見知らぬ靴音が反響する。
背の高すぎる吹き抜けの天井のせい。
見慣れぬ装束の女性が昇降魔方陣のそばに立っていた。
十六夜の幽居街の人であろう。満月の子の末裔らしく、エステルのような髪の色をしている。彼らはエステルの姿をする者以外をひどく恐れていたがこの女性は恐れてはいないようだった。歩み寄ってくる。
この女性の名がだと、のちに知る。
醜いオーマは切り刻まれて吹き抜けの真下で朽ちている。
長い髪は彼女の身長をとうに越え、裾をひきずる装いでしゃなり、しゃなりとオーマのそばに歩み出る。
耳の横に花のような形をした、いびつな髪飾り。
オーマの傍らに膝を折る。
ぼうと見つめる時間がややあった。
異形の者のまぶたであろう場所を白い指がそっと撫ぜた。
「ゆっくり、おやすみ」
くちづける。

異形にためらわず口付ける姿は恐るべき美しさだった。
もう無い心臓が脈打つ。







星喰みの脅威を退けたあと、ザウデ不落宮の地下60階を越える場所まで必死になって下っていった。
ようやく星喰みの件が片付いたと思ったそばから、デュークよりもよっぽど強力なスパイラルドラコと戦うはめになって皆くたくただ。

同じくザウデの地下、十六夜の幽居街に住まう満月の子の子孫達。
まず一部が地上へ出ることを選んだ。まだ地下深くに残っていた者たちも、オーマの死により食糧供給が止まり、人工大気の循環も停止したことで、地上に上がるという彼らの総意を打ち出した。フレンとエステルは帝国で彼らを保護することを約束した。

「あんなに大きく見えた街なのに50人もいなかったんだね。遠くに見えた街は最初から人がいなかったのかな」
「さあ、どうだろね」

ザウデ不落宮の入り口へつながる橋に腰掛ける。横にはカロル。帝都へ向かう騎士団の船にエステルと同じような髪の色と、肌の色と、瞳の色をした人々が乗り込んでいくのを眺めた。

「千年のうちに数が減っちゃったのか、ただ寂しいから昔の都市の景色を再現してたのか」
「あら、おじさまはロマンチストね」
「およよ、ジュディスちゃん。ロマンチストは好みのタイプ?」
「ふふ、どうかしら。ところで、私達はあの人たちを帝都まで送り届けた後、アスピオの復興支援を頼まれているのだけどおじさまはどうするのかしら?」
「レイヴンも一緒においでよ!」

満面の笑顔のカロルに袖をひっぱられる。
帝都周辺がゴタゴタしていることはわかっている。そのゴタゴタの中にはシュヴァーンが責任を負うべき部分があることも認識している。
しかしそれは天を射る矢、ユニオン、ギルドも同じ。どちらも疎かにできないから優先順位をつけなくてはならない。

「おっさんはダングレストに戻るよ。ごめんよ少年。パティちゃんの船に乗せてもらえることになってるから、先にお行き」
「そっか・・・。ダングレストなら、またすぐ会えるね」
「おうともさ」






バウルと、みんなと、満月の子らを乗せた船団が遠ざかるのを見送った。
正直全然寂しくない。
本当にすぐに会えると思うからだ。ギルド凛々の明星がダングレストに来ないわけがないし、そこにエステル嬢ちゃんがくっついてきて、エステル嬢ちゃんにはリタっちがついてくるに決まっている。フレンはさすがに来れないと思うが、エステル嬢ちゃんがふらふらしてたらやっぱり心配してダングレストまで探しに来るかもしれない。パティちゃんは相変わらず神出鬼没だし。
なんだか本当にみんな揃ってしまいそうだ。

そういえば、ダングレストに戻る、という言い方をしたら自分の中で少し違和感を覚えた。
ダングレストにあるのはさほど大きくない部屋だ。
天を射る矢の幹部の部屋にしてはかなり小さい。
置いてあるのはベッドとサイドデスク。窓があり、小さな木卓がある。
木卓には何も乗っていない。キッチンとユニットバスにもやはり何も置いていない。キッチンに片手鍋と調味料があるくらいだ。
普通の人が見れば異常に生活感がない部屋だというだろう。言われないように、そういうことをしなくてはならない時には部屋以外の場所でした。ちなみに女の方の部屋や宿屋なんかより、路地の奥とかの方が都合いいんだ。脱がなくても怪訝な顔されない。

道化た二重生活をしている間、持ち物は増えなかった。
何も欲しくなかった。
何を得たいとも思わなかった。
思いつかなかった。”レイヴン”の時、口では彼女が欲しい酒が欲しい金がほしいと言っていたけど。

そんなことをぼんやり考えていると、遠くから船が近づいてきた。海精の牙の旗印。パティだ。まだ手を振っても見えないだろう。
橋の手すりから下りて、アレクセイが復活させたザウデ不落宮を改めて見上げる。
悪人
悪党
大罪人
自分の理想のために人々を道具のように扱って、大勢苦しめあざむいて殺して、誰ひとり信頼しようとしなかった
人々が叫ぶ。”何度殺しても殺したりない!”

「返す言葉もねえよ。なあ、アレクセイ」

叫べないのは世界で俺だけだろうか。



視界の端にふと光が見えた。
地下へ下りるための魔法陣が淡く光っている。
もう帝都へ向かう船は出てしまった。まさか、まだ中に人が

「待たせたのう!」
「わわっ」

足にパティちゃんのタックルを受けて転んだ。
起き上がってもう一度魔方陣を向いた時にはすでに光はおさまっていた。

「なんじゃぼうっとして。びっくりしすぎて腰が抜けたか?」
「・・・パティちゃん」
「ん?」
「ちょいとおっさんとお墓デートしない?」






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