雲ひとつない青空のもと、ザ・キング・オブ・ファイターズは大会二日目を迎えていた。

準決勝までは一日に2試合ずつ行われる予定だったが、きょう先に行われるはずだった第2試合で波乱がおきた。 当日になってKOF常連であるチーム怒が棄権を発表したのである。
対戦相手だったチームBlackCatsは、言い方は悪いがサウスタウンのスラムでたむろするチンピラ集団に過ぎない。これを相手に、プロの傭兵集団の選りすぐりであるチーム怒が棄権する理由が見当たらない。そのうえ、棄権に関してチーム怒はノーコメントを貫いたために、集まった観客たちは無人のリングへ猛烈なブーイングを浴びせかけた。
そんな波乱もあって、第3試合の開始時刻を迎えると、観客たちは鬱憤を晴らすがごとく大歓声でファイターの入場を出迎えた。

KOFアリーナのリングわきには無敵の龍リョウ・サカザキを擁すチーム龍虎が並び立ち、逆サイドにはチームサウスアメリカのファイターが姿を現した。
1組目、リョウに相対すのは、ブラジリアン忍術の使い手バンテラス・ハットリだ。次鋒はユリ・サカザキが隻腕ボクサーのネルソンとあたり、大将戦はリズミカルな蹴り技が特徴のサリナにロバートというカードになった。
相手チームの華やかな入場パフォーマンスに負けじと、ユリは観客に大きく手を振り愛想よく応えている。
観客がユリのパフォーマンスに盛り上がっている間に、ロバートはとなりの男を肘で小突いた。
「ちょい」
無視された。
「ちょい、リョウ」
「集中しろ、試合前だぞ」
リョウはいかめしい顔で腕を組み、相手から目を離そうとしない。かたくなに。
「なんやアレは。説明せえ」
あごで示した先、観客席最前列には一か所だけ囲いがある。
そこに草薙京と大門五郎、おまけに草薙京の自称弟子・矢吹真吾が立っていた。京たちのまえにはKOFの会場にはいかにも不似合いなブラウス姿の女が座っていて、その横を紅丸が陣取っている。
「子持ちの大門はギリとして、あと全員独身の男で固めるてお前。護衛にしても戦闘力を優先しすぎや。ほれ見ィ、未成年が無遠慮に顔見とるで。それに紅丸はもう、お前、紅丸やぞ。わかっとるんか。水族館デート一回しただけでモノにしたと思っとるんやったら大間違いやぞ」
様は、ものではない」
「今そういう話してるか!?」
たたみかけると、腕組みしたままリョウの視線がやや下がった。左の観客席を見かけてやめる。
ぽそっとこぼすように
「…猫カフェも行った」
「ね・こ・カ・フェ…!」
ロバートは額をおさえ、天を仰いだ。






二人を引き合わせたのは誰あろうロバートだった。
口をひらけば「山籠もりしよう」しか言わないリョウをだまし、無理やり華やかなパーティーに引き摺って行ったのは半年前のことだ。
リョウとユリの父親であるタクマは極限流の跡継ぎを待望していて、ロバートはタクマと顔をあわせるたび、その愚痴を延々と聞かされてうんざりしていたこともあるし、単に女っ気ゼロの親友を心配しての行動だった。
擦り切れた胴着とジャージのどちらかしか着ない男をまずはガルシア家の別邸に放り込み、
品のいいスーツにウエストコートまで着せて、髪形も整えさせたら、いいとこの御曹司の出来上がりだ。ちょっと筋肉が付きすぎているが、リョウは案外整った顔をしているのだ。

パーティーが催される山頂の孤城は本来の主の手を離れて久しく、いまやもっぱら富裕層向けのイベント会場として使われている。
ロバートの予想どおり、リョウはあっというまにイブニングドレスの御令嬢に囲まれた。
「まあ!ロバート様のお友達でいらっしゃるの!?」
「お父様は何のお仕事を?お名前を教えてくださらない?」
「お近づきにシャンパンはいかが?」
「あ、いや、俺は」
「もしかして未成年かしら、日本の方ってベビーフェイスでわからないわ」
「ほら、お顔が真っ赤になって!かわいい!」

どんな厳しい修行にも耐えぬく男が、ものの30分で夜の庭に逃げだした。
庭はきれいに切りそろえられた垣根が迷路のように続く。クマの形の生垣を通り過ぎると、景色は色とりどりの花が咲き誇る花園に変わった。
華やかな音楽もだいぶ遠ざかった。
窮屈だったネクタイの結び目を引いて、リョウはようやくひと息ついた。
変な気をまわしすぎなんだ、あいつは。
「強い女を嫁にしろ」
父親は最近口癖のようにいう。そのうえロバートまでこんな真似をしてくるなら、もはや一人で山にこもるよりほかない。
屈みこんで花壇の土にふれた。
プロの庭師の手が入っているだけあって、さすがにいい土だ。見たことがない花だから、おそらく外国の花だろう。パーティーの夜にあわせて綺麗に花を咲かせるなんて、よほど腕のいい庭師が管理しているのか、あるいはこの花が強くて長く咲くタイプなのだろうか。がくをのぞきこむ。
「なにか落とされましたか」
声に弾かれた。
花壇の向こうにその人は立っていた。
蒼いイブニングドレスに身を包み、白い肌は月明りを受けてほのかに発光しているように見えた。人間というよりは、この花園に住む妖精の王といわれたほうが納得する。
目と口をぽかんと開けているリョウに微笑んで、妖精の王はもう一度たずねた。
「落とし物を?」
「ぁ、はい!いえ…」
リョウは土まみれになっていた指を後ろに隠し、急いで立ち上がった。
妖精の王は杖をついていた。



孤城の大広間の灯りがむこうの夜空を夜明けのように照らしている。
案内された噴水で手を洗い、そういう用途で使っていいのかわからなかったが胸のポケットに入っていた大きなハンカチ、いやポケットチーフというのだったか。それで手を拭いた。
振り返ると、ベンチに腰掛けた妖精の王がいる。
へんな夜だった。
微笑をたたえる姿は目が離せないほど美しいのに、どうしてもドレスで隠れた足に目が行きそうになる。
「これですか」
視線をやったわけではないが、心を読んでドレスの裾をつまんだ。そういう力があっても不思議はない。
「…怪我を?」
「小さいころに病気をして、それで」
「歩けないわけではないんですよ」と王は立ち上がり、杖なしでニ、三歩石畳を歩いて見せた。なにやら危なっかしいと思っているそばから、左にがくんと傾く。
「あぶない」
膝を打つ前に引きもどせたが、掴んだグローブ越しの指があまりに細くてぞっとした。
「無理をしてはいけません。座って」
無謀をしかると「ごめんなさい」とすなおに返ってきた。
「助かりました、…」
「リョウ・サカザキといいます」
パーティーの出席者の名前を頭の中で思い出しているのだろうが、いるはずがない。申し訳なく頭をかいた。
「きょうは友人に無理矢理連れてこられて。うちは道場をやっているだけでどこかの御曹司でもエリート実業家でもないし、向こうに居づらくてここに。道場の御曹司といえばそうですが、大繁盛とは程遠いありさまですし」
「はじめまして。わたくしはといいます」
特に気にする様子もなくリョウにベンチの横を勧めた。こんな美人の横に座るのは気が引けたが、断る勇気もなく「失礼します」ともごもご言って腰掛ける。
「道場はどんな武道を」
「空手を、少々」
「空手、ずっとやってみたかったんです」
語気にわずかに熱がこもったのを聞き、「それならぜひ入門を!」と言う前のうれしい顔をしてリョウは固まった。脚のことを思い出し、空きっぱなしだった口をゆっくり、こっそり、閉じて、苦しまぎれにうなずいてみる。
幸い、はこちらを見ていなかった。
右足をぴんと伸ばして、
「うまくできないかもしれませんが」
左脚はついて来ない。
しかし眼は真剣だった。
「こうだからこそ、一から体を鍛えたいと思って」
「極限流道場の門戸はいつでも開いていますよ。門下生も募集中です」
「切実に」と付け加えると、は息をこぼして微笑んだ。
「そ、それにしても、前向きですばらしいですね。それにくらべて、さっき言った友人や妹はことあるごとに稽古をサボろうとして、心身を鍛える武道の本質を忘れている証拠です。いまの言葉を聞かせてやりたい」
「褒めてくださってありがとう。家族で空手をやっていらっしゃるのね。楽しそう」
「騒がしくはあります」
は優雅な笑みをたたえたまま石畳に視線を落とした。
「わたくしの家は、健康な身体を持つことがすべての奉仕のもととなる義務なのです。うまくできないことが多すぎて、もう卑屈になるのも飽きてしまった」
長いまつげが頬に影を作った。
「ただ、家族の期待に応えられなかったことは、今もかなしい」
「あなたが生きているだけで家族はうれしいですよ」
「…」
「絶対」
美しいばかりだった妖精の王の横顔が、一瞬はにかんだように見えた。
リョウはぶるりと震えあがった。
とんでもないものを見てしまったと思った。
「す!すみません!偉そうなことを言ってっ」
あわてふためくリョウの横でが顔をあげ、ほそい指がすっと夜空をさした。
「シリウス」











「一体どこ行ってたんや!」
帰り道、ロバートのオープンカーの風が火照った頬を冷やして心地よかった。
「人がせっかくセッティングしてやったのに、おいリョウ、聞いとんのか!ぼっとして」
雲のあいまに現れたシリウスを指さして、はにかみ笑いを隠した妖精の王。
彼女との庭でのできごとをリョウは誰にも話さなかった。
夢のような美しい思い出だ。
一生の胸の奥にしまって宝物になる。

ロバートはせっかくの努力を水の泡にしてくれた恨みを組手で晴らそうと、一週間ばかりサウスタウンの道場にとどまり、あたり強めでリョウに相手をさせた。
リョウはロバートとの組手や門下生の稽古こそいつもの調子でやるものの、それらが終わると途端にうわの空になり、食事中も箸を持ったままたびたび止まり、夜になると縁側に体育座りをして星空をみあげるようになった。
「お兄ちゃんなんかあったの?」
廊下の角から顔を出したユリが、同じく角から顔を出すロバートにこそこそと尋ねるが、ロバートには心当たりがない。
ところが七日目の夜、そのリョウから突然道場に呼び出された。
果し合いを申し込むかのような険しい形相で「頼みがある」というから、ロバートも正座の背を正し唾をのみこんで次の言葉に備えた。
リョウは上を向いたり、下を向いたり、歯を食いしばったり、目をきつく瞑ったりしたあと、喉から絞り出したか弱い声で
「パーティーで出会ったひとにもう一度会いたい」
と言った。
リョウからあの晩の庭での出来事を聞き、ここ数日のポンコツ具合にようやく合点がいった。
自分の努力は無駄ではなかった。女っ気ゼロの空手バカの親友が勇気を振り絞ってしてきた頼みごとを、なんとしても叶えてやりたい激情に駆られた。
ロバートは膝を強く打った。
「わかった」
「ロバート!」
「まかしとき!で、なんて子や」
紅丸ほどではないが、伊達男のアドレス帳には社交界の独身女性のデータがぎっしり詰まっている。
さんというひとだ!」
?」
すぐに思い当たる人物がいた。いや、しかし、そんなはずはない。
「いまって言ったか?」
「言った」
「…車椅子だった?」
「いや。杖はついていたが」
「美人?」
「ものすごく」
ロバートは沈思した。
「……ほなら、二つ先に言っとくことがある」
「う。なんだ」
もう決まった人がいる。そんなことを言われるんじゃなかろうかとリョウは恐れている。
「ひとつ。あの子のおうちからOKがでるまでさんやのうて、様って呼ぶべし」
「わかった。厳しい家みたいだったからな」
「もうひとつ。あの子のおばあちゃん、女王陛下」



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