中村清一郎画伯宅をお訪ねして−      2004.11.4

2004年5月、初めて天草の石橋を訪ね、志安橋で写真を撮っていたところ、たまたま通りかかったご老人に声をかけていただいたご縁志安橋エレジー参照)により、中村清一郎画伯の画文集「天草を描く」を見る機会に恵まれた。天草の海、山、石橋、神社、仏閣、教会などのペン画が上段に配置され、その下には描いた時の様子や、調べ上げた史実を織り混ぜながらの解説文が、やさしいタッチで書かれている。
生の絵を見たときから、ペン画というものがどのようにして描かれるのか、今回先生にお尋ねするまで想像すら出来ないでいたが、先生曰く「一度、ペンを下ろしたら途中で修正などはしない」とおっしゃられたのには驚いてしまった。これだけ緻密な絵が、修正無しで描かれたとは!またまた驚いてしまう。大きな絵は数ヶ月間もかかることがあるとは奥様の弁。日当たりのよいアトリエの部屋を一歩入ると大作2点が出迎えてくれた。
左は、こどもと大小さまざまなカエルとトカゲの一枚、下右は魚の骸骨の絵だ。生きてあるものの真の姿を幻想的なタッチで捉えた中村清一郎画伯渾身の大作。さすがに、台北帝国大学附属医学専門部ご出身で、終戦の引揚げが後、一年遅ければ医者になられたはずであったが、故郷・天草に帰還された後、天草県立高等学校の生物の先生として38年間勤め上げられた医学者、生物学者ならではの精確で、緻密な絵だと納得させられる。
ととき絵や石橋でお話もはずんだ頃、思いがけないことが起こってしまった。なんと、石橋のオリジナル絵「志安橋」、「小松原川の小石橋」の2点を先生が私にあげるとおっしゃったのだ。画文集「天草を描く」の中に掲載されたこの2橋は、先生にとっては宝物であるはずなのに、簡単に人にあげてしまってよいのだろうか、と私の方が心配になり、「本当に、どこの馬の骨かもわからない私にくれてもいいんですか?」と、何度も念を押してしまった。やっと昨日(11/12)注文の額が出来てきて、壁に掛けてみた。額に収まった石橋を眺めながら今も不思議な気がしている。
村先生、奥様、その節はご病気静養中にもかかわらず過分なおもてなし、奥様手作りのお昼ごはん、とってもおいしゅうございました。心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
お二人にとって毎日が平和で穏やかでありますよう、心よりお祈り申し上げながら。     2004.11.13記
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