第21回 『準児童ポルノ違法化』に反対します!

 以下の文章は日本ユニセフ協会が掲げる『準児童ポルノ違法化』に心底頭来てぶち切れた管理人が、メインメニューのページに臆面の無く晒した駄文である。
 いい加減旬がずれてきた感もあるのでメインメニューから外したが、それでも一生懸命書いたつもりなのでここに残しておこうと思う。

 皆様ご承知の通り、日本ユニセフ協会という団体が『準児童ポルノ違法化』と称し、それらの単純所持をも違法化するキャンペーン(以下、当該キャンペーン)を行っています。
 管理人は以下に挙げる理由のため、彼らの運動に対し断固反対いたします。
 本趣旨にご賛同の方は、どのような方法でも構いません。我が国の健全なサブカル文化発展のため、自分で出来るだけのことを行ってください。

おさらい 『準児童ポルノ』とは?

 ITmediaの記事によると、『準児童ポルノ』とは"「アニメ、漫画、ゲームソフトなどと、18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど」。アニメや漫画、ゲームソフトは「写実的なものに限られる。ちょっと漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえない」"とのことです。
 ここから先は管理人の勝手な判断になりますが、要は18禁の物全部+エッチや残虐な描写のある物の殆どが該当するかと思われます。もちろん児童とは18才未満の男女ですので、BL(ボーイズ・ラブ)系も全て該当します。

ガイドラインの曖昧さ

 「写実的」という各個人の主観が入る事がガイドラインになっている時点で問題です。
 ある人は「へのへのもへじ」を写実的と言うでしょうし、またある人は「写真以外は写実的ではない」とも言うでしょう。ちなみに管理人は、実在する人物をモデルにし、一切のデフォルメ的表現を加えていない物のみを「写実的」と見なします。一般的なアニメやゲーム、マンガの絵は単純化/正規化した「記号」であり、人物画としても認められません。
 いわゆる『準児童ポルノ』のガイドラインを正確に規定すべきです。このままでは、特定の人種による感情的な判断で善良なクリエーターを犯罪者にしてしまうようなことになりかねません。
 例えば管理人の描くヘタクソな絵は写実的ですか? 他人がどう言おうと、著作権を持つ管理人は自分の書いた絵を「写実的だ」等とは絶対に言いません。
 そもそも広辞苑では「写実的」という言葉に対して、「事実をありのままに書くこと」と説明しています。つまり完全にオリジナルのキャラクターに関しては、まるで写真のように書かれていたとしても事実ではないので「写実的」とはなり得ないのではないのでしょうか。
 本当に「写実的なものに限られる。」のであるのならば、現状のアニメやゲーム、マンガの殆どは写実的ではありませんので問題ないと考えられます。
 しかし、本当は全部のアニメやゲームを写実的と言いたいのですよね? 「ちょっと漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえない」は、クレヨンしんちゃんだけは除外するって事ですよね?

既存ガイドラインを完全に否定

 いわゆる『準児童ポルノ』に対し、ソフ倫やビデ倫、出版業界は既に自主規制とし厳格なガイドラインを定めているはずです。
 一般的に言われる「18禁」という物が存在し、現状でもいわゆる『準児童ポルノ』は児童に閲覧されるような事がない仕組みになっています。
 当該キャンペーンでは、これら既存の団体を一切無視しています。(そのように見受けられます)
 こういったやり方は、一方的な権力の行使としか見られない危険な行為であると考えます。まずは、既存の業界団体に対して公開質問状を投げることからアピールすべきです。
 我々消費者は、いわゆる『児童ポルノ』とされるコンテンツを作っている業界自体が自粛することに関しては、ここまで反対意見を述べる気は無いと思います。
 「臭い物には蓋」的な感情論でいわゆる『準児童ポルノ』を全て否定するよりも、まずは既存のガイドラインの変更を検討すべきです。

既存業界の徹底的な破壊

 いわゆる『準児童ポルノ』は、暴力団や違法な団体が違法に製造している物では決してありません。
 一般企業が通常の事業活動として製造しているれっきとした製品です。
 万が一でもいわゆる『準児童ポルノ』が違法化になった場合、該当する製品を作っている会社は殆ど倒産に追い込まれ、大量の失業者を作り出すでしょう。
 本キャンペーンでは、こういった業界のアフターフォローまで考えているのですか? 彼らは普通のサラリーマンです。自分たちの製品に自信と誇りを持って製産している立派な社会人です。
 ただでさえ、ニートや日払い労働者の問題で正規の就業人口が危ぶまれる我が国で、これ以上失業者を増やしてまでやることでしょうか。
 それにいわゆる「オタク系の萌え文化」は残念ながら現在の日本の主要な輸出産業となっています。既に電子立国などという幻想は前世紀で消え失せ、インドや中国にその座を奪われています。(既に外国では韓国製や中国製の家電が一番売れている)
 いわゆる『準児童ポルノ』とこれら「萌え文化」は表裏一体を為すものです。今後コンテンツ立国くらいしか立つ瀬のない我が国が、優秀なクリエーターを失業させるような事態に陥った場合、いったい何を外国に売っていけばいいのでしょうか。
 何度も繰り返しますが、今後工業製品で日本の貿易額が飛躍的に上がる可能性は殆どありません。今後はコンテンツを売っていくしか道は残されていないのです。
 そういった業界こそ、我が国は死守しなければならないのではないのでしょうか。

ネットワークの仕組みを無視した理論展開

 ネットワークに繋がっているPCには、ユーザの意に反していわゆる『児童ポルノ』が紛れ込む可能性があります。
 この議題は「ダウンロード違法化」でも盛んに論議されましたが、ブラウザのキャッシュやスパムメールにいわゆる『児童ポルノ』のコンテンツが紛れ込むことがあります。
 管理人は『善管管理義務』と称し、ブラウザのキャッシュやスパムメール等を定期的に削除してPCに意図しないデータが残らないようにしていますが、それでもある瞬間にはHDDに意図しないいわゆる『準児童ポルノ』のコンテンツが入っていることもあるでしょう。
 一方的にいわゆる『準児童ポルノ』の違法化を叫ぶ人たちは、自分のPCからブラウザのキャッシュをリアルタイムに消す方法や、スパムメールを完全に削除する方法を知っているのでしょうか。
 管理人はテクニカルエンジニア(ネットワーク)の資格を持っていますし、本職はシステムエンジニアです。なので、いわゆる『児童ポルノ』の単純所持が違法化された場合、技術的にほぼ無理な要件を法律に組み込んだ所為で善良なる市民が意図せず犯罪者になってしまう可能性が極めて高くなるのが心配でたまりません。
 いわゆる『準児童ポルノ』コンテンツをPCや携帯電話に保存させない唯一にして完全な方法は、ネットには決して繋がない事です。情報化社会が叫ばれてからかなり日数が経ちますが、本気でこういった事が出来ると思いますか?
 どう考えても、当該キャンペーンに関わる人間には、先端技術に明るい人間が居ないように思えます。盲目的に賛同したであろう某IT企業は何を考えているのか理解できません。自分たちのOSやブラウザの仕組みを理解していますか? 自分たちが作った検索エンジンがいわゆる『準児童ポルノ』をたくさん検索している事をどう考えているのですか?

性犯罪の発生件数と『準児童ポルノ』との相関関係

 いわゆる『準児童ポルノ』に接した人々は、皆性犯罪者になるのですか?
 もちろん「絶対にない」とは言いませんが、性犯罪者はいわゆる『準児童ポルノ』と関係なく出てくるものです。相関関係など殆どありません。
 圧倒的大多数のファンは、それがアニメ、ゲーム、マンガだからこそ喜んで見ているわけで、現実の幼女がレイプされる現場を見て喜ぶ事は決してありません。むしろ、そういったコンテンツのファンは、現実の幼女には近づきたがりません。不用意に接触する事のリスクは理解していますし、それに彼らは現実の人間になんて全く興味・関心は無いのです。
 むろん、ゲームの世界観が現実には性犯罪となる描写が為されている物だとしても、それはちゃんと虚像の世界であるが故に楽しんでいるわけで、それを現実に起こそうなどと言う感情はあり得ない事なのです。ファンは、ちゃんと現実と虚像の区別を付けて行動しています。
 むしろ当該キャンペーンを行っている人間こそが、現実と虚像の区別が付いていないのではないのですか?
 現実に存在する児童を性犯罪から守りたければ、いわゆる『準児童ポルノ』を抹殺する前に、現に被害者がたくさん出ている違法な出会い系サイトや風俗店の取り締まりをすべきです。もしくは、性犯罪者の殆どがいわゆる『準児童ポルノ』の所為で性犯罪を起こさざるを得なくなったという明確な根拠を示すべきです。
 当該キャンペーンはいかにも「臭いものに蓋をする」的な感情論と考えられますが、性犯罪の被害に遭う可能性のある児童に対して「臭い物を臭いと解らす」教育を行う事が先決であると言えるでしょう。
 当該キャンペーンの賛同団体の方々も、まずは人様の趣味にケチを付ける前に、どうぞご自分のご家庭でお子様に性風俗に対する正しい教育を行ってください。それが親としての責任なのではないのですか?

ゲームのキャラクターの人権は?

 ITmediaの記事によると、民主党の某議員は「ゲームの中で児童はひどい虐待を受けており、しかも児童は『虐待を受けて良かった』という作りになっている」等と評していますが、そのゲームの中の児童を作り上げた脚本担当にちゃんと意見でも聞いたのでしょうか。
 先ほども現実と虚像の区別が付いていないと申しましたが、ゲームの中のキャラクターは所詮脚本家やキャラデザをした人間(基本的に成人)の妄想の産物であり、キャラクターの喋った言葉は脚本家の数ある主張の一つではないのでしょうか?
 つまり管理人は、ゲームやアニメやマンガの中に出てくる児童(を想起させる記号)は原作者の人格の投射であると考えます。
 原作者がキャラクターに何を喋らせ何を考えさせるのも原作者の自由であり、他人に強制されるべき事ではありません。むしろそういった活動に強制を行うのは、検閲です。明確な憲法違反です。
 例えばひげ面のむっさいおっさんが、「俺が女子中学生なら、ひもで縛られて10人のマッチョに嬲られたい」と言ったところで、そいつの人格は果てしなく疑われるでしょうが犯罪ではありませんし、それは憲法で定められた信条の自由の行使です。TPOをわきまえれば、決して咎められなければならない類の物ではありません。
 上記のような事態においても、当該キャンペーンを行う人たちは「女子中学生である貴方を守るために、貴方の想像を規制します」とか堂々と言えますか? あまりにも極論に感じるでしょうが、ゲームのキャラに勝手に人権を付けている方が圧倒的に極論であると考えます。
 「ドラえもん」ではのび太がジャイアンにいつもいじめられていますが、それだって「アニメの中で児童(のび太)がひどい虐めをうけており、しかも児童(のび太)の『虐めが無くなる兆しがない』という作りになっている」と言って、ドラえもんもいわゆる『準児童ポルノ』にするのでしょうか。
 「ドラえもん」が良くて、その他秋葉原方面で人気のある作品がダメなどと、誰が判断できるのでしょうか。どちらとも、善良な企業・社会人が営む生産活動の中で出てきたコンテンツ商品です。これらを差別するのは、原作者を勝手な価値判断に基づいて差別しているのと全く同義です。
 上記の「既存ガイドラインを完全に否定」でも申しましたが、表現はあくまで自主規制の強化で道筋を付けるべきで、他人に強制される事態はなんとしてでも防がなければなりません。

ファンの人権をないがしろにしている

 当該キャンペーンを行う事で、アニメやゲームやマンガが好きな善良なる市民を「潜在的性犯罪者」と一方的に決めつけるリスクを理解していますか?
 ただでさえ、現状ではアニメファンだと言うだけで性犯罪者や変態と同一視されているような風潮が感じられます。こういった傾向は深刻な差別社会を作るのではないのですか?
 趣味で人を差別して良い根拠はなんですか? アニメが好きな人間は、いつしか現実の幼女をレイプするとでも言うのですか? 他人に趣味をとやかく言うのが正しい行いですか?
 性犯罪の犯人に圧倒的にアニメやゲームのファンが多いという根拠はあるのですか? 管理人は性犯罪者なのですか?
 いわゆる『準児童ポルノ』のコンテンツのファンは、圧倒的大多数が善良な市民であり、現実の性犯罪に対して絶対的な嫌悪感を抱き、それが無くなる事を切に望んでいます。彼らは潜在的な性犯罪者などとは全く無縁の存在です。
 当該キャンペーンはこういったファンの心情をまったく理解していないどころか勝手に敵に回し、「現実に存在する児童を性犯罪から守る」という当初の尊い目的を完全に逸しているとしか思えません。
 つまりそういったコンテンツのファンは、当該キャンペーンを行う人間に一方的に非難されたあげく、自分の金を使って集めたアニメやコミックを廃棄せざるを得ない状況に追い込まれているのです。
 そのような状況では、我々ファンは当該キャンペーンを行う人間などに聞く耳など持ち得ません! むしろ、我々ファンは、あなた方に自分たちの人権を侵害されているのだと考えます。

ならどうすべきなのか

 業界による自主規制の強化を行うべきです。
 具体的には、

  1. 規制の基準を絵だけでなく、一般的なコンセンサスが取れるレベルで内容にも踏み込む
  2. 店頭などでの広告の基準を厳しくする
  3. 児童に有害情報が触れないようにする

 等が考えられます。
 確かに現在、表現の自由を笠に着て行き過ぎた表現をしている部分も多々あるかと思います。しかしそういった部分は自浄努力で何とかなるはずです。
 以前、手塚治虫のマンガも一方的に有害図書指定を受けた事がありました。しかし今の世で鉄腕アトムやブラックジャックが有害図書であると思いますか?
 むしろ手塚治虫のマンガを有害指定した事に違和感と怒りを感じると思います。しかし、それと同じような事態が今起ころうとしているわけです。

管理人の勝手な思い

 人間は綺麗な部分だけではありません。欲求のはけ口としていわゆる『準児童ポルノ』とされるコンテンツが必要となるシーンもあるでしょう。
 それは人としてあってはいけないことですか? そもそも欲求を持ってはいけないのですか? 誰にも迷惑を掛けずに欲求を処理する事は人として間違っているのでしょうか?
 それとも、男性は風俗店に通えばいいのでしょうか? 女性はホストクラブに行けばよいのでしょうか? そのような価値観は、誰の物ですか? 管理人は風俗店やホストクラブに行くことなぞ、到底受け入れられません。
 ライフスタイルも価値観も多様化しています。今や、隣人は貴方にとってまったく理解できない存在となっています。
 だからこそ、お互いの価値観の違いを認識し、妥協点を探るのが大切なのではないのですか? 一方的に価値観を押しつけるのは喜ばしいことですか? あり得ないでしょう!
 確かに18禁ゲームや成年指定のマンガは威張って天下の往来で広げて良い物ではありません。しかし、そういったコンテンツは人間が欲望を持つ限り必ず需要が起こります。
 むしろそういったコンテンツがあることで、実在の児童に性被害が及ぶ事を防いでいるとは考えられませんか?
 化学薬品は、毒にも薬にもなります。薬になるのは、それが用法・用量をきちっと守っているからです。そういったコンテンツも間違った使い方をしたら有害な情報でしかありませんが、使い方さえ間違わなければそれはそれで役に立つシロモノです。
 18禁ゲームや成年コミックが、それを趣味としない人にとっては気分の良い物でないことは十分理解できますが、それは他の趣味にだって言えることです。
 例えば一般の公道でレースをしている車オタク(違法です)、今ではあんまり見かけませんがヤマンバなお顔の女子高生達、駅前でマイク片手に歌ってる人たち(これも条例違反)、数えればきりがありません。
 しかし明確に言えるのは、いわゆる『準児童ポルノ』とされるコンテンツを趣味とすることに関しては、全く他人に迷惑を掛けません。最悪、やかましいBGMやあられもない声が隣の部屋に聞こえる程度です。
 万が一にもいわゆる『準児童ポルノ』が違法になった場合、世の中が良くなることなど何一つ無く、上記に挙げる問題点が噴出し大混乱に陥るだけです。今一大ビジネスとなっている萌え系が殆ど潰れて、景気にも影響してくるでしょう。
 いわゆる『準児童ポルノ』は玉石混合で素晴らしい物からどうしょうもないものまで雑多に含まれていますが、それを精錬することなく十把一絡げに抹殺するのはあまりにも愚かしい行為です。
 つまり、「目的と手段を取り違えるな!」って事です。

ご参考記事

 日本ユニセフ協会・特集 子供ポルノから子供を守るために
 ITmedia アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同
 ITmedia 「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査
 ITmedia 小寺信良:「児童ポルノ法改正」に潜む危険
 MIAU 「準児童ポルノ」に関する公開質問

第22回 最近の若者がダメなんじゃない。最近の大人がダメなのだ。

 最近の若いヤツは常識が無いだのユトリだの、若者を揶揄する言葉が世間を賑わして久しいが、昔に比べて、本当に若者の程度が落ちたのだろうか。
 既に若者とは言えない歳になってしまった管理人が考えるに、最近の若者のモラルの低下は、間違いなく大人の側にその原因がある。
 人に注意されるとすぐキレる、自分勝手なわがままばかり言う、人には理解しがたい行動をする、自分さえ良ければそれで良し! 以上の言葉は、「ふん、今のクソガキはどうしようもないな!」とか調子こいてる年寄りに向けた言葉である!
 電車の入り口で座ってようと、コンビニの周りにたかってキャイキャイ騒いでようと、まだ可愛い方じゃないか。パトカーや救急車をタクシー代わりに使う、禁煙だというのにタバコを吸う、酔っぱらってその辺にゲロを吐きまくる、金に物を言わせて未成年と淫行する! 何処の世界に、ここまで酷いクソガキがいるというのだ。
 子供は大人の背中を見て育つ物だ。その大人が、子供の規範にならないようなことばかりやって、どうやったら子供だけマトモに育つのか。誰か教えてくれ。頭の悪い管理人には、バカな大人に囲まれて育った子供が、立派な人間になる理由がさっぱり分からないのだ。

 最近はどうだか知らないが、もはや当たり前になったからいちいち騒がれないのかも知れないが、学校では学級崩壊が問題になっているという。ではその原因は、一体何だろうか。
 程度の低い教師の存在も、原因の一つには挙げられるだろう。しかし、それよりも、子供達の両親の教育がなっていないからなのではなかろうか。それは、親が子供にちゃんと教育をしていないという意味ではない。親自体がまともに教育を受けておらず、程度が低すぎるという事を言っているのだ。
 子供が学校で悪さをして、先生に軽くこづかれた程度で体罰反対だのとガタガタ文句を言う。クラスの劇で、自分の子供が主役に選ばれなかったといっていちいちクレームを付ける。テストの点が悪いのを人権侵害だと言ってギャアギャア喚き散らす。そんなモンスターペアレンツといわれる、取り返しのつかないバカな親に育てられれば、いくら生まれたときは純粋無垢な子供でも、人の注意をマトモに聞かないクソガキに育ってしまうことには、決して疑いの余地はないだろう。だがそれは子供が悪いわけではない。その程度の教育、しつけしか出来ない親が全面的に悪いのだ。しつけは、親の責任なのだ。だから、マトモにしつけが出来ないのならば、子供など作らなければいいのだ。ガキがガキを産むな、というヤツである。
 そもそも、学校は勉学や集団生活を学ぶところであり、しつけを行う場ではない。万が一しつけを学校に期待するならば、先生にビンタを2、3発張られた程度で体罰禁止だのといちいち騒ぎ立てるな!
 子供は言っても聞かないときがある。その時は、本来ならば親が自分の手を痛めて子供をひっぱたき、「いけないことはいけない!」と叱りとばさなければならないのだ。
 そうやって、子供は善悪の判断と、決して逆らえない存在が居るという、集団生活を営むにあたって必須である社会性を身につける。ところが、最近のバカな親は満足に子供をしかることも出来ず、子供のわがままばかりを聞いている。そんな子供が大人になって社会に出たとき、他のまっとうな大人と対等につきあうことが出来るのだろうか。
 社会に出て、会社やその他の集団で働き始めたとき、ちゃんとその集団に自分の居場所を確保し、経済力を身につける事が出来るようになるためには、最低限のコミュニケーション能力が必要となる。そのコミュニケーションの中には、もちろん上司にガミガミ叱られ、それに必死に耐える事も含まれるだろう。そして決して逆らえない相手が居て、自分の意見など全く通らないことも、当たり前のように含まれるだろう。
 それでも、子供を叱ることも出来ない親は、子供の職場の部長に向かって「ウチの子供の言うことが何で聞けないんですか!?」などと言って回るつもりなのか。それとも、会社にまで子供のしつけを頼もうなどと言うのか!
 それにもう一つ、今の親が子供に教えることを放棄している物に、競争力という物が挙げられる。まだ社会から保護されている学校ならいざ知らず、大人の社会では常に他の人間と競争し、他人よりもより優れた仕事の遂行が求められることは重々分かっているだろうに、何故それを我が子に教えようとしないのか。
 運動会の徒競走では、みんなで手を繋いで走らすだの、順位がつくリレーは中止するだのと、子供が競争力を身につける機会を奪い去るという、なんとも常軌を逸した虐待行為が、地域ぐるみで行われているというではないか!
 人がより優れた能力を身につけたがるのは、他人よりも良くありたいといった本能がなせる衝動だ。そして、そのような本能があるからこそ、人は技術や知識を切磋琢磨し、科学や文化をここまで発展させてきたのだ。
 それなのにも関わらず、「可哀想」だのという意味不明な大義名分をひけらかし、子供に競争すること止めさせる大人の行為は、まったくもって甘え腐った自己中心的なマスターベーションであり、子供の人格形成に何の利点もない、薄汚く見苦しい偽善である!
 今後、より国際的な競争が高まり、子供達は否応なしに外国との競争に駆り出されていくだろう。その時に、日本を蹴落とそうと血走った目で競争してくる外国人に向かって、「手を繋いで一緒にゴールしましょう」などと言わせるのが、本当に正しい教育の姿か。手を差し出された外国人は、きっと笑顔で手を握り返してくれるだろう。そしてゴールの直前まで一緒に走り、あとちょっとでゴールというところで日本人の足を払い、落っことした荷物を全て持ち去り一人でゴールをしてしまうだろう。
 国家に真の友人は居ない! 国家ほど、えげつなくしかも鮮烈で正直な利権団体は無いのだ。少しでも甘い顔をすれば、何処までもつけあがり我が国の貴重な財産を奪い去っていく。そのような世界で逞しく生き残っていくために、子供達にはしっかりとした競争力を身につけさせなければならないのだ。
 そして、子供に成績なりで順序をつけることは、大いに結構である。それで己が能力と限界を知り、自分の適性を見極め、得意分野で活躍できるというのだ。ところが、自分が何が得意で何が不得意なのか客観的事実を知らせることもなく、いきなり「将来何になりたいの?」といったところで、そんな物は単なる妄言にしかなりはしない。その時のテストの点数で子供の夢を壊すな? バカもほどほどに言えというのだ。自分の学力なり実力なりを満足に分かっていない人間が、一体何の成功を収められるというのか。万が一子供が自分の不得意分野に関わる夢を持っているならば、その子供の至らなさを他人と比較することによって理解させ、より頑張って貰うのが正しい教育であろう。
 それでも、しつけを学校に任せ、子供に順序をつけない方が良いなどと思っているのならば、自分の職場の新入社員の素行をよく確かめた方が良い。
 上司にちょっと怒られただけで会社を辞めると言い出す、言葉遣いも常識が無く、「仕事を任せる」と言ってやっても「自分は無理っす」とか言ってさっさと逃げる。
 そんな、この先とてもじゃないが会社を任せられなそうな奴らよりも、もっと質が悪く取り返しがつかない程に程度が酷いのが、あんた達の子供の未来に姿だ!

 さて、こんな過激なことをつらつら書くと、今の世の中は貴様が考えるほど甘くないだの、当事者でもないくせにでかい口叩くなだの、こんな駄文にもいちいちくってかかる言い訳だけは人一倍な暇人もゴロゴロいることだろう。しかし管理人だって、不良社員ながら3流会社でシコシコSEをやってるので、この世の世知辛さは良く分かっているし、世間がそもそもイライラしていることだって十分に理解している。
 しかし、だからといって、そんな理由で我が子を陥れるような事ばかりやって良いのだろうか。大人のエゴでわがままを通し、子供にしわ寄せが来るような事は、決して許されないのではないのだろうか。
 管理人がこの駄文を書いたちょっと前、秋葉原で一人の殺人鬼によって10人以上が殺傷されるという、ロクでもない事件が起こった。それを見て、「それ見たことか、アキバ系だかオタクだか知らんが、今の若いヤツは訳の分からん変なのばかりだ!」等と思ったヤツ。あんたみたいな浅慮な馬鹿者がたくさん居るから、ああいう「大人の皮を被ったクソガキ」が天下の往来で凶行に走ったりするのだ。本当に世を憂いているまっとうな人間ならば、我々を取り巻くこの世界のゆがみと異常さに心から嘆き、そして今までの自分の生き様が本当に誇れる物であったかを、今一度顧みることだろう。
 実際、犯人が何を思って7人もの人間に手を掛けたかは分からない。しかし漏れ聞こえてくる情報によれば、それなりに孤独を感じていたのだという。そしてその孤独は、ネットによってマイナス方向に増幅され、いつしか世界を敵だと思うようになったのだという。ただし、ここで勘違いしてはいけないのが、ネットが彼を殺人鬼にしたのではない。そもそも彼が、人としての身の置き方を違えていたのだ。
 バカなマスコミはこぞって犯人がアニメオタクだのネット中毒だのとはやし立てているが、所詮ネットやアニメなぞ、我々庶民にとってはエロ本やAVと同じ最底辺の大衆娯楽である。ネットやアニメに填った人間が殺人鬼になるのなら、AVばかり見てるスケベオヤヂは、英雄になれるほどに人間を殺しまくっているのだろう。
 そんな暴論が成り立たないくらい、賢明な読者諸氏には分かっていただけると思う。つまり、彼の趣味はあくまで趣味であり、彼を殺人鬼に育てたのは紛れもなく彼の両親なのだ。彼はバカな大人達に囲まれて育たざるを得ず、結局人として大切な事を教わらずに図体だけは大きくなり、最後にあの事件を引き起こしてしまったのだ。

 大人には、子供達が住む世界を、彼らが生まれてくる前に作ってしまったという逃れられない責任がある。これは、自らに子供が居ようと居まいと関係なく、大人であるというだけで必ずついてくる原罪のような物だ。
 だから自分がまっとうな大人であると自負があるのなら、若者の浅慮な行動にいちいち腹を立てる前に、自らが今までやらかしてきたことが若者にとって有益なことだったのか、今一度考えてみる必要があるだろう。それが、まともな大人としての責任だと管理人は考える。

第23回 ヲタは犯罪予備軍なのか?

 世間に蔓延るパンピー気取りの中身の薄い連中に言わせるところによれば、ヲタは心が壊れていて幼女をさらって殺して存在自体がキモイのだそうだ。
 ……と、いつまでも特定の団体に利用されただけであろう浅慮な某国会議員の暴言をネチネチあげつらっていても建設的ではないのは間違いないだが、それだけ彼の言葉には今までにない斬新さと傲慢ちきな差別的悪意が感じられて、管理人の心に大いに響く素晴らしい物であった。
 人間という物は、後天的な要素のよって犯罪に走るものだ。生まれながらの犯罪者は居ないが、かといって生まれながらに犯罪を起こさない事が確定された人間もいやしないだろう。誰にでも犯罪者になる可能性はあるだろうし、メジャーな宗教では生き物を食べることも罪だといっている。
 さて、人間が犯罪者になる正確な理由や素養などは犯罪心理学だの何だのに任せておくとして、本駄文の主題は「ヲタは犯罪者」であるかを論じることであるので、以下、それについてクドクドと述べてみようと思う。
 一般的にヲタというのは、趣味にトチ狂って収集や創造に突っ走ったイタイ連中を指す言葉だそうだ。ちなみに趣味のジャンルは特定しない。良く車好きに「車ヲタ」というと激しく抵抗するが、職業に貴賎がないのと同じで、趣味にも貴賤があるわけはなく、車雑誌を部屋の床が抜けるほど買いあさって特定車種の一部分を見ただけで車種から年式まで言い当てるヤツは、これ以上ないほど立派なヲタである。
(なお、同じ職業や趣味の中には貴賤はあるだろう。要は志の違いというヤツだが、本駄文ではそれについては論じないでおく)
 もしも美少女アニメ好きがヲタで、車好きがヲタではないという方がいらっしゃるならば、エロゲで脳みその腐れた管理人にも理解できるような証拠を挙げて、ちゃんと説明していただきたい物だ。
 以下、例文を二つほどあげさせていただこう。

 もちろん後者の方がイタさキモさ炸裂なのは全く否定しないが、趣味に萌えてハァハァしているのはどちらも変わらないだろう。五十歩百歩とか、どんぐりの背比べというヤツである。
 それでも何かが絶対違うというのなら、一体何がどう違うのかバカな管理人にも理解できるように、具体例を挙げて教えて欲しい。程度の差はあれ、結局生きていくには取り立てて必要ではない知識を蓄積する行為であるという事には、何も変わらないのでは無かろうか。
 そもそも、日本国憲法では、信条の自由を基本的人権として認めている。これは、他人に思想を強要されないという国民の権利を表していると考えられるのだが、昨今見られるアニメやエロゲの差別的排斥運動には、他人に対する思想の強要が多分に含まれていると言えるのではないだろうか。
 確かに、エロアニメやエロゲにはどう考えても小学生としか言えないような20才の女性を手込めにするような、しょうもない物もあるにはあるのだが、それを嗜んだ人間がことごとく現実の幼女に手を出すのかというと、それはちょっと待ってくれと言うのがエロゲやアニメファンの正直な感想である。よくその手のファンは2次元と3次元の区別がついてないとか、現実と妄想が入り交じってるとか言われるのだが、ここだけは声を大にして言いたいのだが、『エロゲヲタが現実の幼女をレイプするとか言ってヲタを批判するパンピー気取りこそが、そもそも現実と虚構の区別がついてない』のではないだろうか。
 はっきり言って、いくら「かがみんハァハァ、俺の嫁」とかバカなコト言ってる痛々しいヲタでも、アニメのかがみんだからこそ言いたい放題ハァハァしているのであって、現実の女性に対してはその辺の一般人と同じ応対しかしない物だ。むしろ変に遊んでるような軽いナンパ野郎よりも、よっぽど誠実に対応してくれるであろう。それに管理人みたいなシャイでナイーブな引きこもり気味な甲斐性無しヲタは、現実の女性には不用意に近づきもしない物だ。幼女なんてもってのほか、あんなマトモに会話が成立しなそうな存在は、視界に入るだけでこっちが逃げる!! それが、一般的なヲタの姿である。そもそも現実の女性に気軽に声を掛けるようなヤツは、エロゲやアニメを見る暇があればホテルで彼女といちゃつくはずなので(この辺激しく偏見)、いくらヲタがイタイ格好をして歩いていようと、イタイ会話をして大騒ぎしていようと、これ見よがしにイタイ車を乗り回してイタイ歌を口ずさんでいようと、彼らは単に存在がイタイだけであって全く害がないのだ。それは、彼らは現実の人間をどうこうするよりも、アニメやゲームをしている方がよっぽど幸せに感じる人種だからだ。
 このように、現実の人間とはあまり接点を持とうとしない連中が、なぜ故わざわざ犯罪を犯すというのか。
 金が無いから? はっきり言ってヲタは金持ちだ。金を持ってなければ、パソコンやエロゲやアニメのDVDを床が抜けるほど買えやしないだろう。
 ゲームで培った性欲が暴走する? だから彼らの性的興味は、圧倒的にディスプレイやテレビの中の2次元少女達に向いているのだ。現実の女性に性的興味を覚えることは、一般人と同じかそれ以下である。
 むしろパンピーに紛れ込んでいる頭のネジが飛んだヤンキーや、どこかの大学でサークル活動と称し、何人もの女性をレイプしたスーパー何とかとかフリー何とかの方が圧倒的に質が悪い。
 そしてよく考えて欲しい。この国のバカなマスコミがどれだけ酷い偏向報道をしているのかは賢明な読者諸氏は十分すぎるほどご承知だと思うが、「エロゲ好きが高じて幼女をレイプした」とかいう、いかにもマスコミ受けしそうな事件が、一体何件報道されたというのか。確かに、管理人は一回だけ「調教ゲームにハマって誘拐してきた女性に御主人様と呼ばせちゃいました」とかいうふざけた事件を聞いたことはある。そして、それはそれでエロゲが事件の原因になったことは否定しないが、しかし女性が性的被害を受けた事件の何割がそんな感じだというのだろうか。
 また、とっ捕まえられた犯人の家を家捜しすると、エロゲやアニメが一杯出てきたなどという報道も良く聞くが、それはそれらの作品に影響されたのではなくて、元々犯人が犯罪を犯すような素質があり、その素質が特定の種類のアニメやエロゲの内容を好んでいたのではないかと管理人は考える。以前、警官からピストルを奪って人を撃ったクソガキがいたが、彼の部屋には管理人も愛読していたトラ○ガンの単行本が全巻あったそうだ。そこでニュースのキャスターは「このマンガは銃と暴力が支配する世界で、主人公が人を撃つ残虐シーンが多く描かれ、犯人はそれに影響された物と思われる」とかいうステキな原稿を読んでいたが、賢明なる読者諸氏は「いつ何処でヴァッシュが人を殺したよ!!」と100回ほどツッコミを入れるであろう。むしろ、いつでも人を殺せるごっつい銃を持っていながらも、どうやって人を殺さずに事態を収拾するかで、ヴァッシュは髪の毛が真っ黒になるまで悩んでいたハズなのだ。そして、まともな人間が本気でこのマンガを愛読していれば、むしろ暴力ではなくラヴ・アンド・ピース!となるのが道理であろう。だから件の事件を起こした犯人はトラ○ガンを読んでイカれたのではなく、既に人を撃ち殺したくてどうしょうもないと思うほどにぶっ壊れていて、たまたまそれっぽいシーンが多かったトラ○ガンを読んで喜んでいたに過ぎないのである。
 また、この例は如何にマスコミが不勉強で不謹慎で独善的で適当なでっち上げを臆面もなく夕方の全国放送のニュースでタレ流しているのかという良い例でもあるのだが、世の中のヲタに対する差別的偏見は、こういった程度の低すぎるマスコミの作り出した洗脳行為の産物であるとも言えるだろう。
 そもそも、一方では「人生では趣味を持つことが大切です」とかあちこちの番組で言っておきながら、若者がもてあますパワーと性欲をちょっとえっちな趣味で発散しているのを性犯罪者だのキモイだのアキバ系だのと排斥しようとするのだ。その行為にはまるで一貫性がない。
 敢えて述べさせていただくが、管理人は別に「ヲタが天下の往来をイタイ格好して歩くのを賛美せよ」とか言っているのではない。そういうヤツはヲタ以前に単なるバカなので、腹の底からキモイと言ってやって良いと思うし、そもそもバカなヤツは何処の業界にも必ずいるので、一人の変なヤツを見たからって他の全ての集団が変なヤツだと思うのは完全に間違いである。そして、大多数の善良なヲタは、自分の嗜みが天下の往来でおっぴろげて良い物ではないという事を完全に熟知しており、余所様の視界を穢す事が決してないよう、影でコソコソとエロゲを楽しんでいるだけなのである。
 そのような慎みある行為に、何の非難される理由があろうか。
 「今この瞬間に、例えPCの中とはいえ少女が服を脱がされるのが許せない!!」とでも言うのか。百歩譲って、「エロいコンテンツで男が喜ぶのが許せない」とでも言うのだろうか。
 もしもそこまで言い切るヤツが居るのならば、全人類のヲタの人生に対して全ての責任を取れ! 思い上がりも甚だしいというのだ。一体貴様は何の権限があって、他人様の趣味や大人としての嗜みにまでいちいち注文を付ける口を持っているというのか。最悪、一切の煩悩を捨てて全人生を他人のためだけに使いましたとかいう聖人君子のような人が「汝エロゲするなかれ」と言うのならば、その言葉は耳を傾けるに値するのだが、だいたい人のやることにケチを付ける様なヤツは、管理人を含めてクソみたいな価値しかない人間だ。そして、世の中には色々な価値観の人間が居て、お互いその違いを尊重しなさいとかいう、小学校の道徳辺りで学ぶようなことすら、理解できていない馬鹿者なのだ。
 そもそも、まっとうなヲタは余所様に向かって、自分の趣味を全面的に認めろだの、全世界の人間は全てエロゲでハァハァすべきだの、絵馬にかがみんの絵を描いて鷲○神社に飾れなどとは決して言わない。万が一言ってるヤツが居たら、普通に無視するかウザイと言ってやって構わないし、そもそもその言葉自体、センスのずれたギャグである可能性の方が圧倒的に高い。ヲタにはエンターテイナー気取りの自虐野郎が多いので、普段メイドさんなんか全然興味ないくせに、アキバでテレビカメラを向けられると、ついつい「メイド萌へ〜〜」とか口走ったりする哀れな生き物なのだ。ヲタはこれと決めた仲間(同族)を見つけると全身全霊込めて洗脳することは多いが、そのケの無いパンピーには決して自分の趣味を押しつけない物だし、彼らなりに真剣な気持ちでその趣味を楽しんでいるのだ。むしろパンピー気取りの狭量な人間こそが、ヲタの気持ちも考えずに批判や罵声や薄っぺらな正義感を振りかざし、他人の気持ちを傷つけているのだ。
 時々「ヲタは存在自体がキモイ」とか抜かす痴れ者が居るが、それが何処まで酷い差別発言なのか、もう一度人生をやり直すくらいに反省した方が良い。誤解を恐れず言わせていただくが、ヲタを毛嫌いするのは同和地区出身者や伝染病患者を差別するのと同じである!! 万が一ヲタに身体的、金銭的被害を受けたのならば、それは普通の事件であるのでウダウダ言う前に警察に通報すべきだ。そして目の前をヲタが歩いているだけで精神的苦痛を受けたなどと抜かすのならば、それはそれで正々堂々と警察なり弁護士に言ってみればいい。間違いなく頭の構造と人となりを疑われるか、お前が犯罪者になりたくなければ考え方を変えろと言われるであろう。
 さて、ヲタが犯罪予備軍などでないことは十分分かっていただいたとは思うが、では彼らはパンピーの皆様に非難されるほど劣悪な人種なのだろうか。
 先ほども述べたが、ヲタはその潤沢な経済力を駆使して己の煩悩を芸術の域まで昇華しようとしている熱い人種である。では、その経済力は一体どこから来るのか。
 親の金? そういうすねかじりは何処の業界にも必ずいるので、敢えてここでは議論しない。バイトもしていないクソガキがGTRを乗り回してるのが、良い例である。
 まず、気合いの入ったヲタにはまともな社会人が多い。そしてそういった連中は会社でも良い働きをするので、いっぱい給料を貰っているヤツも少なからず居る。
 ヲタは血の涙を流しながら自分の趣味を完遂するだけの気迫と根性を持っている。そしてそういった連中は自分の限界がどの辺なのかを良く分かっているし、それに物事を完遂させるには、どうやって行動すればいいのかを考えるスキルを身につけている。
 さて、賢明な読者諸氏は分かっていただけると思うが、こういったスキルは、社会でも大変役に立つ物では無かろうか。
 いくら学校のテストの点が良かろうと、そんなモンは会社の仕事では役に立ちはしない。学校でやっていることよりも遙かに高度な知識を用いて、専門的なことをバリバリこなしていく事が要求される現場では、それこそ「ひとりでできるもん!」といったスキルが物を言う。管理人の職場にいるヲタ達は、どつもこいつも良い仕事をするエリート達だ。根性の入れ方をわきまえているので、トラブル時には文句をブーブー言いながらもちゃんと役割をこなすし、やるときには土日返上でマシンの如く働いている。
 それに比べて、取り立てて趣味の無い連中は教えられたことしか出来ず、応用力も殆ど無い。そして問題にぶち当たった時には、手当たり次第にがむしゃらに、とにかく行動を起こして「何とかしてでもクリアしてやる!」といった魂の輝きを見せてくれることも全然ない。すぐに音を上げ「出来ません」と余裕の笑みを浮かべて言ってくる。「お前は今までの人生で、泣きが入るほどなんかに根性入れてやったことはあるのか?」と聞いても、「別にありません」としか答えない。こんな事を書くとすぐに「根性主義はダメ、ゼッタイ」だの「クールじゃない」とか言い出す仕事の出来ない口先野郎が湧いて出るが、どんな業界でも最後の最後には根性が物を言うものだ。なんだかんだ言いつつも、社会とはそういうものなのだ。学生諸君が読まれているのならば、良く肝に銘じていた方が良いだろう。
 ともかく、最後の最後で根性を入れて踏ん張れるヲタと、日頃のでかい口から弱音ばかり垂れこぼすパンピー気取りのヘタレ野郎。どちらがより信頼を得られるかは、いちいち説明しなくも分かっていただけると思う。

 世の中にはヲタがいっぱい居るし、殆どのヲタはまじめに勉強したり社会で活躍している。特にIT系はヲタがたくさんいるので、ヲタをキモイとか言ってる奴らがクールを気取って使っているケータイやらパソコンは、みんなヲタ達が一生懸命作りあげた物だ。
 そうやって人々の生活をより便利に出来る物を作り出している人々を、単に趣味が合わないからと言って差別するだけの人生とは、果たしてどれだけの価値がある物なのだろうか。

第24回 地デジ移行について思うこと

 アナログ停波まで後3年を切り、やっとというのであろうか、巷での地デジ対応機器の所有率が約半数を上回ったのだという。
 約50年続いたアナログテレビ放送からデジタル放送への移行には、各人それぞれ思うところが多々あると思うが、ここで管理人の考えを示しておこうかと思う。
 まず、地デジ移行の必要性についてであるが、これは必須であると考える。理由は簡単、電波の有効利用のためだ。アナログテレビ放送は半世紀前の化石的規格であるが故、電波の利用効率が極端に悪く、莫大な帯域を無駄使いしている。それ故、他の新しいサービスでなかなか電波を使えないのだ。
 日本政府(総務省)が言うところの地デジの利便性は、やれ画面が綺麗だの双方向通信が云々かんぬんだの、パンピーにとってはどうでも良いような事ばかりである。こんな曖昧模糊なことを言っているから、「金儲けのためだ」だの「画質なんてどうでもイイ」といった、それこそ論点のずれた反対意見が噴出するのだ。なぜ故はっきりと、技術的な理由を伴った説明を行わないのであろうか。
 「アナログ放送では、電波という有限な資源の浪費が激しく、このままでは新しいサービスで電波が全く使えません。だから電波の利用効率の良いデジタル放送に移行して、資源の有効活用を実現しましょう!」などと説明すれば、お門違いの反対意見などもう少し減ろうという物だ。それか考えられるのは、「テレビなんて所詮娯楽。だから受信の義務も課されていない国民に技術的な説明など必要もなく、娯楽をより楽しむ説明だけで構わないのだ」というロジックであるのかも知れない。
 ここでついでに、管理人のテレビそのものに対する考え方を述べておこう。それは、テレビはあくまで大衆娯楽の一つであり、我々国民はその娯楽を享受する機会を与えられているに過ぎない、という事だ。
 我々はテレビ視聴を強制されているわけではないし、テレビを見ないからと言って差別や罰則を受けることもなければ、生活を阻害されることもない。けれども、何を勘違いしているのか、世の中にはテレビはライフラインだ等と抜かす者が居る。だが有史以来、テレビが無くて死んだ人間がいるのだろうか。ライフラインとは、それが無くては社会生活に重大な悪影響を及ぼすものを指す言葉であり、所詮娯楽番組やニュース程度しか提供できないテレビなどに当てはまる物ではない。芸能ニュースや交通事故の情報など、捜せば他にもソースはいくらでもあるだろう。
 そして、テレビは娯楽であるという理由から、管理人はテレビを受信するのに関わる諸費用は、それを享受する側が全て負担すべきであると考えている。だがしかし、ネットには「政府が勝手に放送方式を変えるのだから、チューナーを無償で配れ」などという理解不能な暴言が良く書き込まれている。その意見は、万が一テレビの受信が義務化されているのならば、大いに賛成できるまともな意見だ。しかし、テレビの受信はあくまで視聴者の自由意志に基づいて行われるもので、その諸費用を他人に転嫁するなどもってのほかである。なぜ故他人の娯楽の道具まで、貴重な税金を使ってまで世話しなければならないのか。そもそもネットにくだらぬ書き込みを入れるだけの機械(PCやその辺)を持つユトリがあるのなら、その機械を売り払ってデジタルチューナーでも買えばいい。もしくはネットに文句ばかり書き込んでる暇があるなら、金儲けのネタでも考えるべきだ。
 管理人は、見知らぬ連中の暇つぶしの為に、自分が払った税金が使われることなど決して納得ができない。例え10倍のお金を払ってでも、自分の身内にチューナーを買ってあげた方が100倍以上気分が良いというものだ。そして、デジタルチューナーは買う気のある人間だけが持てばいいと言うと、必ず「テレビが見られ無ければ、緊急の災害情報はどうやって手に入れるんだ」だの「テレビ以外の、PCとか使えない弱者はどうするんだ!」などと言い出す、単なる技術音痴かそれともやたら上からの視線で物を言うヤツが湧いてくるが、それにもことごとく反論しておこう。
 今の世の中、テレビの代わりに災害情報を手に入れる手段はいくらでもある。町の防災無線、ラジオ、頑張れば携帯電話でも情報を取れるだろう。そもそも寝ているときや外出先など、テレビを見ていない時間はたくさんあるものだし、流せば流したで、時間が遅いと言って文句ばかり言う。ああいうサービスは少しでも助かる人が増えればいいといった親切であると認識すべきであるし、もっとしっかり緊急地震速報を受信したければ、無料のテレビに頼るのではなく、然るべき専用の端末を買って有料サービスを利用すればいいはずだ。ついでに言うと、最近ではケータイでもサービスを行っている。
 そして、テレビでしか情報が取れない等という屁理屈についてであるが、テレビ以外の災害情報の取得手段を全く得ようとしなかった、怠惰な生き方をしてきた責任は一体誰にあるのか、ということだ。自ら生きるために必要な情報を、いつ途切れるとも知れぬテレビなどに限定した責任は自らが取ればいい。まったくもって自業自得である。電気屋で5000円の安テレビを買えば、生きるために必要な情報を無償で必ず確実に絶対に全部届けてくれるなんて妄想は、さっさと捨て去った方が良い。世の中、そこまで甘くはないのだ。
 また、「そもそもテレビ以外の機械をなかなか触れないお年寄りのことを、どう考えているんだ」などとうさんくさい正義感を振りかざす者も多いが、その思考は完全なる差別意識であり、まったくもって上からの視点である。お年寄り=情報弱者に勝手にカテゴライズしていないか? 誰とも知れないお年寄りや自分の年老いた両親の不憫さを、これでもかというほどネットにたらたら書き込む暇人をよく見かけるが、そんな暇があるなら身の回りのお年寄りの家に行って、地デジの移行とはどんな物かと、ネットで大仰な悪口を書くくらいの素晴らしい知識を披露してくればいいし、それに自分の親の面倒くらい自分で見ろ! 田舎の両親は地デジなんか全然分かってないだの、テレビ以外の娯楽なんか無いだのと、やたら偉そうな事を書いているヤツも結構いるが、それならその辺の電気屋で6万円くらいの地デジのテレビを買って、ご両親にプレゼントしに行けばいい。そして、大切なご両親をテレビに押しつけるのではなく、たまには遊びに行ってちゃんと親子の会話を積み重ねた方がぐっといいに決まっているのだ。
 ちなみに管理人の祖母は80才近くで、九州の山の中で一人暮らしであるが、一人で勝手に光ケーブルのCATVなんぞに加入し、後はテレビを変えれば問題ないだのと言い放っていた。管理人を含め、帰郷した連中は皆その行動力にびっくりしたものだ。この例は確かに特殊ではあるが、しかしそういうお年寄りもいるという事だ。我が祖母に出来て、他人様に出来ないことなど、基本的にありはしないだろう。
 ところで、アナログ停波を機に、テレビを見ないことにするという書き込みもよく見かける。それが単なる負け惜しみでなければ、その選択は大変立派だと思うし、実に漢らしい意見であるとも思う。実際、新聞やネットでも十二分に情報取得や娯楽は可能なのだから、テレビばかりにに固執する必要など全くないはずだ。けれども、管理人はテレビなんかもう見ない等という漢らしいセリフを吐けなかったヘタレ野郎であり、結局家族の集まる部屋のテレビは、デジタルチューナーを積んだものに変えてしまった。
 そしてこれは余談ではあるのだが、デジタル放送の画質は圧倒的である。はっきり言って一度でもHD放送を見てしまったら、アナログ放送の画質など見られた物ではなくなるのだ。よく今までこんな汚い画面で喜んでいたなと、つくづく昔の自分の安さ加減に悲しくなる。そして同じ程度の画質しか表現出来ないDVDには、金を払う価値は無いと思うまでに至った。世の中にはPS3やらのアプコンで十分という人間もいるが、一度じっくりBDの画質を堪能してみればいい。いくら高度なアルゴリズムでSD画像をこねくり回しても、初めから高精細なHD画像に勝る物など有りはしないのだ。
 さて、議論を元に戻そう。先にもちらっと書いたが、表面的な地デジのウリは高画質である。それに対して「画質なんてどうでもイイ」とか言って地デジを拒否する者もたくさんいるが、あくまで地デジ移行の目的は電波の帯域の節約なのだ。だから高画質化は単なるおまけであり、画質が悪くても良いからアナログで十分などと言った理由は全く成り立たない。また中には「地デジと地アナの画質の差が分からない」などという暴言を放つことをはばからない者もいるが、それはただ単純に昭和時代に収録された番組を電気屋の店頭でチラ見しただけの勘違い野郎か、目医者に行った方が良いかのどちらかだろう。
 そもそも、画質などどうでもイイと言うのならば、ワンセグ受信機を活用してみてはいかがだろうか。お望みの通り画質はどうでもイイ程度にしか映らないし、それに端末の価格はそれ相応に安い。とあるネットの書き込みによれば、災害時ではアナログテレビは適当にアンテナを建てれば何とか見れるのに、デジタルだとアンテナをきっちり合わせないと見れなくなるので、非常時には全く役に立たないなどと、かなり笑える理論を振りかざしてあったが、既設のアンテナが曲がるほど激しい地震か何かがあったところに、テレビを稼働できるほどのまともな電力が通じているのだろうか。万が一電気が通じていたとしても、そんな状態でどうやって適当でも良いからアンテナを建て、そしてアンテナ線を適当に延ばしてこれるというのか。資材も道具も新品のアンテナ線も瓦礫の下に埋まっているだろうに、まったくもって浅慮な屁理屈であるという事が良く分かる書き込みだ。
 そういうときほど、ポータブルでしかも電気を喰わない(つまり電池の持ちが良い)ワンセグテレビが役に立つというものだ。非常持ち出し袋に、一つくらい放り込んでおくのも良いだろう。こういったところでも、地デジはそこそこ役に立つものなのだ。それに、管理人は貧乏なので古いケータイしか持っておらず、実感することが出来ないのだが、最近の新しいケータイには殆どワンセグ機能がついているというではないか。地デジが開始されたからこそ、電車の中とかファーストフード店で、ケータイ片手にテレビを眺められるようになったのだ。
 だが、アナログ停波によって、まだ普通に使えるテレビが単なるビデオモニターに成り下がってしまうのは確かにもったいないことだし、色々無駄だなぁと感じることもあるのも事実である。管理人の家にも、まだピカピカのアナログテレビがあるし、そのぶんのチューナーを買うのかと思うと、正直うんざりもする。
 しかし、古い規格にいつまで経っても縛り付けられ、ちっとも世の中が便利にならないのは、もっともったいないことでは無いのだろうか。現に、ケータイなどは何回も規格が変わり、その度に新しい電話機を買わされてきたはずである。ケータイは機種変更のサイクルが短いために、それに気がつかないだけなのだ。賢明な読者諸氏は既にご承知の通りだと思うが、その辺のテレビよりもずっと高価格のケータイ本体の代金は、単に通話料に上乗せされているだけで、結局テレビなんかよりももっと無駄なお金を延々と支払わされ続けているのが現実なのだ。それを考えると、テレビは(途中細かい仕様変更が何度かあったのだが)50年間NTSC-J方式を守り続けただけでも、十分頑張ったと言えるのではないのだろうか。
 規格の変わり目というのは、いつでも得をするヤツとしないヤツが出てしまう。しかしそれは科学技術の発展のためには致し方ない、そして貴い犠牲であり、10年後くらいに新規格が別に目新しさも無くなった頃、あのとき頑張って変えて正解だったと思えれば、それで良いのでは無かろうか。
 以前、テレビは「一生に一度のお買い物です」といったキャッチコピーの下で売られていた。今の価値に換算すると、優に100万円は越えていただろう。しかし現在、ちゃんとデジタル放送が映るテレビは、頑張って捜せば数万円で手にはいる。ワンセグで良いのならば、頼んだわけでもないのにケータイにも入っている。
 つまり、現在ではまともなテレビを見るのに数万円払えば良いだけであり、その代金すら払いたくないというのならば、テレビ自体に数万円の価値も見いだしていないということだろう。結局、そういった人間は単に「無料だから」という理由でテレビを見ているわけであり、そこまでテレビに固執しているわけではないのだと言える。
 最近は色々なサービスが無料で行われることも多く、様々な物の価値が急落しているように思える。だが、そのようなサービスが無料で享受できるからといって、それを構築するのにかかる経費が無料であることは決してない事は、小学生でも分かることである。むしろ、我々ユーザが何でもかんでも無料を追求するために、生産現場では賃金のカットが行われ、いつまで経ってもどれだけ働いても、立派で優秀な労働者の方々の銀行口座が暖まらない、ワーキングプアとか呼ばれる状況に陥ってしまうのだ。
 昔からタダより怖い物はないとも言う。それにうまい話なんか有りはしないという事は、賢明な読者諸氏に於かれては十分ご承知のことかと思う。サービスを享受するためには、それ相応の対価を支払わなければならないのだ。
 我々は、前にしか進めはしない。この駄文コーナーで何度も言っていることであるが、いつまでも古い物にしがみつくのではなく、新しい物を生かす態度も必要なのではないのだろうか。だから地デジの移行もブツブツ文句を言うのではなく、歴史が変わる瞬間なのだと素直に感動し、適当な安い地デジテレビでも一台買っておけばそれでいいのだ。

※地デジ移行のやり方に関しては、もちろん管理人も疑問に思うことはいくつもある。特に地上波に固執するが故、無駄なお金を使って大量の送信アンテナを建てまくるのには全く納得できない。IP送信やケーブル伝送など、安いコストで出来る物があれば積極的に活用すべきだ。バカな役人はいつでも目的と手段を取り違える。その点についての文句も激しくあるが、論点をわかりやすくするため、反対意見については割愛させていただいた。

第25回 正しい消費者として金を払おう

 新年も開けてしまったようなので、つまらない書き込みを一つ。
 2009年はデフレの年として歴史に刻まれるかも知れない。物の価値が下がり、値引き合戦で企業の疲弊が問題視されていたからだ。
 ところで、一般消費者としては財布から出て行くお金が減るのでデフレは良いことだ! などと言う思慮の薄い人もボチボチいるだろうが、そもそも財布に入ってくるお金がもっと減るのでロクな事は無い。物の価値(値段)が下がるという事は、回り回ってアナタやアナタのお父さんの給料が減るという事を意味している。世の中、「お金を稼ぐ」と言うとすぐに大企業による富の独占だの暴利をむさぼる資本家だのを引き合いに出すアホが居るが、お父さんの給料はそうやって「お金を稼いだ」結果として貰っているわけで、企業が儲けることを否定するということは、お父さんの給料の受け取り拒否と全く同義なのである。
 企業が金稼いで何が悪い! 給料貰うために勤め先が儲からないとどうしょうもない! それはサラリーマン5年もやってりゃ十分わかることで、わからないヤツはただの馬鹿か厨房ということでおk。
 さて、俺はそこまで変なコト思ってねーぞとほくそ笑んでる方がほとんどだろうが、本当にそうだろうか?

 一度でも上記のような事を言ったり思ったりしなかっただろうか?
 もちろん家電店での値引き交渉は「賢い消費者の行動」なので存分にやっていただきたいのだが、上記に挙げた様なことは「物の価値がわかっていない」人間がよく口にするくだらない言葉である。
 たとえばシステムエンジニアという奴隷が、IT企業を中心に飼われている。彼らの人月単価は、およそ80〜150万円。管理人の働いている会社では120万円である。つまり、一日=8時間で6万円。管理人を仕事で1時間拘束するには、7500円を払わなければならないことになる。(キサマにそんな価値はない!と言われても、返す言葉もありませんが…)
 この値段は特に高い金額ではない。会社の規模(一応、東証一部上場)としては普通の金額である。つまり、この国で普通の日本人(正社員)に何かさせるには、それくらいのお金が「原価として」必要であると、よーーーーーーーーく脳にしみこませて頂きたい、何でもかんでも無料無料言う人。
 昔の人は実に正しいことを言っていた。
「只より高い物はない」
「働かざる者食うべからず」
 アニメにしても、牛丼にしても、勝手に地べたから生えてくる物では無い。必ずその裏では高度な技術と人の手によって作り出されている、「製品」である。それが世に出るには、必ず原価が発生しているのである。そして、たとえその製品が無償で提供されている物でも、それが安く作られているなんて事は絶対に無い。必ず機能や性能に見合った工数が掛かっていて、その分どこからかお金が出て行っているのである。
(そのお金はどこかのお金持ちが勝手に支払った物ではなく、最近目減りしたお父さんの給料が巡り巡った姿であることを、よく認識しておいて頂きたい)
 ちなみに管理人はたまにアニメを嗜むヲタでるが、気に入った作品はなるべくBDを買うようにしている。これは、地デジなんて画質悪いから見たくねぇといった些末な事情もちょびっとあるが、基本的には「すばらしい物を作る人たちに、少しでも利益を還元したい」という思いからである。なので、アホみたいに値段が高い場合は管理人自体の甲斐性もあり買わ(え)ないが、2話入り7000円くらいなら何も言わずに買う。それが、(普通のファンに比べて視聴量は圧倒的に少ないが)アニメファンとしての最低限の礼儀、むしろ矜持であると考えているからだ。
 amaz○nのBDのレビューを見ていると、ボッタクリだの○アニが暴利をむさぼっているだの、そのレビューを書いた人間の知識のなさと品性のなさと金のなさを存分に感じさせるものが多くあるが、管理人はあえてそういうしみったれた貧乏人根性をさらけ出す馬鹿者に言ってやりたい。「3500円くれてやるから、京○ニよりも優れた30分アニメ作ってみやがれ!!」と。そういう事を言うと、必ず「奴らプロなんだから作れて当たり前。おれら素人だから作れなくて当たり前」などというつまらない返答が返って来るが、だったらプロがどうして採算合わない仕事が出来るんだと、その辺をきっちり答えて貰いたいものだ。
 採算合わない作業は同人というのだ。ニコ動でプロの犯行が多く見られる? それは仕事じゃなくて個人的な趣味だから無償なのだ。プロは、自分の給料を稼ぐために専門知識を駆使して仕事をしている。採算合わない作業は、そもそも仕事とは言わない。京ア○は仕事(企業の事業)としてアニメを作っているので、資本主義の原則すら理解してないキモヲタをハァハァさせるためにボランティアでアニメを作っているのでは無いくらい、amaz○nにグダグダ価値の無いレビューを書く前に理解して貰いたいものだ。
 DVDに比べてBDの値段が高いのも一緒。高ビットレートのMPEGデータやBDの円盤を作るのに使う機械や原料の値段がDVDに比べて高いのだから、製品として値段が高くて当たり前。BDの価値が分からないのならば、グズグズ文句たれる前にDVDでも買って喜んでればいいのだろうと。
 やや、自分の趣味に偏った事例紹介だったが、たぶんどの業界にも当てはまるのではないかと思う。
 現代における「只より高い物はない」とは、無料サービスや無理な値下げを要求した分だけ、あなた方の給料が巡り巡ってもっと減らされるのだと、そういう事を意味しているのではないかと思う今日この頃、2010年もよろしくお願いいたします。

第26回 家電の修理について

 以前ほどの勢いが無くなっているように見受けられる「おうち家電修理(今適当に名付けました!)」であるが、ハンダ付け大好き人間である管理人はネットの記事など見ていて色々と思うところがあり、敢えて記そうと思う。
 まず結論から言うと、「常用する家電は素人修理しない!」である。
 その理由をいくつか示そう。

 上記理由について、それぞれいつも通りにクドく説明していこう。
 まず"修理が完全である保証が無いこと"であるが、単にリード線が切れていただけならばともかくとして(実は何で切れたのかがとても難しい問題だったりするのだが)、たとえば某の部品が壊れていた場合、大概はその部品を交換すれば直ったりする。
 しかし、何の原因でその部品が壊れたのかをしっかり見極めないと、また同じ部品がすぐに壊れるか、もしくはその部品が壊れることによって大事に至らなかったより障害の大きい故障(たとえば火ィ吹くとか)が起きたりする可能性がある。
 一時期PCの自作屋を困らせたコンデンサの破裂は、部品(電解コンデンサの電解液)に問題があったのが分かっているため、単に破裂したコンデンサを新しい問題のない物に代えれば修理は完了と言えた。けれども、問題無い事が分かっているコンデンサが破裂している場合、それはコンデンサ自体が原因ではなく、他の部品によってコンデンサが破壊されたのだと考えなければならない。しかし、DMMやオシロも満足に持っていない素人がそのような事例に出くわしたとして、的確に他の部品の故障を見極められるのかというと、それは無理だと思われる。見た目が焦げてるヤツがあればラッキーだが、外見で見分けが付くことなどまれである。
 結局、真の故障原因を探るには其相応のスキルと設備が必要となり、それはメーカーに修理に出すよりも遙かに手間が掛かってしまうのは自明である。それに、何故"その"部品が壊れたのかという理由もちゃんと理解しなければならない。
 電池一個で動いているようなおもちゃなら別だが、家電の電気回路はその家電が持つ機能を実現する以上に、万が一の故障の際にも大事に至らないための保護回路が追加されている。つまり、ある回路の抵抗やらコンデンサが「安全に損傷することで」ほかの取り返しの付かない回路が火を噴かないように前もって壊れる様に設計してあるのだ。そして、保護のためにわざと壊れたパーツを何も考えずに交換してしまった場合、他の回路の破壊が進み結局火を噴いて大事に至るという事が起こるかも知れない。
 こういったリスク事項をちゃんと理解した上で、メーカー修理は金が掛かるだのボッタクリだのアセンブリ交換で済ますのはエコじゃないだの言っているのならば、よっぽどのスキルをお持ちなのだろうからご自分でしっかり修理していただければ問題無いと思うが、リスクなんて分かっていないで文句言っている人間は単なる無知でケチなだけであり、そんな輩が発する言葉には何の重さもない。どうでも良いから、火事出して他人に迷惑掛ける前に感電でもして自分の浅慮具合を呪ってくれと、そう言ってやりたい物だ。
 次に"「素人修理した」事実を分かっていない者が使う可能性があること"であるが、先に出てきたリスク事項を理解した人間が自分でその家電を使っているならば、いつも以上に注意を払って使うだろうし、ちょっとした動作異常にも適切な対処が取れるだろう。
 しかしそんな素人修理の事実を知らない家族が、中途半端な修理をした家電を無理に使って事故を起こした場合、一体誰が責任を取れるのかという問題がある。
 運良くメーカーから賠償金をせしめたとしても、死んだ家族と失った信頼は二度と帰ってこない。死ぬまで一生自分の愚行がしでかした大きすぎる罪を背負って生きていかなければならないのだ。そんな重い罪を、家電の修理代をけちってまで背負うべき物だろうか? まともにリスク管理が出来ている人間ならば、あまりにもアホらしいことはすぐに分かると思う。
 ちなみに管理人は暇つぶしがてらに○kWaveで偉そうな回答を垂れている偽善者であるが、そこで面白い質問者に出くわしたので軽く紹介しておこう。
 質問内容は、「いつも使ってたテレビがいきなり電源が入らなくなった。どうやったら修理出来るか?」というものだった。
 管理人はもちろん家電修理を生業としている人間ではないので、多分に浅慮なところはあると思うのだが、回答にあたり質問内容や他の回答者との問答から以下の条件を割り出した。

 さて、他の回答者は「電源ケーブルの断線だろうから、近所の電気屋さんでケーブルを買ってきて交換すればOK」などと書いていたが、バカもほどほどに言えというのだ。なぜ故テレビの電源ケーブルがいきなり切れるのだろうか。普段からコンセントの抜き差しをしているならばともかく、買ってからコンセントに刺しっぱなしのケーブルがたかが10年で切れるわけはない。
 管理人は、テレビのスイッチング電源の故障を疑った。理由は、主電源が入らないことと、10年も使っていること。確かに電源ケーブルが切れたら同様な状況にはなるが、いきなり切れる意味が分からない。たぶんコンデンサが容量抜けでもして、運が悪ければスイッチングICが壊れたのだろうと予想した。
 なので、回答には「テレビの電源回路が壊れたと思われるが、素人が手を出すべき部分ではないので電気屋さんに修理に出せ」と書いた。テスタも持っていないような人間は、ブラウン管テレビの触ってはいけない部分の見分けが付くわけがない(そもそも付くような人間は質問なんかしないでさっさと自分で修理する)。変なところ触ってシビレるのはあまりにもかわいそうだし、その辺のホームセンターで売ってる様な物でどうやって電源回路の故障部分を探すのだか管理人はさっぱり分からないからだ。
 そしたら翌日回答が来て、「回答者の勝手な理想を押しつけるな。テレビの修理にチャレンジする機会すら奪うとは、キサマ何様のつもりだ」と書かれてあった。はいはい、アナタはユトリのお馬鹿さんなんですね。関わった私が取り返しの付かない大バカでしたよと、つくづく自分の不運に怒り狂った。
 ここで書いても良識ある読者の方々には既知だと思うが、万が一分かってない人のためにも記そうと思う。他人に教えを請うた分際で何が理想を押しつけるなだ(そもそも教えてもらうって事は、回答者の理想を語って貰う事だろうに)。だったらそもそも質問なんてしてないで、粋がってチャレンジして火事を出すような迷惑を掛ける前に、さっさとフライバックトランスでも触って感電死してろと。
 最近の質問系のWebには、自分にとって都合の良い返答だけに喜んでお礼を言って、正論をもってして質問者の根本的な勘違いをたしなめるような、本当は一番ありがたい回答に対しては「あなたの回答は当方が望む物ではありませんので、ブラックリストに入れました」だのと、人としての最低限の礼儀すら無い馬鹿者が多く沸いているような気がする。先ほども書いたが、他人に物を教えてもらう態度という物が全く出来てない。何上から目線で宣っているのだろうか。それとも連中は「教えさせてやってるんだぜ?」とでも思っているのだろうか。
 さて、激しく脱線したので話を元に戻そう。
 たとえ原因が電源ケーブルの断線だったとしても、普通の人間がテレビの裏ぶたを開けるのははなはだ危険である。そもそもケーブルがどこで切れているのかはぱっと見分からないため、基板のコネクタかもしくは直接ハンダ付けされているであろう部分から交換しなくてはならないが、先ほども書いたとおりテレビはあちこちにシビレる部分がある。実際裏ぶたを開けてみればよく分かるのだが、電源ケーブルを軽く引っ張ったところで簡単に抜けるわけでもなく、あちこち手で押さえないと取れやしない。万が一直接ハンダ付けされていよう物なら、基板ごと筐体から引き抜かなければならない。こんな作業内容で、どこがシビレるのだか見当も付いてない人間が、安全にケーブル交換が行えるなんて考える方が脳がイカれているというのだ。
 管理人は偽善者であるが無責任な人間では無いつもりのため、質問者のスキルに応じた回答を書くように努めている。たとえば「スイッチング電源が壊れているが、どうやってコンデンサの容量をチェックしたらいいのか?」とまで書いてあるならば、先方もよく訓練された人間なのだろうからコンデンサチェッカの型番でも教えてあげるが、「そういえばテスタは持っていませんでした」とか言うレベルの人間に、一体どうやってブラウン管テレビの充電部を触るなと教えればいいのだろうか。テレビの修理などもってのほか、身の程をわきまえろというヤツである。
 最後に"余計に壊している可能性があること"の極端な例として、以前よく話題になっていた「家電を水で洗う」という前衛的な修理方法を挙げるが、これは完全に間違っているので絶対にやってはいけない。
 家電の故障の中には、導電性のホコリがたまってショートするために起こる場合があり、確かに水で洗い流せば一時的には直ったように見える事はある。しかし、人間が見て分かる部分だけが世の中の本質であるとは考えないのと同じく、水洗いのあとよく乾かしたつもりでも、一旦水に濡れると何があっても絶対乾かない部分が存在する。たとえば電線の中や、電解コンデンサのゴムキャップとリード線の隙間などだ。
 毛細管現象を思い出して欲しい。水は細かい隙間があると、とんでもないところまで浸透することがある。家電を開けるとカラフルな色の電線がいっぱい入っているが、これらは細い電線が束になって樹脂のカバーを周りにコーティングした構造になっている。そんな電線に水が入ると、先の毛細管現象で中の方までどんどん水が入っていく。そして空気の流れがあるわけでもないので乾くことはなく、そのうち中の電線が錆びたりしてボロボロになってしまうのだ。
 結局、水洗いでホコリが取れることで一度は動作に問題ないレベルになった家電であるが、内部に大量の水分を保持してしまったが故に電子部品やその他金属パーツの寿命を著しく縮めてしまい、結局数年も経たずに修理不可能なくらいにしっかり壊れ、早世してしまうことになる。本来こういった類の修理には、エアガンでホコリを飛ばし、揮発性の高いエレクトロニッククリーナーなどをぶっかけて汚れを軽く流す程度にするのが良い。
 また、水洗いに関して「電気のプロであるリサイクル業者さんがやっているので問題ない」とかいう書き込みを見かけるが、リサイクル業者は電気のプロなんかではない。単に中古品を売買しているだけの古物商である。家電を水洗いするような非常識な輩が営むリサイクルショップでは、絶対に電化製品は買ってはいけないのだ。一体どんな酷いことをされているのだか分かったものではない。
 ちなみに、家電が汚れてどうしても水洗いしたい場合は、電気が流れる部分を徹底的に取り除いた、たとえばプラスチックの外装ケースとかだけなら構わないと思う。管理人も、汚い家電をばらしてよく一緒に風呂に入った物だ。つまみなどの小さいパーツは超音波洗浄機に掛けるのも良い。しかし、基板は絶対水に濡らしてはいけない。先ほどの毛細管現象でパーツの内部まで水が浸透し、壊れる場合もある。以前F通のHDDが突然死することが多かったが、これもICが内部の湿気で壊れたのが原因だった。水洗いとは直接関係ないと思うが、湿気というのはそれだけ家電にとって有害な物という良い例であると考える。
 さて、今までは散々素人修理をするなと書いてきたが、では個人で家電を修理するのは絶対的に悪なのかと言うと、それは違うと管理人は考える。管理人の家で家電が壊れた場合、まず一番コストが掛からない修理方法を考え、特にメーカー修理が必要ないと考える場合は自分で修理してしまう。もちろん修理によるリスクが高い物はコストが掛かってもメーカー修理に出すが、そうでない物は自分でやった方が手っ取り早いし、やはりお金が掛からなくて財布に優しいからだ。
 しかし、自分で修理するのがたとえ安く出来るのだとしても、その修理は中途半端ではなくしっかりとした物でなければならない。修理するのに特殊な部品が必要な物、修理するのに特殊な機器が必要な場合は、いくら自分で直したくともすっぱりあきらめプロに任せる。
 素人修理の怖いところは、修理の腕以前に、自分の技量の見極めが付いていないところにあると考える。結果的に動いているから良いという物ではなく、それが安全に動いていることを保証出来る事が大切なのだ。先ほども書いたが、修理品を自分で使っていればちょっとしたおかしな兆候も分かるので、いざとなればすぐにコンセントを抜いてしまえばいい。しかし、そういう意識のない家族が遠慮会釈無く家電を使った場合、万が一安全装置が働くことなく出火したとか感電したなんていう事故を起こした場合、恨むべきは自分の慢心となるだろう。
 家電を修理するには、せめてその家電の動作原理や回路の構成、故障の真の原因を理解しなければならない。ネットに修理記事があって、よく分からんけどその通りにやったら動いたからすべてOk!などと考えるような浅慮な人間は、絶対に自分で修理してはいけないのだ。いずれ火事を出して、他人様にとんでもない迷惑を掛ける疫病神になるだろう。
 ちなみに、故障原因やその傾向、直し方などで其相応の経験を積んだ場合、ヤフヲクなどで「良いジャンク」(つまり修理可能)を手に入れるチャンスが増える。以前管理人はPS3のジャンクを買ったが、これがまた大当たりで全く問題無く使えている。動きが渋いとか騙し騙しなどということは一切なく、高機能なBDプレイヤーとして元気に働く良い奴だ。
 ここでいきなりつまらないクイズであるが、賢明なる読者の皆様は次の3つのジャンクPS3、どれに入札するだろうか?(管理人が上述のジャンクPS3を落札したときに、同時に出ていたものの説明です。値段はどれもほとんど同じ)

  1. 外見は綺麗です。動作確認をしていません。封印シールは剥がれています。(綺麗なPS3の外見の写真あり)
  2. HDDを抜いてあります。封印シールは剥がしましたが、分解はしていません。起動したところ「HDDがありません」というメッセージが出ます。(綺麗な外見と、メッセージの画面写真あり)
  3. 高いところから落として端がつぶれました。HDDを初期化して出品します。BDドライブから異音がしてディスクを挿入できません。封印シールは剥がしていません。(端がひしゃげた外見の写真と、HDDを初期化完了した画面写真あり)

 外見の写真やその他の説明から判断すれば、2>1>3となるだろう。
 しかし、よく訓練されたジャンカー(管理人のこと)は、3>>>>>>>>>>2>>|越えられない壁|>>1と判断する。
 このとき管理人はPS3をしっかりしたBDプレイヤーとして使うつもりだったので、確実に動作し、最悪ソニーで修理可能な機体を選択する必要があったのだ。
 まず、1については以下の判断を行った。

 次に2については以下の判断を行った。

 最後に3については以下の判断を行った。

 ということで3のPS3を無事落札したわけだが(外見がひしゃげたPS3はさすがに入札がなかった)、運送時の振動で異音の元が外れたのか、管理人の家に来たときはきわめて残念なことに全く異音など出すこともなく、CDからBDまですんなりと再生してしまった。機体を振ると外装ケースの破片が内部に入り込みカラカラ音を立てていたが、ひたすら降り続けて全部外に出してしまった。結局封印シールも剥がすこともなく、ひしゃげた外見もなるべく元に戻してあげたので、ぱっと見は(中身ももちろん)正常なPS3である。
 こういった成功例はきわめて特殊かと思うが、しかし「なぜ機械が壊れるのか、なぜ動作異常を起こすのが」の原因が分からなければ、故障の深さが分かる事は無く、結果的に修理出来なかったり、余計に壊すといったことになるだろう。
 最初に書いた「素人修理しない」とは、「確たる根拠もなく修理のまねごとをしない」という事と、ちゃんと修理したければ「ちゃんと勉強しろ」ということである。

第27回 Naopy Hobby Land 作成ポリシーについて 3

 約6年前に「このWebはHTML 4.01 Strictをうわべだけ使っている」と書いた。
 それ以来、基本的にHTMLの"タグを正確に使う事だけ"を考えてHTMLを書いてきたが、先日のリニューアルの時には、出来うる限り"HTMLの論理構造を守る"事に注力してみた。
 簡単に言うと、DIVばっかり使ってないでH?とかPとかを使って章立ての論理構造を明確化し、さらにCSSをゴテゴテに使いまくって見た目重視なWebに仕立てた、ということだ。
 世に溢れるメチャクチャなHTMLの使い方をしたWebページを正す義憤に駆られ、HTMLの概念だとか理念についてクドクドと述べてらっしゃる崇高なWebを見ていると、どこもかしこもコピペしたが如く「Lynxでも内容を理解出来るHTMLにしろ」と書いてある。なので、実際にLynxをインストールして、このWebの内容把握と殆どのページへのリンクが通るように、偉い時間を掛けてHTMLを書き直したわけだ。
 Lynxはまさにシンプルイズベストを貫き通した様なブラウザで、これはこれで趣のある味わい深いアプリだと思った。それに読み上げブラウザの動作を掴むにはもってこいであり、非常に有用性が高いことを今更ながらに感じたわけだ。全く対応が遅すぎるぞ、自分。
 けれども。
 「このご時世に、ぱんぴーの如何ほどがLynx使うの!?」と、つくづく感じたのも事実である。
 極めて大切なことなので敢えて強調したいのだが、Lynxというアプリはとても良いアプリである。Lynx自体を貶すつもりは毛頭ない。けど、21世紀になって10年も経って、テキストブラウザでの可読性でWebページの善し悪しを論じているのはいささか時代後れであり、ぶっちゃけいまさらLynxで読めなくたってどうでもいいじゃんよ!と率直にそう思った。

 ところで、巷で述べられているLynxでの評価は、Webページのアクセシビリティに対する評価でもある。
 つまりLynxでしっかりアクセス出来る情報は、障害を持たれた方が使われる特殊なブラウザでもアクセス出来る可能性が高い事を示している。なので、Webがそういった方々を対象読者として定義しているのならば、Lynxでの評価は極めて有用性が高いと考えられるが、例えばそうでない場合、つまり障害をお持ちの方にわざわざ読んで貰う必要のない、このWebの様にくだらない情報しか無い場合は、例えTABLEタグでレイアウトを作っていようと、HTMLの論理構造がメチャクチャであろうと、CSSでフォントサイズや横幅をピクセル単位でガチガチに固定していようと、見た目が良ければそれで全くokなのではないかと思う。
 数の暴力でもあるのだが、圧倒的大多数の閲覧者はIEなりFirefoxなりのフツーにJavascriptやCSSが動くブラウザで見ているのであり、そういった圧倒的大多数の人にとって見目麗しいWebは、それはそれでアクセシビリティに叶っているのではないか、ということだ。
 管理人は、例えば公共機関や障害をお持ちの方に対するサービスを行う事業者のWebは、本来の意味でのアクセシビリティの確保に努めなければならないと思う。しかし、想定読者に障害を持たれた方を含んで居らず、単に趣味に萌え萌えハァハァするためだけに運用している個人のWebにまで、ブラウザでの視覚のサポートを考慮しろだの読み上げブラウザの動作を考えろというのは、いささか押しつけがましさを感じるのだがいかがだろうか。
 例を挙げると、ブラウザの横幅やフォントの大きさを固定するのは閲覧者の権利を剥奪しているとか、そういった議論である。
 確かにブラウザの横幅がどうなってようがフォントの大きさがどうなってようが、綺麗に見えるWebページは理想の一つではある。しかし、Webページの所有者である作成者側が、表現者として横幅・フォントサイズがどうなってても良い状態に我慢出来ない場合は、逆に作成者側の権利が大幅に削られることにはならないか、ということだ。
 公共機関やサービス事業者のWebページは、ある意味その団体の義務として情報公開をしているのだから、アクセシビリティに気を付ける必要はあるといえる。しかし個人の萌えWebは、あくまで作成者側の善意で成り立っているのであって、義務でも何でもない。つまり閲覧者は「拝見させて頂いている」のであって、決して「御覧頂いている」のではない。閲覧者はあくまでWebに落ちているデータを活用するチャンスを貰っているだけであって、その為の権利を主張するのならば、その前に作成者側の「表現する」権利を確保するのが当たり前であると言える。凄まじくぶっちゃけると「キサマらに金貰って作ったわけじゃねーんだから、気に入らなけりゃ見なきゃイイだろ」という奴である。あまりにあんまりな言いようであるが、これは一つの真理ではないだろうか。(だったら閲覧者の権利とは何か。それは「クソウザいページは絶対見てやらない」という、最大にして最強の権利である。)
 結局個人のWebでは作成者が神であって、閲覧者はその神の流儀に従わなければならない。「汝見た目を変える無かれ」とあるならば、閲覧者は勝手にフォントサイズを変えてはならないのだ。……流石にそれは言い過ぎかも(笑)

 ちなみに管理人が(アクセシビリティなんぞガン無視決め込む分際で)HTMLの論理構造まで気を使ってWebページを構築したのは何故かというと、それはスキル向上が目的である。実際、最初はフォントサイズをピクセル固定しない様にCSSを組んでいたのだが、残念な事にブラウザが使っているフォントやブラウザの種類によってあまりにも見た目が違い、可読性に支障をきたすほどデザインが狂うため、諦めてピクセル固定にしたという切ない歴史がある。
 元々ロクな内容が無いんだから見た目なんぞどーでも良かろうといった正論もあるだろうが、やはり管理人には管理人なりの薄っぺらな美意識があり、ついでに言うと手段(HTMLの論理構造)のために目的(記事の中身)までに手を入れるのは何かが間違ってるだろうというくだらない理由があったりもする。それに、崇高なWebには「HTMLをDTPと勘違いするな」とか書いてあったりするのだが、DTPとしてはいささか力不足なHTMLで如何に見た目を美しくするのかというこの不毛な行為が、技術屋としての血を燃え上がらせるという意味不明な状態になっているのも、稀に賛同してくれる人も居るかと思う。制限が大きいからこそ、その枠の中でどこまで持って行けるのか挑戦したくなるのは人の原罪の一つであろう。

 管理人がWebにくだらないデータを垂れ流すようになって、2011年で14年になる。その間、Webページの可読性について貰ったメールはたった1件。外国の方から「英語で書け」とあっただけである(ちなみに英語で作るつもりはありません。めんどくさいので)。幾ら横幅固定にしていようと、フォントをピクセル固定にしていようと、それこそ何かしら障害を持った方から「キサマのページは読みづらいんじゃ、ボケ! カス!!」とか「読み上げブラウザがキョドるんじゃ、タコ! 氏ね!!」とかいう切実なメールを頂戴したことなど一度もない。もちろんそのような方々に役に立つデータなど全く無いからレスがないのも当たり前なのであるのだが、特段「読めない」というメールを頂いたことなど無いから、大多数の閲覧者にとってはこのアクセシビリティガン無視のWebは、それなりに可読性が保たれているのだろうと思う。
 なのでこのWebは今まで通り、作成者側の権利を行使しつつ運営していくこととする。

 なお、ここからは激しく余談であるのだが、上述のHTMLの理念がどうのと述べられている崇高なWebページは、そのほとんどが更新が2000年代前半で止まってしまっている。もちろんそのくらいから世界のレベルが上がっていないというのもあるのかも知れないが、ブラウザ毎の見た目の違いが以前ほど見られなくなり、かつWebの商利用がより盛んになればなってくるほど、一部のPCヲタの物だったインターネットがそういうのの興味があまりないWebデザイナーの手によって装飾されていき、理念どうこうよりもDTP的見た目の美しさ(+ユーザビリティの良さ)が重要視されるようになってきた現れなのかも知れない。
 例えばGoogleマップ相手にLynxでの可読性をどうのこうの言っても、全く筋違いというか、単なるアンチの粘着としか思えないのはわざわざ言うまでもないが、そういう従来のHTMLの理念から遠く離れてしまったWebページ(しかも超便利)がどんどん増えてきているのは紛れもない事実であり、それにWebに落ちている情報に適切なメタデータが付与され、様々な立場の人が有効利用できるようになるのは理想の一つではあるのだが、やはりそこまで情報を整備するのは利益以上のコストが掛かるし、かつ代替になる情報はWeb以外にもあるはずだ。人間、ネット見てなくとも死なないし。
 ところで、何かしらの障害をお持ちの方が万が一このWebで取得しづらい情報があるならば、メールか何かでご連絡頂ければそれなりに誠意を持って返答するのは以前に書いたとおりである。14年やってて一度もそんな問い合わせはなかったから、今後もあるわきゃ無いだろうけど。
 あとあと、もっと余談であるのだが、管理人は言葉狩りに若干の反感を持っている人間なので、「障害」という単語ををわざわざ障碍だの障がいだの書き直したりしない。管理人が障害と書いても、ハンディキャップを持たれている方に差別心など持ち合わせていないのは文面を見てもらえば分かるだろうし、そんな程度で管理人の人となりをおかしく判断するようなヤツは絶対言葉が通じないので相手にしない。言葉とは、圧倒的大多数の人間に簡単に通じてこそ意味があるのであって、よく分からない取繕いで書いたこともない漢字を使うのは何かが違うと思う。

第28回 Naopy Hobby Land 作成ポリシーについて 4

 今回は愚痴というか謝罪文に近いので、あまり読む価値はありません。
★Webの管理人は神様です
 以前どこかに「自分を神だと呼称する奴は頭のおかしい新興宗教の教祖だ」とか書きましたが、このWebページを作るにあたり、なおPという管理人はこのWebの神様であると定義しております。つまり、どんだけ上から目線だよキサマー!と言われても高圧的な態度を変えることなく、自分と異なる主義主張を持つ連中を十把一絡げに馬鹿者と称し、ついでに他人の気持ちなど一向に考えることなく持論が全て正しいといった勢いで文章を作っています。
 これは、若干素でやっているところもあるのですが、ぶっちゃけ8割は故意です。わざとです。狙ってやってるのです(ただし、個人攻撃はしないって線引きはしていますけどね。私はむかつく団体に所属している人でも、個人的には友達になれるだろうとか思ってる人間なので)。
 では、何故特定の人たちに突っかかる様な文章をわざわざWebに載せているのかというと、このWebはなおPというイキモノの表現の場だからであり、そして、たぶん唯一なおPの表現がデータ化出来る場所であるからでありましょう。そして、なおPが自分の行動原理の一つに挙げている、言うだけはタダという言葉を、このWebでも実践しているというのもあるのです。ちなみに前にもどこかで書きましたが、実はWebを立ち上げた当初、運営ポリシーの中に「政治的な事象は絶対載せない」ってのがあったんです。つまりあくまで趣味的なことの記述に専念し、政治批判やなおPの政治に対する見解は載せないって決めていたのです。しかし、非実在青少年だかなんだか、自分の趣味や人格すら否定されるような事象がウンザリするほど続き、その後の震災による感情的な原発批判、現政権与党による愚策の数々と、毎日のように腹に据えかねる事態が起こり続け、短気で損気で血の気が多いなおPはついぞプッツンして、ポリシーをひん曲げWebのあちこちに不満を書き散らすという、非常に大人げない行動に走ったのでした。けど、世の中実際に言わないと通じません。さっき言うだけタダと書きましたが、裏の意味は「相手に何かさせるには、実際に言わなきゃダメだ」ってことなのです。
 世の中、空気読めだの俺の嫁だのは、自分が読んだ気分になっているだけで、現実には真実とは全然違ったりする物なのです。つまり、他人の思考など読めやしないし、そもそも自分の思いなど決して他人には伝わらないのです。だから、自分の思いを人に分からす手段として、持論をWebに書き散らします。もちろん持論と言っても、妄想なんか書きやしませんけどね(妄想ならばしっかり妄想と書きますし)。それにいちいちソースは示していませんが、テキストに打つに当たってそれなりに下調べはしているので、ある事象をあるバイアスを掛けてみれば、まぁその論も成り立つか、位の正確性(?)はあると勝手に思っています。ちなみに下調べにはWikipediaを多く使うので、Wiki自体が間違ってたら目も当てられません(涙)
 あと、やたらと口調が高圧的なのもわざとです。このWebは公共性など全く無く、なおPという個人が勝手に設置している物なので、一部を除いて誰かに対してお願いするなんて事は一切ありません(この駄文を書いた頃は「はやぶさ2」のお願いを載せていたけど、実質行動を促すだけで「〜してください」とは書かなかった。また、万が一本気でお願い文を書くときは、それなりに礼節を持った文章で書く位の事はする)。まさにこのWebは「教えてやるからありがたく思いやがれ」というのがコンセプトなので、それが気に入らない人にとっては「華麗にスルーする」という最高の態度を行使して頂ければ良いと思います。「見て頂いてありがとうございます」なんていう気持ちは全くありませんが、反対に「何で見てくれないんですか!!」とか「絶対に見てください!!」とか一切言いません。検索エンジンで引っかかってちらっと見てくれた人が、何らかしら価値のある情報を手に入れられたのならば、それはそれで大変嬉しいことですが、こちらからわかりやすいようにいちいち細かく説明する義務など全く感じていないので、こちらが望む程度の情報しか出す気もありません。また、先ほども書いたとおり基本はお願いなど書かないので、「こうして頂けると助かります」ではなく、「こうすべきだ」という命令口調が多くなります。こういう、実に身勝手な理論で運営しているからこそ、管理人を神様だと言っているわけです。
 それに、他の極めて有用な情報を提供してくれている多くのWebも、もう少し強気になっても良いと思うのですよ。あんまり下手に出たような書き方は何か違和感を覚えるし、それが大人なのかも知れませんが、無償提供の物は供給側の論理を優先するのが正しいと思います。
 以上のような理由で、このWebは今後もずっと高飛車な態度が続きますので、それを良しとされない方は「華麗にスルー」をお願いいたします。

第29回 あなたが読んでいるその記事、マトモですか?

 ネットに落ちている記事(記述)は間違っている……というよりも、『意図的に事実をねじ曲げられている』ことが多いので、決して頭から信じちゃいけません。もちろんこれは新聞その他にも言えることですので、あらゆる情報ソースを疑うという姿勢がとても大切であると言えます。
(もちろん管理人がここで書いていることだって意図的にフィルタリングしている部分もあるので、よーく疑って掛かってくださいね)
 さて、ネットに落ちている記事は他の媒体に比べ、政府だ某電力会社が何かの事象をねつ造しただの陰謀だなどと、厨二病が元気よく炸裂したようなことを声高に叫ぶ頭の悪い連中が書いたものが多いです。そして得てしてそういう連中の書いた文章には、背筋が寒くなるような嘘偽り悪意がてんこ盛りにされています。

世の中のすべてのことは、物理の方程式に沿って動いている。

 さすがにこれは嘘偽りのない真実だと思うので、皆さんが触れる記事にはどれだけ醜い悪意がねじ込まれているのか、上の言葉を頭に思い浮かべながらよく考えてみた方が良いでしょう。

 さて、先日のGoogleニュースを見ていたら、『草むしたゴーストタウンで福島第一原発を見た』という興味を引く記事がありました。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35650
 早速読んでみましたが、またこれが色々突っ込みどころ満載のお馬鹿な記事で、読んだ人間に間違った価値判断をさせる悪意の良い例だと関心しました。
 皆さんも一度目を通して、以下の突っ込みについて色々考えてみてください。

>記者である私は本来は入れない。下手をすると警察に逮捕される。
 なんでも素直に書けば良いという物ではありません。違法行為を平然で行う人間の言葉なぞ、誰にも信じてはもらえません。

>「地震と津波は天災だが、それによって全部交流電源を喪失したあと、住民の避難に失敗し、住民が被曝したのは政府のミスであり、人災だ」の「住民避難に失敗した政府の愚策」の舞台がここなのだ。
 なぜかここの文章は理屈の通ることが書かれています。たまにまともなことをいり混ぜて書くのも、だましのテクニックと見た方が良いのでしょうか。

>素肌が露出するのはよくないという。やはり放射性物質が尋常ではないのだ。私はため息をついた。
 ため息をつくくらいなら、さっさと記者を廃業してはいかがでしょうか。行きたくないなら行かなければいい。案内してくれた人に失礼極まりない態度です。

>てきぱきと能率がよかった。みんな礼儀正して明るく、にこやかだった。すべてが完璧だった。それは日本的な完璧さだった。いかにも「マニュアルどおり」という印象だった。薄っぺらで、人間味がなかった。ファミレスのようだった。
 こうやって攻めるべきでない部分をあげつらい、人間味が無いだのと批判する。マニュアル化されていない、混乱に満ちた状況が人間味があって正しいと思っているのでしょうか。現場で毎日被爆しながら仕事をしている人間に対して極めて失礼な態度です。
 ちなみに頭の悪い管理人にはよく理解出来ないのですが、マニュアル化とかファミレスって批判される類の物なのでしょうか?

>これは、放射性物質で汚染された区域への立ち入り手続きなのだ。それをファミレスのような対応でやっている。それを考えると、ぞっとした。
 ぞっとしない対応がなんなのか、例も挙げない。牧師さんでも呼んで、「あなたはもう汚れてしまった」だのと説教を受け、宗教的な行事でもすればいいのでしょうか。
 現場の人間にとっては、いつも通りの慣れた仕事。この記者にとってはおっかなびっくり、びびりながら行った初めての原発。そりゃ周りの人間にもっと構ってもらいたかったのでしょうが、いい年扱いた大人が構ってちゃんは痛いだけです。正直キモイです。

>帽子とマスクのすき間から、死んだ魚のような目が見えた。それだけが無気味だった。
 人として言ってはいけない類の言葉。
 現場でちゃんと仕事をしている東電の社員と、身分をごまかして入ってはいけないところに入り込んだ記者と、どちらがマトモな人間なのか、よく考えてみた方が良いですね。

>原発のPRセンターだ。田舎の安っぽい結婚式場かラブホテルのような建物だった。
 根拠のない批判。一度その看板を作った人間に、面と向かって同じ言葉を言ってみることをおすすめします。

>ここ数日、4号機の使用済み燃料棒プールの水温が上昇している、というニュースが報じられていた。もう一度地震が来てプールが崩れたら、1000本以上の燃料棒が、格納容器もないまま大気中にむき出しになる。大量の放射性物質が放出される。そんな不気味な説を専門家が唱えていた。

 この関係ない二点を無理矢理一文に押し込めて、あたかも核燃料がすぐにでも大気中に晒されるかのような印象をわざと植え付けています。さらに”不気味な説を”と。
 不気味でも何でもなく、それは確率によって導かれる厳格な事実。不気味だの気持ちが良いだのと、人間の意志が介在する物ではありません。こういうのが悪意ってやつです。

>しかし「爆発音から数分して、綿雪のような白いものが降ってきた」と井戸川町長は私のインタビューに答えて証言した。放射性降下物、つまり「死の灰」である。
 これも根拠のない記述。
 爆発は水蒸気爆発であって、しかも漏れた放射能はほとんどがベントによって水蒸気に溶け込む形で放出された。つまり放射性物質が水素爆発によって綿雪の形になって降ることは考えづらいです。何らかしらの白い物が降ったのは事実でしょうが、それを放射性降下物であると証明する記述は何もありません。つまり、単なる事象の連続を、あたかも同一原因によって起きたかのように、読者の判断を誤らせる良い例です。しかも、放射性降下物を死の灰と表現しています。
 一般的に用いられる「死の灰」とは、原爆による放射性降下物のことであり、今回の事故によって使うべき言葉ではありません。
(綿雪って、本当に雪が降ったかそれとも原発建屋の断熱材かなんかでないの?)

 記者は義憤に駆られて福島の現状を伝えようとしたのでしょうけど、こんな文章では福島の異常さばかりが目立ち、余計に風評被害を助長するだけです。むしろ福島にとって害を為すべき存在になっています。文章を書くプロなら、もう少しマトモな書き方ができて当たり前だと思いますが。
 我々は、こういった錯誤を誘発する悪意を持った記事にだまされず、正確な状況の把握を出来る様にしなくてはなりません。

第30回 あなたが読んでいるその記事、マトモですか? 2

 管理人の家では○京新聞を取っていますが、最近思想がねじくれた記事が多く、読む価値が無くなっています。新聞はあくまで事実のみを書くべきであり、記者や編集長の個人的思想を書くものではありません。
 さて、そういった駄目新聞の主張に、

『結果的に電気が足りていたので、大飯原発再起動は必要なかった』

 という物があります。もちろん他の報道機関の記事でもあちこちで見かけますが、こういう記事書くヤツは福島原発の事故から何も学んでいません。

『結果的に大きな津波は来なかったので、津波対策は必要なかった』

 こういう理屈で、あの原発は事故を起こしたんじゃないのでしょうか?
(もちろん非発の浸水は原因の一つであって、他にも原因は色々あります)

 昔から『備えあれば憂いなし』と言います。
 現状、火力発電所はほぼフル稼働になっていて、万が一大きな事故を起こした場合、大停電に繋がる危険性があります。
 だから発電容量に余力=備えを持たせるために原発の再起動が必要なのであって、結果的に何もなかったという事を理由にして備えが必要ないなどという暴論が、一体何処で通用するのでしょうか。
 発電容量不足から起因する停電を、単に雷が落ちたときの民家の停電と同じように考えてはいませんか? 民家の停電なんて、病人を抱えた家庭以外はどうでもいいのです。それよりも交通網や病院、原子力発電所(!)の停電がとにかく怖いのです。
 福島原発は設備が停電を起こしたから、放射性物質の崩壊熱を廃熱出来ずに事故に至りました。未だ勘違いした人もいますが、福島の原発は地震直後に停止し、津波がくるまでは安全に冷温停止に向かっていました。例え原子炉が止まっているからといって、それで安全というわけではありません。そして原子力発電所は自ら電気を作っておきながら、自分たちが使う電気は他の発電所で作った電気を受電しています。つまり大停電が起こると、また原子力発電所が事故を起こす可能性が高まるのです。そういう極端な例は置いておくとしても、病院などはいくら非発があっても全病棟の電力をまかなえません。たいてい、外来病棟は機能停止します。手術もほとんど出来ません。そうやって医療行為が止まって人死にが出ても良いんですか?
 何も起こらなかったから備えが要らないなんてのは、愚考以外の何者でもありません。そして、そういう愚考を臆面もなく晒すマスゴミの言うことは、簡単に信用してはいけません。