三年目。

不屈の闘志を見た。

重い気分で明るい顔を貼り付け、病室へ足を踏み込んだ。
パァン!
とクラッカーから紙テープが飛び出してジェイドに引っかかった。
パァン!をした本人は「いらっしゃいませ、軍人さん」とベッドの上から全開の笑顔だった。眼鏡と頭に引っかかった紙テープを笑顔で解いて
「またお会いしましたね」
と言いながらジェイドはこぶしの中で紙テープを握り潰した。

握りつぶしながら驚いた。
の美貌には更に磨きがかかり、たおやかになった。
成長期の子供の一年とは末恐ろしい。
先月18歳になったそうだ

「嬉しい。またジェイド」

相変わらず素直は美徳を体現している。
大きすぎるワンピーススタイルのルームウェアを着た美人が、満面の笑みでジェイドを迎え入れた。この美しい成長が一年に一度だけ来る軍人のためでなく、イケメンのお医者さんや精悍な看護師のために磨かれたものであるよう期待して、粗末な椅子に腰掛けた。
ジェイドが性懲りもなくここに来たのは彼女の様子が気になるとか、病状を心配してとか、そういう優しい感傷からではない。がまだ病院に居座っているので「じゃあ今年も同じでいいですね」と安易で度胸のある広報部担当者が割り当ててきただけだ。
「チェンジで」と言えるような催し物ではない。

『2.じこしょうかい』のプログラムはとばして、ジェイドはにプレゼントの包みを手渡した。

「マルクト君ですか?」
「残念ならが新キャラクター、マルピオくんのフェイスタオルです」
「マルピオくん?」

渡された包みをあけると、ジェイドから見ると気持ち悪いが

「うわー!最高にかわいいねえ」

と若者に今大人気なマルピオくんのフェイスタオルが現れた。この頭の悪そうな斜に構えたキャラクターを正式採用した新皇帝。彼が実はめちゃくちゃ軽い男であることを民に知られかねないデザインだが、軍のイメージアップと収入アップに貢献してくれているから誰も指摘しない。

「これのどこがいいんです。理解できかねますね」
「この斜にかまえたところがかわいいです」
「首が曲がっているだけに見えますが」
「そこがかわいいねえ」

そうだねえ、とはジェイドには決して言えない。そんなとろけるような笑顔で言われたとしても、だ。

「今年はお花はないの?」
「こちらに」

ジェイドは手を背中に回し、槍を再構成するのと同じ要領で花束と、受付で借りた花瓶まで取り出した。マルピオくん以外両手に何も持っていなかったはずのジェイドが手を前に戻すと、は驚かしがいのある反応をした。

「すごいすごい!ジェイドって手品師みたい」
「それも老後の選択肢ですね。どうぞ」
「ありがとう」

花束の方だけ渡して、花瓶に水をそそいで戻る。

「さあ花をかしなさい。どこに置きますか」
「うん、窓がいいです。・・・ねえジェイド、さっきのはコンタミネーション現象?」

窓に花瓶を置いていたら「おしゃべりって、何をすること?」と尋ねたのと同じ声がそんなことを言うものだからジェイドは驚いた。

「あたり?」
「当たりです。よくご存知でしたね」
「勉強ね、がんばったの」

えへへと誇らしげなんだかヘラヘラしているんだかわからない笑顔が向けられた。恐らく褒めて欲しいのだろうなと思ったけれど、ジェイドは「そうですか」とだけ返した。これしきのことで距離を詰められるようなヘマはしない。綺麗になったことも褒めない。素直は美徳を体現している姿も褒めない。相変わらず花瓶も、見舞いにきた人が置いていくようなプレゼントも置かれていない部屋を見るに彼女は少しは寂しい思いをしているのだろうが、そんなネガティブな面をジェイドに一切見せない姿を褒めない。
椅子に戻るとは何か思い出したように引き出しを開けた。
二段あるうちの上の引き出しは『一段目は大切なもの』

まずマルピオ君フェイスタオルを仕舞う。
引き出しにはマルクト君ノートセットが二組とジェイドのサインが入った絵本一冊、写真立てに入った写真が一枚。
時間が止っているような錯覚を覚えた。
他にジェイドの知らない包みが一つあったけれど、それはたった今ジェイドに笑顔で差し出された。

「はい、これ」

包みは小さいが重たかった。

「おや、気が早いですね。まだ『おしゃべり』の時間ですよ」
「『おれい』の時間までもたないと思うの」
「食べ物ですか?」

ストライプのリボンまでつけられた袋を開けてみると、透明なケースの中に銀の懐中時計が入っていた。
折り紙の首飾り、押し花のしおり、その次が銀の懐中時計とはどう考えてもグレードアップしすぎである。

「かっこいい?」
「かっこいいですが、こんな高価なものをどうして持っているんです」

亡くなった父の遺品で・・・、というわけではなさそうだ。どうみてもこの輝きは新品。
この殺風景な部屋で彼女の私物はこの二段の棚にしか入っていないのだ。こんな物を一年に一度しか来ない冷血人間に買っている暇があったら、8000ガルドのファンデーションでも何でも買えるだろう。まだ見ぬ引き出しの下段が、創世記時代の伝説に登場するネコ型ロボットの四次元ポケット並みの収納力を持ってでもいない限り、納得がいかない。

「雑誌の通販で買ったの」
「そういうことを言っているんじゃありません」
「こう見えて、あの、わたし、ホドの豪商の娘だったからお金もあるの。ほらずっと一人の病室。父様と母様が、わたしこんなだから、大人になったらなんでもしたいことができるようにってたくさんたくさん貯金し」
「いただけません」

ジェイドは懐中時計の入ったケースをつき返し、つき返されたの言葉が殺された。

「勘違いをしないでください。私は慈善活動のためにここに来ています。あなたに好意があって来ているわけではありませんし、純然たる善意で来ているわけでもない。軍や皇帝家に対する大衆の批判をそらす目的と軍のイメージアップの目的あってのことです」

の手のひらの上にケースを落とすと、ケースがはずれて懐中時計だけがの手のひらの上に残った。
笑顔が凍りついている。
もう一押しすれば、へし折れよう。

「それに、慈善活動に参加した兵士には一日の有給休暇が加算されます。意味がわかりますか?実質今日はきちんとした報酬のついた“労働日”なんですよ」

ジェイドはメガネを指で押し上げる。
の腕がすっと伸びて、ジェイドの手のひらを掴み引き寄せた。
低い位置に持っていかれて不覚にも傾いた。
は引き寄せたジェイドの手のひらの上に懐中時計を握らせる。
素早い。
ジェイドがカチンと来て嫌味を言う速度よりもの言葉は速かった。


「ではきちんと仕事なさい」


凍り付いていた笑顔は溶けて、我慢強い子供がにっこり笑った。


「今日は情けと哀れみをかける慈善活動の労働日なら、そのようにしてください」


ね、と言いながらはジェイドの手に懐中時計を握らせたまま笑顔を伏せた。
綺麗に梳いた艶のよい髪がジェイドの腕をすべり、かすれた小さな声で
「見えないところで捨ててね」
と聞こえた。

彼女の言い分はもっともだと思ったので、語るに落ちたジェイドは珍しく言い返せなかった。
チャイムが鳴る。
プログラムは『おしょくじ』へ移行する時間。
強い力で握られたままの手が離れない。

「わかりましたから、。もう放してください。ちゃんと貰います、今回だけですよ」
「・・・」

顔も上がってこない。

「・・・?どうしたんです」

手がズルっとジェイドの手袋から滑り、床へ向かって傾いたので慌てて片手で受け止める。
床に血がポタと落ちた。どこをぶつけたわけでもないのに。
はっとして、ジェイドはナースコールを掴んだ。





















































「『おれい』の時間までもたないと思うの」

その言葉通りだった。
は『おしょくじ』の時間である11:45に倒れ、
『おれい』の時間である14:30を過ぎ、
16時になってから病室に戻ってきた。

背もたれも無い椅子にまだジェイドが座っていたのを可動式のベッドの上から見つけて「やったぁ」と嬉しそうに笑った。
可動式ベッドを押してきた看護婦と年配の医者がクスクス笑いながら、彼女の身体を彼女のベッドへ戻した。

「おじさん達は邪魔かね」と太った医者がに言う。
「少しだけね」

は横たわったまま小さな声で言って笑う。

「じゃあ戻るけれど、今日は夜更かしするといけないから私の本は貸さないよ」
「うん。ばいばい」

点滴をしている腕をゆっくり揺らし、恵比須顔の医者と看護婦がいなくなってからパタリと下ろした。
夕方の病室に二人きりになる。

「・・・びっくりさせてごめんなさい」
「ええ、なんの嫌がらせかと思いました」
「急に動くといけないの忘れてて、ゆっくりだったら全然余裕なの」
「余裕、ですか」

余裕はこの子の口癖だろうか。ジェイドは一年に一度聞いている気がした。

「鼻血出てましたけど」

はシーツに押し付けていた頬を持ち上げて笑った。

「ジェイド色っぽいから、鼻血出ちゃった」
「変な褒め方しても何も出ませんよ」

ゴツと軽くこぶしで額を打つと「わー」と嬉しそうな声がした。
やわらかい額だった。
額の下の目が幸せそうだった。
若くしてMッ気があるのだろうか。

「いてくれてありがとう。どうしていてくれたの?」
「今日は慈善活動の日だからですよ。私は勤勉なので、あなたにしっかりと哀れみをかけているんです」
「それじゃあ、わたしのこと好きだからって言ってみてください」
「本、お医者さんから借りてるんですか?」

派手に露骨な話の変え方をしてやると、シーツの上から満面の笑みが返った。
それからゆっくりした動作で身体を正しい仰向けに直した。

「患者さんに貸し出している本は少ないんです。でもお医者さん達のところへ行くとすごくたくさん本があって。見たことある?壁じゅう本なの。読みたいって言ったら夜だけだよって貸してくれるの」
「さすがベテラン。裏道を見つけましたね」

言うとははにかみ笑いをした。

「でも読もうと思ったのはジェイドが努力なさいって言ったからよ」

ここでまた告白ムードに持っていかれては面倒なので、ジェイドは「そうですか」と軽く受け流した。

「ジェイドの本も読みました」

ここで動揺するのはプライドが許さなかったので、ジェイドは「そうですか」と冷たく言った。



「あなたならわたしの身体を作り直せますか?」

笑った顔のまま言うことではない。
成長した手のひらが力なくシーツに転がっている。

「すごく痛い」

子供の目の色はどうしてこういう色をしているんだろうか。潤って。

「あいにく、私の専門は死体です」
「慈善活動して」

明け透けのバカみたいな笑顔を見ないよう、ジェイドはメガネを指で押し上げる。

「・・・来年も来てあげますから頑張りなさい」

途端には涙を浮かべて「うん」と微笑んだ。
















病院を出て王宮への帰路を辿る。
暮れなずんだグランコクマの大通りは並ぶガラス張りのショーケースがライトアップされ、昼よりも眩しい。道行く人々は足をとめてガラスの向こうを覗き込んでいる。ジェイドはいつもの癖で軍服のポケットに手を入れた。
ごつ、と指が懐中時計にあたった。
そういえばと思い出してチェーン付きの銀の懐中時計を取り出す。
明るいショーケースの前で立ち止まり、改めて手に持ち眺めてみれば重さも見た目もどう見てもホンモノな雰囲気を醸している。
かすれた声が「見えないところで捨ててね」というのは、たかが子供にしてはやりすぎだ。

「あの人持ってるのって」
「わ、ほんとだ」

声がこちらを向いていたのでチラと視線を向けると、カップルが二人慌てて目をそらし逃げるようにショーケースの前から去っていった。
ガラスケースにはジェイドの手の中にあるのと同じ懐中時計が展示されているのだ。
近づく。
見比べる。
同じ。
値段を見る。

「・・・どうして私の周りには馬鹿が多いのか」

8000ガルドのリキッドファンデーションが高くて買えないと呟いた住所病院無職の18歳から贈られた懐中時計は31万ガルドだった。






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