粟楠幹彌と会議室で密談した日の夜、すなわちクリスマスイブイブ。

四木は池袋サンシャインのトイざラスの入り口付近に立っていた。
駆け込みサンタクロースの大人たちで店内はものすごい混雑だ。
そんななか、ふと視線を感じた。
店員が耳打ちしてはチラリとこちらを覗っている。四木が視線を返すとごった返す客の隙間に消えてしまった。
それが三回続いて、四木はついに店内には入らずサンシャインを後にした。
帰途で洗剤を買うべきか考え、やめた。

家に戻った頃、日付はすでにクリスマスイブに切り替わっていた。
ソファーの背もたれに首を預けて深く息をしたとき、どっと疲れがやってきた。
慣れない場所に行ったせいか、人酔いか。
目を閉じると、夢をみた。












***



四木は対峙していた。
ファンシーな店内音楽にアナウンスがのる。

「本日はベビーざラス、池袋サンシャインシティ店にお越しいただき、誠に有難うございます」

彼が立つのはほにゅう瓶の陳列棚の前である。
が安定期に入り、平日に有休をとって乗り込んだのはベビー用品店。
池袋の裏側は、確かに粟楠会の縄張りだったはずだが、四木の立つそのフロアは明らかにアウェイの様相を呈していた。

ほにゅう瓶売り場にさしかかろうとしたある女性が、ピタ、と動きを止めて回れ右した。
孫への贈り物を買いに来た白髪の女性は「ヒッ」と短く悲鳴すると、目を合わせないようにそそくさと去っていった。
後頭部に刺さるような視線、四木が振り返ると、店員たちは陳列棚を整頓する作業に没頭した。

異物、あるいは汚物と等しい。

「・・・」

居心地が悪い。

「四木さん」

いいのありました?とがのんびり歩いてきた。

途端、霧散した。

視線、空気、苛立ち、不快
四木の悪人面はどこもかわらないというのに、きゅうにこの場所の市民権を得てしまった。
色合いのうつくしい瞳は今日もわらう。

(強い)

と思ったが口にしなかった。笑われる気がしたからだ。
しかし今この場で確かに、は四木を守る強力な作用をもたらしていた。

「・・・いえ、まだ」
ほにゅう瓶を眺め始めたを悪くない気分で見守る。
「すごくたくさんありますね」
「ええ」
「形もいろいろ・・・。あら、これだけ形が全然違う。四木さんこれはなんですか?」
「どれです」
「漢字が読めなくて」

は初等教育が不十分だった絡みで、誰もが知っているような漢字が読めないことがたまにある。
高尾山を高毛山と呼んだのは記憶に新しい。そのわりに一人称が「わたくし」だったりと変に上等な教育を受けているところもあって、不均衡が見られた。一人称に関しては、最近は意識して「わたし」と言うようにしているらしい。
四木は取り上げた品の品名を読み上げる。

「これは搾にゅ・・・う器」



なんということはない。
これは仕事をする女性や母乳の出が悪い女性のための清廉で神聖な器具だ。
動揺もしていない。
思い当たることなんてなにもない。

急に地蔵のように黙った四木に、はあどけなく首をかしげる。

「さくにゅう?」
「・・・すみません」
「どうして謝るんですか?」

は笑った。

「なにか後ろめたいことでもあるのですか?むかしお仕事の関係で裏ルートで販売するためにこういった言葉を主題にした卑猥な映像作品を撮ったときの女性の顔が頭に浮かんだから目をそらしたのですか?」



四木はガバッ!とうたた寝から目覚めた。



すると、ちょうど小さいほうのが、四木の目の前まで毛布を引き摺ってきたところだった。四木にかけようとしたらしい。
は、母親譲りでうつくしい色合いの目をぱちくりした。
電子時計は12月24日 午前3時26分を示している。
毎度、この子は眠くないのだろうか、と寝起きだてらに気にかかった。

「パパ、こわい夢ですか」
「もう寝なさい」
「パパのこわいものなんですか。、こわくないようにします」
「・・・」

かみ合わず閉口した。
は四木が聞こえなかったと思ったのか、もう一度繰り返した。

「パパのこわいものなんですか」
「・・・女の勘フルバースト」
「?」
























***



時をさかのぼること12月23日(祝)、23時。
シメの立ち食いそばをいただきながら、平和島静雄はグスっと鼻を鳴らした。

「泣くな静雄。あしたあさってガマンしたらもうお正月だ」
「疑問を呈します。26、27、28、29、30、31日の6日間が存在します」

横並びの三人は仕事終わりの取立て屋さんである。

「や、全然平気ッス。一人とか別に普通なんで。あとこれ泣いてるとかじゃなくてそばが熱くて・・・グスッ」
「わーったわーった。じゃあこれからTSUTAYA行くべ?な?」

明らかに心が折れる寸前の静雄を見かねて、トムはそばがのびることもいとわず励ますことに専念した。
背をとんとんされて、静雄は「ボッ」とむせたが、それがはたしてソバでむせたのか、泣きそうでえづいたのかわからない。
紙ナプキンでサングラスの奥をぬぐい、静雄はぼそぼそしゃべりだした。

「おれ、高望みしすぎなんすかね」

トムはあえて相槌もうたずに静雄の独り語りを続けさせた。

「高校んとき踏切で見たんス。すげえ人相悪い旦那と、やさしそうな女の人がラブラブで・・・、あんな顔怖いやつでも彼女できるなら俺もきっと・・って思・・・」
「そうかそうか。そうだったか。うん、・・・そいじゃ、明日クリスマスパーチーでもすっか?」
「マジっすか!?」
「すげえ食いついたなオイ・・・。ヴァローナも来んべ?」
「パーチーとはディナーですか?」
「居酒屋でな。おーし、決まり!クリスマス死ね死ね団の初会合だ」

静雄が持ち直したのを見届け、トムはそばを食べるのを再開した。
























***



遮断機が降りた。

交互の警鐘が鼓膜を打つ。


電車は二本あるらしい。

平和島静雄は踏切の向こう岸、最前列に二人連れを見つけた。
夫婦だろうか。
夕暮れに長い影を落としている
男のほうが重そうなエコバッグ、女の人のほうが軽そうなエコバッグを持っている。向こうから来たということは西友帰りに違いない。
女の人のほうが綺麗なひとだったので静雄はそちらへ目をとられた。
一目ぼれなんて大仰なものではない。ただほんとうになんとなくだった。

静雄は折原臨也の小細工のせいで期末テストの範囲を大幅に間違えた。その結果こうして土曜補習を受けるはめになり、帰り路、制服で踏切が開くのを待っている。補習をうけるまで臨也への怒りは火のごとくであったが、臨也の邪魔も入らず無事に補修が終わった今となっては、うすらぼんやりと

ああいう彼女、ほしいなぁ

などと思うばかりだ。

一本目の電車がうなりをあげて通り過ぎた。
通り過ぎると電車を追いかけて風が動く。
あともう一本

一瞬視界がひらけると、向こう岸で二人連れはなにか話していた。

男の人は顔を向けて、女の人は踏み切りを向いたまま。
(彼氏のほう顔コワッ。やくざみてえ)
二本目の電車が近づいて、声なんて聞こえるはずもない。
通り過ぎ、ひらけた向こう岸
男の人と女の人は手を繋いでいた。
(わっ)
となった。
見てはいけないものを見てしまったような
見てもよかったような
ああいうのいいな、みたいな。



(あんなやくざみてえな顔したやつでも彼女できるなら、俺もいつかは)



遮断機があがった
意識してしまうと、ちらちらと(今度は意識的に)目が行く。
いったいあのふたりは電車が通り過ぎるまでの間に何を話っ

「補習おつかれさまんさターバサ★」

そう囁いて、激チャリの臨也が後ろから静雄を追い抜いていった。
だもんで、理想の男女にわき目を振ることも忘れて全力で追いかけてしまった。



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