人魔戦争という戦いがあった。
人間を焼いた。
古くより永らえるエンテレケイアの一族を焼いた。
千切れ、ふき飛び、命を失ってなお体に熱がくずぶっている。
死がテムザ山の山肌となり始めた頃から、帝都ザーフィアスの王城では後継者候補を戦地へ送り込むのが流行した。

皇帝の血族を戦場に送ることで兵士の指揮を高める
疲弊した兵士への慰問
自ら私兵を率い、強大な敵に挑むという英雄めいた高揚感
戦争を勝利へ導き、皇帝から絶大な信任を獲得する

様々な名目が掲げられた。

それは後継者候補本人の意思
それは後継者候補を擁立する者達のおもわく
それは争う後継者候補を戦死させようとする者達のおもわく

入り混じり、歪んだ。



「なんなんだあいつら!」

ドンと誰かが拳で机を叩いた。

「団長、あのクソガキどもがうちの隊の連中を寄越せと言ってきたんです!」
「我が隊もです。何をするのかと聞けばザーフィアスの旗を掲げて正々堂々正面から戦うと抜かした」
「ふざけている。こっちは遊びどころかバケモノと戦争をしているのだ。死者の数だけ見てもわかるだろうに!議会の老獪ども死人の勘定もできないのかっ」
「後継者候補の連中のせいで一体何千の兵が命を落としたと思っておられます」
「閣下、あいつらは我々の部下を殺そうとしている」
「議会の茶番になぜ私達が付き合ってやらねばならないのですか!?」
「昨日だって中隊まるごと岩の下敷きにされた・・・。俺達にあんなバケモノの相手をさせておいてこれ以上何をさせようというのだ」
「アレクセイ団長!我々隊長階級には貴族が多い、格上の者であればたとえ若造であれど逆らうことが難しい者達もいます。ですからどうか団長閣下から議会へ」
「アレクセイ団長お願いします」
「団長!」

ただでさえ混乱し、絶望する戦場は「われこそは!」「われこそは!」と皇帝家との血縁を高らかに説明する若者達によって引っ掻き回された。
テムザ山周辺の地図を囲む作戦会議の場で、その不満と不安と絶望が噴き出した。
シュヴァーンは黙ってアレクセイを見ていた。
キャナリもイエガーも、みんながアレクセイを見ていた。

アレクセイは彼らの目を見、それから机に広げられた巨大な地図を見た。

「現在敵の主力はテムザ山北北東の岩場に集結している。北西の山道に配備した二個中隊は速やかに後退させ」

アレクセイは静かに怒り、しかし冷静に兵を用いた。
皇帝の血族という者達からどれだけ罵倒をうけようとアレクセイは揺るがない。
不満をぶつけた各隊の隊長も今や視線は地図にあつまる。
アレクセイの指が地図上を動くのを真剣にたどり、作戦を聞き、尋ね、アレクセイは的確に応じる。

兵を無駄死にさせるような圧倒的な戦力差の存在する戦争なのに、兵を無駄死にさせるものかとアレクセイは爪が彼の手の腹に食い込むほど強く拳を握っている。
シュヴァーンは並んだ。
イエガーも並んだ。
キャナリも並んだ。
大勢の騎士達がアレクセイの見る方向と同じ方向を向いて並んだ。
絶望渦巻くテムザ山で、彼らにとってアレクセイだけは縋るべき希望だった。













帝都の流行がすたっていった。
もう送り込む後継者がいなくなってしまったのだ。戦場に送り込まれた全員、ことごとく命を落とした。

が戦地へ送られてきたのはその頃だった。
議会は人の血の流れる姿を見ない。ただ血筋の家系図を眺めてを見つけたのだ。
彼女が慰問している傷病者のテント。アレクセイはの腕を引き外まで連れ出し、乱暴に木の幹に押し付けた。
背中を打って、は一瞬息をつまらせる。

「お戻りください」
「戻る道を知りません」
「部下を付けます」
「アレクセイ・ディノイアともあろう人が愚かなことを申すな」

もはや割ける人員が無いことは誰の目にも明らかだった。

「・・・あなたは皇帝候補ではない」

なぜ、と白い頬を手の平でなぞると、自分の手が震えていることにアレクセイははじめて気が付いた。

「わたくしが皇帝家の血をひく者であることに違いはありません。ああ、この言葉はいつかあなたの口から聞いたことがあります。なつかしい」

砂と熱と黒煙、死臭漂う戦場に不似合いな微笑みが向けられた。
の指はアレクセイの手のひらを頬から離させた。

「アレクセイ、手にケガを」

篭手の隙間からわずかに血を見つけた。
爪が手の腹に食い込んだ痕だ。
触れられた手が暖かい。
アレクセイは傷が塞がっていく様子を何も言わず見ていた。

「皇帝家の者の中にはこういう力を持つものがあります。わたくしは素養がほとんどありませんが、これくらいなら治せます」

忘れていた痛みを思い出す。
脈が打つたび、痛い。
傷は癒えた。
傷が癒えてもの手はアレクセイから離れなかった。
長い睫を伏せてまばたきする姿をアレクセイは上から見ていた。

「・・・わたくし、こんなに遠くまで来たのは始めてです」
「はい」
「来る途中に小さな町がありました。見たことのない物と顔立ちの違う人がたくさん」
「はい」
「ここからそれほど遠くない場所でした」
「はい」
「今日があなたの非番の日ならその町でデート、できましたね」

見上げて笑った。
アレクセイはができる限り穏やかに振舞うのを無視して、身勝手に掻き抱いた。












傷病者達のテントがある地域まで戦線が押し下げられてから二週間後、英雄デュークの登場によって人魔戦争は終結した。












しかし戦争が二人を引き裂き、騎士の愛するお姫様は死んでしまいました。
騎士の友が死んでしまいました。
騎士と競いあったライバルが死んでしまいました。
騎士の率いる部下が死んでしまいました。
騎士の守るべき人々が死んでしまいました。
騎士の信じる人々が死んでしまいました。
騎士の
騎士の
騎士が
騎士は
騎士だけひとり、焦土を見渡す場所に立っていました。
騎士はゆっくりとぐるぐると同じ場所を焦げた地面をじっと見ながら歩き回りました。見落としたのかもしれないからです。お姫様だけではありません。半年前まで生きていた兵士達です。三ヶ月前まで生きていた兵士達です。二週間前まで、10日前まで、7日前まで昨日まで生きていた気がする人たちです。
けれど誰も見つかりません。おかしいなと首を傾げ、もう一度。
ゆっくり
ぐるぐる
同じ場所
おかしいなと首を傾げ、もう一度。
気が遠くなるほど長い時間歩いて、騎士はふと立ち止まりました。
それから真上を向いて、騎士は思いました。
ちがう
騎士は目を閉じました。
これではない
こうではない
ちがう
騎士は赤い瞳を開きました。
こうでなくてはならない。
それからというもの騎士の赤い瞳はもう二度と「そこにある景色」を映すことはありませんでした。
騎士の赤い瞳は「あるべき景色」を映すことにしたからです。
涙が出たかは覚えていないほど、むかしむかしのお話です。




























































「フレン、フレン!」
「エステリーゼ様」

帝都ザーフィアス
背の高い黄色い花に囲まれた東屋でフレンが休憩していると、皇帝に次ぐ地位に就いたエステルが飛び込んできた。
黄色い花畑は10年を経てその範囲を大いに広げ、そこが城の庭であることを忘れさせるほど遠くまで一面に咲き誇っている。
エステルは大きなバスケットを抱えている。

「どうなさいました」
「味見をして欲しくて」
「なになに?おっさんも嬢ちゃんのお料理食べさして」

どこから湧いて出たのか、ひょっこりとレイヴンが顔を出した。レイヴンはいつもどおりレイヴンの格好をしている。

「シュヴァーン隊長、お戻りだったんですか」
「だ・か・らぁーおっさんはレイヴン。ただのおっさんです」

フレンは苦笑いした。
シュヴァーンでないただのおっさんが侵入して目の前に副帝もいるこの状況であれば、直ちに身柄を確保して牢屋に入れるべきなんだろうなあと思って困ったのである。

「レイヴンいいところに。クッキーを焼いたんです」
「え・・・おっさん甘いものはちょっと」

レイヴンがサっと青ざめる。

「大丈夫です!砂糖と塩を入れ間違えました」

エステルは“ちょうどよかった”とばかりにガッツポーズをしてからバスケットの蓋をあけた。
中にはどっさり、びっしり、がっつりクッキーが入っていた。
フレンも青ざめた。
味見と言うのは試作段階でするものであって、砂糖と塩を入れ間違えた大量の失敗作を食べさせて味を確認するのを味見とは言わない。人体実験だ。

「入れ間違えましたって・・・これ、全部?」

レイヴンが恐る恐る尋ねる。

「大丈夫です!三分の一だけです」
「なんというロシアンルーレット・・・」
「あの、エステリーゼ様。こんなに焼いたのはどなたかに配るからなのでしょうか」
「はい。昨日ユーリが窓から来て今日下町でお祭りがあるから来ないかって。これはそのおみやげなんです」

フレンは友人の不法侵入についてツッコムべきか、この人体実験クッキーを下町の親しい人々に振舞うことについてツッコムべきか迷い、結局苦笑いをした。

「嬢ちゃん、これ下町の人たち食べたら塩分控えなさいって言われているご老体が困っちゃうし、青年不法侵入だし」
「さすがシュヴァーン隊長!クッキーのばら撒きを阻止しながらもソフトな表現!」

フレンは偉大な騎士団隊長首席に尊敬の眼差しを向けた。

「レイヴンも不法侵入です」

そういえばそうだった、とフレンは我に返る。

「まあまあいいじゃない。見逃して☆一個食べるからさ、フレン団長が」
「わ、わたしはまだ団長ではなく団長代理で・・・って、え、僕が?」

思わず素が出て「僕」と言ってしまった。

「男ならつべこべ言わずさっさとお食べよ。団長ど・の」

レイヴンはにやにや笑って東屋の柱にもたれた。
フレンはそのレイヴンを一瞥し、けれど潔し。
ごねるのをやめて震える手でクッキーをつまんだ。
三分の一の可能性の不幸よりも、三分の二の可能性の幸福を信じたのだ。
半分口に入れ


パキン


「音、固ァ!」

固そうな音を聞いてレイヴンが腹を抱えて笑った。
笑っていたけど何か思い出した。
なんだったっけ。

「ごめんなさいフレン。固かったです?」
「い、いえ(ガリ)だ、大丈夫(ゴリ)です(ガリ)」
フレンは涙目で飲み下した。固い上にハズレを引いたらしい。
しゅんとエステルが落ち込むとフレンは慌てて「でもお酒のおつまみに良いと思います」とか適当なことを言った。

レイヴンも試しに一つ食べてみる。食べる前から甘いにおい。これはきっと普通の方だ。
半分歯でくわえて、指で折る。


パキン


「・・・」
「・・・レイヴンどうかしたんです?」
「あ、ううん」
「そうです?一瞬ぼうとっしていました」
「昔食べてた人がいたよ、こういうクッキー。思い出した。固かったけどおいしそうに食べてた」

レイヴンは笑って見せて、エステルの背をポンと叩いた。

「お祭り持って行きなよ。噛みごたえがあって歯茎にいいし、ロシアンルーレットクッキーとして振舞ったらきっとみんな楽しいよ」

エステルはちょっと貶されたことには気づかず、「それはいい考えです!」と両手を打ち鳴らして喜んだ。
そして「すぐに行ってきますね」と善は急げとばかりに黄色い花畑を突っ切って城門の方へ走っていったので、フレンがすぐに後を追いかけた。

「お、お待ちください、エステリーゼ様」

あっという間に若い二人は遠ざかった。
と、エステルが突然立ち止まりこちらを振り返る。
「レイヴーン、ユーリ達と待っていますねー!」と手を振られ、また走って行った。
案外足の速い元気いっぱいのお姫様。座ったままでの事務仕事が多くなってきた騎士団長代理は追いつくのに必死だ。

軽く手を持ち上げて振り返していたのを、ゆっくり下ろす。
背の高い黄色い花に囲まれた東屋

「そういえば、団長はあのクッキー誰から貰ったんだろ」

手に持っていたクッキーの残りひと欠片を口に放る。



パキン






むかしむかしのお話です。

あるお城に勇敢な騎士がおりました。
騎士は美しいお姫様に恋をしました。
二人は幸福でありました。
しかし戦争が二人を引き裂き、騎士の愛するお姫様は死んでしまいました。
涙が出たかは覚えていないほど、むかしむかしのお話です。
けれど
二人は長い年月をかけてようやく二人とも非番になりましたので、今頃きっとデートしています。




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