着いたまなざしで制した。
王女殿下は繊細なレースのあしらわれた白いドレス、髪をおおうヘッドドレスをお召しである。

「ありがとう」

意味も音も正しい日本語であった。
後ろに立つ将軍、伯爵夫人、そのほか親善使節団がかすむほどの堂々たる姿だ。

「では、王女が質問にお答えになられます」

使節団代表が告げると、お集まりの報道関係紳士淑女のなかから声があがる。

「ヨーロッパ非ユーロ圏の経済問題は同盟で解決しうるとお考えですか」

「ヨーロッパ諸国の、協調体制をうながすための計画や手段ならば、いかなる方法にも、賛成です」

通訳を介さずに王女は流暢な日本語で優雅に返した。区切り、区切りの話し方は作法である。
緊張の面持ちだった背後の使節団は模範解答を聞いて心なしか安心した様子だ。

「重要なのは国家間の友情ですがその将来についてどのようにお考えになりますか」

「永続を、信じます」






折原臨也はこの映像をぼんやりと眺めていた。

『ご訪問になった都市のなかでどこの都市が一番お気に召しましたか』

『いずこの地もそれぞれに、忘れがたく、』

この生中継の現在の視聴者数を示す数字はたったの302。
原稿どおりのお利口な回答しかしない、ひどくおもしろみのない会見だから仕方ない。
唯一の見ものといえば若く美しい王女殿下だ。

手元にあった黒いケータイが光り、微振動を発した。

『比較は難しいと・・・』

手にとって見れば着信表示はトルネコヤマト再配達受付センター。お得意様の四木という男である。



『池袋です』



黒いケータイを取り落とした。



『なんと申しましても、池袋です』



記者団がざわめき、訪問日程のなかに池袋が含まれていたかどうかを大急ぎで確認しはじめた。
一番慌てたのは後ろの使節団だ。動揺を悟られないよう微動だにしないが全員目がまん丸になっている。



『かの地のすばらしい思い出を、わたくしは生涯、わすれないでしょう』



『ではっ写真をおとりください』

使節団代表は力技で見事にその場を収拾した。
会見のおわりに、王女は最前列の記者全員と握手を交わした。

『事時通信社国際部ヒッチコックです』
『はじめまして』
『ストリーム・オンライン・ジャパン、仮間と申します』
『産径新聞のクリンガーです。お会いできて光栄です』
『こちらこそ』
『東京ウォリアー誌、贄川です』

新聞社、テレビ局、雑誌社の名だたる記者にまぎれて窓際記者、贄川周二がいたことをいったいどれだけの人間が疑問に思うことができたろう。ひげと髪はあたってきたが、周りと比較してどことなく仕立ての悪いスーツだ。
そんな彼にも王女は等しく微笑をみせる。

『はじめまして』
『じ、実はその、王女殿下にささやかですが贈り物を。東京ご訪問の記念に』

贄川はおどおどと封筒を渡した。
使節団はぎょっとした。
危険物ではなかろうか。
ネットの生中継カメラにその封筒の中身がちらりと映る。
東京タワーや浅草雷門のポストカードが入っている。
封筒はとても爆発物がはいるような厚さではない。
使節団は気をつけの姿勢を作り直した。

王女は封筒のなかで指先を小さく動かし、ポストカードを二、三見て、その睫がほんのわずか震えたのをどれだけの人間が気づくことができたろう。

「・・・ご厚意に、感謝します」

封筒を閉じて左手に持ち、王女は挨拶を続ける。

『CNNのモンダグレでございます』
『ごきげんよう』
『ウォール・ストーリー・ジャーナル・ジャパンです』 

最後のひとりまで握手を交わし、王女は壇上へと戻っていった。
紳士淑女から送られた拍手にこたえるように王女は振り返る。

臨席する人々の顔を一人もぬかさずに見渡して、ついに見つけられなかった。

そして微笑む。
王国の至宝の笑み
こらえきれずやがて
の笑顔

退出する直前、うつくしいまなざしのはしに涙のひかりがあったことをどれだけの人間が気づくことができたろう。



中継画面がぱっと灰色に切り替わった。
配信終了時刻だ。
折原臨也はそれからしばらくのあいだ灰色の画面を見つめ続けた。

ウィンドウを閉じた。

パソコンの電源を落とした。

床に転がる黒いケータイの電源を落とした。
















椅子に深くもたれ、まぶたを閉じることにした。




































ポストカードの奥には携帯電話が入っていた。
小さくするのは日本のお家芸だ。
ストラップのついたそれは通信機能を奪われた、赤いケータイ






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