貧しい少年、シンドバッドは崩れかけた石碑に背中をあててともだちを待っていた。
前を向けば川があり、石碑から後ろへこっそり顔を出せば、木立の並ぶむこう、大きなお屋敷の屋根が見える。
この川から屋敷まですべて、屋敷の主の庭だ。
屋敷には、重い税を強い、悪政をしく、金持ち以外の誰にも憎まれている領主様が住んでいる。






「やあ」
「おかえりなさい、シンドバッド」

屋敷の方から早足してきた女の子が、石碑のこちら側にやってきた。
領主の一人娘のだ。

「ここに来るまでに見つからなかっただろうね」
「見つかっていないわ」
「そう。なかなかやるな」
「助手にしてくれる?」
「だめさ。俺の助手になるには俺みたいに、オオトカゲ王をやっつけられるくらいでないと」

「オオトカゲ王!?」とは瞳を輝かせてつめよった。
これを横目でチラと確かめて、

「そうだよ。オオトカゲのなかの王様で、あいつは西の沼地を荒らしまわっていたんだけどね。ついに食べられるものを食べつくしてしまって、最近はこの町にまで獲物をさがしにやってきていたんだ」
「おおきいの?」
「君くらいのチビなら丸呑みだよ」
「え・・・でも、シンドバッドがそれをやっつけてくれた!」
「そのとおり」

石碑にもたれたまま胸をはり、フンと鼻をならした。

「すごいすごい!どうやったの?」

興奮して喜ぶに、俺は余裕たっぷり、自分の頭をココンとつついてみせた。

「ちょいとコイツを使えばカンタンさ」
「頭突きで!?」
「ちがうよ!知恵をつかったのさ」

大きな瞳をぱちくりさせて首をかしげるに、オオトカゲ王をやっつけるまでの冒険をおもしろおかしく話して聞かせた。



ひとつ冒険を終えて帰ってくると、「やあ」「おかえりなさい、シンドバッド」
まっさきににここで話して聞かせる。
一番仲のいい友だちだからだ。
そのたびは楽しい冒険話に魅了され「助手にして」と俺にせがむ。
俺は断る。
必ず断る。
は女の子だし、ちょっとケガしただけで泣くし、領主様の娘だし、毎日家庭教師の授業があるからだ。
家庭教師の授業をサボって冒険に連れて行ったらあっという間にバレて、俺たちは二度と会えなくなるだろう。だから断るんだ。



最初は小指ほどのトカゲと戦った話だった。
次は手のひらほどのトカゲと戦った話。
つぎはイグアナと戦った話・・・こうして続き、いまなんてオオトカゲ王を相手にするまでになった。・・・じつのところそのトカゲは大きかったから「王」と付けてみただけで、本当にオオトカゲの王様だったのかはわからない。

が楽しいならそれでいい)

そう考えるうちに俺の冒険は歯止めを知らずにエスカレートしていって、やがて海に出るようになり、ついには迷宮を攻略することにまでなるのだけれど・・・いまはまだ、そんなこと夢にも思わず、石碑の裏で笑いあった。






***






「やあ」
「おかえりなさい、シンドバッド」

一ヶ月ぶりに石碑の裏にふたりそろった。
俺は13歳になり、海へ冒険に出ることも増えてきた。
とおい場所へ行けばいくほど待ち構えている冒険はわくわくするものばかり。

「今日はシンがいてよかった」

まだ冒険のはなしを始めていないのにはうれしそうに笑って、俺の横に座った。

「いつ帰ってくるかわからないから、私は毎日ここに来て誰もいないのを確かめて帰っていたの」

とおくへ行くということは、帰るのにも時間がかかるということだ。
俺が謝るのは優しすぎる気がして

「きみは暇だなー」

とわざとが怒るようなことを言った。
案の定怒って

「暇ではないわ。私はずっと部屋で勉強をしているんですから」
「なんの?」
「数学と語学」
「数学なんて、机にかじりつかなくたって商人の船に乗っていれば自然と身に付くんだよ」
「でも、それじゃあ、語学は大切でしょう?シンドバッドは海の向こうへ行くもの」

言葉なんて現地で“習うより慣れろ・・・って言おうとしてやめた。
食い下がるをこれ以上いじめると泣きそうだったからだ。

「まあね。だがひとつ問題なのは、俺が浜辺で見た海馬というやつには人間のどんな言葉も通じないってことさ」
「わあ」

は怒っていたことも忘れてぱっと明るくなる。

「それはどんな生き物なの?」
「とてつもなく大きくて立派な馬でね、そいつはなんと海に住んでいるんだ」

俺は、海を越えた浜辺で見た海馬のことをおもしろおかしく話して聞かせた。
話し終えたとき、まだ興奮の余韻を残すが「ところで」と尋ねてきた。

「海馬をタネウマにしているとお話の中で言っていたけれど、タネウマって?」
「え・・・」
「・・・」
「それは、その・・・」

俺が顔を赤くして答えあぐねる姿を見て、もなにか感じ取ったらしい。
ぽっと頬が赤くなって、俺たちはお互い黙ってしまった。

「そ!そうだ!が勉強している国の言葉っていうので、なにか話しかけてみてくれよ!」

気恥ずかしさをふりはらおうとしたら、やたら大声になってしまった。
はこくりと頷く。
そして、とうとうと謎の言語をしゃべった。
それがあまりにも流暢で、あんまりにも長い文章だったから俺は度肝をぬかれた。
“習うより慣れろ”して学んだシンドバッドの外国語は、はずかしくてとても披露できないレベルだった。

「あと二ヶ国語できます」
「・・・き、きみは結構すごいな」
「助手にしてくれる?」
「だ、だめさ」

男の面目にかかわるから!






***






俺は14歳になって、座っていても髪の毛の先がちょっと石碑の上から出るくらいの身長になった。
それでも変わらず俺とは石碑の裏に集合した。
今回はなんと迷宮を攻略しちまったっていうとっておきの冒険譚を用意している。
俺がみんなのなかではじめて迷宮を攻略して、たくさんの財宝とジンの精霊を持って帰ってきたと知ったら、はどれだけびっくりするだろう。
お、来た来た。来たぞ!


「やあ」
「おかえりなさい、シンドバッド」

「・・・う、うん」

3ヶ月ぶりに会うはちょっときれいになっていて、返事がぎこちなくなってしまった。
いや俺だって・・・そんなにカッコ悪くないと思・・・

「というのは置いといて」
「何を置いておくの?」
「なんでもない。ジンの精霊に比べたらなにもかもなんでもない小ささだよ」
「ジンって、もしかしてあの、おとぎばなしに出てくるジンの妖精?」

は体を前のめりにしてよせた。
近くてドキドキした。
ドキドキするのをごまかすために、俺はスリルたっぷりの華々しい冒険を話してきかせた。
迷宮攻略までには三ヶ月もかかったから、すべて話し終える頃には夕方になっていた。

「すごい、シンは本当にすごいのね・・・」

は胸に手をあてて、うっとりしたため息まじりに言う。

「どうりで上等な服を着ているだろ。ターバンの布だって高いのにしたんだ。触ってごらん、サラサラだから」
「サラサラね」
「うん」
「背が伸びたわ」
「まあね」
「声もちがう」
「一度声がでなくなって、出たと思ったらこうなってた」
「そう」
「・・・」

は膝を抱えて座りなおして、じっと、つまさきより少しさきの地面を見つめた。
成長して男らしくなった俺をもっと褒めてくれてかまわないのに。
物足りなくて、ちらっとのぞき見たさびしげな横顔が驚くほどかわいくて、俺は見なかったふりをした。
立ち上がって服についた砂を払い、落ち葉を蹴りあげながらうろうろする。

「シンドバッドは次、どんな冒険にいくの」
「まだ決めていないよ。帰ってきたばかりだもの」
「とおく?」
「そうだと思う」

カサリと落ち葉を踏む音がした。
服がクンと引っ張られる。
の左手が俺の服のはしをつかんでいた。
白くて、ほそくて、きれいな指に見とれる。
そして静かに

「助手にして」

真剣な顔で言った。

「おねがい」

まっすぐに俺を見て言った。

「・・・っだめさ」

俺の胸はつまる。
は女の子だし、ちょっとケガしただけで泣くし、領主様の娘だし、それにその、はずかしくって。






俺は二つ目の迷宮を攻略するために、大きな帆船を買って海にでた。
船の甲板でぼうっと月を見上げていると、あのときのの真剣な顔が浮かんで消えて浮かんで消えて浮かんで、俺は深くため息した。

「もしかして、俺のことすきなのかなあ」



・・・かなあ?

だよなあ・・・?

だよなあ

だよなあ



「だーよーなー!」



俺は誰もいない夜の甲板で高く飛び跳ねた。



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