むかしむかしのお話です。
ある帝国、
ある帝都、
あるお城に勇敢な騎士がおりました。
騎士は美しいお姫様に恋をしました。
二人は幸福でありました。
しかし戦争が二人を引き裂き、騎士の愛するお姫様は死んでしまいました。







「全員!剣おさめ!」

納剣の号令は若きアレクセイ・ディノイア騎士団長。
雲ひとつない晴天の帝都ザーフィアス。
騎士団の訓練は中断され、「剣おさめ」の号令は隊長らによって次々に各隊に伝達された。
シュヴァーン・オルトレインを隊長に据えるシュヴァーン隊もまたその訓練場にあり、速やかに剣をおさめた。
続く「気をつけ!」の号令も然り。
新兵達だけがなぜその号令があったのかわからないで居たけれど、とりえあず慌てて剣をおさめ気をつけをした。

姫様に敬礼!」

号令の理由が響いた。
訓練場に面した渡り廊下に帝都の誇る美しき姫君が通りかかったのである。
騎士団長と姫君が惹かれあっていることは、心優しく義理堅く口の堅いごく一部の人間にだけ知られていた。
















真夜中といえる時間、アレクセイは執務室の奥の机で書類にサインを入れていた。
何杯目かのコーヒーは飲みかけでカップに入っている。とっくに冷めてしまってもう飲めたものではない。
静か過ぎて耳鳴りがする。
一旦ペンを止めれば無音だ。
目がチカチカしてきてまぶたの筋肉が痛んだ。眉間をぎゅっと指で押さえ、それからまた文字を羅列させるペン先に視線を落とす。扉に気配を感じた。
次いでノックの音がした。

「アレクセイ様、夜分申し訳ございません」

応じて扉を開くと、執務室をノックした姫君付きの侍女が3人、立礼をした。

「どうされました」

時計の針は1時を回る。

「姫様よりお夜食を預かってまいりました」

侍女の手の上には小さな平皿。いびつな形のクッキーが並んでいた。
後ろに立っていた侍女がふふ、と笑った。姫の恋をご存知の、心優しく義理堅く口の堅い人々のうちの三名だ。
騎士もまた姫を慕わしく思っていることもご存知なのかもしれない。

「身に余る光栄です。有り難く頂戴致します」

あくまで堅く、騎士団長としてアレクセイは振舞った。

「本当は今日のおやつにと作り始められたのですよ。けれどずっとうまくいかなくて先ほどようやく」
「姫様の渾身の作ですわ」

アレクセイは皿を受け取った。
香ばしい匂い。
ふと、後ろに控えていた侍女が白い布巾の口を縛った小さな袋をいくつも持っているのが視界に入った。
アレクセイの視線に気づいた侍女達が微笑む。

「たくさん失敗してしまって、姫様は全部自分で食べますとおっしゃたのですが」
「姫様のプロポーション管理も私どもの仕事でございますので」
「大臣方に配ってもまだ余るほどあります。あとはわたくしどもで」

風景が目に浮かぶようだった。

「そちらもひと袋頂けますか」
















机に戻り、冷めたコーヒーの横にクッキーの載った小皿を置いた。
渾身の成功作らしい、いびつなクッキーを摘んで口に運ぶ。

パキン

と、音を立てて、噛む訓練になりそうな固いクッキーが割れた。
次に白い包みを開き、ちょっと面白いほどコゲたクッキーをつまみあげる。

パキン

ゴリ
ガリ
ゴリ
もぐ
もぐ
もぐ
・・・
・・・
・・・

冷たいコーヒーを一口。
それからアレクセイは椅子の上でぐうと伸びをし、再び紙にペンを走らせ始めた。
















同じく真夜中といえる時間、

「団長。シュヴァーンです」
「入れ」
「失礼いたします」と若きシュヴァーン隊長はアレクセイ騎士団長の執務室に入った。
腕には彼に提出すべき書類を抱えている。

「昼に下町で子供が川に落ちた件、報告書書いてきました」

アレクセイは振り返らない。
手はペンを走らせ続けている。
ペンが走る音以外、無音。
けれど声が返った。

「子供が川に落ちた件の報告書ではないだろう」
「落ちたのは事実です。一番大切なのは子供が川に落っこちて、命に別状がなかったていうことでしょう。その時ちょっと、助ける助けないでもめてお貴族隊長殿をぶん殴ってしまったのはオマケです」

シュヴァーンの左目の上と顎にはガーゼがあててある。
おぼれた男の子を抱っこしていて手が離せないのをいいことに、お貴族隊長に殴り返された痕である。
そういえばおぼれた後だってのにずいぶん元気な男の子だったなあとシュヴァーンは思い出していた。
黒髪の男の子はシュヴァーンのことを殴り返したお貴族隊長のスネを思いっきり蹴っ飛ばして、金髪の友達に「やめなよユーリ」と諌められてた。あの時のお貴族隊長殿はめちゃくちゃ痛がっておもしろかったなあとシュヴァーンはこっそり思い出し笑いをした。

アレクセイの机の横に並んで、報告書を差し出し「おや」と気づく。

「甘いもの好きじゃないんじゃなかったでしたっけ、団長」
「食べるか?」
「さてはしょっぱめの塩クッキーですか?甘くないならいただきます」

シュヴァーンは皿からクッキーを一つとって口に放り込んだ。


パキン
ゴリ


「固っ!・・・新しい歯茎の健康法ですか?」
「もらい物だ」
「さすが団長、モテますね。でも味はいいですけど固すぎます。料理できない人ですよコレ」
「歯茎が健康になるだろう」

シュヴァーンは団長の珍しい冗談にびっくりして笑った。

「報告書は置いておけ。下がって休むといい」
「手伝います。歯の運動したら目、覚めました」
「・・・そうか」

シュヴァーンはいくつかの書類を預かって、副官が使うための木卓でペンを執った。
背中の向こうにアレクセイ騎士団長。
一人でなんでもしようとする、なんでもできてしまう男を手伝えることがシュヴァーンは嬉しかった。
誇らしい。
嬉しい。
声さえ交わさず手はペンを走らる。
ペンが走る音以外、無音。
あ、違った。
時々シュヴァーンの背中の方で、パキンという音。ほらまた

パキン
















程なくして皇帝に病が見つかる。
皇帝クルノス十四世には直系の子がなく、傍系達は水面下で次代の覇権を巡り争った。
だけはその輪から離れ、いつもと同じように城の庭で本を読んでいた。
後継者候補の中でも比較的由緒正しい血筋であったが、彼女は美しさと共に身体の弱さまで由緒正しく他界した母親から受け継いでしまっていたからだ。

「アレクセイ。わたくしを守る必要はありません」

庭に隠された東屋。
四方の柱、屋根、木の腰掛。
背の高い黄色い花に囲まれている。
姫君は本に目をおとし、風でめくられないよう軽くページに手をそえている。

アレクセイは東屋には足を踏み入れず、城からここへ続く小道を向き、まるで東屋の門番だ。

「親衛隊の使命は皇帝家の血を守ることです」
「わたくしは皇帝候補ではありません」

そこに卑屈な感情はこめられていないように聞こえた。穏やかな感情がこめられている。
背の高い黄色い花が風に揺れてアレクセイの腕をかすめた。この花の名前は以前もここで門番をしている時にがアレクセイに教えた。花は好きかと問われ、好きですと答えたが本当はそれほど興味はなかった。
「好きです」と言ったのには「そう」と趣味の合うことを嬉しそうに笑っただけだった。

様は皇帝家の血をひく姫君であることに違いはありません」
「あなた方に守られなければ死んでしまう傍系の兄弟達がおります。それでも?」
「・・・今日は非番でございます。偽りましたことはお咎めを甘んじてお受けいたします」

背後でが顔をあげたであろうことは気配でわかった。
パタと本を閉じる音がした。
囲む黄色い花が揺れた。

「わたくしも非番ならきっと城の外でデートができましたね」

アレクセイの腰に後ろから手がまわってきた。背中にのひたいの感覚が触れる。
アレクセイはしばらく直立したままでいた。それから腹部におかれている細い指を上から包むように握った。
手を放させる。
直立からようやくゆっくり振り向いて、手を解かれたことにわずかに傷ついたらしいを見た。

様。少し屈んでください」

不思議そうにしながらも、は膝に手を置いて頭の位置をさげた。

「こうか」
「いま少し」

が膝を折って屈んだら正面から長い腕が伸びてきて、を絡めとった。
一瞬だけ怯んで、すぐなじむ。
アレクセイの隊服を再び細い指が掴んだ。

「・・・こう?」
「そうです」

背の高い黄色い花で隠れた。



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