雲雀は小学生のとき、ある役目があった。

プリントを休んでいる子のところまで届ける役目だ。休んでいる子というのは一度も学校に来たことがない子で、という。の入院する病院は雲雀の家のすぐ近くで、帰り道の途中だったからプリントが配られる度に小三の雲雀は担任に頼まれそれを届けた。

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「これ、親に渡すやつ」

いつものようにの病室にプリントを届ける。
今日は『授業参観のご案内』。
子供のくせに個室病室で、子供ながらにきれいだった。当時の雲雀はプリントを渡す以外そこで何もせず、何も感じなかった。
だが雲雀はその日だけプリントを渡す目的以外のことを行った。
質問をしたのだ。

「なんで目赤いの」
「おばあさまが死んだの」

の両手はトトロのひざ掛けをきつく握り締めていた。
目は腫れぼったくて、半開きになっていた唇から涙声の息がこぼれる。

この顔の理由は雲雀がナースステーションの近くを通り過ぎたときに知った。

301号室の 特別病室の子? そうそう ものすごい遺産を相続しってはなし 
あの子って養子縁組なんでしょう 子供のいないおばあさんがって噂 あれってホントだったの
聞いた話だと犯罪者とかマフィアに武器を流してた元締めだったって 死の商人ってやつ? 
あはは まさか 嘘に決まってるじゃない  でもお金いいわねえ ねえ あはは あはは






「なに笑ってるの」
「あれから雲雀は一度も授業参観のお知らせとPTAだよりをくれなくなったと思い出したの」

今日も301号室、中学二年生になった雲雀がいる。
小学生時代四年間のプリント届け係はあの雲雀に慣れた人間を作り上げた。中学にあがると重要なプリントは郵送されるようになり、思春期の始まりに関係は放れるかと思われたが、が授業のノートを見せてほしいというので、相変わらず週にニ、三回は訪れては授業ノートをうつさせた。
通学の許可は下りなかった。
思春期もキスもデートもセックスも存在しない空間だった。
二人の関係は静かな水面のようなもので、水面を揺らす雫はなかった。
白いカーテンが風で病室の中にたなびく。南向きの窓からゆったりと水曜日、午後の日差しがそそぐ。
のちのランボが「陽光のもと微笑むあなたは女神」と称える姿だ。
雲雀はベッドの横の社長椅子に深く腰かけていた。
いかにも病室に不似合いな黒革の椅子は、空調の完璧な301号室に長居することの増えた雲雀が運び込ませたものだ。

「勝手に笑わないで。気持ち悪い」

「うん」とは思い出し笑いの余韻でまだ嬉しそうだった。
雲雀は無表情のまま数学のチャート式に視線を戻した。は雲雀の歴史のノートを自分のノートに写した。今日はあと英語と数学のノートがサイドキャビネットに積んである。
大きく開け放たれた窓に、いい風が吹いた。
の写すノートのページがふわりと浮く
ねむたい

こっくんと船をこいだ頃、「雲雀」と声がかかった。

外は夕暮れで、はすでにすべてのノートを写し終えていた。
いまは夕暮れを背景にしてやわらかに、静かに、きらきらする特殊効果を背負いながら微笑む。
「夕暮れに微笑むおまえは俺の嫁」とは、赤ん坊ことリボーンが数年後に言う言葉だ。
雲雀は自分の膝にトトロのひざ掛けがかかっているのを見つけた。

「風邪をひくといけないから」
「病人に言われたくない」

トトロの腹をつまんでひざ掛けを返却した。

「ノートありがとう」
「聞いてるの」
「聞いています」
「もういい」

ノートを鞄に放り込んで立ち上がり、廊下へ迷いなく一直線にでていった。
「それじゃ」とドアのところで振り返りもせずに言う。

「気をつけて」






素っ気なくドアが閉じられた。
は斜め75度まで角度をあげたベッドの背もたれに身体を深くあずけた。
ゆっくりと息を吐く。
身体が少し痛かったからだ。
先天性なんとかなんとか症候群という名前で雲雀が覚えている病のせいだ。
大きく開け放たれた窓から、夕方の風が今はすこし寒い

突然ドアが開いた。

ズンズンと遠慮なく病室に入ってきた雲雀は、のベッドを通り過ぎ、窓を閉めた。
カーテンを引きそして、彼がいたときまで背筋をピンとしていたのに出て行った途端にベッドに深く沈みこんでいるを忌々しげに睨みつける。
目が合って何を言うかと思えば

「それじゃ」

また素っ気なくドアが閉じた。
一拍遅れての頬が緩む。
はやわらかな毛布に額をすり寄せて、温かくなった身体で眠ることにした。






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