雄橋 Onbashi (Natural stone bridge
                                                         2005.6.25
広島県比婆郡東城町川東
架設年代:3億年から2億年(古生代石炭紀から二畳紀にかけて)の歳月を経てつくられた自然石橋
長さ:90m 幅:19m 高さ:40m

本のbmh氏より広島に天然石橋があるとの情報を得て、その週の土曜日・2005年6月25日早朝、空梅雨の暑い中を、カメラを積んで帝釈峡へと車で向かった。広島は海の玄関宇品港から一般道と高速道を利用して約2時間半の道のりだ。
前11時過ぎ帝釈峡入口に到着。パーキングでもらったパンフレットを見て、一日の目的地を雄橋と雌橋にしぼる。雌橋はその存在すら来るまで知らずにやってきたが、あると知ったからには雌橋あっての雄橋だろうから、ぜひともセットで見てみたいものと、期待は大きく膨らんでの出発と相成ったものだ。山入りする前に、ふとパーキング側の弥生食堂の清涼飲料の自動販売機に目が止まったが、地図でみるかぎり、どこぞに茶店くらいはありそうな気配がしたため、暢気にも飲み物も持たずに山入りを敢行。
中、見回す帝釈峡の山道はオゾン溢れる緑の木々の中滝あり、砂洲あり、川べりに顔を出した石灰岩の見事な造形!今も自然が手付かずに残されている。歩くこと20分ばかり、目当ての雄橋が見えてきました!
「あ、エ?あぁ、これが、…」、一目見たなり出た言葉。もう、言葉というものじゃありませんでした。「こんなもの見せられてどうしよう」、「あぁ、これじゃ、かなわんよ、かなわんよなー」の連発でございました。
しばし雄橋の手前で通りかかった人たちを眺める。食い入るように見上げる女性の不安そうな顔、下を向いて一列に歩いて来た親子連れ、手をつなぎ、橋脚の石仏に見入るシルバーカップル、またくぐり抜けて振り返った老人の恐怖に満ちた顔、どの顔も度肝を抜かれた顔をしていました。
なるは雌橋へと急ぐ。雌橋までの道のりはどのくらいだろう。喉の渇きでぐったりした頃、トンネルの手前で野いちごをみつけた時のうれしさ、飛びつくようにして摘んだいちごは、自然の恵みの味、ほのかな露の味がいたしました。
それからしばらく行くと、赤い鉄橋の「かもじ橋」の向こうに、石を積み重ねた橋脚に竹を渡した簡素な橋に出会う。後で聞いたところによりますと名前はなく、単に仮橋と呼んでいるとのことでした。この橋もなかなか風情のある橋でした。そこから、断魚渓まで来たと思いきや、目の前にフェンスが立ちはだかっているではないか。雌橋は確かフェンスの向こうにあるはず。しばらく抜け道を探したが見つからぬまま、やむなく引き返しことに。
路、再び立ち寄った雄橋では川床に下りての撮影となった。ここでカメラを持った一人の女性に出会う。懸命に川底をみつめてシャッターを切っている女性の側に、なんと白いモンシロチョウが群れをなして止まっているではないか。蝶たちはその場所をつかず離れずといった感じで飛び回っていて、その姿は一種異様な光景で、いつしか目が釘付けになってしまっていた。そのうち思いついたことといえば、撮影のために女性が蜜か砂糖でも落としたのだろう、と勝手に想像し、その場を立ち去ろうとしているうち、どちらからともなく言葉を交わしていた。真っ先にモンシロチョウのことを訊ねると、彼女は知らないという。不思議なこともあるものだ。彼女も撮影はいつもきままな一人旅らしく、行った先で必ず三脚で自分のポートレートを撮っているとのこと。「三脚があれば一人でも自分の写真が撮れるし、いつ、どんなところへ行ったかも記録で残せるし、後で笑えるんだから」と楽しそうに話してくれました。そのうち、私もにわかモデルになって彼女に写真を撮っていただきました。彼女と一緒の帰路までの道のりの楽しかったことといったら、今思い返すだけでもほのぼのした気分になります。
発点のパーキングにたどり着いた頃にはすでに日も暮れかけ、側の弥生食堂で、二人してアイスコーヒー、オレンジジュースと立て続けに飲み干しながらのおしゃべりにやっとひとごこちついたことでした。この弥生食堂、昭和も30年代かと思われる店構えで、土間にテーブルが4つ並び、座敷もあり、とてもくつろげるお店でした。店のご主人によりますと、「雌橋はいつもは川に沈んでいて、めったに顔を出さないし、道も獣道になってしもうて、もう、あっから先(フェンスのある場所)へは行かれんですよ」とのこと。この言葉を聞くまでは、まだ雌橋に未練があって時間が許せば行くつもりでいただけにがっかりしたが、帰り際になっての素敵な女性との出会いで、この日の雄橋探訪は楽しいものになりました。   2005.7.9
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