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『やさしさでSAYONARA』




異常気象のせいか、外の風景は揺らめいているかのように暑そうであった。
しかし文明の機器の恩恵で、ここは寒気がするほどに冷え切っている。
汗をかいているのは、まだあまり手が付けられていない大きめな二人分のグラスだけだった。

「目は覚めてる?」
「正直、まだ少し眠気があるな。」
「やっぱり夜更かしはしない方がいいよ。」
「もはやこれが普通なんだよ。」

リズムの合わない二人が唯一会えるのは日が沈んでからお互いが一緒に眠る直前の間だけ。
しかし今は真っ昼間。燦々と輝き続ける日差しは、夜行性な目と脳には少しキツイ。


「……ココに行くことになったら、ますます兄さんに構う時間は無くなる。
 いいかげん兄さんも一人で生きていけるだけの力ぐらいは出来てるでしょ?」

「……兄さん、か。
 『お兄ちゃん』とは言わなくなったんだな。」
「……。」

俺が一口含むと、つられるように口を付けている。
苦く、冷たい感覚が、額を通過していく。


「まあ別に、俺はお前のやることを止める気はない。
 お前だってこんな弱い人間にはいつまでも付き合ってはいられないよな。

 世の中に価値を見いだせず、かといって絶望もしていない。
 のめり込める夢もなければ自殺するほどの絶望もない。

 ただ肉体と精神だけが
 無駄遣いのように物資を浪費しながら生きてるだけの、情けない人間には…」

自虐的で客観的な論理は否定も肯定もされない。
また一口飲み込まれる。


「別に今生の別れでもないし、ただ…時間が減るだけ。
 少なくとも今までのようには…
 でも、兄さんが変えてくれたら少しは…」
「そうそう楽に変えられるものではないよ。ダイエットと同じ。」

冷房に反応した体が、自らの体を暖めようと身震いを始める。
その熱は頭に集まって今度は汗を流し始めさせた。
まったく、ここは健康には悪い空間だ。

「とにかく、朝に響くのよ。
 兄さんはそのまま寝てしまえばいいけど、私はそれから頭を使わなくてはいけないのよ。」
「わかってる。 俺だって、抑えるぐらいの自制心はある。」
「そう?」
そう言って少しだけ笑った顔はいつもと変わりない。
しかしその心は、俺から離れようと言っているのだ。


「じゃあ、私は時間だから。 兄さんはどうせこの辺で遊んでいくんでしょ?」
「……主夫業は俺に任せてしっかりやりな。」
「そう? じゃあ夕食、よろしくね。」
「ああ。 妹のワガママを聞くのも兄の務めだよ。」
「ワガママ…?」
「いや、言葉の綾だ。 気に障ったか?」
「……いいえ。」

二人、別の方向に歩き出す。
脳は理解しているのに、一方でまったく観念していない感情が溜まっていく…


眩むような熱さの中で、言葉だけが、良い思い出だけがリピートされている。

『お兄ちゃんだけが、愛してくれる……』
(それは、お前だけしかいなかったから)

『優しいね…… でも、私は弱いから……』
(俺はもっと弱い。 だから優しくなれた)

『ゴメン…… すがれるのはココしかない……』
(人は、お互いに頼り合って生きていくから)


『出来ちゃってたら、困るね。』

『こうやって寝てるだけなのも…悪くないかな…』

『…………私も、大好き…………』

しかし、解かれていく楔を留めることは出来ない。

もはや巣立っていくというのなら……

俺の目の前には、何故か鋭く光る冷たい銀色の輝きが見えていた……


終わり




そして?