2005年8月6日
似島の午前8時発「こふじ」フェリーの中
れ上がった暑い夏日、土曜日とあって、船内は比較的人手は少なかったが、出航と同時に「8時15分、原爆死没者の御霊に対し、1分間の黙祷を捧げます!」の船内放送があった。毎年この便は、出航と同時に船内放送を流し続けている。船内のテレビはこれから始まる60年目の原爆死没者慰霊式・平和祈念式の模様が映し出されていた。食い入るようにテレビに見入る人たち、60年前のこの日の情景・戦後生まれの私には体験としての記憶はないが、似島は原爆が投下された時、検疫所があったため、臨時の病院として多くの犠牲者たちを受け入れ、その多くが治療の甲斐もなく亡くなっていかれました。似島に住む人たちの多くも肉親を原爆で亡くし、島に戻らぬ家族を捜し求め廃墟と化した広島の街をさ迷い歩きました。その一方で、島に残った女たちは検疫所へと駆けつけ介護にあたる日々だったそうです。船上にて、子どもの頃から聞かされてきた60年前の出来事を偲びつつ、しばしの黙祷。目を開けると時刻は8時15分を指している。サイレンの音の後、鐘が鳴り、1分間の黙祷。フェリーは静かに宇品港桟橋へと近づく中、テレビは秋葉忠利広島市長の平和宣言が始まったことを告げていた。


安芸の小富士

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