「サンドバッグ」「洗剤」

会議室から同時に二つの名詞が聞こえた。
週次の幹部会は数分前に終わったと思う。
赤林はケータイを忘れて取りに戻ってきたわけだが、ほんの少し開いたドアに伸ばしかけた手を止めてグーパーした。
こっそり中をのぞきこむと、しかめっ面をはりつけた粟楠幹彌と無表情の四木が、たった二人だけで会議室に残っていた。

「なんでおまえはそう平気な顔でいられんだ」
幹彌は忌々しげに四木を睨んだ。これに対し、四木は淡々と返す。
「平気ではありません。明日の晩までにというのではもう時間がありませんから」
「ああ」
「ですが今晩乗り込めばまだ間に合うかもしれません」
「そうだな。いや、何が何でも間に合わせなくちゃあならねえ。間に合わなければ俺たちの立場はねえんだ。今後、一切な」
「・・・」



(おやおや、四木の旦那と専務自ら出向くってーと、よほどヤバイ案件かねえ。裏切りか、殺しか)
それにしても、幹彌の言った「サンドバッグ」というのは、中につめて殴るという図が想像できるが、四木が言った「洗剤」とはいったいどんな暴力なのか、未知なだけに恐ろしい。
(触らぬ神にたたりなし)
ケータイは二人が出て行ってからとることにして、赤林は足音をたてないように事務所の廊下へと消えていった。



「そういや、ウチのサンドバッグはなんとなくわかるにしても、おめえんトコはなんで洗剤なんだよ」
会議室で神妙な会話は続く。
「おかしいだろクリスマスプレゼントに洗剤がほしいって」
「・・・」
「新聞の更新のときの主婦かってんだ」
「手近にあったドラッグストアのチラシを見て、これ、とだけ」
「あ?ああ・・・うん、まあ、なんというか、その、頑張れ。俺はこのあとトイざラスに乗り込んでくっから。サンシャインの」
「トイざラスにサンドバッグは置いていないと思いますよ」












***



「なんすかねー、なんでなんですかねえー」

会議室が空くまでと、赤林は休憩室で一息ついていた。
そこで、なんでなんでとうなって首を右へ左へかしげているのは吉本という。
同じ部屋の中に、怒っている青崎とヘラヘラ怒られている赤林。さっきまで風本もいたが、四木に近いタイプである彼は騒がしい吉本が入ってきた途端に無言で出て行った。
ほかに誰もいないのは、幹部三人そろい踏みの休憩室でくつろげる人間はいなかったからだろう。

「うるせえぞ吉本」
「いやあ青崎さん。だってオレの方が確実にたくさん意見出してたと思うんですよ」

ね?そうでしょう?と青崎と赤林に同意を求めた。
幹部の中でも年少組の吉本は、お調子者なのが珠にキズだ。
彼は姑息な手段を考えさせたら右に出るものはいないと評されて幹部に上り詰めた。

「でもなんでなんスかねー。なんで四木さんが一言言うとみんなコロっとそっちへ持ってかれちゃうんですかね?今の会議だけじゃないでしょ、これまでだって結構そういうこと多くて」
「おめえばベラベラしゃべりすぎなんだよ」
「吉本くん。四木の旦那はほら、俺らと違って頭働かすのがお仕事ですからねい。ご意見やらご提案やら出してもらって当然じゃないですか」
「オレだってどっちかつったら頭脳派ですよ!」

「・・・」
「・・・」

「オレと四木さんにそこの差はないのにどうしてオレばっかり時間かかるめんどくさい仕事まわされるんだろ。やっぱオレに足りないのはアレっすかね。非情さ、ってやつですか。ガキまで作ったうえで女殺すってのは真似できませんよさすがに。仕事とはいえね、オレってピュアなところあるんで。そう、オレピュアなところはアピールポイントなんですよね。粟楠幹部会に咲く一輪のたんぽぽ、的な」

あーこれから会議の時ピュア押しでキャラ作ってきましょーかねーとぶつくさ言いながら、吉本は休憩室を出て行った。



赤林はくつと笑う。
「四木の旦那が聞いたらどんな顔するでしょうねえ。ああ、どんな顔もしないかな」
違う、俺はあの女を愛していた。
なんて否定をする四木を、赤林は思い浮かべることができなかったのである。
「やっぱりソウイウことになってるんですかぃ?」
赤林はその当時、粟楠会に所属していなかった。
青崎は「まあな」と口をへの字にした。
「ガキ作ったのも財産分与であやしまれないためだってことで浸透してる」
そもそも存在しないことになっている金に財産分与のしがらみなど無関係だ。だが四木の武勇伝を聞いた者達は「へえ、さすが四木さんだ」と何の疑いも持たず腹に落としてしまう。四木はそう思われるだけの実績と人格を持っていたのである。

「でも、どうなんですかね実際。少なくとも今はちゃんを大事にしているように見えますけど、ソノ時どこまで仕事でどっから私情だったのか」
「バカが」
くだらない話をふるなと、一蹴された。
「はは、ひでえ」
「同じ名前つけてんだぞ」
想像していた返しと違って、赤林は顔を作り忘れた。
「あの四木が感傷的になる程度はぶっ壊れたんだろうよ」
「・・・」
「と、俺たちに思わせるのもヤツの手の内だったらおっかねえがなあ」











***



年の瀬も迫る、クリスマスイブイブ。
年末進行でそこそこの慌しさはあるものの、しかし大きな問題は起きていない。
世の中が浮き足立った祝日を謳歌するなか、外道なる粟楠会は今日も今日とて通常営業だ。

明日のクリスマスイブは土曜日で、クリスマスは日曜日。
この奇跡的なカレンダーを見て、思わずにやける者とつらそうに目を伏せる者の2勢力がある。
粟楠会が抱えている問題を強いて挙げるなら、この2大勢力(特に後者)が組織内に細く鋭い亀裂を作っていること。澱切の消息が未だつかめないこと。粟楠会が取り上げた田舎の土地の利権をかぎまわっている連中がいるらしいこと。滞納金の回収率が先週から4%下がったことだ。

会議室から戻った四木はデスクに向かい、眉間をぎゅっと押さえた。
この仕草で上司の不機嫌を感じ取ったさとい部下達は、精一杯速くキーボードを叩いたり、鳴ってもないケータイを耳にあてて「もしもし」などと言ったりし始めた。
四木は考えていた。



忙しさにかまけてクリスマスプレゼントを買い忘れていた。
それどころか、リサーチさえしていなかったのである。昨日になってようやく、サンタに何を頼むのか娘に尋ねてみたところ、
「・・・」
無言で四木を見上げ、一瞬口を開いて・・・閉じて。
テーブルに置いてあった広告の一番上を三秒見、ピっと指差した。
それが洗剤であった。



(やはり、なにかを言うのを我慢したと見るべきか)
口元に手をあて、どこをともなく睨みつける。
するとたまたま視線の先にいた若い組員が「ヒッ!」と短く悲鳴して、持っていた書類を床に散らばした。
「おい、それが何の契約書だかわかってんのか」
今度は本当にギロリと睨まれて、若い組員は雷に打たれたように書類を拾い始めた。






















***



まもってあげてね
しきさんを



がらがらの幼稚園バスが停車した。
「では、ごいっしょに、さよーならっ」
「さようなら」

休日保育を終えたを幼稚園バスの停留所まで迎えに来たのは、家政婦のイネ子さんだった。
四木はが生まれた直後は育児放棄の状態にあった。これまでと変わらず会社へ行き、変わらないだけ働いていた。そのため、四木家では、最高で八人の家政婦が雇われていた時期があり、入れ替わり24時間体制で家事・育児を頼んでいた。
現在家政婦は二人にまで減ったが、平日日中や、休日でも四木が仕事であれば彼女達が家事を代行している。
彼女達は、ソウイッタ業種の家庭だけを顧客にしている、プロフェッショナルである。

「あら、ちゃん、それ作ったのぉ?なあにぃ?」

真っ白い髪の家政婦は、老眼鏡の奥の目を優しく細めた。

「ねがい事をいれるくつした」
「そー。上手にできたねえ。ねがい事なに書くのぉ?」

道の先にスーパー帰りらしい家族連れを見たは、
(守らなきゃ)
という意識で思考を塗りつぶした。



イネ子さんを見上げて笑う。

「かんがえ中です」

かじかんだ手には色画用紙で作った大きな赤い靴下。



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