サン・ベネゼ橋 Pont Saint-Bénézet
                                                                                                                           2012.4.18 visit
所在地:ヴォクリューズ県アビニョン
架設:1187年  
ローヌ川に架かる22連の三心円石造アーチ(ただし、後年の洪水と流氷で破壊され、現在は4連のみを残す)
長さ:920m   幅:4m    スパン:31m~34m

 サン・ベネゼは創架者の名前。12世紀のヨーロッパでは「橋梁建設兄弟団」と呼ばれた人々が橋梁架設に従事した。この橋梁建設兄弟団の担い手は修道士であったという。彼らは1189年に教皇クレメンス3世の承認を受け、フランス、イタリア、スペイン、スコットランドに広がり、多くの所領と特許状を持っていた。ローマ帝国滅亡後の11世紀から13世紀にかけ政情が混乱し、旅をすること、なかでも川を渡ることは非常に危険を伴った。この状態を見かねて、信心深い人々は橋梁建設兄弟団という名の宗教団体を結成した。その目的は旅行者に援助を与え、橋を架け、船を用意し、川辺にある慈善施設に温かく迎え入れてやることであった。実際、旅行者が安心して頼れるのは宗教団体だけであった。一方、架橋に必要な資金は免罪符が使われた。古くから宗教のために献金すれば罪が許されることを認めていた。特に十字軍以来、教会は財政難から免罪符を発行し、これを買えば一切の罪が消滅して天国行きが保障されるとした。また、橋の架設に寄進したり、労力を提供すると40日間の免罪を与えている。そして免罪符作成者の数が多いほど免罪の価値が高くなった。16世紀になって免罪符が乱用されて非難が生じたことからマルチン・ルターの宗教改革の発端になったが、当時は公共の利益に役立っていた。
 
 この橋には伝説がある。
 ベネゼが12歳のころ、羊の番をしていると突然幻覚におそわれ、「アビニョンに行ってローヌ川に橋を架けよ」という声を聞いた。そこで1177年9月13日の日食の日にアビニョンに出かけて、人々に神の命を実行するように説いた。しかし、人々は嘲笑し、アビニョンの司教は脅迫や暴力を働いた。だが、それに負けずに30人の男がやっと持ち上げるような大石をローヌ川に投げ込んで、最初の基礎を築いた。この奇跡が人々を動かし工事が始まった―という。
 架橋地点は川幅が広くて深い。水流は激しく、古くから架橋は不可能とされていた。町の有力者はベネゼの計画を嘲笑して相手にしなかったが、彼は根気よく住民を説いた。やがて工事費を献金し、資材を運ぶものが現れ、10年がかりで完成した。だがベネゼは橋の完成を見ずして世を去った。ベネゼはアビニョン側の橋脚上に聖ニコライ(旅人の守り神)を記念して教会をつくった。架橋の功により彼は「聖者」の列に加えられ、彼が橋の上に建てた教会の中に埋葬された。以後、ここは巡礼の地となった。「橋の歴史」山本 宏著参照

        アビニョンの橋の上で

        アビニョンの橋で おどるよ おどるよ  アビニョンの橋で 輪になっておどる
        小父さんも来る 小母さんも来る 

 
        アビニョンの橋で おどるよ おどるよ  アビニョンの橋で 輪になっておどる
        坊さんも来る 兵隊さんも来る
        

        アビニョンの橋で おどるよ おどるよ  アビニョンの橋で 輪になっておどる
        

サン・ベネゼ橋の近くで見かけた三叉路。鋼板のオブジェが「アビニョンの橋の上で」を歌って踊っています!
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