「安くてよかったですね、うなぎ」
「でもテトさん。これ少し買いすぎじゃありませんか、6匹も」

うなぎを買いに行ったわけではなかった。
昨日四木の帰りがおそかったので遠出はできず、では夕方の買い物でも、と合意しただけで何を買うとも決めていなかった。徒歩で行くことになったのもその場のノリだ。

今夜の献立を考えながらカートを押していると、偶然始まったタイムセールにテトは勇猛果敢に飛び込んだ。
四木は見慣れない種の戦場に若干の恐怖すら覚えていて、少し離れた珍味売り場の前からこれを眺めていた。するとテトはうなぎの開き2枚入りを3パック掴んで四木のもとに帰還した。
「四木さん、見てください」
彼女の勇姿に表情は変えずにびっくりした四木は、なんと言うべきか思いつかず率直に
「かっこいいですね」
と言った。
テトは照れて
「四木さんのほうがかっこいいです」
と返した。
それはないだろう。少なくともいまこの時、この現場では。

話は戻る。
四木の持つエコバッグの一番上を陣取るうなぎ6匹を、テトが覗き込んだ。
「・・・多いですか?」
「まあ、おそらくは」
「・・・ごめんなさい」
テトは勢いを弱めて肩を落とした。上から長いまつげが伏せられたのを見下ろして
「・・・まったく」
四木はため息を落とす。

「こんなに買って、私にガンバってほしいという意図でもあるんですか」

落ち込みかけたテトはぱっと顔をあげて、心外とばかり四木の背をベチンと叩いて笑った。



警鐘が鳴り始めた。



ちょうど二人の目の前で踏切の遮断機が降りた。


電車は二本来るらしい。

テトは口をつぐんで前を向いた。
つい今笑った気がしていたのにろうそくの火が消えたように静かになった。
四木には、テトが体を固くしたようにも見えた。
一本目の電車が通り過ぎる間、四木はテトをうかがう。。
すると金縛りがとけたようにテトの体がびくりと動いた。テトは四木と目をあわせず前を向いたまま、苦笑して耳に手のひらをあてた。
「音、大きいですね」と仕草でしめす。

嘘だと思った。

テトは別のことを考えていたのだと思った。
一本目の電車が過ぎて、風にテトの服や髪が揺れた。しかしまなざしは金縛りがとけないまま前を見ている。
目の前には何もないはずだ。踏切と、高校生と向こうへ続く道があるくらいだ。
では、
テトは、
テトの心に過去から去来したものを見ている。
四木はテトの昔の多くを知らない。
知りたかった。
くやしかった。
妬んでいた。
勝ちたいという思いがあった。

「どうしました」



警鐘

「・・・」

カン
  カン
カン
  カン
カン「言って」
  カン
カン
  カン
カン
  カン
カン
  カン「父が踏み切りに引っ張って」
カン
  カン「母は暴れて」
カン
  カン「私のゆびだけすりぬけた」


二本目の電車が目の前に飛び込んだ。



テトの目はじっと前を見ている。
四木はゆるく握られたかたちで降りている手を掴んだ。
ビクンとテトが震えた。
かまうものか。
二人の視界に、スチール色の車体に映る自分たちがいた。
人に笑われるようなその姿は、電車の音で封じ込められた声よりも大きな声で大丈夫だとテトに伝えていた。

電車が過ぎたあとの風もおわって、遮断機が橙色の空へあがっていく。
すれ違った激チャリ高校生と全速力高校生などには目もくれず、二人は踏切をわたり終えた。
そのまましばらく歩くと、テトの頭が四木の腕にこっそり二度すりすりして、
四木は
「・・・六匹くらいで正解でしたか」
と今日の晩ごはんにおけるうなぎの特需を確信した。







***



「ちょっと待ってください」

そう言って、テトは四木の顔の前に手のひらをかざした。
今日は月の障りだったろうか。
四木は考える。
ちがったと思う。それに、そうであった場合、下着を脱がせる前に「待って」と言うはずだ。もうお互い脱ぎ済みであとはいたすばかりというベッドの上で、何をはばかることがあるだろう。

「なにか?」
「き、今日、は」

言いながらテトの顔が見る見るうちに赤くなっていく。肩が緊張している。

「四木さんは、何も、しないで、ください」

四木は目を丸くした。
素っ裸の男女がベッドの上でなにもするなとはどういうプレイだ。
テトは一度目を閉じ息を整えてから、カッと見開く。

「今日は私が四木さんを気持ちよくします」

声と瞳に使命感がやどっていた。






仕事柄、する機会は多かった。
十代や二十代の前半は積極的にその機会を楽しんでいたものの、最近では接待として女をあてがわれ受動的に抱いている程度だ。出張ではほぼ100%の確立で現地のおすすめ娘が四木の滞在先ホテルへ派遣される始末。こちらは仕事を山と抱えているというのに。
だんだん面倒になってきて、四木は座ったまま女だけ頑張るケースが増えていた。

だがテトに関しては、四木は頑張っている自負がある。
惚れた弱みというのもあったが、負い目もあって努めて能動的に頑張っていたのである。
負い目を生んだ発端は、はじめてテトを抱こうとした時のことだ。
四木はテトと元雇い主の老人の関係に、自覚もないまま嫉妬を覚えていた。苛立ちから、侮辱の言葉を浴びせかけ手ひどく扱った。
そしてテトと老人とのあいだにそういったことはなかったと知り、テトは逃げて、四木は必死に探したことがある。
そんな時期を考えれば、願ってもない申し出だった。

四木はベッドの背もたれを背にして座るよう指示を受けた。
従うとテトがにじり寄ってきて、テトからキスをした。
ちょっとでも四木が積極的に振る舞おうものなら「四木さんは動かないで」とたしなめられた。

・・・悪くない。

四木は甘んじて受け入れることにした。
唇が離れるとテトはちょっと考えてから「あ」と思い出した顔をして、四木の首すじや耳をあまがみした。
手は四木のわき腹や大腿をたどたどしく逆撫でしていく。

一方、四木の視界には傷のない背中とまあるいおしりが見えたので手を伸ばし、かけてやめた。
時折テトが四木の反応を確かめようとちら、ちらと視線を寄越してくる。そこに目を合わせて
「それで終わりですか?」
余裕を見せると、テトは「いいえ」といきり立って一旦体をはなし、悩んだ末に

ペタリ

と両手のひらを四木の両胸にあてた。
指がわきわき動くがつかめるほどの脂肪が見つからず、テトは気まずい顔をした。
普段四木がしている順序で進めていたらしい。そしていまその方針に疑問が生じたのに違いない。
考えあぐねたテトは、ついに四木にアドバイスを求めた。
「次はどうすれば・・・」
「あなたがされて、いいと感じたことをすれば良いんじゃないですか?」
テトはなるほどの顔をした。
「がんばって」
四木は淡々とした調子でエールを送る。
さて、
これでテトの一番いいところも知ることができて一挙両得だ。



ぎゅ



四木の左手が握られた。
テトの右手と、四木の左手。
期待の眼差しが四木の顔を見た。
「・・・」
四木は沈黙する。
期待の眼差しは四木の顔を見続けている。
「・・・すみません。これは一体・・・」
怪訝に眉をひそめて尋ねる。
「今日、踏み切りで」
「はあ」



「四木さんがこうしてくださったのがとても嬉しかった」



「ほんとうに」と深い声で続け、うつくしい色合いの瞳は涙をうかべて微笑った。
「さっき言ったのは、そういう意味ではありません」
淡々と返した。
「でも」
テトは下のほうをじっと見て、言行不一致のわが身に四木は咳払いした。



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