「蓮」

ひろいリビング、フローリングのうえに大きな毛布に包まって眠っているのが持田蓮という。
彼を、彼と同じ顔が見下ろしている。

「・・・ん」

実力と寝起きの悪さでチームメイトから恐れられている男が寝返りをうった。

「からだ、痛くなるから」
「・・・でもここあったかいよ」

寝起きの声はか弱い。
猫が耳のそばをかくように照明をきらった。
キャンプや遠征の朝の傍若無人な悪態を知る東京ヴィクトリーの面々が見たら目を疑うだろう。
同じ顔をした持田はその横に膝をついて

「ベッドに行こう」

穏やかな声でいざなった。
しばらくの沈黙と静をおいてから目をこすり、眠りの心地よさを惜しみまぶたを持ち上げた。
リビングは照明で明るい。テレビはついていなくて、の横にリサとガスパールのエコバッグを見つけた。
マンションの高層階にあるこの部屋の窓からは都会の夜景が一望できるというのに、夜景は分厚い遮音遮光カーテンが覆い隠していた。
あわい色の瞳同士が重なる。
のふとももに頬を寄せ、腰に腕をまわしてもう一度目を閉じた。

「おかえりー」
「ただいま」






ずっと前 ――――――

両手のひらを合わせて見つめ合ったことがある
健康診断の結果を見比べたことがある
裸になって姿見の前に並んだことがある
互いの股の形を触ったことがある
一つの毛布に包まって昼寝するのはいつものこと
セックスをしたことはない

どう間違ったか、うちの両親はかけおちだったそうだ。時代錯誤もいいところ。父親のほうの家柄がよかったらしいがよく知らないし特段知りたいとも思わない。
どう間違ったか、こじれ、別れ、戸籍もないまま俺たちは離れた。
母さんが俺を連れて行き、母さんはアルコール中毒だった。
は父親が引き取り、暴力を繰り返した。
困ったとき帰る場所がなくなった俺たちの父親と母親は不幸だ。
母さんが怒るのが怖くてなるべく長い時間校庭のグラウンドにいるようにした俺はでも帰るところがなかった。父さんに乱暴されるのが怖くてなるべく長い時間公園にいるようにしたはでも帰るところがなかった。それはとても、すげえつらくて、どうしようもなくて、どうすることもできなくて、みんな帰って一人になった校庭と、はるかに遠い公園で、俺たちはひとつだった。
ひとつのまま一人だった。

母さんのほうのじいちゃんとばあちゃんの家で俺たちが再び出会うのは14歳の時だ。
じいちゃんとばあちゃんは優しかった。

14歳ではじめて会ったとき俺たちはひとつだとすぐにわかった。
鏡にするように手を重ね合わせて確信に変わった。
俺たちはひとつ
その日までのさびしさと怖さが二分の一に薄まった。

「テレパシーしよう」

俺たちはひとつとわかっていたが、引き剥がされていた時間も長かったから中学の頃から俺たちは練習を繰り返した。
夜7時30分まであった俺の部活が終わるまで、6時半に部活が終わるは視聴覚室で勉強をして待ち、帰り道で練習は行われた。
兄妹で帰るのかよと笑った連中は残らずボコった。

「お題、食べたいものね。せーのっ」

「焼き肉」「おすし」

「「・・・」」

「つうか今日、この前の土曜日の達海選手のトラップ試してみたんだけどさあ」

まだまだ練習が必要だった。
帰り道はいつもくたくたで、爽快で、楽しかった。

は将来なになるの」

そんな話もした。
中二の冬の空は紺色に澄んでいた。

「蓮は」
「サッカー選手に決まってるだろ」
「・・・わたしもサッカー選手になる」
「いいんだよ、そういうのは違っても」
「どうして」
「俺とおまえは同じだから、やってることが違ってもひとつだからだよ」
「・・・わたしは」

どこか恥ずかしそうにばあちゃんの手編みで俺と色違いのマフラーに鼻をうずめた。

「お医者さんになっておじいちゃんとおばあちゃんの病気治す。蓮がケガしたら絶対治す」

俺はそのとき、練習試合でぶつかってつき指した中指が冷たい風がふくたび痛かった。

やがて俺はスポーツ推薦でサッカーの名門へ、は地元の進学校にすすんだ。
はバイト三昧で、卒業するとすぐに就職した。
先生達は「いま勉強することで将来の選択肢が広がる。大切な家族のためと言って道を決めるのはその家族に苦しく悔しい思いをさせることになる。どちらが親孝行だろう」と強く正しく進学をすすめた。それでもやっぱりは大学へ進学しなかった。年金暮らしで病気の祖父母と、何かと金のかかる俺のサッカーのために昼も夜も弱音ひとつ言わず働いた。
が弱音を言わないのはが本当にそうしたかったからだ。俺たちはひとつだから知っていた。
知っていたから俺はが無理をしててもやめろなんて言わなかった。
そのかわり、プロになった最初の年俸はのために使った。
じいちゃんとばあちゃんの入院費との予備校代、大学の6年分の学費を一気に払っても余る契約を結んだ俺はすごかったし、半年後に国内医学の最高峰の大学に合格したも同じにすごかった。
やっぱり俺たちはひとつだった。






それからあと――――――

蓮がプロサッカー選手になったこと、わたしが大学に入学したこと、おじいちゃんもおばあちゃんもとてもとても喜んでくれました。
一度だけ、おじいちゃんとおばあちゃんと三人でスタジアムに応援しに行ったことがあります。
新しくて大きくてきれいな東京ヴィクトリーのホームスタジアムの車椅子用席は、広くて安全でした。
三人で蓮のレプリカユニフォームを着て応援して、おばあちゃんはずっと拝んでいたのを覚えています。蓮が2点も入れて試合は3-2で東京Vの勝利でした。ゴールを決めたあと、車椅子席のスペースの正面まで走ってきた蓮はこっちにむかって両腕を大きく伸ばす仕草をしてくれました。直後に他の選手たちに飛びつかれてぺしゃんこにつぶれていました。楽しかった。幸せで、幸せでしかたなかった。

その年の冬に、おじいちゃんとおばあちゃんは天国へ行きました。
立てないほど泣くわたしを畳のうえで抱きしめて蓮は言いました。

「俺たちがじいちゃんとばあちゃんが確実に天国に行って今頃のほほんとしてるって知ってるってことは、もしかしたらじいちゃんとばあちゃんも俺たちとひとつだったのかもしれない」

たしかに、蓮の言うとおりだと思いました。

これまで4人で住んでいた小さな家は住まわせてもらえなくなりました。
蓮が日本代表に選ばれたことと、その日本代表が同じ顔と髪型をした双子と住んでいることがその理由のようでした。
家族用の家だから
報道の人が来たりすると近所迷惑だから
なにより近親相姦が気持ち悪いと、オブラートに包んだ言葉で殴られました。冬の夜でした。
その言葉の帰り道、蓮は怒りのけぶりを引いて歩きました。
古い電灯が等間隔に続く道で黒いフードをかぶって突き進む蓮の顔は見えませんでした。
顔は見なくてもわたしたちはひとつだから知っていました。

わたしは立ち止まり、蓮のひじを引きとめました。
蓮は黙ってわたしの手を振りほどき、夜へ長く長く続くコンクリート塀にわたしの体を追いやりました。
息がかかる距離まで蓮が近づいて
顔は
それて
こうしてわたしの肩へしずむと知っていました。
その頭に手を伸ばして自分と同じ手触りの髪を何度も撫でました。
この一瞬、しっかりとした声を発することがわたしの生まれてきた意味のひとつでした。

「すごい高級マンション住もう、蓮」
「・・・じーちゃんとばーちゃん羨ましがるよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんはいつも幸せになれって言っていた」







そして今――――――

昼寝はじゅうぶんだったからベッドへは行かず、ローテーブルの前に座った。
だだっ広いリビングだけど俺とは主にローテーブル付近のカーペットの上にだけ生息している。
俺は布巾でテーブルを拭く係り、は料理を作る係りだ。
は仕事が終わってから晩ご飯作ってるんだから思いっきりあいつのほうが大変だけど、はそれがいいと言って譲らなかった。
いいお嫁さんになると思う。
けど本人は恋愛ごとに興味を持つ気配すらない。仕事に加えてこっちでは俺の世話だ。色恋にうつつをぬかす暇はないらしい。
シロさん、ザンネン。

タニタ食堂みたいな皿がたくさん運ばれてきた。

「いただきます」
「いただきます」

オクラとナスの肉みそ炒めをもぐもぐしながら抑揚なく「んまい」とひとこと言うと烏龍茶が差し出された。
白桃フレーバーの烏龍茶はこの前サポーターから貰ったやつだ。

「ねえ蓮」
「んー」

肉んめえ。

「今度のお休み一緒の日、おじいちゃんとおばあちゃんのお墓参り行こう」
「んんいーよ。じゃあおれ帰りにケータイの充電するやつ買うわ。遠征用の充電器なくした」

こうして若く美しい独身女医の、男たちにとってはねらい目である貴重な休日はすんなりとつぶれていくのだった。



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