事態は急速に収束した。
夕方ごろに風本管轄下での不始末が原因と判明し、事後処理は風本の担当になった。
当初首謀者と疑いのかかっていた折原臨也は無関係という結論に至った。

俺含めそのほかの幹部も緊張ムードから解放され、さあ帰るかと伸びをしたとき、すでに四木の旦那の姿はとこにも見当たらなかった。
同じフロアにある四木のオフィスまで行ってみたが一番奥の定位置に四木の姿はない。
残っていた連中に声をかける。

「四木の旦那は?」
「もう帰られましたよ」
「あ、そ」

まあ、ダッシュで帰るくらいはしてくれないとぶん殴っちまうところだ。
おいちゃんのパンチは痛いよう?
命拾いしたね旦那。

と、オフィスを出ようとして、ふとドア近くのホワイトボードに目が行った。

苗字の行と日付の列で構成された、いわゆる『業務連絡ボード』だ。
苗字の一番上は長である「四木」の二文字。その下に彼の部下の名前が連なる。
おお、旦那んトコこんなんちゃんと置いてんだあ、とまじまじ見て・・・・・・思わず笑った。



「・・・かわいいったらないねえ」



「四木」の行を右に辿っていくと「有休」と殴り書きの文字
併せて明日から五日間分の←―――→が引っ張られていた。






***

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

四木さんは玄関で私と新羅に頭を下げた。
表情にも声にも感情をあらわさない四木さんはまぎれもなくいつもの四木さんであったから、この人がちゃんのパパさんなのだとは本人を目の前にしても信じられなかった。

ちゃん、パパが来てくれたよ」

だっこで手がふさがっている私のかわりに新羅が声をかけてみたけれど、ちゃんは起きなかった。
ゼィゼィと短い間隔で息をしている。
新羅は「おーい」と言いながら発疹だらけで真っ赤になっているほっぺたをこちょこちょした。
ちゃんはむずがって私の胸に顔を押しつける。

グッときた。

ハッキリ言ってグッときた。

返したくない・・・!

もう一度こちょこちょしようとした新羅からかばって思わず肘をたてる。
これを無言で見ていた四木さんの視線に気づいて血迷ったことを考えてしまった自分を反省した。
ちゃんを抱いた腕を伸ばすと、四木さんはやはり何も言わずに受け取った。
四木さんは子供の頭のすわりがいい位置に抱き上げなおして、ここでようやくパパさんなのだと合点がいった。

「まあ、せっかく眠ってるから起こさないほうがいいかもですね。もう、22時ですし」

新羅の声は「22時」を強調したような気がしたが、顔を見てみればいつもの笑顔だった。気のせいか。
それにしても四木さんの怖い面を目の当たりにしたことがある身としては、夕方に臨也が帰ってくれて本当によかった。そして絶対四木さんの前でちゃんと臨也が接触したことについて触れないほうがいいだろう。いまぐっすり眠っているのも、臨也にからかわれたりして無駄に体力を使ったのが大きいと思うし。
そういえば帰るとき臨也はなんだか青ざめていたけどどうしてだろう。
そんなことを考えている私の横で、新羅が医者らしいことを言い始めた。

「部下のパンチパーマさんから聞いているかもしれませんがちゃんははしかです。本物のお医者さんの許可が出るまで幼稚園はお休みですね」

そういえばそう!言い忘れていたが内科、というか小児科までできるなんてすごいぞ新羅。
闇医者としての仕事は外科ばかり見てきたから、なんだか私は感激してしまった。

「まだまだあがって39から40度の高熱が4日くらいは続くと思います。本人は相当苦しいですよ。水分補給は絶対に欠かさないでください。まだ体が小さいですから少し目をはなすとあっという間に脱水症状を起こしますからね。一度症状が出ると意識が混濁して叫び声もあげられません。大人が気づいた時には手遅れ、なんてのもよくある話です」

お、おい新羅
言っていることはたぶん正しいんだろうけど、もう少し穏やかに言ったほうがいいんじゃないか・・・?
相手四木さんだし、怖い人だし、
ああ、四木さん基本顔が怖いからもう怒っているように見える。
怖いっ・・・!
新羅はわたしの動揺にはまったく目もくれず、にこやかに、たたみかけた。

「体力が落ちているのと喉が痛いのとで食事はとりたがらないでしょうが、お粥とかゼリーとか喉に通りやすいものを食べさせてあげてください。咳で吐いてしまわないように少しずつですよ。吐いたものが喉につまったら窒息死ですからね、必ず一緒にいる状態で食事をさせてください。発疹はかゆがってかきむしってしまうことがありますのでガリガリしはじめたらさすってあげてください。あとはたんが出やすい体質のようですので起きてようが寝てようがまめに胸に耳をあてて息の音を聞いてあげてください。気管支炎、肺炎、ついでにウイルス性脳炎なんてのもありますからね。まとめますと、治るまでは目を離さないように。でないと死にますよ。それではお大事に」

バタン!と乱暴な音をたてて新羅は一方的にドアを閉めてしまった。
リビングにもどってから新羅につめよる。

『大丈夫なのか、四木さんにあんな態度とって』

新羅はあっけらかんと答える。

「あんな態度って?ぼくは診断結果とケアのアドバイスを伝えただけだよ」

「ちょっと過激に」と付け加えた。
ソファーに腰掛けて私もその横に少し間をあけて座った。

「なんかむかついちゃったんだもん」
『だもんって』

「おかしいんだよ」と新羅は楽しい笑い話の枕詞ではじめた。

「ぼくが通ってた幼等部でさ、合同で予防接種する一週間前にね。幼等部の子みーんなはしかになっちゃってさ」

新羅はソファーの背もたれに深く沈んだ。

「俺もかかって、でも家に誰もいなくてさ。うち母さんいなかったし。父親はああだし。自分で症状を診断して、動けるうちに水とかパンとか用意してベッドに寝てた」

声はあくまで明るい。

「熱がグングン上がって節々痛くて動けなくて、でも夜中になったら急に寒くなってさ、アニメみたいに歯がガチガチ鳴るんだ。布団三枚も用意したのに、熱が上がりきったら治るってわかってるのに、どんな症状が出るか全部知ってたのに・・・グヘエ!」

脳天をグーでぽかりと殴ってやったら新羅は変な呻き声をあげた。

「痛いよセルティ、急になに?」
『痛いか?』
「そりゃ痛いよ」
『じゃあ看病する』
「・・・」

私はそっと新羅を抱きしめた。






***

は自分の咳で目を覚ました。
見たことのある車内のけしき。
シートの座り心地とオーディオ装置で、家にある二つの車のうち銀色の車の助手席なのだとわかった。
運転席には誰もいない。
エンジンもかかっていない。
フロントガラスから見える空は夜空だったが、妙にまぶしかった。
シートベルトが苦しかったのでボタンを押してはずそうとしたら長い長いそでが指の自由を邪魔していた。
四木のスーツのジャケットがの体を包んでいたのである。
しかし持ち主の姿が見えない。
シートベルトをはずして、助手席の窓からまぶしいほうを見ると大きなコンビニの駐車場にとまっているのだとわかった。
陳列棚の上からのぞく顔に見慣れたものがないか探したが見当たらない。
もう一度探した。
もうもう一度探した。
涙が出そうになっても、もうもうもう一度
ガチャという音は逆サイドからだった。

「・・・起きましたか」

運転席のドアをあけた四木と目があった。
手にはコンビニの袋、大きめ。
後部座席にやろうとした袋をが運転席と助手席の間でつかまえた。







ゼィゼィ喉を鳴らしながらはコンビニの袋を抱きとめた。
持ちたいのならかまわない。
四木はかまわず渡した。

「一度手をはなして」

袋を一旦とりあげての体にシートベルトをし、それからまた袋を持たせてやった。
ハイブリッドカーに静かにエンジンがかかる。
家まではあと五分もかからない。
ゼィゼィ

「食事はしましたか」

「・・・ヒッ」

なにか言おうとするとの喉が死にそうな音を立てて咳をした。
信号待ちで止まったすきに目をやるとは長い袖の両手で口を覆っていた。
咳をしそうになると口を覆ったまま助手席のドアへ体の向きをかえる。
席が終わると向きを戻す。
苦しさで下まぶたに涙をためる目と、目があった。

「・・・うつりませんよ」

口を覆う袖をはなさせた。
信号が青に変わる。



「食事はの好きなものを作りましょう」

何がいいと尋ねると、ゼィゼィの合間に息がもれてきてかろうじて
「おむらいす」「おむらいす」と繰り返しているのが聞き取れた。

「お粥ですね」
「おむ」

そこだけ明瞭に発音してきた。






やさしくする方法はあなたが教えてくれた。
ひねりもなくてすまない。






家につけば片手に、コンビニの袋を持った手で鍵をあけながら言う。

「デザートもたくさんありますよ。ウィダーインゼリーとプリンと、プリンはの好きなぷっちんの大きいやつですし、ゼリーはみかんと、桃と、ぶどう。あとくずきり、食べたことありませんでしたか。おいしいですよ。あとはピノを」



パタンとドアが閉まったあと、二人がどんなことを話したのかはだれも知らない。
でも
はしかが治ってからが赤林のおじさま相手に誇らしげに聞かせた話によれば
その夜は四木お手製のお粥が出されて、ミニミニオムライスが添えてあったそうな。
そのあとはパパと同じベッドで寝て、とっても嬉しかったそうな。

数日後に新宿の情報屋さんがはしかにかかって倒れたそうな。





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