久玉の無量寺橋 (Stone Bridge in front of Muryoji Temple at Hisatama)

牛深市久玉町吉辺川                                                                       2004.11.5
架設:享保元年(1716年) 石工:岩永三五郎 長さ:10.4m 幅:2.80m 拱矢:2.9m 高さ:2.8m  径間:8.0m

* 「肥後の眼鏡橋」松岡政雄著によると、この橋は門前橋と呼ばれ、石工・岩永三五郎と記されている。

 11月4日、松島から牛深まで車で3時間余り。たどり着いたのが午後7時を回っていた。前日の泊まり「天草YH」に今朝は出がけに予約の前金4,000円を払い込んだので、引き返し翌朝出直そうかと思ったが、3時間もかかるとあれば、時間がもったいない。天草YHに電話をかけると、「遅くなってもいいから帰って来なさいよ!夕飯も作ってあるし、、、」と何度も言ってくださったが、往復6時間かかるとなれば牛深に泊まらざるを得ない。どうにかハイヤ大橋側にホテルを見つけて一泊の宿を得た。
 翌朝、久玉小学校の前を通ると、校門の入口に先生が立っておられ、元気に登校してくる生徒たちを出迎えていた。生徒たちに「おはようございます!」と声をかけたら、「おはようございまーす!」と元気な返事が返ってきた。
 無量寺は天草・島原の乱(1637)後、切支丹禁制で建立された浄土宗の寺の一つといわれている。国道266号線沿い、久玉小学校横、無量寺山門前の吉辺川に架かる。小さな石橋だが、軽自動車も通るし、地域の人たちにはなくてはならない橋として現在も利用されている。
 「肥後の眼鏡橋」松岡政雄著(1978年発行)からの抜粋
 この本によりますと、架設年=享保元年(1716)、石工=岩永三五郎となっております。岩永三五郎の手がけた数多くの石橋の中でも特に鹿児島の五石橋に見られる技法が似ていることから、架設、石工を松岡政雄氏の説に改めさせていただきます
                2004.12.15
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