相生橋 (Aioi bridge)

(菊池市大字亘) 俗に藤田橋ともいう。元は五連の石橋であったが、洪水等で流失、破損で幾度となく架け替え工事が行われた記録が菊池郡誌に残されている(「肥後の眼鏡橋」松岡政雄著参照)が、現在は中央のアーチを残すのみとなっている。
架設:文政8(1825)年7月工を起こし、9年(1826)9月成就せり。施主:御惣庄屋・石淵七郎右衛門、御郡代手附横目・高木形左衛門  石工:備前国児島郡阿津村の勘五郎(棟梁)・長十郎・十吉・万吉・惣次郎・伊太郎、山坂村の市兵衛・久蔵・与平、南関手長上永田村の久助・同肥猪村の伝四郎
長さ:9.8m 幅:5m 高さ:4.5m

田園の中にアーチが一つ、しかも取り囲むかのように石垣でガードされていた。元は4コマ目の絵にあるような五連の石橋であったらしいが、残る一基でも、先人の偉業を伝え残そうとする、熊本人の心意気が感じられる貴重な石橋だ。
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