マルクト帝国軍には一年に一日以上の慈善活動が義務付けられている。義務付けられているわりに給料は出ない。
毎年、二等兵から元帥に至るまで遺漏なく履行されている恒例行事である。
去年まで10年間、第三師団はグランコクマ市街の清掃を担当していたが今年になってローテーションがあり、第三師団にはこれまで第二師団が担当してきたグランコクマ内の病院における慈善活動が割り振られた。
ジェイドは小児病棟で女児の話し相手をすることになった。
それを聞いた第三師団の周りの人間の方が割り振った広報部担当は正気かと耳を疑ったが、今日という日の10時30分00秒。
定刻にジェイド・カーティスは担当病室の扉の前に立っていた。



一年目



重い気分で明るい顔を貼り付け、病室へ足を踏み込んだ。
パァン!
とクラッカーから紙テープが飛び出してジェイドに引っかかった。
パァン!をした本人は「いらっしゃいませ、軍人さん」とベッドの上から全開の笑顔だった。眼鏡と頭に引っかかった紙テープを笑顔で解いて
「はじめまして」
と言いながらジェイドはこぶしの中で紙テープを握り潰した。

ベッドの横に用意されている面会者用の粗末な椅子。
これに座って数時間相手しろというのだろうか。
背もたれもない。

「ジェイド・カーティス少佐です。歓迎していただけて光栄です」
といいます。はじめまして」

この笑顔。
なにが嬉しいのだか。
小さなもみじのような手と握手を済ませた。済ませたのに、手はジェイドから離れなかった。
握手する手を笑顔を中止した子供が興味深そうにじっと見ている。

「なにか気になりますか」

声をかけると子供特有の大きな瞳をぱりくりさせてこちらを向いた。

「手、大きいです」

そしてこの笑顔。
なんだかよくわからないがこっちも笑っておこう。にこ。

粗末な椅子に腰掛け、あらかじめ軍の広報部から配布されていたプレゼントを渡す。
絵本一冊とマルクト軍のノート・ボールペンセットだったはずだ。
絵本はランダムでノートセットは固定。
我が軍ながら、ひどい。
昔の自分がそんなものを貰ったら「おじさん、子供ナメてるの?」と鼻で笑って言うだろうと思う。
そんなきらきらした瞳で包みを丁寧に開けるほどのものではありませんよ、と言いたくなった。

「わあ絵本!」

まず出てきた絵本を両手で掲げた。ジェイドにとっては予想外の、軍が期待したとおりの反応だ。

「それにノート、ペンも。すごいすごい!すごいねえ、これは誰?」
「軍のマスコットキャラクターのマルクト君です」

驚くほど可愛くない、微妙にリアルなマルクト君がノートの表紙とペンのグリップに刻印されている。
キャラクターグッズを作ったが見事に売れ残り、在庫処分のために慈善活動のプレゼントにされたかわいそうなキャラクターだ。今の皇帝はピオニーの父親とは思えないほどに厳格な人だから、デザイナーもふざけきれなかったのだろう。
は笑顔で言う。

「かわいくないねえ」

そうだねえ、と言いたくなったが控えて、話を切り替える。

「本を読むのは好きでしたか?」

大きくうなずいた。

「昨日も図鑑を借りてきたの」
「そうですか」
「でも今日はこれを読むから図鑑はまたあしただねえ」

つられて「そうだねえ」と言いそうになる緩慢な語尾。両手で大事そうに本のはしっこを握っている。
絵本の表紙は大人が見ても綺麗な色をしていた。
深い緑色のシックな色合いの背景に、服を着た二匹のカエルが直立歩行している表紙。
しかしこれのどこか嬉しいのか。

「気に入ってもらえてよかったです」

容貌について触れよう。
髪は伸び放題。目を隠さないように髪を何度も手で避けていた。きちんと梳かしてもない。それでも汚らしく見えないのは彼女がまだ子供で、髪質も子供のそれだからだ。彼女が成長すれば、その姿は“だらしない”と形容されるだろう。パジャマだって飾り気の欠片もない。
まだ自分のことには興味がないように見受けられるは、”軍人さん”に対しては大変興味を持ったらしい。

「あの、おじ・・・おにいさん」
「なんです?」
「サインをください」

絵本の裏表紙を開けて、おずおずとジェイドに差し出した。

「私が書いたものではありませんよ?」
「記念です。だめでしょうか」
「駄目ではありませんが・・・まあ、書くだけなら」

子供の考えることというのはよくわからない。
手近にあったマルクト君ボールペンで普通に名前を書いた。
Jade Curtiss

「ありがとう、軍人のおにいさん」

満面に笑う。だから何が嬉しいのか理解できない。
そしてベッドの横の低い棚、二段あるうちの上の引き出しを開け、そうっと絵本とノートセットをしまった。
一段目には他に写真立てだけが入っていた。
彼女の両親だろう二人が映っている。

「一段目は大切なものなの」

呟き、パタンと一段目を閉じる。

パタンの音の後、突如沈黙が落ちてきた。
は引き出しと向き合ったまま黙っている。笑った顔のままだが目が泳いでいる。
ジェイドは意表を突かれた。
という子供は歓迎のためにクラッカーを持ち出すほど軍人さんに好意的で、満面に笑うくらいご機嫌で、なんでもかんでも一人でしゃべって一人で会話してくれるものと思って油断していた。ジェイドは「ええ」「そうなんですか」「それで?」「そうですね」だけでこの慈善活動を乗り越えようと目論んでいたのだ。
ジェイドはが何を次に言うのか待っていた。

「軍人のおにいさん」

ぽつりと言った。

「おしゃべりって、何をすること?」

“おしゃべり”の意味をしらないほどの子供には見えない。
事前に渡された資料によれば、彼女は成長期の子供にだけ発症する筋肉の疾患があるだけで、それ以外の発育障害があるとは聞いていない。
はおもむろに枕の下から一枚の紙を取り出した。
シワのついた黄色い紙には、デフォルメされた兵隊と子供たちが笑いあっている挿絵が入っていた。


ふれあいプログラム

10:30
 1.かんげい
   軍人(ぐんじん)さんが病室(びょうしつ)に来(き)てくれます。元気(げんき)にえがおでご挨拶(あいさつ)しましょう。

 2.じこしょうかい
   自分(じぶん)のなまえや年齢(ねんれい)をいいましょう。

 3.おしゃべり
   軍人(ぐんじん)さんと楽(たの)しくおしゃべりをしましょう。

11:45
 4.おしょくじ
   みんなで食堂(しょくどう)でおひるごはんを食(た)べましょう。

13:00
 5.レクリエーション
   みんなで遊(あそ)びましょう。

14:30
 6.おれい
   軍人(ぐんじん)さんに今日(きょう)のお礼(れい)をいって、プレゼントをわたしましょう。





「いまは、ここ」

『3.おしゃべり』を指差している。

なるほど、子供の方も義務なのだ。
来る軍人の相手をするように言われている。
笑っていたのにいつのまにかしゅんとして、表情豊かなものだ。

「そうですねえ。では私からはじめましょう。ハイここから」

始まりの合図にパンと手を打つ。はたから見れば滑稽だが円滑に活動を進めるためには協力を惜しむべきではない。
は真剣にこちらを見ていた。

はいつからここにいるんですか?」

ジェイドはきちんと“おしゃべり”をけしかける。
おしゃべりとかいうものが始まってくれたことにほっとしたらしいが笑った。

「5歳から」
「ずいぶん長いですね」
「そう。10年目なんてもうベテランねって看護婦さんが言うの」
「おや、そうなんですかー」

・・・ん?とジェイドは違和感を覚えた。
5歳から、10年目?

「失礼。あなた今、おいくつですか」

「15歳です。もうすぐ16歳」



超・年頃。



ジェイドは自分のできのいい目を疑った。

まず背が低い
顔が幼い
ツルペタ
声だって

「表現が適正かはわかりませんが、随分若く見えますね」
「ふふ。仕方ないんです。成長を遅らせる薬品を投与しているので」

はなにやらいたずらが成功したように嬉しそうだった。
もしや絵本とノートセットに喜んで見せたのは今のジェイドの動揺を誘うための布石だったのではあるまいか。
してやられた。

「ペンとノートに、絵本なんて子供向けのプレゼントでしたか」
「そんなことはありません。絵本はかわいくて好きです。ペンとノートもマルクト君の微妙な気持ち悪さがかわいいです。おにいさんは今何歳ですか」
「31歳です」
「おにいさんも若く見えます」
「それはありがとうございます」

思春期の15歳の少女が、赤の他人の三十路男と“おしゃべりを”と言われたら、それは会話にもつまるだろう。
企画者、出て来い。

「他に聞きたいことはありますか?」
「聞きたいこと?」
「おしゃべりをしなければならないのでしょう。不本意ながら協力します」
「わあ、なんでも聞いていいの?」
「軍事機密以外でしたら」

相手の年齢と企画者への仕返しはさておき、始まってしまったものは仕方が無い。ジェイドは慈善活動に取り組み直した。
幸いなことに相手はジェイドのささいな嫌味を気にしていない(理解していないのかもしれない)様子だ。
何を聞こうかと笑顔で考えている。
その末に

「おにいさんはどうしてそんなに綺麗なの?」

と満面の笑みで尋ねた。そうきたか。

「お褒め頂いて光栄です。人の生き血を飲んでいるからですよ」
「え・・・」
「特にあなたのように若い女性の血は思わず飲んでしまいたくなりますね」

なんちゃって冗談です。と続けようと「な」の形で口を開いた瞬間。

「貧血!大変っ!」

はナースコールを手にとって押し続けた。

『どうしましたか』
「大変なんです。軍人のおにいさんが貧血で、顔が真っ白なんです!」

早く輸血を!とマイク越しにナースステーションに伝えた。
これまでのとろとろした口調が急変し、あまりに行動が迅速でナースコールを奪い取るのが間に合わなかった。
そのあと駆けつけた看護婦さんには適当に当たり障りのないように事情を捏造して説明し、事なきを得た。

そうこうしているうちにチャイムが鳴って、プログラム「4.おしょくじ」の時間となったことを知らせる。
ジェイドが部屋の隅に畳んであった車椅子を持ってこようとすると、はサっと自分でベッドを降りて歩いた。

「余裕ですね」
「余裕なの」

余裕のは長い距離でなければ歩くのなんて余裕なのだそうだ。廊下に並んで歩いていると、「本当は走れるから見せてあげましょうか」と耳打ちされたけれど、地獄耳の看護婦さんに遠くから「病院内で走るんじゃありません!」と怒られていた。
他の病室からもぞくぞくと軍人さんとおしゃべりした子供達が出てくる。ノルドハイム将軍までいる。将軍はパジャマの男の子を肩車して、男の子はきゃっきゃとはしゃいでいる。そして「廊下で遊ばないでください!」と看護婦さんに怒られていた。






 4.おしょくじ

ワーギャーとテンション上がりっぱなしのわんぱく坊や達が雑音を発する食堂。
本物の子供と比べても、ワンプレートに乗せられた料理はの分だけずいぶん少ない。
ジェイドがプレートを見ているのに気づいて、は満面の笑み。

「育つといけないから少ないの。でも大人になったらちゃんと食べていいの。はやく大人になりたいなあ」

少ない食事をもぐもぐしながら、ただでさえ少ないのに更にグリーンピースだけフォークで横に避けた。

「食べなさい」
「・・・だって」
「だってじゃありません。大人になりたいなら食べなさい」

「ええ」と批難の視線が向けられる。はジェイドの皿の上にブウサギのソテーだけ残されているのを見つけていた。

「ずるいー」
「私はいいんですよ。もう大人ですから」
「もっとずるい」
「大人はずるいものです」

はむくれて、グリーンピースを一気に食べて「おいしくない」という顔をした。
ごっくん。

「・・・わたしもはやく大人になりたい」

周りの子供達がようやくメインディッシュのソテーを食べ始めた頃、はからっぽのプレートを前に呟いた。






 5.レクリエーション

レクリエーションは新兵達による人形劇だ。
ジェイドもも観覧する側で、は作られた笑いどころにきちんきちんと笑っていた。
ジェイドが笑ったのは、劇の途中で新兵が本気で転んだところだけだった。

“楽しい劇”のお返しに小児病棟の子供達は歌をうたう。
元気いっぱいに個性炸裂に、もうちょっと合同練習をすべきであろうバラバラの歌声が響いた。
も歌っていたけれど、周りに立っている児童と15歳の少女がほとんど見た目の区別がつかなかった。
は歌いながらも、ジェイドと目があうと恥ずかしそうにした。

ジェイドは食堂のやわな椅子で足を組み、肘掛も無い。
手作り感たっぷりのレクリエーション
人形劇
子供達のお歌
手拍子
戦争や軍に対する批判を緩和するための戦略的慈善活動

(不快な空間だ)

歌が終わり、兵士達から拍手が送られる。
誰かが指笛を鳴らした。
ジェイドも拍手する。
歌が終わったことにほっと胸をなでおろしていると目があったので、ジェイドは笑顔を作ってみせた。
は赤みを帯びた頬で満面の笑みを返した。

(なんて不快な空間だ)







 6.おれい

各々病室に戻って、早くも最終プログラム「6.おれい」

「はぁ、どきどきした」

はベッドに戻り、火照った頬を自分の手のひらで押さえた。ジェイドもベッド横の粗末な椅子に戻る。

「人前で歌を歌うなんてはじめて」
「お上手でしたよ」
「嘘。わたし歌ヘタなの」

ヘタもなにも、子供達のキィキィ声で目の前の15歳の自信の無い声など全く聞き取れなかった。
小さすぎる手が小さすぎる膝を抱いた。ベッドの上で膝にかけた毛布ごと体育座りしている。

「大人になったら上手くなるかなあ」
「なんでもかんでも大人になったらで済ますのはやめなさい。なにかを成したいなら今から努力をすることです」

急に怒られてはきょとんとしていた。
ジェイドは目をそらし眼鏡を押し上げるしぐさをした。

「失礼。先ほどの歌に感銘を受けたもので気が高ぶりました」

隣の部屋から「おじちゃん、また来てね」と男の子の声がした。その声にプログラム「6.おれい」を済ませる必要があることを思い出したは、ベッド横の引き出しの上段を開けた。写真立ての下に隠されていたものを取り上げる。

「これ」

平べったい花の形に折られた折り紙をペンダントトップにした、紙テープの首飾り。

「花の真ん中にはメッセージを書くの。少し待っていてください」

あの人懐っこいが目も合わせてこない。やはり急に厳しいことを言ったからビビらせてしまったらしい。
子供相手に我ながら大人気ないことをした。気にはしないが。
は引き出しの上の段からマルクト君ボールペンを取り出し、「ありがとう」と書いた。
心にも無いことを、とジェイドは見下ろしながら思う。

「はい、どうぞ」
「これはこれは、素敵なペンダントまで頂いてしまって光栄の極みです」

少し屈んでやって、首に掛けさせてやる。

「・・・」
「どうかしましたか」

首に掛け終わったが黙った。

「おにいさん、いいにおい」

素直は美徳だ。

「恐れ入ります」
「今日は来てくれてありがとう」

ジェイドは立ち上がり、扉のところで最後の挨拶。
は笑っている。立ち直りが早い。
もう会うことはあるまい。

「また来てね」

もみじのような手を小さく揺らす。

「ええ、またいつか」

開いていたもみじの手がゆるく曲がる。


「それ、病院を出てもしばらくははずしてはダメよ」
「おやおや、厳しいですね」
「慈善活動だもの」


は苦笑いをした。
忘れるところだった。子供と女と大人の洞察力を持ち合わせる年齢なのだ、この人は。



首から紙のペンダントをかけた軍人さんが夕方の大通りをねり歩き、大いに宣伝してから城に戻ってきた。
執務室に戻るとピオニー皇子が「ずいぶんカッコイイ首飾りしてるな」と絡んできたので、さっさとはずして机の引き出しのどこかに放り込んだ。捨てはしなかった。






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