練習を終えて解散を指揮したときには、すでにあたりは暗くなっていた。
手早く制服に着替え、後を大石に任せると校舎へ向かった。

「あれ、手塚は教室いったの?」

「生徒会じゃないか」

大石が答える。
菊丸はため息をついて「大変だなー」と同情すると

「そうでもないんじゃないかな」

不二が含みをもって笑った。






栗色の髪の乙女の左斜め後ろを行く 1






階段を上る途中、吹奏楽部の女子たちと擦れ違った。
彼女たちとの距離がひらくにつれて、校舎は静かになっていく。
廊下の照明は消され、窓から入る薄明かりだけが校内に影をおとしている。
開いた扉、閉じた窓、主人なしできちんと整列した机、椅子。
上履きが廊下のタイルを踏む音だけが響く。

向かう先
廊下の闇の奥
教室の扉の隙間から細い光の線がはしっている。
生徒会執行室の明かりがついているようだ。



がらり



執行室の先客は突然の来訪者に少し驚いた顔をした。

「お疲れ様です」
「ああ」

生徒がひとり机に向かって作業していた。
全体的に色素が薄く、目の色も薄茶色、肌は白い。
栗色の長い髪に少し見惚れた。

「遅くまで大変ですね」
もこんな遅くまでいたのか」

中へ進み、ガラス戸から書類を引っ張り出す。
ファイルの棚は、この副会長によって整頓されている。

「違うの。うたたね、ついさっきまで。見られなくてよかったわ」

そう言って、ふわりと笑うは美人だ。
率直に思う。
は美人だ。
且つ又、コミュニケーション能力が非常に優れていると思う。
話しやすい話題を振ってくれる上、話していて飽きることも殆どない。
他人のフォローも上手く、友人から相談役を頼まれることも多いようだ。
同じ歳の女子と比べても比較的落ち着いていて、物腰も穏やかで...

ここまで考えて、あることを再認識した。
これらの印象は俺が抱く好意によるところがおおきいのだろう。
途端にの顔をまともにみられなくなる。
動揺に気づかれないよう、整然と並ぶ書類を漁った。

「お持ち帰り?」

俺が棚から取ったファイルをカバンにいれる様子を見て尋ねてきた。

「ああ、完全下校時間まであと10分しかないからな」
「そう」

は淡々と手元の書類をまとめる。
は落ち着いて、人間ができている。本人にそれとなく言ったら笑われた。

”そんなこと、手塚君に言われるとは思ってもみなかった”

そう言って一蹴したけれど少なくとも俺にはそう思えてならない。
書類の小口をそろえる動作さえスマートであるのだから。

が後ろの棚を向いたとき栗色の長い髪がふわりと揺れた。
背中の中ほどまであるその髪の栗色は、染めたわけではなく生まれつきなのだという。
”色素がうすいらしいんです。でもおかげで美白化粧品いらず”
そう言っていたずらに笑っていたのを思い出す。

「手塚君、送りますよ」



...は?



「俺が送られるのか」
「手塚くんはカッコイイので痴女に襲われてしまいますから」

また徒に笑うから、どこまで本気でどこから冗談なのかわからない。






かくして、
同学年の婦女子に送られることになった、 男・手塚国光(14)






車道側を歩くことを主張するは上機嫌なので甘んじて受ける。
しかしながら、やはりどこかおかしいと思う。

「手塚くんはバス通学でしたよね?」
「ああ。は・・・なんだったか」
「ひみつです」



...は?



「どうして秘密なんだ」
「・・・なんとなく。はずかしいじゃない」
「通学方法に恥ずかしいもなにもないだろう」
「・・・自転車なのよ。今日はたまたま違うんだけど」
「自転車は恥ずかしいのか?」
「乙女心です」

よくわからなかったが、それ以上聞くに忍びない雰囲気だったのでやめた。

不意にバスが横を通りすぎて、の髪がはたはたと舞った。
毛先が俺の腕をかすめる。

「あ、ごめんなさい」

「いや」

腕の、の髪が触れた部分が熱を帯びてる。
顔が緩みそうになる。
前を向いたままのに気づかれないように、彼女を見る。

その長い髪はさらさらしていそうだ。

艶があって、やわらかそうで

かわいい、と、おもう・・・。



「・・・」



顔が紅潮した瞬間、の目とまともに克ち合う。
は思わずのけぞった俺を真顔で見つめるとふっ、と微笑った。

「つむじは押さないで下さいね」



...は?



なんの話だ。
つむじを押すとなにがあるんだ。
そういえば、つむじを押すとどうのこうのと菊丸たちが話していたような気がするが
よく覚えていない。

「手塚君は押しませんね。なにかご用でしょうか」

が立ち止まる。
バス停に着いていた。

見惚れていたとは言えるはずもなく
返答を待ってじっと見上げてくる茶色の瞳から視線をはずすこともできず
窮して
窮して
言葉を絞りだす。

「...ただ、髪が長いと思っただけだ」

はしばらく表情のない表情で俺を見てから
やがて視線を宙にうかせた。
視線が宙をふらふらして、だんだんと下へ降りていった。

伏せられていくまつげを見て、俺の発した言葉にが何かしら思うところがあるのは間違いない気がした。
怒らせてしまったのだろうか。

悪意はなかったんだが。

その一言もいえない不甲斐ない自分を呪う。
しかして、ぱっと目を合わせたはいつもの穏やかな

「そう」

と、笑った。
それが落ち着いていて淡々としているいつものだったものだから少し心が傷んだ。
は俺に自身のことを語ることが殆どない。
先刻の通学方法の件がそのいい例だ。
それほど俺は信用ならないのか。

「では、また明日」

はまだバスの来ないうちに、ひらひらと手をふって踵を返した。
は微笑っているのだが、笑っていないように見えるのは気の所為か。
長い髪をふわりとゆらしては雑踏にきえた。
バスはまだとうぶん来ない。



はじめて好意らしい好意を抱いた女子に(伴われる形で)同行され
あまつ、
傷つけてしまった(ような気がする)、男・手塚国光(14)
取り残されたバス停の前で、呆然。






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