「一番下まで来たが、やはり誰もおらんではないか」
「うーん、確かに魔方陣が光ってたんだけどなあ」

かつて満月の子らの命を以って退けられたという星喰み。
ザウデの地下、しずやかなる墓所に眠るのは命をなげうった満月の子ら。
あるいは延命の霊薬と地上の者どもへの憎しみによって千年の月日を生き続けたオーマ。

パティと二人でその最深部まで再び下りたけれど、結局誰一人見つけられなかった。
最深部の中央の魔方陣には霊薬により異形へと変わり果てたオーマだったものが横たわっている。はたしてそれが横なのか、縦なのかももうよくわからない。


見知らぬ靴音が反響する。



背の高すぎる吹き抜けの天井。
二人同時に振り返ると見慣れぬ装束の女性が昇降魔方陣のそばに立っていた。
十六夜の幽居街の人であろう。満月の子の末裔らしく、エステルのような髪の色をしている。彼らはエステルの姿をする者以外をひどく恐れていたがこの女性は恐れてはいないようだった。歩み寄ってくる。
この女性の名がだと、のちに知る。
長い髪は彼女の身長をとうに越え、裾をひきずる装いで、しゃなり、しゃなり。オーマのそばに歩み出る。
耳の横に花のような形をした、いびつな髪飾り。
オーマの傍らに膝を折る。
ぼうと見つめる時間がややあった。
異形の者のまぶたであろう場所を白い指がそっと撫ぜた。

「ゆっくり、おやすみ」

くちづける。

異形にためらわず口付ける姿は恐るべき美しさだった。
もう無い心臓が脈打つ。







「おっさんの予想が当たったのう」

レイヴンが言葉を失っている一方、パティは一切ひるまなかった。

「十六夜の街にいた子らとは少し違うようじゃの。おぬしは何者か」
「私は

声は反響した。
表情を変えないから、反響も相まって本当に目の前の女性が話しているのかわからなくなる。



私の姿が他の者達と異なるのはオーマの恋人の姿ゆえ。オーマが憎しみのみで永らえるより以前、地上に都市を築いていた時代にオーマと愛し合った女の姿。私に言葉と知識があるのはこの姿をしたかつての私が書き残した文献より得たものです。あるいは古代に地上で記録された文献より得たもの。私は常に男女の交配によらず作られる。この姿で生まれ、この姿で死ぬ。それが千年のうち何度繰り返されたのか正確に数えたことはありません。



「オーマの恋人のとやら。そちはオーマを愛していたのか?」
「愛してはいない」



けれどオーマの行いはあまりに愚かで悲しく、私にだけ優しく振舞う姿は愚かと言い捨てるには哀れだった。ゆえに私は最初のがどのような人物であったのか過去の私から脈々と学び、そのように振舞った。オーマの愛する声で古い歌をうたい、オーマの愛する音楽をかなで、「あの頃がなつかしい」と今の私ならざるかつての私の思い出を懐かしんだ。オーマは自ら作り出した私を愛し、喜び、何より恐れ続けた。



「それゆえオーマがその姿を私に見せたことはただの一度しかありません。こんな顔だったろうか」
「おぬしの足元にあるのは、オーマが自らその身を喰わせたスパイラルドラコの遺骸じゃ」
「そういえば、顔はあるのに顔でないところについている」

オーマの左肩と首から上だけ、スパイラルドラコの胴体から生えている。

「かわいそうな男だが醜い姿じゃ。気味が悪くはないのか」
「オーマの姿を醜いとは思わない」



オーマの姿と十六夜の庭の者達の姿しか知らないのだから。けれどオーマが「我は醜い」そう言って私にさえその姿を見せることを拒んでいたから、知識としてオーマは醜いのだと知っている。醜くはない。あの醜い、多すぎる指が私の髪に似合うようにこの髪飾りを作った。いつくしみたいと思うた。それが私の役目であり生み出された理由でもある。



「そうか。オーマはうちらが殺めた。謝ることはできぬがおぬしには気の毒な事をした。おぬしはこれからどうするのじゃ」
「私にはオーマを慈しむ役目のほか何も無い。何かを得たいとも思わない。思いつかない。ただようやく訪れたオーマの終わりの先がやすらかなものであることを望みます」
「うちらとここから出るか」
「わかりません。盟主オーマがついえた今、安寧の庭は活動を止めます。ここも、十六夜の街もほどなく生命の住めぬ場所となりましょう。私もまた大気の汚濁よりすみやかに飢餓を迎える」
「おぬし、死にたいのか」
「考えたことがありません」
「腹が減るのは苦しいぞ。飢餓が恐ろしくはないのか」
「飢餓がわからない。飢餓は恐ろしいものと文献に記されていましたが、安寧の庭に住まう私には恐怖すらわからない」
「ふむ、それじゃあ年長者からひとつアドバイスじゃ。若い身空を無為に散らすことは無い。おぬしに命を授けたオーマに感謝しつつ、天寿を全うするがよい」
「オーマに、感謝」
「そうじゃ」

パティはユーリユーリと落ち着きなく跳ね回るパティではなかった。
強い声音だ。叱っているようにさえ聞こえるのに、は表情を変えなかった。
レイヴンは女たちの問答に一言も口を挟めない。

「しかしうちの言うことは助言であって命令ではないぞ。ほとんど誰もおぬしを知らない、見知らぬ世界で生きていくのはとてもつらく大変なことだ。いま死んでしまったほうが楽かもしらん。殺してはやらんがのう」
「・・・私が生きることがオーマへの感謝になるのだろうか」
「ならぬわ。おぬしがオーマへ感謝することがオーマに感謝するということじゃ」
「そうか。ではここにいても上にいても同じ。・・・上に行こう」

はぐいとオーマの肩を引っ張った。スパイラルドラコからはみ出した肩だ。
大人が何十人群がっても動かすことはできないだろう巨大な化け物。

「上に行こう」

ぐい、ぐい

「行こう」

ぐい・・・

「よせ。ここは満月の子をまつった墓所であろう。死者を彼岸から連れ出すようなむごいことをしてやるな」

は一度パティの目を見てから、ゆっくりと遺骸から手を放した。

「・・・どうすればよいのだろうか」
「この者が愛した品と美しい花で囲んで見おくるがよい。うちらはそうして死者にたむける」

は立ち上がり、今度はレイヴンを見た。
ぞっとするほど美しい。

「剣を貸してもらえるだろうか」
「・・・自害するの?」
「しない。髪を切ります。オーマはこの美しい髪を愛した」
「そう」

小刀の柄を渡すと、床までとどいている髪を前に持ってきて、切りやすい位置でためらいなくバッサリ切り落とした。
後ろから見ると背中の真ん中あたりの長さで斜めに髪が途切れている。
次に裾をひきずる羽織を脱いだ。

「これは1000年前にオーマが贈り、最初のが最も愛した羽織」

は切った髪をオーマの傍らに置き、羽織でオーマを覆った。
大きな羽織だが覆いきることは到底できない。

「あとはきれいな花でもあればいいんだがのう。一度地上に行ってとってこようか」
「花はここに」

はそう言って花のような形をした、いびつな髪飾りを髪からとり、たむけた。



「私の知る中で最も美しく愛らしく、優しい花です」








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