眼鏡橋 Meganebashi

広島県世羅郡甲山町小世良(おぜら)   2008.7.20、2008.8.23                            
*地図にある地名と現場で見た看板などが違ったことより、確認のため8月23日に再訪した。
総御影石 架設: 明治41年(1908)4月 長さ: 12.12 m 幅: 4.58 m岡崎文雄様の情報では4.4 m(100年の間にズレが生じてきているのかも)
スパンは橋上が道になっていて実測不能であった。 輪石:39 石工:小林仙十郎ほか。

昨今のマツタケ事情
初回(2008.7.20)ここを訪れた時、国道184号線の交差点で「まつたけ村」と書かれた大きな看板を目にした。ここから左折して山に上り、三叉路を左に引き返しながら丘を上っていったことで、後で所在地を確認できると思ったが、帰宅して地図を広げてみれば、「まつたけ村」なる場所が見つからない。あんなに大きな看板なのだからこの施設が地図に無いなど考えられないことだった。が、何度見ても無い、無い、無い?のだ。この辺りの地図には「甲山いきいき村」、「甲山ふれあいの里」という名前だと載っている。はて?この3つの違う呼び名が同じ場所かどうか、いまいち確信が持てず、確かめるべく8月23日の再訪となった。今回はこの「まつたけ村」で梨を売っていた年の頃は50代と思しきおばさまに、開口一番、「この辺りに石の眼鏡橋があるはずですが、この辺りでしたか」と尋ねた。「さあ、石の眼鏡橋ですか。そんなものがあるんですか」と、逆に聞かれてしまった。地元の人でも一般的に50代は知らない人が多いらしく、前回別の場所で聞いたお年寄りのおばあちゃんは、おそらく80は過ぎておられるようにお見受けしたが、今思い返せばおばあちゃんの家からはけっこう離れているのに、近所の遊び場に行くくらいの感覚で「裁縫工場の下の桜並木の下にあるとですよ」と、にこにこしながら教えてくださったものだった。名前は不確かであっても体の記憶は迷うことなく私を「まつたけ村」から時間にして5分ばかりで眼鏡橋へと誘ってくれた。ここで改めて思ったことは、「まつたけ村」の大きな看板がありながら、なぜ地図、チラシ等に「まつたけ村」がないか。
広島県、ことに世羅郡世羅町は全国に「まつたけ」の産地として名前が知られているが、もう10年、いやそれ以上前からまつたけが採れなくなってきていると言う。身近なところでは5番目の妹の連れ合いが世羅出身の人で、結婚した当初2~3年くらい(23年前だろうか)までは「まつたけ狩り」と称して、義弟の実家の山へ招待されたものだったが、そんな話もすっかり忘れてしまったくらいお声もかからなくなって久しい。現在では地図や広告に看板にあるような「まつたけ村」の表示は「看板に偽りあり」ということになり、「甲山いきいき村」、「甲山ふれあいの里」と改名せざるを得なくなったことで、地図から「まつたけ村」が消えてしまったということがどうやら真相らしい。(2008.8.25)
続く......

2008.7.20  
2008.8.23  
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