「金髪のほうに”オルゴールをまわして”と言うだけの簡単なお仕事です」
部屋の入り口には表札がわりに月のマークのタイルが埋め込まれている。
ベッドで身体を起こしている女は某製薬会社から買った。名前、生年月日、経歴その他もろもろが無い。真実無いのか会社側が隠しているだけなのかはわからない。クローン、人体実験、アンドロイド、この世ならざるもの、エトセトラエトセトラ、どれかしら。しかし女の素性にはさしたる関心はなく、顔で選んだ。
条件はただ一つ、
『平和島静雄の好みの顔』
交渉にあたったエージェントは俺にこう言った。
「性格にご要望はありますか?」
「へえ?そんなことも指定できるんですか」
「まだベータ版ですのでオプション料金安めにしますよ」
「ふうん。じゃあ・・・菩薩様っぽい感じで」
デリヘルの電話口で「女教師っぽい感じで」と注文をつけるように要望を伝えた結果、この女が届けられた。
これは座興に過ぎない
あの単細胞で凶暴な童貞のバケモノの生態をより深く分析するための実験。あそびだ。
使用するアイテムはオルゴールにした。生活必需品でないから即日修理する必要がなく、しかし由来ありげで壊したまま放っておくことができないようなもの、そう思って探したところ、北海道物産展で丁度いいのが売っていた。スイスみやげと言って渡した。
データベースを改ざんしてレンタルDVDの大量返却滞納者に仕立て上げる。取立て屋さん来る。ファーストコンタクト。壊れやすいように細工したオルゴールをシズちゃんに壊してもらう。後日修理したそれを返しに来る日は彼の仕事が休みの日。これでセカンドコンタクト。以降観察。
事前にたてた計画はここまでだ。
シズちゃんのことだから獣じみた勘のよさで危険を察知して罠を避けるか、あるいは罠に飛び込んだのに罠に気づかず罠をぶち破ってなにごともなく出て行くかもしれない。それもひとつの実験結果だ。甘んじて受け止めよう。
そう覚悟しておいたというのに楽しい楽しい楽しい結果が得られた!
罠に色仕掛けを使わせるまでもなくシズちゃんは罠に通い始めたのだ。
あんまりうまくいくものだからシズちゃんが来るたびにご褒美として罠には物を与えた。
「この前はiPodだったから、そうだな。今度はヘッドホンを買ってあげようか」
ファーストコンタクトが成功した時には、古今亭氏の落語をつめこんだiPodを贈っている。iPodはさほど喜ばれず、女は困惑の色を見せた。今回の申し出も喜んでいるようには見えない。
「ヘッドホンはいやなの?」
「・・・いえ」
「じゃあ浮かない顔なのはどうしてかな」
「どうしてこんなことをするんでしょうか」
「・・・は?」
あきれた。
「従順、っていうのもオプションにつけておくべきだったかなあ。追加でつけられるか聞いてみようか。それとも指が動かなくなる薬のほかにしゃべれなくなる薬も打ってほしいの?」
変に知恵をつけてバラされては面白くない。てっとり早く喉をつぶしてやろうかと思って喉を撫で、やめた。急激な変化があればバレる。
俺は観察を続けることにした。
口下手なシズちゃんが努めてしゃべり、プレゼントを持参したり、そうだな・・・一番興味深いのは何をされても怒らないことかな。
女がシズちゃんを怒らせるようなことをしなかったということもあろうが、月のタイルの部屋に来るまでに、例えば俺と会ってめちゃくちゃイラだっていたとしても、部屋に入った途端、しんと静かな平和島静雄になっているのだ。
そこで俺は気づいた。
シズちゃんは高校デビュー的なことを図ったのに違いないと。ハハッ、バカすぎる。
ムリムリ、君は誰かと深く関わるなんてムリなんだよ。特に女の子とはね。セックスの最中に我を忘れて相手のおっぱいを握りつぶしちゃったら目も当てられない。ハハハ!でもさあ、いいよ、いくらでも関わっていってテンションあがっちゃいなよ。俺はたねあかしする時が楽しみになるだけだ。女を打ち捨て、このうえなく俺を憎むだろう。ゾクゾクするよ。
かわいそうなシズちゃん。
実験結果が大きく狂ったのは女に携帯電話を与えた頃だった。
事務所のモニタ越しに観察しているとシズちゃんが奇怪な行動をとった。女にもたれて、へばりついた。女はその背中を撫でて
・・・なにこれ。
こんなあいつは俺ですら見たことがない。気持ち悪い。これはよくない。この実験結果はおかしい。違う。だめだ。認めない。
新品のノートパソコンをどっかと女のベッドに乗せた。
「あげる」
「臨也さん・・・、いただけません」
「遠慮しなくていいんだよ。これは俺から君への想いのこもった贈り物じゃないからさ。実験の備品だ」
乱暴に箱をあけてパソコンと初心者マニュアルをベッドの上に放り投げた。モニタを起こして電源ボタンを押す。
わずかに痙攣する不気味な手を引っつかみキーボードの上に置かせた。
「セットアップ済みだからすぐ使える」
女は意を決したように首を横に振って手をのけた。
もう一度手を捕まえてキーボードに叩き落とす。
キーがデタラメに押され画面は青くなった。
「あーあ、BIOS入っちゃった」
BIOSモードを抜けてOSを起動した。肩に手をおいて耳元にささやく。
「もうこれ以上シズちゃんを騙すのは気が引ける?電話かけるかけないくらいでキスしちゃいそうなくらいだったもんね」
女ははっと目を見張った。
変な知恵はつけてきたくせに監視カメラと盗聴器が仕込まれてないとでも思ってたんだろうか。救いようがない。
戦慄する瞳と間近で見つめ合う。
「そろそろしおどきだ。たねあかしの時だよ。俺もそうだけど君も恨まれるだろうからね、死んじゃったらごめんね」
以前女に渡した香水を足元に噴きつけてから部屋をでた。
***
傷口に押し付けている袖が見る見るうちに濡れかえった。
生暖かい鉄のにおいにこっちの頭までくらくらしやがる。ばかやろう、落ち着け、まわり誰もいない、血がとまらない。
はやく、救急車、アドレス帳のカ行・・・ちがう、
110番、救急車、ちげえ!
落ち着け
落ち着いて、押せ、『1』『0』『9』
「ちげ!くそ・・・イチ、イチ、」
ガタガタ震える手でそこまで押したとき、基央さんの手が上から掴んできて『1148*0』になってしまった。
「呼ばないでください」
「・・・な、なに言ってんだっ、頭ぶつけてんだから変に動かしたらやべえだろ」
血がはいらないように閉じた目が笑ったように見えた。俺のちぐはぐなテンパリぐあいを笑ったのか、自分をわらったのかわからない。
「私の身体のなかは変だから・・・」
俺の言葉を遮って、途中から声が濡れた。
目の端、零れ、とおりみちだけ血の色が薄まる。
はりつめていたものが細く裂けるような姿だった。
袖をぬらす血が熱い。
情けない息は溢れないよう声を絞り出す。
「だからなんスか」
「だましていてごめんなさい、すき、ありがとう」
言いたいことだけ言って、基央さんはそれきりしゃべらなくなった。
いつのまにか顔が真っ白になっていた。
ケータイを耳に押し当てる。
いのる。すがる。叫ぶ。
***
偽俺と基央さんだけの切り離された世界はつながってしまった。
基央さんの肩に甘えずにおれないほどつながりを恐れていたのに、いま俺が基央さんの眠るベッドの傍らでずっと手を握っているのは世界が離れることを恐れているからだ。ガキで自分勝手で気分屋でだせえ。新羅が貸してくれた魚拓Tシャツくらいだせえ。
セルティの黒いもやもや(中は振動をうけないらしい)で包んでセルティのバイクで新羅のマンションに運び込んでもらい、治療が済んで今に至る。頭の中をETスキャン、いや、GT・・・はグレートティーチャーか。とにかくなんとかスキャンした結果
「内出血はないし、骨に異常も見られない。真っ白になって倒れたのは緊張の糸がきれたのと貧血が重なったからじゃないかな。大丈夫、麻酔がきれたらそのうち目を覚ますよ。患部以外の身体の中について色々つっこみどころはあるけど」
ということらしい。
色々って、おまえ、増やすなよ。今夜だけで色々ありすぎて何から考えたらいいかよくわかんねえのに。
・・・唯一はっきりわかるのは、基央さんが生きててよかった。
深夜1時51分、基央さんの目が覚めた。
リビングへ新羅を呼びに行こうとした俺を
「へいわじまさん」
と呂律のゆるい声が引きとめて
「はなれてもいいんですよ」
と言った。
「・・・それ、俺のセリフです」
ふてくされながら、包帯がぐるぐる巻きになった基央さんのおでこをあごで示した。ぼそぼそ続ける。
「こういうことする人間なんです。基央さんが知ってるあっちの俺はニセモンで、本当はささいなことですぐキレてすぐ暴れてそういう奴で、基央さんにも・・・顔、ケガさせ・・・」
息が詰まった。
「すみません」と言いながら頭を下げるふりをして顔を隠した。泣きたい。
「痛くなかったです」
いつもどおりおだやかな調子の基央さん。
なんでそんなん言うんだよ。そんなふうに言うんだよ。言えんだよ。
目は見れず床に吐き捨てた。
「それはっ、怪我してすぐはアドレナリンとかモンダミンとかドーパミンが出て痛く感じなかっただけだろ・・・!です」
「今も痛くないです」
「そりゃ麻酔がきいてんだっ」
「ずっと痛くない」
言葉に撫でられた。
俺は慰められてばっかりだ。ちがうだろ、いま強くあるべきなのは基央さんじゃないだろ。俺だろ。・・・どっちもか。
「平和島さん、謝らなくてはいけないのは私のほうです。だましていてごめんなさい」
「・・・だましてないです」
強い基央さんの言葉を真似た。
魚拓Tシャツの胸を張る。
「俺、基央さんに誘惑されたりパンチラされたりして基央さんのこと好きになったんじゃないんで、だから俺はだまされてない」
「・・・」
「それに基央さんが俺のこと・・・す、すき、で俺の相手してくれてたなら、やっぱ俺、だまされてないと思うし」
みおろした基央さんは麻酔のせいかぼうっとしていた。
その姿は無防備で、ひどく色っぽい。きれいだ。
頭に巻いた包帯まで着こなすなんてすげえな。
すげえ。
おもむろに基央さんは体をおこした。
危なっかしく揺れていた頭がぐらっとこちらに傾いてきたので細心の注意をはらってうけとめる。
基央さんを受け止めた俺の手と身体と心は置き場をもとめてうろたえた。
「大丈夫す・・・か・・・・」
俺の右肩に基央さんの頭。
デジャブる。
立場は逆だけど。
・・・すんすん泣いてる。
ああ
置き場はここだ。
抱きしめると寝起きの身体はぽかぽかした。
きれいというよりかわいくて不謹慎にも顔がにやけるのを噛み殺す。
基央さんの声はぽかぽかの体から溢れる息のせいで震えた。充分に息を整えてから基央さんは俺の肩で言う。
「臨也さんの指示で平和島さんに言ったことがあるんです。みっつ」
ひとつめ
「藤原基央という名前は彼の指示です」
・・・あの野郎、ノミ蟲のくせにネーミングセンスだけはあなどれねえ。
ふたつめ
「1コ上というのも指示です。本当の名前も年もわかりません」
全然いいし。
さいご
“オルゴールをまわして”
「ごめんなさい」と加えて語末は消え入る。
必死なわりにかわいい懺悔よりも、俺の心はすでにノミ蟲が「臨也さん」で俺が「平和島さん」呼びなことに気がいっていた。
さてはあのノミ蟲野郎、基央さんに気があるな。
ムッと来たが今の俺と基央さんの体の近さを思えば、くやしさは俺をキレさせるに至らない。
勝った。
「・・・俺、電話でます」
俺の背にまわった手が、うなずくのと同じ合図だった。
お互いにゆっくり身体をはなして顔をかたむける。
近づく
目を閉じて
ぴと
ガチャ
「そうそう静雄くんさっき検査結果で言い忘れたんだけどセックスはできる身体みたいだよってうへええええ!!セルティセルティ!静雄くんがチューしてててででででででっ!」
その後、
東京で一番安いアパートを探した基央は、はからずしも平和島静雄の隣の部屋に住むことになった。
自分の隣の部屋がいつのまにか東京最安値になっていたことには少なからずショックをうけつつ、先日壁にあけてしまった穴はふさがずに遮音遮光カーテンをひくだけにして、ボロアパートは廊下に出ずに行き来できるコネクトルームに劇的ビフォーアフターした。
また、基央の入居をきっかけとして折原臨也は頻繁にこのボロアパートにちょっかいを出してくるようになった。
静雄は、てっきり臨也が基央に気があるのだと思い、いっそうの敵愾心をむき出しにするのだが・・・。
静雄は知るまい、
臨也が夜にばかりアパートを訪れる目的は静雄と基央の夜の営みを阻止することであり、基央の部屋の中では静雄を巡ってにこやかかつ壮絶なキャットファイトが繰り広げられていることを。
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