雨の続くダングレスト。

日付は変わってしまったと思う。
誰も歩いていない通りの先にが立っていた。

雨でびしょ濡れになるようなことはしてはいけないと言ったのはついこの前だ。レイヴンが今さしている傘をあげてももう遅い。
お互いに歩み寄る。
の歩みはゆっくりで、1歩歩くたびに頭がぐらと揺れる。
虚ろな瞳は石畳の方を向いているが何も見ていないようだった。



5メートルほど離れた場所で止まった。
がまず先に足をとめて、両手を前に、スカートの布を握り締めて深く頭を下げた。
声はかすれて、まるで息だ。

「レイヴン、すまない」

濡れたブラウスはすっかり肌にはりついて下着が透けていた。肌の色さえ見える。
雨の音が声を遮る。
頭を下げたままだと本当にが話しているのかわからなくなるほど。
レイヴンは息のような声をしっかり聞けるよう、そばまで進んだ。

かすれた声は確かにの声で言う。



身代わりにされるのは悲しい
さびしい
くるしい
つらい
つらい
こんなにつらい仕打ちを私はレイヴンにしていた
すまないすまない

私はオーマのためのの身代わり
オーマは死んでしまった。私はもうなんでもなくなってしまった
さびしい
さびしい



そこまで声を搾り出すと、その場に膝からくずれて石畳に額を寄せた。
オーマにくちづけたのと同じ姿だった。
あの時はの美しさにもう無い心臓が脈打ったと感じたのに、今の方がずっとすごい。

それはもう我慢できないくらいかわいいんだ。
我慢できなかった。

肩を起こして抱きしめる。

「また風邪ひくよ」

小さな体が泣く吐息にあわせて不規則に震える。

「・・・俺さ、その顔に泣かれると弱いんだわ」

両頬に手を添えて顔を起こす。

「前にエステル嬢ちゃんにひどいことしたから、なんだか重ねちまうよ」
「エステルの、みがわり」

ああ、ぎゅっと肩がせりあがって更に泣いてしまった。
もう感情ぐちゃぐちゃで身代わりという言葉に過剰反応してしまっている。

「どうだろうね。エステル嬢ちゃんにはこういうふうに抱きしめたいって思わないし、キスして押し倒してすごいエロいこといーっぱいして愛しちゃいたいって思わないよ」

まだ泣き止んでくれない。
どうか泣かないで。

「明日、船が出るんだ。君を満月の子の子孫達のところへ近づけてくれる船だよ。行くかい?」

背中と頭を抱きしめる。

「行かないで」

行くかいと聞いたのに、答えを待たずに希望を述べた。






「チョコレート買って帰ろう」

君だけを好きだ、と言うはずだったのに恥ずかしくて言えなかった。










































一枚の薄手のシーツに二人座る格好で、向き合ってくるまった。
セックスにというよりは緊張して疲れてしまったらしいは頭をくたっとこちらの肩に置いている。
顔を見られるのを恥ずかしがるような仕草にも見えた。

シュヴァーンのこと
アレクセイのこと
人魔戦争
忌まわしきこの心臓魔導器のこと
絶望に謀略に裏切り
言わなくていいようなことまで勢いで洗いざらい吐いてしまった。

「しゃべりすぎた。ピロートークがおっさんの恥部紹介でごめん」
「アレクセイは・・・いいやつ、です」

説明を聞いていなかったのだろうか。
が素っ頓狂なことを言い始めた。

「違うよ。あいつは悪人だ。自分の理想のために人を道具のように扱って、大勢殺して苦しめて誰も信頼しようとしなかった」
「すまない。私はアレクセイの悪行を見たことがありません。だから悪く言えない」
「大罪人なんだよ」
「・・・」
「どうしようもない悪党だ」
「・・・」
「殺しても殺したりない、みんな言うさ」
「すまない、わからない。私が知るのはアレクセイがあなたの心臓をもう一度動かした」
「そうじゃなくて・・・!そうだけど・・・そうじゃなくて」

いま

一番したいと思ったのはありがとうと言うことだ。
けれどありがとうと言おうとしても息しかでなくて、涙ぐんでいるのを見られるのは恥ずかしいから二番にしたいと思ったハグをした。
キスをした。ありがとうと息だけで言って、またキスして、
「少しくすぐったい。小鳥についばまれているみたいです」
は楽しそう恥ずかしそうに笑うので、深くする。



「レイヴン、どうか私に名前をつけて下さい」
「・・・いいよ。君の名前は、そうだなぁ、がいい」
「同じ」
「俺は君を作り出してくれたオーマに嫉妬しつつ感謝しているから、オーマリスペクトつーことで、君はだ」

「では私はオーマとアレクセイに感謝します。どれほど身代わりを作っても満ちることのないオーマの寂しさは私を作り、アレクセイの作り出した忌まわしき偽りの心臓はレイヴンを作った」

異形の心臓にためらわず口付けるの姿は恐るべき愛しさだ。
もう無い心臓が強く脈打った。






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