おじさんバックパッカーの一人旅
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2007年10月29日~11月5日 |
第1章 旅立ち
書き溜めた旅行記を出版することとなり、校正作業に追われた。ようやく一段落ついたので、出版を待たずに旅立つことにした。本来、パキスタンへ行くつもりでいたのだが、報道されるパキスタン国内情勢はかなり危険な匂いがする。やはり命は惜しい。諦めて、タイ・イサーン地方→南ラオス→カンボジアを巡る「クメール遺跡巡礼の旅」をしてみることにした。 クメール遺跡とはアンコール王朝の遺構であり、その多くは寺院遺跡である。アンコール王朝はアンコール(現在のシュムリアップ)の地を王都として西暦802年に建国されたクメール族の王国である。この王朝は、1431年にタイのアユタヤ王朝に滅ぼされるまでの600年余の間、インドシナ半島に覇を唱え続けた。インドシナ半島に現れた史上最大の王国であり、11世紀~12世紀の最盛期にはインドシナ半島のほぼ全域を支配した。この王朝にあっては、「前王に勝る建造物を建造することが王の王たる証」とされたため、歴代の王により寺院等の多くの建造物が建造された。アンコールワットやバイヨン寺院はその代表的建造物である。アンコール王朝の中心的支配地域であったカンボジア、ラオス南部、そしてタイのイサーン地方には今なお多くの建造物が残されている。これらの遺構を巡り、遠い過去を偲んでみるのも一興である。
夕方17時、無事にバンコクのSuvarnabhumi空港に到着したのだが、タイ入国に当たって心配が一つある。タイは30日以内滞在に限りビザなしで入国出来るのだが、「30日以内に出国する航空券を保持していること」との条件がある。私はこの条件を満たしていない。保持している帰国航空券は1ヶ月半先のものである。従来、イミグレーションで手持ち航空券をチェックすることはなかったのだが、最近、どうも入国審査は厳格になっているらしい。入国を拒否されたらどうしよう。びくびくしながらイミグレーションに行くと、そこはホールに入りきらないほどの長蛇の列であった。これほどの混雑は見たことがない。そのためか、航空券の提示を求められることもなく、無事に入国出来た。
早朝にもかかわらず、駅は既に多くの人々でごった返していた。6時40分発快速135号の2等指定席が取れてほっとする。ナコーン・ラーチャシーマーはバンコクの北東255キロに位置するイサーン地方の中心都市で、一般的にコラートと呼び慣らされている。バスで行けば3時間ほどなのだが、列車だと5時間半掛かる。しかし、私は列車を好む。定刻に発車した列車は、乗車率60%程度であったが、停車するたびに乗客は増え、いつしか満席となった。乗車券を持たず顔パスで乗っている輩が数人おり、空席を求めてあちこち移動している。日本でも国鉄時代にはこういう輩が多数いた。 列車はアユタヤ、サラブリーと進んでいく。車内はひっきりなしに物売りが行き来する。冷房はなく、開け放された窓から吹き込む風が心地よい。やがてバンコク平原が尽き、列車はガクンと速度を落とし、坂道を懸命に登り始める。コラート高原への登りである。タイの東北部であるイサーン地方はコラート高原と呼ばれる標高100m~200mの平原である。そもそも、「コラート」とは平原を意味する言葉である。 右手にLam Takhong 貯水湖を見ると、見渡すかぎりどこまでも大地の続く大平原に達した。13時少し前、列車は20分ほどの遅れでナコーン・ラーチャシーマー駅に到着した。付きまとうトゥクトゥクの運転手を振りきって、街中へと歩を進める。この街は2005年6月に一度訪問しており勝手は知っている。街中のシーバッタナー・ホテルにチェックインする。大きな立派なホテルだが、朝食付き615バーツと手ごろな料金である。 ナコーン・ラーチャシーマーの街は17世紀に建設された比較的新しい街であるが、この辺りはアンコール王朝の重要な拠点であった。そのため、近郊にはタイのアンコールワットと呼ばれるピマーイ遺跡等いくつかのクメール遺跡か存在する。ピマーイ遺跡は2年前に既に訪れたので、今回は市内の北東約20キロにあるパノム・ワン遺跡を訪問するつもりである。 パノム・ワン遺跡に行くべく午後14時、ホテルを出る。今日もかんかん照りである。この遺跡はかなり交通不便なところのようなので、フロントで遺跡への行き方を聞いたのだが、「そんな遺跡は知らない」と言う。トゥクトゥクをチャーターしようと思い、二人ほど運転手に聞いたのだが、いずれも「知らない」と言う。さて困った。こうなれば意地でも行ってやる。歩いて第1バスターミナルへ行く。このターミナルからは近距離のバスやソンテウ(トラックバス)が発着している。ソンテウの運転手に聞くと、4144番のソンテウに乗れという。小型のソンテウは数人の乗客を乗せてすぐに出発した。郊外に出ると乗客は次々と降り、私一人になってしまった。ソンテウは国道を離れ狭い田舎道を進んでいく。何となく不安である。30分ほど走った十字路でソンテウは停まり、運転手が「ここで降りて、そこの店でオートバイを頼め」と道端の商店を指さす。教えられた店に行くと、そういう勝手になっていると見え、すぐにオートバイで送ってくれた。20バーツ、3キロほどの距離であった。
さて、帰りはソンテウの通る道まで歩く以外なさそうである。覚悟を決めて歩き出そうとしたら、管理人が「オートバイで送る」と申し出た。20バーツ取られたが、炎天下を歩かずにすんだ。いったんホテルに戻り、明日スリンに行くつもりなので、駅に切符を買いに行く。しかし、満席とのことであった。仕方がない、バスで行くことにする。
約2時間走ってNang Rongの小さなバスターミナルで停車。すぐに発車の構えなので、車掌に断って急いでトイレへ。歳をとると近くて困る。外は雨が降り始めている。バスは田園地帯をひた走り、Prakhon Chai、Prasatのバスターミナルに寄って、スリンの街並みに入った。車窓に、スリンの初代領主ルアン・スリン・パクディ(チアンプム)の像を見る。乗客の何人かは像に向かってそっと手を合わす。その近くには数頭の象の像も建つ。スリンは象の街である。バスはすぐにスリンのバスターミナルに到着した。約4時間のドライブであった。ガイドブックに「スリン随一の高級ホテル」とあるThong Tharin Hotelへ行く。実に立派なホテルであったが料金は700バーツと手頃であった。
市場を覗き、鉄道駅まで行ってみる。駅前にも象の像が立っていた。ホテルに戻り、明日、バノム・ルン遺跡へ行くつもりなので、フロントの女の子に行き方を相談したのだが、英語はさっぱり通じない。ニコニコしたかわいい子なのだがーーー。
バスはがらがらのまま発車したが、市内を抜けるころには満員となった。通勤通学客が多い。30分ほどでプラサートのバスターミナル着。大勢の乗客が降り、バスはがらがらとなる。さらに45分走ってPrakhon Chaiのバスターミナルへ。車掌にことわってトイレに駆け込む。バスは私を待ってすぐに発車した。田園風景の中を20分も走るとバスは停まり、車掌が「ここで降りろ」と言う。バーン・タコのようだ。降りたのは私一人であった。三叉路となっていて、数台のバイタクが待機している。ただし、周りは何もない。バイタクを仕切っているらしいおばちゃんが寄って来て、「パノム・ルン遺跡だけなら往復500バーツ、ムアン・タム遺跡も行くなら往復800バーツ」と宣う。恐ろしいばかりのぼったくりである。2つの遺跡を回って300バーツがいいところだと思うが。何とか500バーツまで値切ったが、ぼったくられた観は否めない。とは言っても、他に交通手段はない。完全に足下を見すかされている。 バイクは三叉路から南に向かう道を時速80キロもの猛スピードでぶっ飛ばす。パノム・ルン遺跡まで13キロのほどの道程である。前方の低い山並みが次第に近づいてくる。小集落で左に折れ、坂道をグイグイ登っていく。登りきるとパノム・ルン遺跡の入り口に達したが、運転手は「先にムアン・タム遺跡へ行く」と言い、山を反対側に下る。下りきった小集落の端でバイクは止まった。ムアン・タム遺跡である。傍らには満々と水を湛えたバライ(人工の貯水池)がある。
再び山を登り、パノム・ルン遺跡に向かう。パノム・ルンとはクメール語で大きな丘を意味する。標高383mの死火山の頂に建てられたの神殿と、その斜面を利用した参道が一体となった壮大なヒンズー教寺院である。建設時期はアンコール・ワットと同時期の12世紀と考えられている。ピマーイ遺跡とともにイサーン地方の代表的なクメール遺跡である。アンコール王朝は王都・アンコールから放射状に四方に延びる街道を整備した。王道と呼ばれるこの街道の一つはカンボジア/タイ国境のダンレック山脈を越えてイサーン地方へと延びていた。ムアン・タム遺跡もパノム・ルン遺跡もこの街道沿いに建てられた寺院である。
12時前、バーン・タコのバス停に戻る。10分ほどでスリン行きの豪華バスがやって来た。時刻もまだ早いので、途中、プラサートのバスターミナルで降り、バーン・プルアン遺跡に行ってみることにする。ターミナルで往復60バーツでバイタクをチャーターする。片道4キロほどの距離であった。天気は回復し、南国の太陽が激しく照りつける。 14時にはスリンに帰り着いた。夕方から再び雨が降りだした。どうも天気が不順である。夕食時ホテルの食堂で、「イサーン料理が食べたいので、何か推薦してくれ」と英語で言ったが全然通じない。係の者が次々にやってきて一騒動となってしまった。家に国際電話をしようとホテルのオペレーターを呼びだしたのだが、ここでも英語が通じない。1流ホテルの店構えだが、やはり田舎町である。
昼食後、あてもなく街をぶらつく。それなりの大きさの街であるが、デパートもショッピングセンターもない。コラートの街にはなかったサムロー(輪タク)が多い。一歩裏通りに入ると、タイ族伝統の高床式家屋が多く見られる。
11月2日(金)。今日はスリンから114キロほど東のシー・サケットへ行く。8時前にザックを担いでバスターミナルへ行くと、いつもの通り、「どこへ行く」と男が声を掛けてきた。「シー・サケット」と3度言い直したが通じない。タイ語で表記されたガイドブックを見せてようやく通じた。ところが、男はバスターミナル近くの民間バスの営業所に案内する。「んんんーーー。ミニバスでもあるのかな」。発車は8時30分とのことだが、運賃を聞いてびっくりした。212バーツだという。想定価格の3~4倍である。ぼられているのかと思ったが、私の名前まで打ち込まれたチケットが発行されるところをみると正規の値段のようだ。やがてチェンマイからやってきたバスを見てようやく納得した。「これがVIPバスというやつなのか」。民間バス会社の運行する超々豪華バスである。いつも路線バスばかり乗っている私には今まで無縁であった。 座席数32のゆったりしたリクライニングシート。もちろんトイレ付きである。毛布もある。実に快適である。発車してすぐに牛乳とミネラルウォーター、スナックが配られた。バスは途中停まることなく、わずか1時間30分でシー・サケットのバスターミナル隣接の営業所に着いた。ガイドブックに「町で1番の高級ホテル」とあるケッシリー・ホテルに行く。料金は朝食付きで600バーツとまぁまぁであるが、スリンのトン・タリン・ホテルに比べると設備は大分落つる。もちろん英語も通じない。 午後から、シー・サケットの西24キロのウトゥムポン・ピサイの街にあるサ・カンペーン・ヤイ遺跡に行ってみることにする。バスターミナルには英語標示があったのでウトゥムポン・ピサイ行きバスはすぐにわかった。小型の超おんぼろバスである。5分後の13時に発車するという。バスはわずか3人の乗客を乗せて定刻に発車したのだが、駅前で15分の長期停車、満席となってようやく再出発した。刈り入れの進む稲田の中をバスはこまめに停まりながら進む。1時間5分掛かってようやくウトゥムポン・ピサイの街に入った。思いのほか大きな街である。街の中心部近くでバスは停まり、運転手が「ここで降りろという」。さらに、屯していたバイタクに「この日本人、サ・カンペーン・ヤイ遺跡へ行くと言っている。面倒見てやってくれ」と依頼してくれた。バイタクは往復で20バーツという超良心的価格であった。
明日はカオ・プラ・ウィハーン遺跡に行くつもりである。クメール遺跡を代表する巨大な山岳寺院で、イサーン地方最大の遺跡である。この遺跡訪問は今回の「クメール遺跡巡礼の旅」における前半最大の目標である。ただし、この遺跡はタイ/カンボジア国境のダンレック山脈の尾根上に位置し、アプローチがいたって難しい。遺跡に一番近い街・カンターララックまではバスがあるが、そこから先は交通の便がない。このため、どの案内書も「シー・サケットまたはウボン・ラーチャターニーからタクシーをチャーターするべし」とある。私もそのつもりでいる。 ホテルのフロントに相談に行ったのだが、英語が通じない。居合わせたお客さんに通訳してもらって聞いたところ、タクシーのチャーター料金は「1,500バーツ+ガソリン代で、交渉の余地もない」とのこと。「ウーン」と考え込んでいたら、英語を話せる別の従業員が出てきた。彼女の話しによると、「カンターララックからカオ・プラ・ウィハーン遺跡までトラックバスの便がある。従って、バスを乗り継いで行ける」という嬉しい話しであった。遺跡までトラックバスの便があるという話しはどの案内書にも、どの訪問記録にもなかった。半信半疑だが彼女の話しに掛けてみることにした。
11月3日(土)。7時過ぎ、バスターミナルへ行く。先ずはシー・サケットの南63キロに位置するカンターララックを目指す。カンターララック行きのバスはすぐにわかった。小型のおんぼろバスである。7時20分、がらがらのままバスは発車した。例によって市内はノロノロ運転、乗客を集め郊外に出るころには満員となった。バスは珍しいことにワンマンカーで、車掌は乗りあわせていない。とは言っても、ワンマンカーとしてのシステムが出来上がっているわけではない。降りる乗客は人をかき分け運転手のところまで行って料金を支払わなければならない。 どこまでも続く田園地帯をバスは南に向かって走り続ける。道はあくまでもよい。途中、乗客の一人がバスを停めてタチション。私も身に覚えがある。1時間ほど走ると、茶店の前でバスは停車。運転手のみ降り、茶店に座り込んでティータイム。乗客全員ただひたすら運転手の復帰を待つ。タイでは運転手は王様である。やがて車窓の左右に大きな湖が現れた。Ta Mai貯水湖である。巨大な水溜まりという感じで、船も浮かんでいない。 約2時間走って、カンターララックの街外れのバスターミナルに着いた。見ると、カオ・プラ・ウィハーン遺跡行きのトラックバスが控えている。ホテルのフロントで聞いた通りである。乗り込もうとしたら男が寄って来て、「車をチャーターしないか」と誘う。600バーツだという。「1,500バーツ+ガソリン代」が浮いたことだしと思い、車で行くことにする。500バーツに値切って乗り込む。いすゞのピックアップトラックの新車であった。カオ・プラ・ウィハーン遺跡はここかにまだ35キロもある。男は英語をまったく解さない。 素晴らしい道が一直線に続いている。通る車もほとんどない。前方の山並みが次第に近づく。カンボジアとの国境となるダンレック山脈である。道端の小屋の前で車はストップ。タイ側の入場料徴収所である。外国人は400バーツもの入場料を取られる。まさにぼったくりである。 カオ・プラ・ウィハーン遺跡は両国国境に位置するためその領有をめぐって長い間両国で争っていた。しかし、1962年、国際司法裁判所によって、カンボジア領と認められたのである。ただし、現在のところ、カンボジア側からは行けず、訪問はタイ側からのみ可能である。このような事情から、タイとカンボジアの双方で入場料を徴収している。なお、「カオ・プラ・ウィハーン」とのはタイ側の名称で、カンボジアでは「プリヤ・ヴィヒヤ」と呼ばれる。 ここからいよいよ山道となった。ただし相変わらず道は素晴らしい。9時50分、カンターララックから30分ほどで大きな駐車場に着いた。ついに、カオ・プラ・ウィハーン遺跡へやって来たのだ。この遺跡は標高657mのブラ・ウィハーン山の頂にある本殿とそこに至る850mの長い参道から成り立っている。その建立はアンコールワットよりも古く、10世紀のヤショヴァルマン1世の治世に始まった。その後、各王により増設、改築がなされ、11世紀のスールヤヴァルマン1世により現在の形になされたとのことである。この地は昔から聖地として崇められていたようである。 駐車場から続く広い舗装道路を緩やかに下っていく。周りは潅木の荒れ地である。途中にタイ森林局のチェックポイントがあり、5バーツの入山料を徴収される。200~300メートルも進むと舗装道路は尽きる。岩盤上の坂を下ると、小さな谷に下り着く。この谷が国境である。ただし、この遺跡見学に限り、カンボジアへの入国手続は必要ない。
周りには多くの見学者の姿がある。いずれもタイの人々である。その周りを貧しい身なりをしたカンボジアの幼い子供たちが、絵葉書などの土産品を売り歩いている。いずれも、輝く瞳を持つ子供たちだ。日本では遠の昔に、タイでもめったに見られなくなった子供たちの輝く瞳。この瞳に出会えたことに限りない喜びを感じた。 カンターララックのバスターミナルに戻り、12時20分発のシー・サケット行きのバスに乗る。中型のおんぼろバスであった。1時間も走ると車は停まり、運転手は、何と、持参のティップ・カオ(竹で編んだお櫃)を取りだし、悠然とカオ・ニャオ(うるち米)を食べ始めたではないか。乗客一同、ただひたすら運転手の食事の終わるのを待つ。タイでは運転手は王様である。14時にシー・サケットに帰り着いた。いったんホテルに戻り、シー・サケットの街をあてもなく歩き廻る。街の中心は鉄道駅で、その両側に街並は広がっている。ただし、大きな商店街もなく、スリンよりは小さい感じである。それでもデパートが一つあった。明日はウボン・ラーチャターニーに行く。
11月4日(日)。朝起きるが、どうも体調がよくない。身体がだるく、のどが痛い。風邪の前兆である。悪化しなければよいが。8時前にバスターミナルへ行ったのだが、ウボン・ラーチャターニー行きのぼろバスを見て嫌気が差し、近くの民間バス会社の乗り場へ行ってしまった。体調が悪いせいか今日は弱気である。8時10分発のVIPバスに乗る。バスはわずか1時間でウボン・ラーチャターニーのバスターミナルに着いた。明日、ラオスに入国するつもりなので、国境の街・チョーン・メック行きのバスの時刻を調べようとしたら、何と、ラオスのパクセまで直接行く国際バスがあるではないか。好都合である。予約する必要があるかどうか聞いてみると、その必要はないとのことであった。 ウボン・ラーチャターニーはタイ有数の大都会である。バスターミナルは郊外にあるので、街の中心部まで数キロある。ソンテウ(小型のトラックバス)がたくさん走っているのだが、運転経路が分からない。トゥクトゥク乗り場に行くと中心部まで80バーツだという。「ふざけるな」と言うと、「あれを見ろ」と言う。そこには行き先毎の運賃が掲載されており、中心部まで80バーツと記されている。どうやら談合が出来ているようだ。20~30バーツが常識と思うのだが。仕方ないか。 ガイドブックにある Sri Kamon Hotel を指示したのだが、ガイドブックが間違っており、着いたホテルはSri Kamol Hotelであった。バスタブまである広い部屋で450バーツと安い。どうも熱っぽくふらふらするが、宿にいても仕方がない。街に出る。道路は広く、また、屋台や露店もなく、タイらしからぬ実にゆったりした街である。中心部はトゥン・シー・ムアン公園という大きな緑地帯になっている。その南側は広々とした遊歩道で、ベンチなどが設置されている。「ここは本当にタイなの?」。先ず近くのTAT(タイ政府観光庁)へ行って地図を取得する。ソンテウの経路が記載されている。明日バスターミナルまでソンテウが利用できそうである。 この街で一番大きな寺院であるワット・シーウボンラットへ行ってみる。バンコクのワット・プラケオと同じエメラルド仏が祀られているとのことである。大きな境内を持つ寺であるが、何やら催し物の準備らしく、大勢の人が出入りしていてゆっくり見学できなかった。 相変わらず体調が悪い。ホテルに帰って昼寝をしてしまった。明日はいよいよラオスへ行く。
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