地蔵橋(Jizobashi)
                                                   2005.3.19
菊池郡大津町大林 上井出川に架かる
架設:推定 文政11年(1828) 石工:地元の勘太郎
長さ:7.50m 幅:4.35m 高さ:3.65m 輪石:25個 径間:6.00m 拱矢:3.00m

*6本柱の瀬田閘門の石柱が建てられた頃と推定「肥後の眼鏡橋」松岡政雄著参照

地蔵橋物語
にえもんさま、伊原さま、bmhさまに捧ぐ!

前の由来は分からないが袂に地蔵様が祭られている。地元熊本の写真家であると同時に、「石橋を守る会」の会員でもあるbmh氏(「ようこそbmhの部屋へ!」http://www.r1100rsp.net/製作者)の案内で連れてきていただいた石橋の一つで、この後不動谷橋の測量をひかえていたこともあり、通りいっぺんに見て回った。
回、3月・4月と雑用に追われ、やっと石橋の整理にとりかかれたと思いきや、お粗末な写真ばかりに我ながら愕然としてしまった。いつものことではあるが、、、。何よりも地蔵橋というのに自分の撮った写真に地蔵様らしきものは一枚も写っていないことは返す返すも残念しごくであった。せめて地蔵様がどこにおわされるかだけでも知りたい一念で、bmh氏に訊くが一番と思い立ち、当HPの掲示板にてお地蔵様の在処をお訊ねしたという次第でありました。この問いかけに日を置かずして、熱烈な石橋愛好家のお二方、まずはえもんさま(「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造りアーチ橋」http://ww6.tiki.ne.jp/~nieda/hasimokuji.htm製作者)、そして原博司氏(「熊本の石橋写真館」http://www5f.biglobe.ne.jp/~ihara/製作者)より、地蔵橋の貴重な画像を送っていただきました。この写真が歴史的・芸術的に貴重であるがゆえ、是非に、とお願いしましたところ快く受け入れてくださり、当HPに掲載する運びとなりました。
お三方に心より感謝を込めて!
下段の左より
原博司氏のこの一枚、1991年1月自ら撮影された地蔵様のある風景写真、それは万に一つのシャッターチャンスでとらえられたマルセル・プルーストいわく、「空間のなかの幾何学があるように、時間のなかの心理学がある」ことを見事なまでに証明してみせた、まさに時の写真だ。写っている二人のおばあちゃんたちはいつもこの祠のお地蔵様にお参りするのでしょうか。仲良くお地蔵様の前に腰掛け、つかの間を四方山話に花咲かせているご様子。まさに至福のひとときが見事なまでに切り取られている。しばし感動で絶句してしまった。こうした写真は恐らく伊原さまでないと撮れない写真と思うが、いつかは自分も、と逆にこの写真に励まされる思いがしたことも事実。ともかく素晴らしい写真だ。
して、時は流れ2004年10月31日、にえもんさまが訪ねた頃には以前の祠は取り壊され、少し前まで建物の中に祀られていた地蔵様を、人目につかぬことを不憫がってか、このように外に出して差し上げたそうでございます。お地蔵様のいる祠は日本中にありますが、このように(下段2枚目の写真)母屋の玄関先にくっついた形のようなものは極めて珍しいのではないでしょうか。
以上の2点を踏まえ、たった一人の地蔵橋隊長(bmh氏)による現地調査で、次のことが判明いたしました。
−2004年9月以降にはお地蔵様が家の中にあるのでは分からないだろうということで、地元企業の協力を得、祠を外に出し、元からあったお地蔵様を真ん中に、地元企業の寄付による左右二体のお地蔵様も加わっての祠を完成させたとのことです。また、地藏さんは戦後までは木彫りだったそうです。その地藏さんを、地元の子どもたちが地蔵橋から川に投げ入れて、誰が一番に拾い上げるか競争していましたが、ある日、川下に流れて行ってしまい、とうとう見つからなかったそうです。二度と流されないようにかどうかはわかりませんが、現在は石造の地藏さんです− (文・東浩司氏
この地に脈々と伝わる地蔵橋の素晴らしいお話、いかがでしたでしょうか。次回の探訪は地蔵橋Part 2を予定しています。                                                      (2005.5.17)
  
地蔵橋の変遷
下記の画像は石橋をこよなく愛するお三方から提供いただきました地蔵橋の写真でございます。下記左側の写真は今では見ることも叶わない極めて貴重なもので、右2枚の現在の地蔵橋の風景とあわせてお楽しみくださいますように。画像をクリックすれば拡大写真がみられます

1991年1月・伊原博司氏撮影


  2004年10月31日・贄田岳和氏撮影  
  
     2005年5月14・東浩司氏撮影
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