ついに耐えきれずに来てしまった空港の国際線出発ロビーで、岸辺露伴の携帯電話が鳴った。
登録されていない番号だが誰からかは分かっていた。露伴に電話をかけてくるのはたいてい決まった連中だが、そのなかでも露伴がかたくなに登録しなかった番号といえば、東方仗助の番号である。
いつもなら取らずに切るところを、露伴はしばらくその画面を見つめた。
あたりが静かになったような気がした。
「…」
あきらめる気配のない長い長い着信に、露伴は通話ボタンをたたいた。
「露伴!!」
大声のせいで音割れがひどかった。
思わず頭から離すが仗助の聞いたこともない必死な声はそれでも耳に届いた。
「露伴っ、はやく、さんがっ…」
手から携帯が滑り落ちた。
その背にヘブンズ・ドアーが立つ。
ヘブンズ・ドアーはペンを握るその手を振り下ろした。



”岸辺露伴はのところまでふっ飛ぶ”



突如病院の壁を突き破って赤黒いまだらの“なにか”が病室に飛び込んできた。
病室にいた誰もがワッと口を開け、仗助は「ドラァ!」の掛け声とともに素早く“なにか”をぶん殴り、岸辺露伴に戻した。
康一が悲鳴をあげる。
「げええ!露伴先生ぇ!?」
海と黄河をわたり雲を裂き、世界最高峰の山脈を越えて、砂漠と黒海を生身が光の速度で飛び越えて岸辺露伴はここまでやって来た。
「無傷で」と書き足せばよかったのに、それすら忘れてやってきた。いまここに仗助がいなかったら死んでいたところだ。
仗助に傷を治されても髪型はしっちゃかめっちゃかのまま、まなじりを千切れんばかりに開き、四つん這いでの横たわるベッドに寄った。康一もジョルノでさえその姿に圧倒されてそれ以上言葉が出ない。
あちこちに管がつながっている白い腕を見つけると、がたがた震えながら顔のある方を見た。
びっくりする体力のなかった目が、しかし露伴のことを確かに見つめていた。
少し、微笑みもした。
大きく開きっぱなしになっていた露伴の口がわずかにわななき、ようやく閉じた。
その後ろから、我に返った康一が言う。
「ろ、露伴先生っ、また無茶して!ひとまずこれだけ、付けてください」
差し出されたのは医療用のマスクだった。
康一に話しかけられて露伴はようやく以外のものを視界に認めた。
真っ白い病室に立っているのは康一と仗助、由花子、億泰、あとは仗助と似た目をした見知らぬ少年と、もう一人全く知らない男もいる。全員そろいの白いキャップに白い服を着て、マスクという格好だ。
「…なんだ、その格好。給食係か?」
「人間にするのはうまくいったんです。でもさんはいまお母さんの免疫をもらわなかった赤ん坊みたいな状態なんですって」
康一のこの説明では、10000キロほど吹っ飛んできたばかりの露伴にはよくわからない。
「は」
聞けば、生命を与えるスタンドは確かににそれを与えることに成功したが、体内の免疫までは完璧に作り上げることができなかったのだという。
「だから、さんはいまどんな病気にもすぐにかかってしまうんです」
でも生きている。
露伴はだんだんと理解してに向き直った。
マスクは受け取ってもいない。
ふつふつと怒りに似た感情がわきあがる。
「なんで」
こぶしが震えた。
「こんな危ない橋わたってまで、なんで人間になりたかったんだよ」
自分とセックスがしたかったからじゃないと、それはもはや確信していた。
小さくの唇が動いたが声がきこえなかった。
「なんだよっ、もっとはっきり言え」
そう言いながら露伴は爆発しそうになる感情をこらえ、自らベッドに腕をついての呼吸器に耳を寄せた。
―――ごはんを一緒に食べたかった
岸辺露伴は物言わず、表情もなく、体をはなした。
不意にの白い腕に目をやりそっと手を重ねると、ズバっと栄養の点滴の針を引き抜いて奪い、自分の腕に思いっきり突き刺した。
制止の手より早く不機嫌な声が叫ぶ。

「マズい!」

唐突にやってきた最初の一緒の食事の瞬間に、はおかしくって笑った。






点滴を奪う暴挙に出た露伴を追い出せやめろの攻防が始まったとき、億泰は仗助が黙って病室を出ていくのを見かけた。
行ってみると、白衣と帽子をとった仗助が病院の廊下のおわりの壁に向かって立っていた。
億泰の足音に気がつくと上を向く。
「なんだ、おめェ。また泣いてんのかよお」
億泰があっけらかんとした声をあげると鼻の頭と下の瞼を赤くした仗助が唇を尖らせて振り返った。
「泣いてねえよ」
「泣いてんじゃん」
「泣いてねえって」
「…」
ぽかんとして、億泰は仗助の後ろに立っているクレイジー・ダイヤモンドを見上げた。
誰か怪我したわけでも戦うわけでもないのに、現れている。
仗助は鼻をすすり、ぽつりとこぼした。
「肝心なとき、治せねえんだなって。そんだけ」
仗助のうしろにクレイジー・ダイヤモンドが現れているのは、仗助が意識的にやっているわけではないとわかった。
大きな体を小さくおりまげて仗助に手をかざしている。
かざしているだけだ。
億泰はしばらくその景色を不思議な顔で眺め、ぽりぽりと額をかいた。
「俺ァおまえがいてくれたから生きてるんだぜ」
「…」
仗助は下を向いたままくっと小さくふき出した。
「かわいくねえ」
「えー?」






***



パスポートは偽造だし保険も効かないのにしばらくは病院から動けなかったところを、ジョルノが裏から手をまわしてさんの入院費はタダになった(仗助君が旧ランカッチョ宮殿を元通りにしてくれたお礼だという)
そのうえSPW財団は、なんと医療機器と医者付きのプライベートジェットで帰国できるように計らってくれた。どうも「スタンドの副産物を人間にする」という刺激的な実験に目がくらんだ財団の研究部門が、わざとジョルノと僕らを引き合わせないように情報操作をしていたそうで、始終を見ていた亀(とジョルノは言っていたがなにかの比喩だろうか)経由で承太郎さんとジョースターさんにバレたらしい。
なんにせよ、こちらには日本から光速で不法入国した露伴先生も一緒だったから助かった。
日本に戻ってから一か月ほどは目黒のSPW財団日本支部の無菌室で療養していたが、あの露伴先生が足繁く通ってトニオさんの料理を届け、つい先日さんはS市の露伴先生の家に戻って来た。
病気を持って行ってしまうといけないから僕らはまだ窓越しにしか会えていないけど、ともかく今は静かに療養して、トニオさんの料理と杜王町に吹くさわやかな風があれば、僕らの受験が終わったころにはきっとまたみんなで遊べると僕は信じている。











































かぐや姫の奇妙なイタリア旅行から三か月後、
S市S駅の新幹線ホームにグリーンの車体がゆっくりとすべり込んできた。
ドアが開くと革張りのスーツケースを引いた、仕立ての良いコートを羽織った男が降りてくる。
一応二人組だが女たちの視線は一人だけ注がれている。
ブロンドの美貌の男だった。

「んあー、やっと着いたー!」
「ミスタ、大きな声を出さないでくださいよ」
「なあギュータン食いに行こうぜ。有名なんだって。お、あの駅員さんかわいい。チャオ~」
「行くなら一人で行ってください。僕はデートの約束があるので」



<< おしまい