翌朝
朝練を終えて教室へ行く途中、昨晩仕上げた書類のことを思い出した。

「大石、少し生徒会室に寄っていいか」

大石は快諾した。






栗色の髪の乙女の左斜め後ろを行く 2






窓から差し込む太陽の光が学校の雰囲気を夜とは一変させている。
だから俺は気づかなかった。
生徒会室の明かりがついていたことに。




がらり





突然の来訪者に生徒会執行室の先客は、昨日と同じように少し驚いた顔をした。

「お疲れ様です」
「ああ」

生徒がひとり机に向かって作業していた。
全体的に色素が薄く、目の色も薄茶色、肌は白い。
栗色の短い髪に少し見惚れ........

み じ か い 髪?

背中の中ほどまであった長い髪は、肩辺りまでに短くなっていた。



後に、この時居合わせた大石曰く、未だかつてあれほど驚愕した手塚の顔は
見たことがなかった、という。



「・・・大石、少し時間がかかりそうだから教室にあがっていてくれ」

大石の返事を待たず、ぴしゃりと扉を閉めた。






「髪」

その一言で、は俺が言わんとしていることを察したようだ。
ふっ、と笑う。

「切ったの」

切りそろえた髪がいつもより軽く揺れた。

「なんでだ」

混乱して頭の芯があつい
言葉を選ぶ余裕なんてない

「なんで聞くんですか?」

逆に問い返されても返答に困る。

それは

きっと

絶対





「昨日あのときの俺がに髪が長いといったことと関係があるなら気になるだろう」

これでは自惚れているようだ!
くそう。
そうじゃないだろう
くそう

くそう!



「わたし、手塚君に落ち着いているって言われるなんて思ってもみなかった、って云ったでしょう」

は笑った。
昨日と同じ
微笑っているのに笑っていない顔だ。

「落ち着いてなんかないの。すごく慌てるわ」

笑顔が強張っている。

「慌てて慌てて...予約制の美容院に予約なしで駆け込んだくらい」

「俺は別に、の髪が似合わないとか変だとか、そんなことを言ったんじゃない。ただ本当にっ・・・」

勢いがついて、あやうく言うところだった

「”本当に”つむじをおそうと思ったの?」
「ちがう!」

おどけてみせたに声を荒げてしまった。
は少し震えて下を向いた。
怖がっている。

ああ、そうか。
どうしてあのときすぐに気づかなかったんだ。
他人の身体に自分の髪が当たって、俺のような無愛想な顔に
髪が長いなどと言われれば悪意ととるのも仕方ないじゃないか。

を傷つけた。
きれいだった長い髪を切らせ
それで謝罪の言葉ひとつもいえない。
自分に苛立つ
頭の中はぐちゃぐちゃだ。

「好きなんだ」

俺は無意識に言っていた。
唐突すぎるだろう。
話の流れをまったく無視した告白。
なんて場違いな!



は静かにゆっくりと視線をそらした。
視線は昨日をなぞるように宙へ浮く。
やはり昨日と同じように、まつげが伏せられていく。

「髪を見たのは見惚れたからだ」

視線が返される
色素の薄い茶色の瞳は、潤んでいる。

彼女はいつも落ち着いていて、動揺したところなど見たことがなかった。
だから
急に眉をしかめ歯をくいしばられても、どう対応していいものなのかわからない。

「嘘」

が唇からこぼすように言った。

「本当だ」

あとは野となれ山となれ

「切っちゃった」

の肩が時折小さく跳ねる。

「わたし、手塚くん髪長いの嫌いなんだと思って、切っ、切っ」
「あ、あの

泣 か せ た !

「好きなのに」



...は?



「手塚君に好かれようと思って化粧控えめにして品行方正めざして勉強も生徒会もがんばって洋書だってわけわからないのに読んで大人ぶっていたのに。チャリ通ってなんかダサいから秘密にしたかったし、他にもボロがでないように手の内かくしまくって手塚君に嫌われないように頑張ってたのに」

ついに両手で顔をおおって泣き始めた。
俺は事態が呑み込めていない。

「わたし首の左に傷あるんです見られることが嫌でずっと髪を長くしてでもそんなことは忘れるくらい慌てて短くしたんですこんなにしておいて手塚君が私を好きというのはどういうことですかっ」

句読点がなかった。
だが、怒っているらしいことはわかった。

「・・・傷?」
「見ますか?これ」

泣きながらは髪をかきあげて左の首筋を見せた。
やけくそになりはじめている。
火傷だろうか。
薄皮が張っているそこはあきらかに他の皮膚とは質感が違い、小さいにせよ多少目立つ。

ただ長くてきれいだと見惚れていた髪に
俺が切らせてしまったその髪に
その傷跡は隠されていた。
今は短いその髪。
傷はかろうじて隠れるが、少し動けばすぐに見える。

「...さて」

は乱暴に目をこすって立ち上がっり、鼻をすすった。
書類の小口を整えて俺のほうに向かって来る。
効果音は『ズンズン』が正しい。
俺は扉の前に立ち尽くしていた。

「職員室に提出してきますっ」

それだけ素早く言い置くと、は俺の横をすり抜けて執行室を出て行った。
まだ、目は赤いまま
潤んだままで。







俺は数拍遅れて踵を返した。






!」

手すりから身を乗り出して階下のを呼び止める。
は振り向きはしなかったものの階段中腹で立ち止まった。
俺は急いで階段を下り、の後ろに立った。

「提出、してきてもいいですか」

表情はうかがえないままでは言う。

「ああ」

の後をついて歩く。歩調と歩幅をあわせて歩く。
廊下に二人分の上履きの音が響く。

が職員室の前で立ち止まったら俺もその後ろで止まり、
提出が済んでまた歩き出せば俺も少し後ろを歩き始める。
まるで背後霊だ。
けれど、これくらいしか思いつかない

「どうして後ろをついて来るんですか」

やはり振り向かないままが冷ややかに言う。
俺はの左斜め後ろで止まっている。

「俺がここに立って歩く」
「どうして。私、今は本当に少し怒っているから」
「ああ」
「勘違いしないでくださいね、自分に怒っているんです。色々軽率な」
「常にここに立って、のその傷が他から見えないように壁になる」

言葉を遮られたは振り向かないまま、また肩をふるわせた。

「そんなことしなくていいんですよ。わたしもう手塚君がきれいってほめてくれた髪、切ったもの」

声は震え、涙に濡れる。

「短くても似合っている」

ようやく言えた
はゆるゆると振り返る。
唇を真一文字に結んで、歯を食いしばって声を絞り出した。

「ぁりがとうございます」

懸命なその姿が、不謹慎ながらかわいいと思った。

「短くても好きでいてくれますか」

ゆっくり頷くと、はようやくいつものように穏やかに微笑った。






以来、手塚国光は常に栗色の髪の乙女の左斜め後ろを行くようになった。
帰路においては、手など繋ぎながら。






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