軍艦島=端島 (GUNKANJIMA or HASHIMA)

2004年8月8日、ピース・クルーズで軍艦島を外から眺める機会を得た。軍艦島の名前は、もう随分昔のことだが、一度くらいは聞いたことがあった。船内で軍艦島の歴史を聞きながら、昔友達が唄っていた唄の文句を思い出していた。出だしがどんな文句だったかは思い出せないでいるが、確かこんな文句だった。
−、、、、、落盤で負った傷の跡が 刺青にみえるのさ ふるさとも 金も オレにはない あるのは炭の刺青だけ 胸の痛みこらえて この炭鉱追われゆく 一文無しで 一文無しで−
軍艦島を前にして、この唄が、この島に強制連行で連れてこられた人たちの、怒りと悲しみを唄った唄だと初めて気づかされた。

当初最高40メートルほどの海抜高度を持つ無人島だった端島が防波堤を築いて埋め立てられ、元の2.8倍に拡大されたといいます。面積0.1平方キロメートル、周囲1.2キロメートル、東西160メートル、南北480メートルのこの島に、石炭の発掘のため、1810年ごろから、朝鮮や、中国から強制連行で連れて来られた方々が過酷な労働を強いられて、最盛期の昭和20年には5,300人もの人々が暮らしていた島だそうです。緑も何も無いこの島の、このスペースに、これだけの人が暮らしていたとは、想像を絶するものがありました。
端島砿は1974年1月15日に閉山し、4月20日に無人化したという。現在は老朽化が進み、上陸は出来ない。
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