三年と2日目
「・・・もう四年目」
お手洗いから戻ってきたねこは自分の病室の入り口に手をついたまま、ほうけて、そんなことを言った。
おととい慈善活動に来たばかりのジェイド・カーティス大佐が背もたれも無い粗末な椅子に腰掛けていたからだ。
「おや、今日は歩けるんですね。残念です。歩けなければ抱っこしてあげようと思ったのですが」
ねこはへなへなとその場に座り込んだ。
「今からやっても遅いですよ」
と言っても立とうとしないし、なにやら手のひらを額の前に笠のようにしている。
もしや驚かせすぎて身体の調子が悪くなったのだろうか。ジェイドが席を立って近づくと
「来ないでください!」
拒否された。
「き、今日はだめな日です!」
別にセックスを強要しにきたわけではありませんが、と言おうかと思ったが「変態!」と大声で叫ばれて騒ぎになりそうな予感がしたので、やめておいた。
「だって・・・昨日きゅうりパックしてない・・・」
「そんなことしてたんですか」
「します。一年に一度しかないのに」
昨日きゅうりパックをしなかった顔を見られたくなくて手で笠を作っているそうだ。
ジェイドは距離をあけたまま、軽くため息をつく。
「そうですか。あなたの都合が悪いようであれば今日は帰りましょう。また来年」
「そ、それはだめ・・・!」
ねこは扉に両手を広げて阻み、ジェイドは腕組みしてそれを見下ろす。
「ではゆっくり立ってベッドに戻りなさい」
へたり込んでいたねこは扉に縋って立ち上がった。膝が笑って失敗した。
「あ、あれ・・・いつもはこうじゃない、です」
「余裕ですか?」
「余裕です」
「そうですか」
膝は笑うが顔も笑っているねこにムラ・・・イラっときたジェイドが持ち上げて運搬して再配置した。
「お姫様だっこ・・・」
恍惚とした表情のねこが下ろされたベッドの上から呟いた。
「ふう・・・危うくぎっくり腰になるところでした」
「ならなくてよかったねえ」と幸せそうなねこが満面の笑みをすると、「そうだねえ」と同じ顔で毎回言いそうになるのは新手の呪いだろうか。
ねこは「ジェイド、どうしているの?」と至極当然なことを尋ねた。
「来て欲しくなかったですか」
「来て欲しかったです。嬉しいです。すごく」
「そうですか」
素直は美徳だ。
そして改めて「どうしているの?」と尋ねた。
ジェイドはしばらく黙った。
ねこは不思議そうにジェイドの顔を見上げ、彼から出る次の言葉を待っていた。
まず、未成年の小娘が三回会っただけの仕事中の軍人に高価な品を贈り付けたことについて、これは軍法に抵触する行為であり大変迷惑だ遺憾だ非常識も甚だしいとわかり易い嫌味をたっぷりまじえて批判し、二度とないよう反省させてやらなければならない。
ジェイドはそう考えながら黙っていた。
また、嫌味の後に言うことも考えていたのでもうしばらく黙っていた。
リキッドファンデーションは案外種類が多く、こればかりはどれを選択すれば適正なのか確証がなかったので、実物の肌と検体を並べて検証することで近似色を選ぶのが最適かつ最短であろうと判断した。そしてこれをどのように伝えるべきか、どのように伝えたら、ねこが自分がデートに誘われていることを理解し、体調を崩さない程度にびっくりして動揺して困って恥ずかしがって最も面白いだろうか。
ジェイドはそれを考えて、しばらく黙っていたのである。
三年と32日目
有給休暇を取得したジェイドと外出許可を得たねこは、ねこの肌の色に最適なリキッドファンデーションを検証しに外出した。
三年と38日目
ねこの病室を訪れたジェイドは、同じく見舞いに来ていたとっくに退院済みの”テンちゃん”と鉢合わせになり、「このロリコンエロメガネ!」と思いっきりスネを蹴られる。ジェイドは笑顔で”テンちゃん”を廊下に連れ出し、ねこは変声期に入った”テンちゃん”の悲鳴を聞いた。
三年と119日目
月次検査により症状が緩やかな改善傾向にあるとの所見が伝えられた。
三年と120日目
ジェイドは病院でロリコンエロメガネの称号にぴったりな行為に及び、その後常習化する。
三年と192日目
ねこはベッド横の引き出し上段だけでは大切なものが納まりきらなくなったので、棚を買い換えた。
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