(二)

 人それぞれにいろいろな余暇の過ごし方があるだろうが、魚釣りもその中の一つであろう。世間で、釣りを趣味にしている人はどんなところにも必ずいるものだ。ただ、熊本市内からここ天草の地に来てから強く感じることは、その釣り人口の割合が非常に多いということである。極端に言うと遊びの半分は釣りである。天草の成人男子は、まず第一に釣りをするか、しないかで二分され、釣り以外の全ての遊びは、釣りをしない残り半分の人達に分配されて細々と楽しまれているのではないか・・・・、そんな錯覚さえ起こしそうなくらい、天草では釣りが盛んである。

 私の実家の父を、釣りをするかしないかで色分けすれば、明らかに「しない」部類である。本人は、「若いころはよく釣りに行ったもんだ」などと人に言うことがあるが、よくよく聞いてみれば、三十年も前、緑川にハエ釣りに行ったくらいのものなのだ。一方、女房の実家の父はというと、これは明らかに「する」部類に所属する。年を取った今でこそ、竿を持ち出す回数は減って来たし、ねらう魚もアジゴ等の小物に限られて来たが、根は釣り好きである。

 実は、今回の家族旅行のことを持ち出したとき、女房の実家の父は魚釣りをやろうと言い出して、ここ下田の旅館へ釣り道具を用意して来たのだ。しかも私の実家の父の分まで。私は、天草へ来てから、一応釣り道具一式は揃えていたので、それを持って来ていた。そこできのうの夕方は、旅館の前のこの波止へ、男三人釣り道具を抱えて繰り出した訳である。私の女房も日傘をさして見物に来た。そして老若男女(?)、はたから見たら妙な組み合わせの四人の大人が、日没までの夏の一時を、この波止で釣りに興じたのであった。釣果はと言うと・・・・、当初は「アジゴが釣れれば・・・・」と思っていたのであるがそれは釣れず、かわりに巨大なボラが何匹もかかってきた。釣りなんてめったにしたことのない例の私の実家の父の竿にもかかった。・・と言うより、私の父が最も多くその巨大ボラを釣り上げた。

 ところで、きのうの父の釣り方は、まさに「殿様釣」であった。旅館に着いてからくつろぐために着替えたバミューダ姿に革靴、頭には母から借りた女物の帽子といういで立ちである。だれが見ても「俄釣り師」である事は一目で分かるのだが、小柄な父がこの格好でいるとなぜかユーモラスに感じて笑いを禁じ得ない観がある。そしてこの父が仕掛けを全部作ってもらって釣り糸を垂れるのであるが、不思議なもので巨大ボラはなぜかこの父の仕掛けに最もよく食らいつくのである。私の父は大変小柄である。巨大ボラがかかると、海の中から逆に引っ張られて波止から転げ落ちそうなポーズになってしまう。あたかも巨大ボラが小柄な父を釣っているような構図に、まわりの者はハラハラしたり、思わず笑ったり・・・・、とにかくきのうの夕方は、この波止の上は我々四人で賑わった。

 今、朝の六時。きのうと同じ波止の上に立っている。夜が明けたばかりのこの波止はきのうとは打って変わって静かである。が海上では・・、はるか沖に目をやると、もう既に一艘の漁船が何か仕事をしているのが小さく見える。何か小さな豆粒のような点が、船の手前の海面に大きく散らばっているようだ。かすかだが、波間から確かに見える。網だ!あの漁船はきっと、昨夜から仕掛けておいた網にかかった魚を水揚げしているのだ。そのうちその漁船は動きだし、私の立っている波止の方に向かって来た。そして私のすぐ目の前をゴーと低いエンジン音をたてて旋回し、港へ入って来た。旅館で竿を借りたのだろう、いつのまにかゆかた姿の数人の人達が私の向かい側の波止で魚釣りをしだしていた。漁船はその前も通り過ぎ港の懐深く姿を消した。船着き場近くで何か見られるかもしれない・・・・、私はカメラバッグを抱えて大急ぎで漁船が入って行ったほうへ駆け出した。













前へ(Back) 目次に戻る(Return to Contents) 次へ(Next)