強風のち美女、降る。

「かぜのこ」
「かずのこ?」
「かずのこではありません。風」






●北風と取立て屋さん

三月中旬、東京池袋。
時計は19時を回ったが、取立て屋さんたちのお仕事はまだまだ続く。

今日は風の強い日であった。
冬の終わりかけの風というのは台風並みの被害をもたらす。
交通機関の円滑な運行を阻害し、人間の体力と肌の潤いをそぎ落としながら今もなお止まない。
砂塵を巻き上げ、思わず二人とも目をつむった。

強風のち美女、降る。

平和島静雄とその上司が目を開けたとき、目の前の歩道に美女が立っていた。
髪はアニメの登場人物のように長く、膝の真ん中あたりまである。
ここまでは池袋という場所柄を考えれば、コスプレ好きの女性かしらで済む話だ。
灰色の長袖ワンピースはすそと袖が大きく広がっている。それが強風をうけて大きくふくらみ、うねり、縦横無尽に舞い上がっているからなにやら妖しげな雰囲気を醸していた。すそから覗く肢体はすらり、白く、艶っぽい。
表情はない。

「なあ静雄」

田中トムは顔を女性に向けたまま、一歩後ろにいる平和島静雄にひそりと言う。

「あの子、・・・なんかこっち見てね?」
「見てますね」
「俺知らない子なんだけどおまえは?」
「知らないスね」

ひそひそ問答のあいだも灰色女の髪と衣服は四方八方に舞い踊る。
パンチラはしそうでしない。
誰か連れはいないかとトムがあたりを見回すが、車道にも歩道にも人の姿はなかった。
ひそひその結果、目をあわせず通り過ぎる、という結論が導き出された。
トムと静雄はそのとおり通り過ぎ、ようとしたらすれ違った瞬間バーテン服の袖が女に引きとめられた。
静雄の眉がひくりとはねる。

「・・・なんスか」

怒りをこらえた声音が尋ね、トムは冷や汗をかいた。
ヤバイやめろヤバイ。灰色電波女はどう見ても美女の部類に入る顔をしている。細っこいし、静雄が殴るとたぶん、かなり、絶対、やばい。
女は問いに答えず、袖を掴んだまま静雄と見つめ合っている。
表情はない。
静雄の眉が二度目ひくりとはねた。

「どちら様スか」
「かぜのこ」
「かずのこ?」
「かずのこではありません。風」
「風邪?お大事に。サヨナラ」

静雄は腕をはらって歩き出した。トムはほっとしようとしたらその腕を女がもう一度掴みなおした。
ブチ
と、とめていたボタンがもげた微音があり、トムはもう駄目だと確信した。
案の定、静雄の眉は三度目はね、行きかけた身体を女の正面に戻してしまった。
顔をずいと近づけ凄む。

「・・・」

洞穴の奥の魔物のような声で「てめえ」だの「弟から貰った服を」だの言いそうなものだが、静雄は顔を近づけたきり黙ってしまった。
トムはその後姿を眺めて不思議に思う。

「私は勝負をしています」

しゃべらない静雄のかわりに女がしゃべりだした。
淡々と。
一方でバサバサと音を立てながら女の髪が、服が、静雄の襟足が揺れ続ける。

「・・・勝負?」
「どうか私に勝たせて欲しいのです」
「アンタなに言ってブ」

静雄の視界はホワイトアウト、いやグレイアウトした。

「・・・?」

つむじ風でふくれあがった女のワンピースが、顔を寄せていた静雄の頭にかぶさったのである。
静雄は何が起こったのかわからなかった。
トムだけが彼らの後ろで驚天動地の形相をしていた。

トムは見た。



ワンピース一丁



正真正銘、ワンピースしか着ていないことをトムは図らずしも目視確認してしまいごちそうさまでしたもそこそこに、スカートの中から静雄を引っ張り出して走り出した。

「どうしたんスか、トムさん」
「逃げるんだよっ」
「え、なんかあったんですか?」
「なにかあったつうか“無かった”んだけどわかんなかったならそれがベスト。とりあえずもうすぐ春だからああいう人が出てきちまうのも仕方ないから、逃げるんだっ」

静雄はよくわからなかった。
しかしいつもは飄々とした上司が珍しく慌てているのでよほどのことがあったのだろう、逆らわずに逃げた。
逃げた。
逃げているのになぜこうも走りにくいのか。
大の大人の身体を押し戻すほどの風がひっきりなしに正面から吹いてくるからだ。
台風の只中に身を投じたレポーターのような姿である。
静雄でさえ踏ん張ってその場に留まるので精一杯であった。
この静雄の袖がクイ、と引かれる。

風がピタっとやんだ。

トムは恐る恐る、静雄は苛立ちをよみがえらせて振り返る。
風はやんだのに、女の髪と服は余韻でゆれ続けている。

「どうか」

女は感情のこもらない声で言い、袖にすがる。

「あなたに服を脱いで欲しいのです」






●北風と逃走

取立て屋さんたちは再び逃げた。

「あ!豊臣秀吉だ!」

とトムがあさっての方角を指差して、痴女さんがあさってに顔を向けた瞬間に全速力だ。
今度は対面する風もなく、あっさりと逃げ切ることができたのは幸いだ。
それが19時の出来事。

20時、池袋東武デパート前で一息ついた。
駅前は帰宅を急ぐサラリーマンや学生が襟やマフラーに顔をうずめながら行き交う。
吹きすさぶ風が痛いやら寒いやら、ともかく疲れた。

「春先だからなあ」

トムは色々考えたすえに、それだけ呟いてため息した。

「残念な美人スね」
「だな」

あれだけの美貌があれば、相応の場所でお誘いすればついてくる輩はいくらでもいるだろう。なんでわざわざ路上で男に裸を見せろと言ったりするのか。『公けの場』で『他人』にそういう嫌がらせをすることに性的快感を覚える性癖ならば救いようがないが。

「ほんと、残念スね・・・」

なにやら感慨深い色を聞いたトムはとなりを覗き込む。

「顔、タイプだったのか?」
「タイプつーか・・・、普通に見て美人つうか、まあ、タイプつうか」

タイプだったらしい。
残念もひとしおだ。(ああ、だから最初に顔近づけた時一瞬止まったのか)と合点がいきトムは声に出さず笑った。






●北風と勝負

私は北風の
北風のお役目を負っています。
先日、暇をもてあましたキアヌ・リーブス似の太陽が戯れに私にこう言いました。

『美しい私の北風。人間の服を脱がせることができたほうが勝ち、という勝負をしないか』

私は答えます。

『太陽、私は確かにこれまであらゆる勝負においてあなたに敗北を喫してまいりました。しかし太陽、それはあまりにも愚かな挑戦です。服を吹き飛ばすなど私には容易いことと聡明なあなたはよくご存知でしょう』

『やってごらん』

キアヌ似の太陽は自信たっぷりに唇のはしをあげて笑います。
長い指先を地上へ差し向け、

『ターゲットはあの人間にしよう』

それがあの男性でした。
私は猛烈な北風を巻き起こし、けれどその男性はポケットに手を入れ猫背になるばかり。
一向に服はとびません。
さては太陽、こうなることを知っていて勝負を持ちかけてきたのでしょう。
くやしや、
ですからこうして、なりふり構わず人の姿となってまで直談判にきたというのに、逃げられてしまいました。
ついでに言えば、豊臣秀吉も見つけることができませんでした。

地上はまもなく春です。
春がくれば私は去らねばなりません。
できると豪語してできなければ私はまた負けて・・・。

「どうしたらいいのかしら・・・」

途方にくれ、人通りの多い池袋の街をあてもなく歩きました。
私の起こしている風とはいえ、人の姿では北風が身にしみます。
凍えて腕を抱き、とぼとぼと足元ばかり見ていたところ、

ドン

人にぶつかってしまいました。
完全にこちらの不注意です。合わせる顔もなく、深く頭を下げるほかお詫びのしようもないことです。

「ごめんなさい。お怪我はないでしょうか」
「・・・あんたさっきの」
「え」

振り仰げば金髪にサングラス、バーテン服をお召しの、
なんたる幸い!

「痴女」

「え」

なんたる・・・






●北風と痴女

「痴女」
「え」

灰色女はトムさんが百貨店の中のトイレに行ったのと入れ違いで俺にぶつかってきた。
そんでいま「痴女」と呼ばれて目を丸くしている。
自分のことを痴女だと気づいていなかったんだろうか。・・・ああ、ストーカーは自分のことストーカーって気づかないっていうしな。なるほど。
相変わらず風でバッサバッサと服と髪を揺らしている彼女は、細っこい肩をすくめ、自分の身体を抱いて凍えていた。
風で舞い上がるほど薄手のワンピース一枚じゃそりゃ寒いだろう。
今日最低気温5度だぞ。あと、女の人だし。
しかも「痴女」っつう俺の言葉にショックを受けてるっぽいのを見ると、なんだか悪いことをしたような気がしてきた。

「あんたさ」
「・・・はい」

まだショックから抜けきらない、蚊の鳴くような声が返った。

「俺が言うのもなんだけど、そういうことはやめて真面目に穏やかに暮らしたほうがいいと思うぜ」
「私は真面目です」
「真面目にそゆことすんのはもっとまずいだろ」
「そんな・・・」

女のまなじりに涙が溜まり、俺はぎょっとした。

「もう時間がないというのに」
「なんの時間だよ。終電まだあるだろ」
「私は春までもたないのです」

俺は、横っ面を時速200キロの新幹線のぞみに殴られたような衝撃を受けた。

「悔いをのこしたまま消えなくてはいけないなんて・・・」

余命、数日。
お、おお、俺はそんな過酷な運命を背負った人になんてこと言っちまったんだ。

よくよく見てみればソレっぽい点がいくつもある。
まず雰囲気、
尋常じゃない色っぽさは『美人薄命』ってやつにちがいない。
ついで格好、
この冷たい北風の中ワンピース一枚で飛び出す無謀さはなぜか。なぜだ?そう!確か床屋に置いてあったギャグマンガ日和で地球最後の日に全裸になるという話があった。あ、れ、かぁ・・・!
さいご、この巡り合わせ、
好みの女と一日に二度偶然出会い、傷つけたのは俺、協力して救ってやれるのもたぶん俺。今こそ暴力を使わず誰かを手助けすることのできる千載一遇のチャンスじゃねえのか。

「・・・」

俺はこぶしをぎゅっと握りしめた。
決めた。

「俺が協力してやる」

うるんだ瞳が俺を見上げた。

うっ、
かわいい・・・

じゃなくて俺も真剣に見つめ返す。

「あんた名前は」
です」
。あんたがやろうとしている見知らぬ男の服を脱がせるってのは犯罪だから協力できねえ。だから俺が脱いで協力してやる」
「ほ、本当に」

喜びと驚きの入り混じった表情に変わった。
興奮のまま俺の手をとり両手で包むと、ふっくらした胸の位置まで持ち上げた。お、おおお・・・

「本当に脱いでくださるのですか」

直球で聞かれるとさすがにハズい。
手を握られるのも慣れない。
とはいえ決意は揺らがねえ。

「脱ぐ」

俺は力強くうなづいた。

すると、無数の光を宿した瞳がじっと俺を見つめた。
見つめている。
見つめている。
見つめて・・・

「・・・や、さすがにここじゃ脱がねえよ?」

「あれ?静雄、その子さっきの」
「あ、トムさん」
「痴女」

「トムさん!ノーモア痴女ッス!ドントセイ痴女!」

「え??・・・すまん」







●北風とフリース

「ちょっと事情が変わって・・・。その事情があんまり人に言えることじゃないんで、トムさん、どうか何も言わずに見逃してください!」

頭の上に?をたくさん浮かべる田中トムに、平和島静雄は土下座する勢いで陳情した。

「おまえがいいなら別にいんじゃね?」
「ありがとうございますっ」

九十度に腰を折ってお礼を述べた。
ここまで静雄の熱意に気圧され気味だったトムは、「あ」と言い忘れていたことを思い出した。

「そうそう、今日は電車とまりそうで事務所はやく閉めたいからこっちも仕事切り上げろって。もう帰んべえな」
「そうなんですか」
「おまえらこれからどうすんの?」
「うちに来てもらう予定です。外で脱ぐとまずいんで」
「ぬぐ!?あー・・・うん、いや、うん、・・・おまえがいいなら、全然」

言葉を濁した上司の機微には気づかず、静雄ははっと思い出す。

「トムさん、5分くらいこの人見といてもらっていいすか」
「いいけど。どした?」
「この格好じゃ寒いと思うんでなんか買ってきます。うちまで結構あるし」

静雄が百貨店に飛び込み、残されたトムとは強風に吹きさらされた。



やがて、トムはため息混じりに語りかける。

「大人同士話し合ってそれでいいつってんなら俺からはなにも言えねえけどさ」

好みのタイプらしいし、という言葉はのんだ。
隣の美人は表情もなく突っ立って、立派な電波っぷりだ。

「変な道には踏み込ませないでくれな、一応俺の後輩だから」
「まぎらわしい言い方をしました。ごめんなさい。けれど痴女ではないのでどうか安心してください」

お、普通の答え。

「そか」
「はい」
「ああそうだ。これで着るもの買ってきな。あいつにはちょっと刺激が強すぎる」

財布から何枚かとっての手に握らせた。

「それはいま彼が」
「中」
「なか?」とは首をかしげる。
「なか」とトムは困った顔でうなずいた。



静雄と並んで歩く家路ではの装備に二つ加わっていた。

ひとつ、閉店間際のユニクロで静雄が買ってきたパステルピンクのフリース(XL)
ふたつ、がコンビニで買ったパンツ




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