屋根改装中で全景不明


第23番 大本山 清浄華院(しょうじょうけいん)

2008年11月2日参拝

 

細部はネットで検索。

ここは、「泣不動又は身代不動」で有名です。細部はネットに任せて、帰りに早速、@500-で、身代わり不動のカードを買って帰りました。

この身代わり不動は、自分が「あわや!」と、なったときに身代わりになってくれるのです。

皆さん、そう思うときがありませんか、「わぁ〜」「あわや」「もしも、そのとき・・・」などなど、びっくりしたとか、一命を取り留めたとか、そういうことは1度や2度はあったでしょう。そんな時、自分の代わりに信仰もしていない身代わり不動が自分の身代わりになってくれたのかも知れません。

そんなこと、非現実的と思われているあなた・・・

もし、身代わり不動が助けてくれなかったら、・・・明日にでも、いや、あさってにでもそういう事態が起こるかもしれません。若し、信仰心がなくて、非常事態に陥ったらどうします・・・。

是非、身代わりになってほしいと思いませんか・・・、それを考えると「買って帰ろ」と思う私です。

一人が買うと、連鎖的に売れ行きは伸びます。

宗教とは、こういうものです。自分の心を納得させるため、ひいては自分の行き方を納得させるためにあると思います。

 

皆さん、「極楽浄土」の絵を見たことがあるでしょう。天女が羽衣をまとって空に舞い、蓮の花が咲き乱れ、極楽鳥が飛び交い・・・

これは、1000年も前に空想された世界です。現在は、太陽エネルギーソーラー、原子力、素粒子、カニ星雲・・・の時代です。

極楽にデジタルテレビがあり、差別もなければ、フリーターもいない、年金は保証されている・・・の世界であれば納得ができますが、いまだに宗教の世界は1000年以上も止まったままです。

しかし、信仰とまでは行かないまでも「鰯の頭も信仰から」といわれるように、宗教とはこんなものです。

オームも浄土宗も、天台宗もその信仰する心は変わりません。

ただ、教祖の理念が人間としての心を持っているかどうかです。

 

これらの思うことは、又書きます。

ただ、信仰心はなくても、齢を重ねると死後の世界を考えるとき生きているうちの心の支えは必要でしょう。