岩下橋 (Iwashita-bridge)
                                                                                 2004.11.6
菊池市大字四町分字岩下
架設:文政8年8月(1825)、嶋屋日記に「文政八年八月出来候四丁分五斗めがね橋」とある由。一度流失し、明治5年再架(1872)されている。
石工:「熊本の石橋313」によると備前の茂吉、勘五郎と云われているが、「肥後の眼鏡橋」松岡政雄著では不明*となっている。
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但し、施工協力者として河上徳平、岩崎逸熊、岩崎亀平の名前があり、河上徳平は両岸の石垣つきを実施し、岩崎逸熊、岩崎亀平の両氏は施工者及び人夫の食料米を提供して、工事の促進を図ったとある。
また、架設の特徴として、一つに通常は木枠を作った上に輪石を積み重ねていくところを、この岩下橋は土嚢を積み重ねた上に両端から輪石を積み重ねていったという。第二点として、輪石と輪石との間を鉄の棒で締め合わせている点も挙げておられる。
長さ:10.9m 高さ:6.0m 輪石:26個(55cm×40cm) 幅:2.9m 径間:9.0m 拱矢:4.4m

 **この橋の袂に馬頭観音を祀る一堂宇があり、天保3年(1832)辰正月十八日麦田・岩下奉建とある。

 訪れたのが午後4時前とあって、すでに日も暮れ始めていたが、新しい岩平橋の横から下へ降りていくと、苔の生えた瓦屋根をいただく祠がある。この祠は、人馬の安全な通行を見守るかのように、橋はまっすぐ伸びて、向こう川岸まで見通せるような位置に立っている。西日を浴びてほの暗くなり始めた祠の苔むした屋根、馬の給水用であろうか、土で出来た甕にも苔が生え、しばし100年以上昔の頃を想像してみた。しっとりとした情緒のある、いい石橋だ。
                                                      2004.12.19
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