持田の妹








「持田、ほらこれ、忘れ物」

ドアから顔だけ出した黒いスウェット姿の持田に、城西は携帯音楽プレーヤーを差し出した。

「おまえのだろう」

明日渡してもよかったが、練習や試合に向かうとき持田が必ず音楽を聴いていることを覚えていた東京ヴィクトリーのキャプテンは、何かしらジンクスがあるかもしれないと心配して、都内某所の高級マンション、その高層階まで律儀にも届けに来たのだった。

「・・・」

「いいマンションじゃないか。広いし、クラブハウスも近い」

無言の持田の手のひらに音楽プレーヤーを置き、城西はマンションを褒めた。

「・・・」

「意外にきれいにしてるんだな。ロッカーがきたないから心配していたんだ。ちゃんと食事もとってるのか?」

「・・・」

持田は返さない。
日本人にしては色のうすい大きな目がじっと城西を見上げている。

「・・・ん?」

なにかおかしい。
城西は首をかしげた。自分の顎に手をそえハッと気づいた。

「少し胸が腫れてるぞ。まさか蜂にでも」



む に 



持田の胸板においた手がわずかに沈む。

「え」

驚いて感触を確かめる。

むに

むに

「え?」

目を丸くした城西の視界で、持田の肩に黒いスウェットの袖がするっと後ろから絡みつき、

「ちょっとシロさん。おっぱい揉まないでよ」

持田の後ろから持田が顔を出した。
突如混乱の渦に転げ落ちた城西を見上げたまま、持田よりもやや小ぶりな持田がはじめて口を開いた。

「はじめ、まして」

緊張した女性の声だった。














***



「ふ、ふたご・・・?」

「うん、そう」

広いリビングにとおされ、持田ではない持田によってローテーブルに紅茶が運ばれてきた。
パノラマの眺望は素晴らしいがいまの城西の目には入らない。

「ありがとうございま、っではなくて、その、本当になんとお詫びしたらいいか」
「ミルクとレモン、どちらになさいますか」
「ではミルクで、いえ!すみませんでした。女性にとんでもないことを」
「お砂糖使われますか」
「お砂糖は結構です。というか、すみません、本当に申し訳ない」
「ぶっ、はは!シロさん土下座超ウケるー。、ケータイとって、カメラカメラ」

蓮、と静かにたしなめる声があった。

「城西さん、気になさらないでください。大丈夫です」

困ったような声が優しい。
城西はおそるおそる顔をあげ、城西の紅茶にミルクの小瓶を寄せる持田と、カーペットの上で腹をかかえる持田を見比べた。

(に、似ている)

いや、似ているどころではない。
肌の色や目、顔立ちが似ているのは双子だからと思えば納得できる。しかし髪の色、髪型、それに服まで同じというはどういうことなのか。
城西は冷静になるよう自身に言い聞かせ、納得できる理由を自分の内側へ向かって探しまわった。少なくとも黒いスウェット上下はどこにでもありそうな室内着だ。それがたまたまカブってしまうことだってあるだろう。では髪型は???髪型も髪の色も同じなんて説明がつかない!それでも何か言わなくてはなにか言わなくてはと城西のキャプテンシーがフル稼働してひねり出された言葉は

「・・・仲が、いいんだな」

「うん」
「そ、そうか。兄妹仲が良いのは素晴らしいことだ」
「そうだね」

興味なさそうに受け流した持田は、持田が淹れた紅茶を一口飲んだ。

「シロさんも飲みなよ。おいしいよ」
「あ、ああ。それじゃあ、いただきます」

温かいものを口にしたら少しは落ち着くかもしれない。
そう思い、震えがとまらない指で繊細なカップをとるといい香りがした。
一口飲んで「お」と眉があがる。

「・・・おいしい」

思わず声に出た。

「よかった」

持田が控えめに笑った。
いま飲んだばかりの紅茶を噴き出しそうな衝動にかられた。
持田と同じ顔が「控えめに」笑っている衝撃に城西は耐えられない。

「シロさん、暇ならご飯食べてく?」

先輩だろうがキャプテンだろうが変わらないふてぶてしい口ぶり、そう、これこそが持田だ。
なぜだかほっとした。

料理うまいから」
「いや忘れ物を届けに来ただけだから長居したら悪いだろう。おいとまするよ」
「シロさんなに好き?」
「人の話を聞かないか」
「帰ったって彼女いないじゃん」
「っ・・・おまえなあ」
「食べたくないの?」
「食べたくないとかそういうことじゃない、お前達の迷惑になるだろうと言っているんだ」
「メーワクじゃないから言ってんじゃん。迷惑ならピンポン鳴った時点でエントランス開けないし」



なんだか持田のこの言葉にぐっときて、「そ、そうか、それじゃあお言葉に甘えて」という流れでうっかりご馳走にあずかったお夕飯。



「お、おいしい・・・!」

おいしい
おいしすぎる

「これはまずいな」
「シロさんサイテー」
「い、いや、そういう意味じゃない。そういう意味じゃなくてですね」

城西は慌てて訂正にかかる。

今のはおいしすぎて忘れられないという意味でまずいということで、いずれにしろまずいは違うな。さん、とてもおいしいですよ、このえのきのすまし汁なんて特に。こっちは鶏肉のボリュームがあってそれでいて栄養バランスは完璧だ。これオリーブオイルで焼いたんですか?持田はいつもこんなおいしいものを食べていたんだな、そりゃあフィジカルが強くなるわけだ

「なあ持田」

と、ひと息の流れで投げかけた先、持田はお盆を顔の前に持ち「照れる新妻のポーズ」で照れていた。城西は「なあ持田」の顔のままゾッとした。

「し、失礼。間違えました。こっちの悪いほうの持田に言ったんです」

向けた指があらぬ方向に折られそうになる。

「シロさん褒めすぎてうるさい」

黙々ともぐもぐとモリモリ食べていた持田がもごもご言った。
このやりとりを見た控えめな持田がクスと笑った。「超ウケルぎゃはは!」じゃない。クス。
またゾゾゾッと背を何かが這い上がったのを感じ、城西は食後のほうじ茶に口をつけた。ほうじ茶までうまい。






***



「すっかりごちそうになってしまって、ありがとうございました」

玄関までで見送りは辞した。
ギャハハと笑うほうの持田は早々に談笑に飽き、客人をほうって風呂に入ってしまった。

「お料理、とてもおいしかったです」
「ありがとうございます。言うのが遅くなってしまいましたが、蓮がいつもお世話になっています。すごくわがままを言っていると思いますので・・・。だから料理くらいでしたらいつでもご用意できますのでまたお返しをさせてください」

これを聞き、城西はどこか心のとおくのほうでで安堵した。
ピッチの外の持田は、基本的にやる気がなく飽きっぽい。口数も少ない(みょうなタイミングで一瞬爆笑することもあるけれど)。試合での凶暴な鬼迫にくわえ、ピッチの外でも人当りをよくしようなどと努力をする男ではなから、おせっかいにも城西は持田のプライベートを少々心配していたのである。
怪我の多い日本のエースの近くに、理解者が一人でもいると知れてよかった。

ー。おーい

バスルームから持田の声がにぶく響いた。
は申し訳なさそうに城西に会釈して「なぁに?」と返した。

「草津と箱根と登別と別府とはちみつレモネードどれがいいと思う?」
「別府」
「だよな、遠いし」

話はまとまり、改めては城西に向き直った。

「でもやっぱはちみつレモネードにすんね、あ、シロさん帰んの?」

突然声がクリアに聞こえたかと思うと、入浴剤の袋を手に持って水をボタボタたらす全裸の持田が現れた。
の顔がその全裸の方向へ向き、城西はワッ!の形で口をあけた。

「蓮、みず」
「シロさんバイバイ」
「水」
「うん」

持田がバスルームへ引っ込むとはあくまで冷静にまたぺこりと頭を下げた。
むしろ頭を下げたいのはこっちだった。
100歩譲って城西はいい、同じ男だ。シャワールームや脱衣場で一切隠さず堂々と歩き回る持田は見慣れている。しかしは兄妹とはいえ妙齢の女性だ。
「城西さん」
この歳になったら普通親兄弟にだっておおっぴらにはさらさないと思う。それは城西家だけなのだろうか。に動揺はなかった。ならばもしこれが持田家の「普通」ならまさか逆にのほうが裸でお風呂から出

「あの、城西さん」
「ハイ!」

真面目な顔の奥でよこしまなことを考えていたので返事とともに背筋がピンとした。

「もし、ご迷惑でなければ」

蚊の鳴くような声で丁寧な接頭辞がついた。
いましがたのよこしまな妄想に目の前のミニ持田の恥ずかしそうな仕草が重なって、場違いな期待がそぞろわく。
ごくりとツバを飲み下した。



「シロさん、って呼んでもいいですか・・・?」



ド・カン!







***



「違う違う、そりゃ俺がシロさんのことシロさんって呼ぶからだよ。あいつ、同じにしたいんだ」

ロマンスの予感は翌日、ギャハハヒーウケル!と爆笑した持田の言葉に打ち砕かれた。

「そうなのか」
「うん、そう」
「そ、そうか・・・」

これが他の兄妹の話ならまだ持田の言葉を疑って期待を持つ余地があるだろう。しかし顔がお揃い、髪も、服もお揃いの二人を昨日見たばかりの城西は真剣に肩をおとした。知り合いの呼び名もお揃いにしてそれで二人は嬉しいのだろうか。
ふと、
近親相姦という言葉が浮かぶ。
直後に持田が今までに手を出してきた美しい女性たちの顔が次々思い出され、下世話な勘繰りは打ち消された。
城西は「さんは学生さんか」と尋ねようとしてやめた。
城西にまだそんなつもりはないけれど、持田は他人にプライベートへ踏み込まれるのを極端に嫌う節がある。取材だろうが雑談だろうが、興味本位で聞けば機嫌を損ねるのは目に見えていた。昨日マンションにあげられて城西を迷惑ではないといわれたことがどれほど奇跡的なことだったか。

持田との会話が途切れるとメディカルルームに二つ並んだアイシングの機械が低く鳴る音だけが残された。
伸びた細いホースの先から冷気が噴射され、練習で疲れた筋肉を冷やしていく。
足は互いに傷だらけ。
持田がさっき笑ったのが嘘のように静かになった。

城西の足の筋肉はもうじゅうぶんに冷えた。
立ち上がりサンダルをつっかける。
持田はアイシングを続けていた。
いたく眠たげにじっと黙って自分の脚を見つめ、冷気をあてている。
右足首の薄汚れたミサンガにこめられた願いは何か。
持田は自分より先にここにいた。

「今度」

気づけばそんな言葉を発していた。
半ばまで落ちていたまぶたが持ちあがり、持田がこちらを見上げる。

「うちにも来るといい、二人で。たいしたものはできないが昨日のお返しになにか作ろう」

持田は眉一つ動かさず自分の脚に視線をもどした。
退屈そうで、また眠たげだ。

「男の部屋とか行きたくねー」
「おまえな、人がせっかく」
「レアチーズケーキね」
「・・・」
のコーブツ」

口の端がほんの少し笑っていた。



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