ネアポリス空港に檸檬色のワンピースがひるがえった。

タクシー待ちの行列に並んでいた男の人達が一斉に振り返る。
バスに大きな荷物を積んでいた運転手さんは見惚れてキャリーバッグを地面に落とした。
檸檬色のワンピースの、物語から飛び出してきたような、ていうか本当に飛び出してきたお姫様のような人がさんだ。
その横にいるもう一人、ウェーブのかかったきれいな黒髪の女性が由花子さん、僕の恋人だ。小柄なさんとはまた違った、迫力のある美人だと思う。お盆休みを利用してイタリアにやって来た日本の高校三年生だ。
空港の出入り口をうろついていてた警備員たちは下品な薄ら笑いを浮かべながら後ろで小突きあい、顎をしゃくる。すると一人の警備員が険しい表情で腕を組み、さんと由花子さんの方へ近づいて行った。
「あー、ゴホン、ゴホン。おまえたち、観光客か」
由花子さんは凄みのある視線を警備員に向けた。警備員はそのまなざしの強さに一瞬ぎょっとしたが、しょせん相手は手足の細っこい東洋の女だとあなどって、咳払いしてぎろりと睨み返した。
「まだ子供に見えるが、お父さんとお母さんは一緒だろうな。おまえたちは知らないかもしれないが、このあたりは凶悪なマフィアが陣取っていてね、女子供だけじゃあ出歩いちゃいけないって条例があるんだぜ」
言葉はわからなくても脅かして威圧しようとしていることは伝わっているはずだが、気圧されるどころか由花子さんは眉一つ動かさない。
なんだかおっかなくなったらしく、警備員はもっと弱そうな方へ視線を移した。
こちらはなにやら慌てて付箋のたくさんついた本をめくっている。表紙には「たのしいイタリア語 初心者編」とある。
標的は定まった。
「なんだァその目はぁあ!?さては親は一緒にいないんだな!!条例違反だ!しょっぴいてやる!!」
警備員は「たのしいイタリア語 初心者編」を無理矢理取り上げ、地面に叩きつけた。
すかさず、すくみあがっていたさんの手首を乱暴に掴んだ。と思ったが警備員が掴んでいたのは、空港の自動ドアから出てきた見知らぬ巨漢のまたぐらだった。顔に傷があって、どう見てもカタギじゃないタイプ。
「げぇえ!?」
警備員は自分の身に何が起こったのか理解する前にぶん殴られて気絶した。人間がもといた場所から一瞬で別の場所へ、まるで空間が削られてなくなってしまったみたいに移動したのを目の当たりにしたほかの警備員たちは、震えあがってぴゅーっと走って遠くに消えた。
「由花子さん、大丈夫だった?」
「こ、康一くん、助けてくれてありがとう」
さきほどまでの強烈な眼光が嘘のように、由花子さんは頬を染めて恥じらい、僕の手を取った。
「あはは、僕じゃなくて億泰君だけど」
その横では、学ラン姿の仗助君がこの一年でさらに伸びた長身をかがめて本を拾い上げ、手で砂をはらった。
「はい、さん」
「仗助様、ありがとうございます」
「ハイ!さん今の俺!俺デス!この虹村億泰がさんのピンチをっ」
「億泰ぅ、メンチ切られてんぞ」
仗助君にそう言われると、億泰君は学ランのポッケに手を突っ込んで、目と口をぽっかりあけてこっちを見ていたタクシー待ちの客とバス運転手に「おうおうおう」と首を揺らして向かっていった。
お客さんたちには悪いけどこれで一安心。人の目がそれたところで仗助君はもう一度さんをのぞき込んだ。
普段は杜王町でしとやかに暮らしている人だ。無礼な洗礼に驚いてさんの心が折れたのではないかと気にかかったのだろう。いっそ彼女がこの旅を諦めるくらい、心が折れてくれていたらと。
「行きましょう」
さんは仗助君の目をまっすぐに見て言った。この人はこのか弱い見た目よりもずっと強い心を持っていることを僕たちはわかっていた。
「…、そっすね」
仗助君はすこし困ったような顔になった。
「ジョルノ・ジョバァーナ様を見つけなくては」
この人は、人間になるためにイタリアにやって来た。






***



「…なにをぼうっとしているんだよ」
露伴に声をかけられるとはまつげをわずかに震わせ、首を横に振った。
食事中(といっても食べているのは露伴だけだが)、がテレビの方を向いてしばらく動かなくなったのはこれが初めてではない。何度目だろう。ここ最近特に多く感じていた。
「なにか言いたげだな」
「いいえ、露伴様。もう一杯お茶はいかがですか」
甲斐甲斐しく急須を差し出す。
不審だ。
「君がそういう態度に出るのは勝手だけど、こっちは読んだってかまわないんだぜ」
はしばらく黙っていたが、こと人を無理矢理白状させることにおいては露伴のスタンドの右に出る者はいない。
観念してはここしばらくの挙動不審の理由を白状した。

「人間になりたいだあ?」

素っ頓狂な声をあげた露伴には小さくうなずいた。
「イタリアに、生命のないものにも生命を与えられるスタンド使いがいらっしゃると」
「妖怪人間でもなし、なにを急に。いまのままでも別に不自由ないだろ」
「…」
「あるっていうのか」
「…露伴様にとっては、きっとくだらないことだとお思いになられます」
はそこで言葉をとめた。
気になるがこっちから「聞かせてくれ」と懇願することは岸辺露伴にはできない。ヘブンズ・ドアーを使えば一発だが、これが秘密を作る度スタンドを使うなんて、みみっちい奴のやることだ。
―――の不自由しているくだらないこと。はて、なんだ
腕を組み考え込んでふと視線をテレビの方にやると、ちょっとエッチなシーンがある映画の、まさにそのちょっとエッチなシーンが流れていたところだった。をその気にさせる目的で最近ちょいちょい食事中に見せている。
合体している部分は画面の外に隠されているものの、している真っ最中の映像に露伴ははっと思い当たってしまった。

「まさか」

口を開けたきり顔がこわばる。
の中に何か入れると、入れた場所によっては中に入れたものが無くなる。腕に刺した注射は大丈夫なのに、喉の奥やあっちにナニか入れると消滅するという現象はSPW財団によってすでに確認されている事実だった。だから露伴はとするときには基本的に入れない。
露伴は机をたたいて立ち上がった。
汗が噴き出す。
「バババ、バカじゃあないのか!?そん、そ、そん、そんなくだらないことのために!」
いくら自分とがががが合体できないからといって。
くだらないと言われるからと自らの口からは言わなかったに、思いっきり「くだらない!」と言ってしまって露伴はとりあえずソファーに座りなおした。ちら、とうかがうとは案の定肩を落としている。体中がむずがゆくなった。
「い、言っとくがな。ぼぼぼ、ぼくは別に気にしてないからな!君のその、そういうのは…」
うっかり頬が緩まないようにカルパッチョを皿ごと掴んですべて口の中にかき込んだ。
「わたくしは気にします」
ぶっと、カルパッチョを噴き出しそうになってぎりぎり飲みこんだ。
こいつ、案外スケベだったんだな…
うれしさを表に出さないように露伴は歯を食いしばり、眉間に力を入れて変な顔で耐えたが、はこれに鞭を打つ。
「ですから、イタリアへ行きたいのです。よろしいでしょうか」
「よろしいわけないだろ。そんなくだらなっ…君にとっては大望のことだとしても、そのイタリアのスタンド使いに手にかかって、本当に人間になれる保証なんてどこにもないんだ。そいつに竹取物語から出てきたかぐや姫を本物の人間にした実績でもあるってのか。ハン、ないだろ!」
「それでも、どうか」
「ダメに決まっている」
「どうか」
「ダメだ」
「お願いでございます、露伴様」
「答えはNoだ。あきらめろ」
ここまで言えばあきらめたろうと伺い見れば、伏せていた頭をゆっくりと起こし、やけに落ち着きはらった静かな声で言って放った。
「…わたくしはあきらめません」
露伴の声も一つ低くなる。
「なんだと?」
「露伴様がだめだとおっしゃっても、私一人の力でも行ってきますっ」
「君ひとりでなにができるっていうんだ」
「できます」
「僕は絶対に許さないぞ!そんなくっだらないことでっ」
「いいえ、行きます!」

売り言葉に買い言葉、「行く」「行かせぬ」というケンカは、いつのまにか「おまえなんか行っちまえ!」「行ってきます!」に発展し、はイタリアの地に立っていた。






***



「それにしてもさっきの機内食ウマかったなー。帰りも食えっかなー、なあ仗助」
「確かにうまかったな。あ、康一、運転手さんなんだって?」
タクシー乗り場で運転手の話すイタリア語がわかるのは、露伴に「イタリア語がわかるようになる」と書いてもらった康一だけだった。春に書いてもらってそのままになっている。
「8000円だって。でもぼったくりだよ。本当は市内までなら4000から5000円でいけるんだ」
「んだとぉ!?観光客の高校生だからってナメやがって!」
億泰がいきり立ったのを康一が手で制した。運転手に向き直ると、流暢なイタリア語で交渉を始め、その姿に由花子はぽーっと頬を染めている。
「4000円で行ってくれるって。話の分かる運転手さんでよかったよ。後ろのタクシーと二台に分けて乗ろう」
「おー、すんげえなあ康一!」
「あたしは康一君と乗るわ」
由花子は後ろのタクシーのドアの前に素早く立ちはだかって構えた。仗助とは二人の仲に割って入るのは野暮だとわかっていたし、そこまで空気を読み切れない億泰であっても、飛行機内の全力UNO大会で康一にドロー4を浴びせて髪の毛で首を絞められたばかりだから素直に前のタクシーを選んだ。
「そんじゃさっそくトランクに荷物を」
「あ!待って仗助君!前のタクシーには人が先で、荷物は最後に乗せて!僕はついこの前、その手で荷物を持っていかれたんだからね」
なるほどと仗助と億泰は目でうなずきあって、前のタクシーに先にを乗せてからトランクに荷物を入れ始めた。
「あれ、トランク閉まらねえな」
「億泰ゥ、おまえの荷物がでかすぎんだよ。いったい何持ってきてんだよ」
「何ってそりゃあおまえよぉ、ビーチボールだろぉ、浮き輪だろぉ、バナナボートと折り畳みパラソルと」
嬉々として指折り数える億泰を最後まで聞かず、仗助は後ろのタクシーで荷物を詰める康一と由花子に声をかけた。
「こっちトランクに入りきんないからさ、さんの荷物そっちの席に置いてくんない?一番小さいから」
「うん、大丈夫だよ。後ろの席に置いておいて」
「オッケー。億泰、頼むわ」
「おうよ。しっかしさんの荷物ちっさいなー」
後ろのタクシーに向かう億泰の背を見ながら、仗助は改めての荷物の小ささを確認し、すこし胸が痛んだ。滞在予定が四日間、しかも女性ともなれば、着替えや化粧品だけでも普通はいま康一が後ろのトランクに詰め込んでいる由花子のスーツケースくらいになるはずだ。しかしのそれは100円ショップで買ったのだろう安っぽいビニール素材のバッグで、中身は軽かった。
は新陳代謝がない」とは以前露伴が言った言葉だった。汗をかいたり涙を流してもそれは人の体液ではないし、皮脂やフケが出ることはなく、自然に髪が抜けることすらないのだ。だから自ら泥まみれにでもならない限り本来ならば着替える必要すらないらしい。
人間ではないからだ。
人間ではないから、だからあの人は、「生命」を与えるスタンドを持つジョルノ・ジョバァーナという少年を目指している。承太郎に何度も頼んでスピードワゴン財団から偽造パスポートを得、この世界に現れ出でた時に着ていた着物を売って旅費をねん出し、露伴とケンカしてまでイタリアにやって来た。
ジョルノ・ジョバァーナというスタンド使いだが、年下でありながらイタリアギャングのボスと目される人物で、何百人もの荒くれの部下と数えきれないほどの重火器を持っているという。片やがたずさえているのは朝のNHKイタリア語講座で学んだわずかばかりの知識と「たのしいイタリア語 初心者編」だけだ。
「俺たちが…俺がしっかりしねえと」
使命を自分に言い聞かせるように小さくつぶやいて、仗助はタクシーに乗り込むことにした。億泰が戻ってくるより先に座ってしまえば、の隣を陣取れるわけだし。
「…ん?」
乗り込もうとしたタクシーがない。
右を向くとタクシーがあるがあっちは康一と由花子のタクシー、…

「うええ!?」

「ど、どうしたの仗助君、あれ?タクシーは?!」

さんを!置き引きされたっ!!」



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