今時の言いたい放題

 このページはズバリ"私が思ったこと感じたこと"について直接表現を多用し、好き放題雑多なことを書いてあるページです。理性という名のリミッターは掛かってません。
 ですからタイトルページにある様な軟派なCGからはかけ離れた内容となる事が多いと思いますので、そういうのがお好きでない方は見ないで下さい。
 このページは様々な対象物についての非難罵倒悪口賞賛が書き連ねてありますが、個人攻撃等は一切しないことをポリシーとしております。実名や固有名詞なども、可能な限り(つまり文章的に成り立つ限り)入れませんので、その辺ご理解下さいね。
 なお、このセクションに限りメールでの非難などはお受けできません。いくら腹が立ったとしても、それは読んだ貴方の勝手ですから。

 ちなみにブログか何かで「バカなこと書いているアフォが居るぜ」とか言ってリンクなんか張ってはいけませんよ?
 「自分はネットで見つけた駄文にいちいちケチを付ける、粘着質の引きこもり劇症ヲタでーす!」って地球レベルで絶叫しているようなモンですから。
 こんなページ、基本はスルーですぜ、アニキ。

 下に行くほど、新しい内容となります。

第1回 放射能は怖いと言うけれど…

どっち?

 原発というと、とりあえずなんでも反対しておけばよいと思ってる輩が多い気がする。
 まぁ確かに放射能なんぞ浴びたくもなければ、不必要なリスクを負うことはない。この国に、電気が余り腐っていてどうしようもないと事実があれば、原発を全て止めろという声も真実みを帯びてくるのだが……。
 しかし、現実に電気は足りていない。それは、我々文明に甘え腐った日本人が、夏場ガンガンエアコンを点けるからだ。ちょうど甲子園が熱い頃、ついでに気温も熱いもんだから、闇雲に冷房の電源を入れ、そして発電所は悲鳴を上げる。
 失礼だとは思わないのか、原発反対派諸君。貴殿らが、『俺は電気を(生命維持のため以外には)使わないぜ!!』とお天道様に向かって正々堂々と言えるのならば、私は貴殿らを尊敬するし、真摯に意見を聞こうと思う。
 しかしやれ熱いだの寒いだの、音楽が聴きたいだのインターネットがやりたいだのと、そんなくだらない遊興で電気を無意味に使い、発電所建設に拍車を掛けているのならば、貴殿らの意見は全くもって戯れ言である!
 事実、原発に代わる大容量発電は火力以外にはない。太陽光だの風力だのそんな物、日本の国土を全てそれで埋めても、全くもって足りないのだ。そのような事実を知っていて、原発を止めろなどと言う暴言を吐いているのだろうか?
 火力発電は二酸化炭素を大量に吐き出し、大気を汚染する。日常的な大気汚染は良くて、ほとんど起こったことのない放射能汚染はイヤなのか。私はどちらもイヤである。しかし代替手段が自分では考え出せないから、原発に頼っているのだ。
 人のやっていることにケチを付けるのなら、代替手段を示せ! 原発に代わる現実的な大容量発電方式を提案してから、反対論を唱える資格が出来るというものだ。
 また、プルサーマルに反対する理由も、全くもって理解不能である。要らないプルトニウムなど、さっさと原発燃料にして燃やしてしまえばよいのに、なぜそれをいちいち反対するのか?
 ただでさえ、日本はプルトニウムの大量保有国である。そんな事実を、周辺各国が喜んで見ているわけはない。日本の核武装だのと、我々にとってはあり得ない妄想を真剣に唱える国家もある程だ。
 プルトニウムという名前が怖いからなのか? そもそも、ウランと原子番号が1違うだけの物質に、なぜそこまで神経をとがらす必要があるのだ、一般人が。
 そもそも、そのような不要な恐怖心を沸き上がらせるような事件事故を起こしまくった原子力関係機関の粗雑な仕事ぶりには辟易するものはあるし、私とてそのようなずさんな管理を許す気などは毛頭ない。
 しかし、現実に電気は足りず、そして二酸化炭素はこれ以上出せないのだ。これは、今を生きる我々人類が、次の世代のためになんとしてでも達成せねばならない課題なのだ。目の前の、無知故の無意味な主張をさっさと止め、もう少し現実的に物事を考えて貰いたい。
 ウラン燃料もそのうち底をつく。間違いなく、原発は消滅するのだ。そしてその時までに、我々は新しいエネルギー源を手に入れなければならない。毎年更新される石油の埋蔵量などには、もう頼ってられないのだ。
 だから我々は、その時までに今の生活を維持するために原発を用い、新エネルギーの開発を急がねばならない。
 その次世代の電力を開発するために、今原発が用いられていると考えるのは、どうだろうか。

2011/07/04追記  ……などと10年前に書いていたら、案の定原発が噴きましたが何か? とは言いつつ、管理人は全く考えを変えておりません。今でも原発が必要だと信念を持って考えていますし、安易に感情論におぼれて反原発を唱えるような無責任なことはいたしません
 風任せの風力発電も、天気任せの太陽光発電も、ベース電源には使えません。いつ途切れるとも知れない電源を原発の代わりに出来るとか思っているならば、少しは「インフラ(社会基盤)」の意味を考えてください。どこかの南の島の様に、雨が降ったら(電気は)お休みよ♪とは行かないのがインフラという物です。
 つまり、電力は人間が必要なときに人間の意志で発電できることが必須条件であり、それがままならないクリーン電源如き、補助電源にしかなりはしないのです(なので、電力需要によって炉の出力を変えている火力発電の代わりには良いソリューションであると言える)。
 また、東電の事を散々けなしているくせに、揚水発電だのの認可最大出力を足し算しただけで「原発が無くても電気は余ってる!」だのと頭の悪い事書いてるアホな雑誌が多いですが、インフラ系の機械など6割ぐらいの出力でしか運転しないモンです。フルにぶん回すとすぐにぶっ壊れるので。それに、火力発電所だって無メンテで延々動きません。すぐに壊れて止まります。
 そういうのもひっくるめて、電力会社は節電しろと言ってるワケです。さっき来たばかりの1000年に一度の大津波に備えてあーだこーだ言ってるそばから、数ヶ月後に控える火力発電所の故障を全く考慮しないのはどんだけ脳みそがハッピーに出来てるんでしょうかね。そしてこの期に及んで原発を正当化させる陰謀だのと、マンガの読み過ぎ甚だしい思考停止に陥って無能をひけらかすのも結構ですが、そろそろ目を覚ましてリスク評価をきっちりやって下さいよと、つくづく思います。
 全ての物事にはリスクとベネフィットがあり、そしてリスクには頻度と影響度があります。ぶっちゃけ他の原子炉がステーションブラックアウト起こす確率はいかほどでしょうか? そんな事より、電気不足でアナタのお父さんの会社が潰れる確率の方が遙かに高いわけですよ。自家発構えて停電の中工場回せるのは、本当に一部の大手だけ。そのほか中小は生産がままならず、工場の照明もお先も真っ暗になります。この間、ほんの一週間電気が滞っただけで、どんだけ産業界が痛手を被ったのか。
 どこぞの掲示板に「他の発電所が出来るまでの数年間の不便を我慢出来ないだけで原発動かすヤツは理解出来ない」だのと書いていた馬鹿が居たが、工場に電気が来ないってのは不便だのそういう問題ではなく死活問題なのですよ。まさに「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という理論と全く同じ。社会を知らないニート野郎の戯れ言ですよ。
 なので、原発はそれに変わるベース電源が開発されるまで現状維持!! これが正しい大人の態度だと思います。反論があるなら、明日から原発の代わりに発電できる大容量発電方式を提案すること。それが出来ないなら反対意見など聞く耳持ちません。

第2回 Naopy Hobby Land 作成ポリシーについて

 このページ(NHL全部)は、以下に挙げるポリシーで作られている。時々見かけるマナーの悪い連中や、自分への自戒を込めてまとめてみた。

存在意義

 インターネットでページを作ってる人は、基本的にボランティアだ。誰が見るとも知れないページ制作に時間を掛け、ツールを揃えて金が無くなり、時には素材作りに専念して寝不足になる。なんでみんなそんなことをするのかと言えば、それは『みんなにこんな事を教えてあげよう』とか、『暇つぶしに見てみてよ』などといった、純粋たる親切からなのだと思う。
 私の場合は、自分の友人に対する情報提供や、ネタの提供だ。だからホントのことを言うと、わざわざ自分の知らない人に見て貰わなくても構わないといったスタンスも若干あったりする。(見るなと言ってるわけでは、決して無いが)
 外部からのリンクや来訪者の動向を調べていると、パソコンやCPUのページばかりにアクセスが集中している。しかしこれは非常に悲しいことだ。
 たとえ他人がどうのこうの言おうと、このページの中心は私が描いたヘタレ絵や妄想小説だ。パソコンやCPUなど、ページを立ち上げるだけの価値も何も無い。ただ自分の知人に『こんなモン持ってまっせ』と説明するのに楽だから飾ってるだけだ。
 だから『ここにこんな下手な絵が飾ってるぜ。通信料返せやゴルァ』などと書かれてもちっとは頭に来るがまぁそんなモンだと思う。絵の批評はこのページの主題に関わるものだと思うので、大切に受け止めたい。しかしCPUページを見て『こんなモン集めてどうするんだ』などと批評を垂れる大バカ野郎の場合、これは非常に頭に来るわけだ。多分近くにいたらはり倒す。
 決まってそういう輩の場合、その悪口のテキストにリンクが張ってあったりするから、なおのこと腹が立つわけだ。

リンクについて

 だからこそ、私がページを作るに当たって一番気を遣っているのが、余所の人との接点であるリンクの張り方だ。
 何かしら正当な理由(もしくは大勢(95%以上)の人間からコンセンサスを得られるであろう理由)が無い限り、悪口でリンクを張ったりしない!!
 または、リンク先のサイトの意見を100%尊重する。これは人として当たり前のことだと思う。しかし世の中のマナーの悪い連中は、やれ法律がどうのインターネットの存在がどうのと、人の感情を一切無視した大義名分をひけらかし、あまつさえ『お願いだからやめて』と書いてるにもかかわらず人の嫌がること(意にそぐわないリンクの張り方)をする。
 確かに法律では出版物の場合出典元を自由に書くことが出来る項目があるそうなので、それを見てると確かにそんなモンかと相手の言い分も分かる。多分正しいのだろう。だけども、リンクを張るといった行為はどんなことか考えて貰いたい。
 『リンクを張ってやる』ではなく、『リンクを張らせて貰う』だろう。誰も悪口垂れるようなヤツには、そもそもリンクしてくれなどと頼むヤツはいやしない。それに、リンク先の意向を100%尊重するのが相手に対する敬意でもあるし、人と人とのつきあい方の根本である。
 そんな幼稚園で習うであろう根本的なことを理解できず、法律だの(そいつにしか通用しない)常識だのを持ち出して、人の嫌がることを平然とやるようなヤツは、社会人として程度が知れる。自分の権利を主張するだけで全く他人の利益や想いを考えない、精神の未熟なガキである。
 そのような考えから、本ページからのリンクはまず相手側のリンクの可否を必ず確認してから行うようにしている。(可否に関わる記述がない場合はOKだと判断している)
 ちなみに「リンクするにはメールください」と言った場合は……リンクしない。めんどくさいし(ぉぃ)
 外資系の会社の場合、リンクするしないについての記述はなかなか見つからない。国内の会社の場合も、ガンガンしてくれという趣の所や、審査するぞといった所まで色々。
 このページの場合は、トップページにも書いているとおり、リンクはガンガンして頂きたい。ただしトップページに。途中のページから見たければ、それは自分のブラウザのお気に入り機能でも使うこと。こんな小さなお願いも無視し続けますか?

第3回 98の正しい使い方?

 未だかつて一部のマニアな方々に愛されて続けている極東仕様九拾八式電算機、NECの9801,9821シリーズについて少々本音を交えた正しい?使い方やTIPSを述べようと思う。
 ……読むとムカつくかも知れないので、純粋な98ファンのヒトは読まない方が良さげ(爆)

Q.98でDVD見たいんですぅ…   A.諦める。
P6バス(セレロンとかが使えるバスのこと。PENTIUM PRO用のCPUバスアーキテクチャ)積んでる98なら何とかなるかも知れないが、ソケット7辺りの98でDVDが見える様に改造するコストを掛ければ、ヘタすりゃHDDレコーダーが買える。それに安定性は悪いし画像は汚い。第一ソフトの方が98のハードウェアに対応していない。
だいたいPCでDVDをマトモに鑑賞しようなどという事自体、私にとっては「やめた方が良いよ」と言いたいところだ。第一に、PCのディスプレイは高精細なテキストや静止画を表示する為のモノで、動画像を見るようには出来ていない。LCDもCRTも同じだ。たとえば液晶テレビは映像を綺麗に見せる為、液晶に瞬間的に高電圧を掛けて反応速度を高くするオーバードライブ回路を積んでいるものだし、CRTのテレビの場合、PCのモニタに比べて高輝度、ハイコントラストにセッティングしてある。走査線も結構太い。そもそもテレビとPCのモニタではカラースペースが違うので、色が違って見えるものだ。(ちなみに1024x768位のPC画像映してくっきりテキストが見えるような気合いの入ったAVモニタ持ってるヒトなんてこんなページ見なくて良いからさっさと他の所に行って下さい)
また画面のリフレッシュレートや走査線数にも問題がある。DVDとテレビの場合、インターレースでもプログレッシブでも、DVDプレーヤーが出力する映像信号に同期して画面が走査される。このためMPEGのコマ数とテレビのリフレッシュレートが一致するし、MPEGのドットと走査線が1:1対応する。しかしPCの場合、MPEGコマ数とビデオカードのリフレッシュレートが一致していないし、全画面表示したら適当なスケーリングが掛かったりして、なにやらガタガタした映像になったりテレビアニメなどではインターレース除去がうまくいかず走査線がボロボロ出てきて悲しい事になったりする。
なのでどうしてもPCのディスプレイをテレビとして使いたい場合は、液晶のオーバードライブ回路のついたものを買おう。CRTはそんな機能ついてる製品は無いので問題外である(T966なんて気合いの入ったモニタで見ても、DVDはなんだこりゃ程度にしか映らん)。
そういえば、PCでDVD見ていて良い点といえば、うざったい操作禁止が無いからさっさとメインメニューを出せたりする事ですにゃー。
Q.98で使ってたパーツをAT互換機で使いたいんですぅ…   A.諦める。
中には動くモノもあるが、「動く」と「使える」は別次元であることをまず理解して貰いたい。
簡単に言うなら、98はソケット7世代の旧式マシンだ。そのころのパーツでは、今のWindowsXP辺りがサクサク動くPCにとっては足かせにしかならない。(9801のパーツなんて何があっても無理)
まず、電気的に何とか繋がるモノとして、HDD、CDドライブ、メモリ、CPU、電源、モニタがあるが、この中で唯一何とか実用に耐えられるのはCDドライブとモニタくらいだ。
HDDは遅いし容量は小さいし使う意味がない。メモリはPC-66のCL3辺りなので、そもそも昔のセレロンでないと使えない。CPUなど使う価値はありゃしない。電源は容量が足らなくて全く使い物にならない。CDドライブはとりあえず24倍速くらいはあったりするので、OSのインストールくらいには何とかなるだろう(焼けないけど)。モニタは……デカいので液晶に変えちゃった方が良い(ぉぃ)
あとのキーボードとかマウスとかマザーとかCバス拡張ボードとかケースとか取説とか98用のOSとかは何があっても全く使えないので、とりあえず粗大ゴミとして処分する。もしくは綺麗に磨いてヤフオクで売っ払う。マニアが喜んで買ってくれる……かも知れない。(キーボードの変換器がどうのとか言い出す人は嫌いなのでどっか行って下さい)
Q.AT互換機用のパーツを98で使いたいんですぅ…   A.諦める。
まぁ実際の所、PCIのNIC位は98でも使えたりするので諦めなくても良いのだが、貴重なPCIバスはSCSI系のボードやグラフィックカードを突っ込むので、普通NIC如きにPCIバスを使わせるわけにはいかない。
USBデバイスも、中には動くモノもあるが動かない事の方が多かったりするのでオススメできない。
PCIデバイスもUSBも、結局98用のドライバがないのでダメなのだが、Windows2kでは案外AT機用のドライバが動く事もあるようだ。だからといってそれを実用的なところまで引き上げるには、大人しく98を捨ててAT機を買ってくるよりも遙かに修羅の道を歩く事になるので、不可能だと考えていた方が良い。(一部の方々はAT機用のビデオカードを98で駆っておられる様だが、そういった方々はこんなくだらないページ見ないはずなので反論しないで下さい)
Q.ウィルスが心配ですぅ…   A.諦める。
今の時代、98で使えるアンチウィルスソフトはほとんど無いらしい。だからといってネットに98を繋げないというのはあまりにも可哀想だ。
このブロードバンドのご時世に98をぶんぶん回したいなら、精神力でウィルスを弾け。
精神力とか言うとすぐに非科学的な事はうんたらとほざくバカ共もいるが、そんなヤツの戯言は聞かなくていい。常に緊張感を持ってPCの画面をにらみつけていれば、バイ菌が入ってきそうな怪しげな雰囲気はだいたい見当がつく。
あからさまにそれっぽいダイアログボックス(だいたいこういうヤツの文言は妙に馴れ馴れしい言葉遣い多い)、訳の分からんお節介口調なメール、エロページの類だ。
そもそも私のPCには、ネット越しでバイ菌に感染した事などありゃしない。アンチウィルスソフトもファイヤウォールも入っていないにもかかわらずだ。
ネット越しやメールでウィルスが入ってくるのは、殆どの場合操作者の無知や怠惰が原因だ。常にどんなウィルスが流行っているかを知り、OSやアプリにパッチを当て、ロクでもないページは見ない。
だいたい自分の所為でバイ菌に感染したにもかかわらず、WindowsやIEやOEの脆弱性がどうとか言ってるアホも多いが、それはLinuxやFirefoxやベッキーを攻撃しようとする大馬鹿者がいないだけで、普段から強制的に切磋琢磨させられているWindowsの方が頑丈だ。
つまり、アンチウィルスソフトに頼るような怠惰なPCの使い方はするなという事である。それが、精神力でウィルスを弾くという事だ。(98でもLinuxがあるとか言い出すヒトもいるだろうが、そもそもそういうヒトはこんなくだらない事で検索掛けてこないと思うのでさっさとLinuxなページに飛んで下さい)
Q.98で流行のゲームがしたいんですぅ…   A.諦める。
98でゲームが出来るくらいの豪改造をするには、結構なコストと作業時間とスキルが必要になる。
そんなことするくらいなら、その辺の安いAT機買って来てごっついビデオカード増設した方が10倍くらい速いし手間も掛からない。もしくはコンシューマー機でも買った方が良いだろう。まぁ主に静止画しか映さないようなえちげーなら98でも十分だと思われるが……あえて98でやらなきゃいけない理由もないし。(昔なつかしのDOSゲーはどうしたゴルァとか言い出す輩もいるかもしれんが、さっさとWindows落としてDOS起動して下さい)
Q.ならなんで98を使うのか?   A.諦められないから
私にとって、98は使う為のモノでなく動かす為のものだ。電源ボタン押したときにピポっていうのが可愛いし、訳の分からんドライバ入れなくも日本語表示してくれるのが可愛いし、今更DOSの知識がないとツブシが効かないところも可愛らしい。
ついでに言うと、マトモに使えるようにするには途方もない精神力を消費するのもなかなかのモノで、豪改造した98が大人しく動いたときの感動は、ありきたりなAT機を自作する様なつまらんルーチンワークでは決して味わえない至福のひとときである。
つまり、今の時代に98を使うという事は、その位に情熱を傾けなければダメだという事だ。それが出来ないヒトはさっさと98を諦め、メーカーのAT機でも買った方が良い。それが財布にも優しく、貴重な青春を無駄遣いしない為の最善の方法である。(どうしても98じゃないとダメなんだという人種は、やっぱ諦めて下さい。98には将来はありません)

第4回 Naopy Hobby Land 作成ポリシーについて 2

HTMLのバージョンについて

 このWebではHTML4.01 Strictをうわべだけ使っている。最低限のタグやALT属性は検証サイトで警告が出ない程度に使っているが、中身についてはかなりいい加減だ。では何故わざわざStrictなんて使っているのかといえば、後々メンドウなメンテナンスをしなくて済むよう、とりあえず最新の規格に合わせたに過ぎない。
 HTMLは当初、誰でも情報発信できるというのが学者様や有識者の皆様にとっては間違った認識なのだろうが我々素人共の見方であったと思う。簡単なタグを使ってそれ相応に見栄えのイイWebサイトを作る為の、超簡単お手軽スクリプト言語だと思っていたのは、私だけじゃないだろう。
 しかし内容はHTMLで見栄えはCSSに分けろだの、知らない内に満足な(日本語の)マニュアルもなく、何時しか画面に「イケてる?」って文字を表示するだけでもContent-TypeがどうのFONTタグは使うなだの、なにやらHTMLは一部の優秀なプログラマだけが操れる無理難解な言語になってしまったようだ。
 実際、学術論文だの何だのと、ある程度フォーマットが決まっている文章をHTMLにする場合はヘッダだのなんだのを各文章要素に分け、CSSで適当な飾りを付ければ見栄えの良いものが出来るだろう。ただし、我々ド素人が趣味で作るどーでもいいサイトの場合、その場その場の記事の内容によってページのフォーマットは変わってくるし、センスがないのであちこち文字の色を変えたりして、取り返しのつかないSTYLE属性の塊になってしまう。
 単にFONTタグがSPANタグに変わっただけで、ファイル容量も増えるしメンテ性が余計に悪くなった気がする。果たして、これが正しインターネットの進化なのだろうか。一部のマニアックな連中だけが使いやすい(?)難しい規格にすり替えて、我々一般庶民を情報発信の場から追い出そうとはしていないだろうか??

CSSについて

 とりあえず今までFONTタグでやっていた事を全てCSSで記述した場合、なにやら覚える事が増えて表現の幅が少し広がる割には苦労はとてつもなく増える。
 本当のHTML4.01の理念は、そういった小手先勝負の雑ッぽい記述を改め、構造化して見やすいページを作る事なのだろうが、趣味のページではとてもじゃないが受け入れる事は出来ない。簡単言うと、見栄えが極めて悪くなるからだ。(中にはシンプルイズベストで美しいページを作られている方も居るだろうが、みんながみんなそんな良いセンスの持ち主なら苦労しない)
 また、アクセシビリティチェックなどをやっていると、あちこちで背景とテキストのコントラストが足りないと警告を受けたりする。確かに色覚特性をお持ちの方々には見て頂くのが若干(極めて)辛い部分もあるかと思うのだが、こればっかりは変えられない配色というのはあるし、一応私なりに色々考えて色を決めているので我慢して頂く他はない。もちろん、「ココが見にくいのだがなんて書いてあるのか?」なんてメールを頂けば、それ相応に対応(メールで内容を伝える)はするつもりだが。
 メーカーの有名なサイトを見ていても、時々やたら見づらい(文字が小さいとか、コントラスト差が低すぎ)サイトがあったりするのだが、デザインを考えればアクセシビリティを犠牲にするほか無いと言った考えもあるだろう。現状のWebの世界では、・正しいHTMLの文法、・見栄え、・アクセシビリティのバランスがなかなか取れていないように思える。どれか一つに特化すると、だいたい他のどれか一つが犠牲になってしまう。特にアクセシビリティは他の要素と両立が大変な気もする。
 そのような現状を鑑み、Naopy Hobby Landではこういった優先度を付けてみた。1.見栄え 2.正しいHTMLの文法 3.アクセシビリティ。
 何故このような優先順位なのかというと、このWebの持っている情報量と私の作業量を考えた結果だ。このWebには色覚特性をお持ちの方がどうしても見なければならないと言った価値のある記事はなく、それに全部のページの色を変えていく作業量はもはや趣味でやるべき範疇を越えている。
 結局私のわがままが最優先であるのだが、その点は勘弁願いたい。趣味なんてそんな程度のモンなんです。

第5回 RFIDヒステリー症候群

 最近の流行物の一つに、RFIDという物がある。電波を使って個体識別をする例のヤツだ。身近なところでは、某鉄道会社の定期券(敢えて実名を上げさせて頂くと、SuicaやIKOCAで使われているFeliCa)や、この間廃れたICカード式公衆電話のカード(同じくMifare Annex-A)にも使われている。またITアレルギーのおかげで無駄な投資に終わった感のある住基カード(Type-BやeLWISE)、学生証や社員証(FeliCaが流行)にもボチボチ使われている。今後はパスポートにも導入されるのだとか。
 ちなみに某経済の研究所によって「来年こそ大ブレイク!」と毎年のように発表されて久しいが、実は全然ブレイクしていないというある業種にとっては非常にやっかいな代物でもあったりする。モノによってはバーコードで十分なんだから、RFIDなんてワケわかんない物がブレイクなんて極めて疑問だ。
 さて、そんないろんな意味で人気者のRFIDであるが、やれスキミングがどうとかプライバシーがどうとか、どうでも良いようなことをネタにしてえらく嫌われていたりするのも事実である。
 ところで、何故ここで私は「どうでも良いこと」と暴言を吐いたかというと、それなりに理由があったりするのだ。
 よく言われることの一つに「全ての商品にICタグが張られた場合、それをレジ以外のリーダライタで読み取られて買い物袋に何が入っているのか盗み見られる」という話がある。
 まずここで一つ突っ込みたいのだが、一体誰がアナタの買い物袋の中身いちいち見たがるのかと言うことだ。「ふむふむ、中身はにんじんとタマネギと豚肉か。カレーライスか肉じゃがですか?」……と、某の装置を使って無理矢理読み取ったとしても、所詮その程度なのだ。自意識過剰も大概にして貰いたい。そういうのを知りたがるのはRFIDとかには関係のないストーカーとかいう変態犯罪者なので、RFIDに目くじらたてる前に警察かどこかに相談して頂きたく。
 次に、そもそもアナタに見つかることなく、買い物袋の中身を読み取るのは物理的に無理だということを覚えていて貰いたい。RFIDに被害妄想を感じている連中は、物陰に隠れたスパイみたいな人間がアナタに向けてこっそりアンテナをかざし、知らぬ間に買い物袋のタグの情報を盗みますとか妄言を放つが、物流で使うUHF帯のICタグならいざ知らず、普通の商品に張られるようなタグは、アンテナと50cmも離せば通信できないのだ(UHFだってバカみたいにでっかいアンテナ使って数メートルだ)。もしも何メートルも離れた物陰から云々というようなことをしたければ、G○DZILLAを迎撃するために自○隊が持ってくる様な、一点の曇りもなく電波兵器にしか見えないごっついアンテナから、それこそ半端無く激烈な電波を力一杯出さなければならないだろう。そんなステキ電波を浴びたら人間普通に燃え上がるので、盗み読みされたらちゃんと一発で分かるはず。電子レンジに入れられたネコと同じような物だ。
 もう一つの例として、某鉄道会社の定期券の場合なら満員電車でこっそりとリーダライタを当てられ、カードの情報を盗まれるとかいう話もある。ここでも敢えて言うが、その辺のシロウトやハンパな犯罪者共が入手出来るリーダライタじゃ、大した情報を取ることは出来やしない。町中で売っているPaSoRiなどでは、セキュリティの掛かった情報はまず読み込みできないのだ。
 同じ理屈で、FeliCaの偽造などは殆ど絶望的に無理だろう。巷に溢れるFeliCa技術の情報を目をこらしてよく見て貰えば分かるが、FeliCaのセキュリティシステムはその辺のセキュリティ技術を聞きかじったド素人が三日三晩徹夜こいたあげく全ての煩悩を断ち切って無我の境地で閃いたような物より、遙かに強力でしかもエレガントなものだ。
 非接触ICカードは電磁波で通信しているので、それ磁界プローブか何かで読み取れば解読できるとか言うヤツもいるが、前述のFeliCaに関してはPC⇔リーダライタ、リーダライタ⇔カードでそれぞれ1トランザクションごとに乱数鍵の交換を行い通信内容を暗号化しているので、いくらエアインタフェースやシリアル・USBから情報を抜いたところで、鍵情報の取得なぞマトモに出来やしない。ちなみに暗号はECBモードのDESなんてショボい物は一切使ってないので変な期待を持たないように。
 もしもそんなセキュリティーガチガチなFeliCaの偽造がしたければ、日本に数拠点しかないカード発行会社を一個師団で占拠して、その辺の開発要員でも締め上げてやらせないと無理だろう。実際締め上げても、設備や発行用の特殊データが揃わないと全く無理なのだが……。
 ちなみに非接触ICカードではないが、最近出回っているICチップ付きのクレジットカードの場合、非接触なんかに比べて気が狂うほど複雑怪奇なセキュリティで本当に手に負えないのだ。ビット数のやたら長いRSAかなんかの鍵が3重くらいに掛かっているし、そもそもあのICチップは単なるメモリチップではないのだ。物によっては、32ビットのRISC CPUや強力な暗号コプロセッサを積んでいる。JAVAだって動くカードもあるくらいだ。そして外に出ている端子はあくまでシリアル端子なので、プロトコルや鍵情報が合っていない限りデータの読み出しなど全く行えない。そもそも相手はOSを積んだ一個のコンピュータなのだ。ハッキングするなら、普通のPC以上の設備が必要になるだろう。ならばICチップのメモリ素子に直接プローブを当てればいいと言う先進的な意見もあるだろうが、チップ自身のOSによってメモリ情報が暗号化されている上、メモリのアドレスもランダムに使っているらしい。それに、そもそもチップ自体が、プローブを何処に当てて良いか分からない様な構造になっているし、チップ自身でプローブを当てられたり、妙なところに変な電圧が掛かっているのを検知した場合、自分でメモリ情報を破壊する様になっている。こんな性能を耐タンパ性とかいうのだが、お金を扱うカードのチップは、この耐タンパ性が恐ろしく高いので、我々ド素人が聞きかじりの知識を総動員して他人様の商売にケチを付けても自分の無能さを証明するだけでなく時間の無駄なので止めた方が良いのは、賢明な皆様には極めて簡単にご理解いただけると思う。
 まぁそれでも所詮人の手により作られしモノ、関係者による犯行などで100%の安全性を保証できるわけではない。ICタグや非接触ICカードをスキミングから守る方法も存在するのでご紹介しておこう。とある特殊な材料に、精密な加工を施せばスキミングの驚異からアナタの大切なRFIDを守ることが出来る。
 たとえばにんじんやタマネギに付いたタグを読ませたくなければ、アルミを蒸着した袋状の物に入れてしまおう。こうすることにより、静電遮蔽によりICタグは通信できなくなる。ちなみにその辺に売ってる保冷バッグがちょうど良い。きらきらのスパンコールがごてごて付いたバッグも有用かも知れない。
 ICカードの場合にはより手間が掛かってしまう。まず、厚さ50ミクロン程度のアルミ板を用意する。このアルミ板に対し、カードの大きさ(86mm×54mm)よりそれぞれきっかり5mmずつ大きくした長方形で2枚切り出す。それをICカードの表と裏にぴったり来るように、カードケースなどに固定するのだ。もうちょっと分かりやすく説明すると、その辺に転がってるアルミ箔やたばこの銀紙を、カードより少し大きい程度にちぎって適当にカードを挟むようにしておけば超カンペキだ。毎回必ず自動改札機で突っかかって、アルミ箔の底力をもれなく体験できるだろう。
 RFIDの大敵は金属だ。近くにあるだけでマトモに通信できなくなるし、何かの間違いでアルミ箔なんぞに包まれたら何があっても通信できない。最近文房具屋さんで1コーナーを独占している訳の分からないスキミング防止シートなどに、100円以上払ってやる価値など有りはしないのだ。
 さて、今まで説明したように、カードリーダーに通せば超絶簡単にスキミング出来る磁気カードと違い、途方もなく難しい割には得られる情報なんてICチップのシリアルナンバーくらいな割に合わないRFIDのスキミングなぞ、グダグダ言うだけ馬鹿馬鹿しい事に気がついていただけただろうか。ちょっと前に話題になったRFIDを使って感染するウイルスの話も、単にICタグにデータベースサーバを攻撃するSQL構文を記録しておき、他システムで読んだICタグの内容(サーバを攻撃するSQL構文)を『そのまま何の加工もせずに』データベースにぶち込んだら不正コードが実行されたなんていう、「包丁を人に刺したら死んじゃいました」的なアホらしい論文であった(賢明な読者の方の中には、それってだいぶ前に流行ったDB付きWebシステムに対するSQLインジェクション攻撃じゃん?と気がついていただけたと思うが、全くもってその通りだ)。普通にRFIDを使ったシステムを開発している連中にとっては、単なる売名行為にしか思えない屁理屈だ(そもそもRFIDなんてUID以外使わないものだ。メモリの内容をそのままDBに入れるなんて馬鹿馬鹿しい方法は、この論文を見て初めて知ったくらいだ)。
 そんなことにいちいち神経をとがらせるなら、まず自分の身の回りにある個人情報漏洩のリスクについて考えた方が良い。送られてきた大量のDM、ちゃんとシュレッダーに掛けていますか? 住所や名前が載っていますよ? と聞かれたら、もちろん全て必ず一分の隙もなく細断していると自信を持って言えるのだろうか。敢えて言うと、私はDMとか小包の宛名欄は全てシュレッダーに放り込むし、レシートやクレジットの明細は全て保管して絶対捨てない。そうやって、実はパスワードの漏洩が一番多い「ゴミ箱を漁られる」リスクをちゃんと回避しているのだ。
 世の中を便利にしてくれる最新テクノロジを毛嫌いし、何時までもアナクロなやり方に固執するのも個人の自由だが、人のやることにとやかく言う前に、自分自身をもう一度見直せという良い例であると考える。

第6回 公共放送の録画について

 この駄文が書かれた頃、地デジのコピーワンスが9回コピー+1回ムーブという話題でIT系ニュースが賑わっていた。実際中途半端……というか、またもや一般消費者の利益など無視した著作権団体のエゴの塊で全く納得がいかない結果となった事には、殆どの人の同意は得られると思う。
 とは言いつつ、今までのコピーワンスは出来の悪いDVDレコがDVDへのムーブに失敗こいたら取り返しがつかないなどといった商品価値すらなくなるようなどうしょうもない事態を回避出来る(チャンスが少し増えた)ので、それはそれで評価したいと思う。
 9回という回数も、個人的にはそこまでコピーするかいなといったビミョーなツッコミもあるにはあるのだが、どこぞのバカな著作権団体が抜かす3回だのといった意見に対して極めて挑戦的であり、好感を覚えるのは間違いないことだろう。
 ところで、管理人の意見としては、有料放送はネバーコピーでも良いと思うが無料放送はコピーフリーにすべきだと考えている。その理由は、その方が自分以外の一般的な消費者が喜ぶと思うからだ。ここでいつも通り変なことを言っているのは極めて自覚があるのだが、そもそも管理人はテレビなんて殆ど見ないし録画もしない。仕事が多忙で、テレビなんぞに時間をくれてやるゆとりはほとんど無いのだ。録画しても結局見ないから、録画自体も全くしない。だがそれはあくまで生活残業に魂を削る管理人の個人的シチュエーションであり、テレビの録画やコピーが自由に出来たら便利だし嬉しいといった、パンピーの皆様の感情もちゃんと理解している……つもりだ。
 そしてあともう一つ。こっちの方の理由が強いのだが、我々一般消費者を泥棒扱いする著作権団体に対する、極めて鮮烈な怒りの感情だ。
 もちろん、管理人は著作権について一般生活に困らない程度の知識は仕入れているつもりだし、そもそも著作権法自体に異を唱えたりしない。その理念は十分理解している。このWebに飾っているへったクソなCGにも版権表示を入れているとおり、著作権者が著作権を守られるのは当然だ。
 だがしかし、特に最近ネットで叩かれている通り、例の巨大音楽系著作権団体の場合は一般消費者を潜在的著作権違反者だ等と考え、あろう事か我々を泥棒、もしくは準泥棒扱いしている。こんな事が、果たして許されるのであろうか。普通の民間企業がクライアントを泥棒扱いするなど、まったくもって考えられないことだ。かのMicros○ftですら、違法コピーと思わしきWindowsd○wsがアップデートをした時のチェックで、「お客様は(違法コピーを売りつけられた)被害に遭われた可能性があります」という表現をし、「こんグズが! 違法コピーなんぞ使っとんじゃねぇやボケェ!」とは言わない。特にこの国では、違法コピーなんてアキバの路地で買うくらいしか売りつけられることはないはずなのにである。(つまりそのメッセージを見たヤツの殆どが、ユーザが自ら違法コピーをしでかした物だ)
 確かに、P2Pネットワークなどでは違法にデータの授受が行われている事実は認識している。なのでそういった連中を泥棒扱いするのは一向に構わないだろう。しかし奴らは何をどう勘違いしているのかは全く理解できないのだが、「消費者共はいつか悪さするハズだ!」とばかりに、無実の一般消費者ですら潜在的泥棒であると騒ぎ立てる。一部にバカ者共がいるからといって、P2Pという言葉すら知らない一般消費者に向かって一体何の罪の転嫁をしているのだろうか。
 いくらコピープロテクトが発展しようとも、所詮人の手が作り出した物。いずれは人の手によって破られるのは自明である。しかし、コピープロテクトをクラックし著作権を犯す者が、一般消費者の何割いるというのだろうか。
 ちなみにネットの記事によると、今回の総務省の決定に対して某巨大音楽著作権団体は「コピープロテクトの回避は一部の専門的犯罪者ではなく若者が気軽に行っている。そういった愚者がいるからコピーなんて認められない」などと評しているようだが、またここでも"若者"だ。コンピュータ系の先端技術は若者が詳しくて当たり前だし、コピープロテクトをクラックするのに若かろうがじじいだろうが関係ないだろう。そもそもこの議論で年齢を持ち出す事こそが、まったくもって老害なのだ!
 それに著作権者の権利を守るがどうのと言っているようだが、実際の所CDだのDVDだのの売り上げだけが大切なような気がしてならない。要は、違法コピーが出回るとCDやらDVDが売れなくなると言った事実無根の論理を振りかざしているだけだ。CCCDで大失敗した経験が全く生かされていないどころか、自分たちの横柄で傲慢な態度がどれだけ一般消費者に悪いイメージを植え付け、それが原因でCDの売り上げが落ちているか全く理解、反省することなく、井の中の蛙状態の自分たちのバカさ加減を棚に上げ、他人に責任をなすりつけているだけなのだ。
 敢えて言っておく。違法コピーの存在は、CDやらDVDやらの売り上げに殆ど影響しない。なぜならば、そもそも正規品を買うヤツは、目の前にコピーがあろうが無かろうが必ず正規品を買うのだ。そして、そもそも正規品を買わないヤツは、コピーがあろうが無かろうが絶対に正規品は買わないのだ!
 CCCDが廃れてもCDやDVDの売り上げがふるわないのは、単に魅力的なコンテンツがないだけだ。管理人が大好きなアニメのDVDだって、正直言って1枚6000円出す価値が見いだせない。気が狂うくらいに面白いのならいざ知らず、普通に笑って普通に泣く程度の作品に4万円(7枚組の場合)も出せるのか(つーか管理人が単にビンボーだという事実はこの際おいておくとして〜)
 その辺を今一度よく考え、一般消費者の意見を良く聞き、そしてそれでも全てコピーネバーサイコー!とか思うのならば、ひと思いに放送電波を止めればいい。そうしたら、絶対にデジタル放送のコンテンツをキャプられる事はなくなる。そしてコンテンツ産業自体を徹底的に潰して、勝手に利権にまみれておぼれ死ね! 視聴者無くして、何が放送だ。何がコンテンツで売っていくだ。客の意向など全く聞く気もなく自分らのエゴばかり押し通すなら、間違いなく産業自体潰れてしまう。今後工業製品では諸外国に対抗できない日本が、何を本気で育てなければならないのか、そのえらそぶってる頭で少しは理解して貰いたい。

第7回 通信販売の賢い使い方

 通信販売にまつわるトラブルは数多く聞くが、ユーザ側の心がけ次第でくだらないいさかいを未然に防ぐことはいくらでも出来る。
 たとえば、某価格情報サイトでのお店に対する評価は実に「わがまま」な意見が多く、ユーザ側の程度の低さを如実に表す良い例だと考える。
 もちろん店側に圧倒的に責任がある場合もあるが、これは本題の趣旨から外れるので消費者生活センターなり警察に相談していただきたく。

1.大人しく待つ
少々納期が遅れてもガタガタ言わずに待つ。
そもそも定められた日までに欲しければ、思い立った時に店頭で即ゲットすればいいのだ。
いくら店側で頑張って納期の管理をしていたところで、流通や製造側でポカをやらかせばそれっきり。
納期に対するリスクはユーザ側で担保すべきである。
2.向こうも人間であることを忘れるな
通信販売は店舗で掛かるべき経費を切り詰めて物を安く提供しているのだ。向こうだって人間がやっている。ある程度の間違いはあってしかるべきだと、ユーザ側でリスクヘッジすべきである。
「プロだから当たり前」などと言って自分の義務も果たさず権利ばかり主張するヤツがいるが、そういう人間は少しは相手の立場になって考える癖を付けた方が良い。とりあえず数少ない友達を無くさずに済むだろう。
店側から理不尽なことを言われたのならば裁判なりなんなり起こせばいいのだが、ミスがあってちゃんと謝ってきているのならば許すのがまっとうな社会人としての態度というものだろう。
3.「安かろう悪かろう」を肝に銘じよ
何故通信販売が店舗と比べて商品を安く提供できるのかを考えた方がよい。それと、サポートや手厚い対応にはリニアにコストが掛かることを今一度理解するべきである。
世の中、無料なのはファーストフードのスマイルだけだ。それ以外の電話応対や商品の在庫管理など、低コストで行うために店舗と違ってある程度割り引いているところだってあるだろう。
つまり、我々ユーザ側は値段が安いだけの対応しかして貰えないのだと覚悟を決めて、その店の低価格に価値を見出し、通信販売を利用すべきなのだ。
店側から失礼な対応を受けたとか掲示板にとうとうと悪口を書く者が時々居るが、自分自身ちゃんと真摯な対応で礼節をわきまえ、相手に対する敬意を払って対応していたのか確認した方が良いだろう。
私は一度お世話になった店舗は何度も利用したいが為、もしも納期遅延が出たり在庫が無くなって提供できないなどと言われた場合も礼節を持って(後若干のイヤミを含ませ)対応している。
結果として、後味の悪い取引になったことなど一度もない。ちなみに通信販売は、だいたい月に5回くらいは使っているのでトラブルにはそれ相応に遭遇しているつもりだ(お金を騙し取られたことはないけど)。
4.客自ら「お客様は神様」と定義するな
「お客様は神様」は、売る側の戒めの言葉であり、ユーザは「お店が提供する良い物の価値を認め、相応の代価を払って分けていただく」のだと考えなければならない。
「金を払えば何をしても良い」等というのは民度の低い愚か者が言うセリフであり、人として恥ずかしい事この上ない。だいたい今の世の中、自ら自分を神などと称するのは、頭のおかしい新興宗教の教祖くらいなものだ。

 賢い一般消費者は、店頭販売と通信販売双方に存在する価値とリスクを見極め、一番お得な買い方をすべきなのだ。なので、自分がどこぞの王族とでも勘違いしている構われたがりの人間は通信販売など使わずに、相応のサポートが得られるであろう店舗販売を利用した方が良い。
 自分のわがままを通すためには、それ相応のお金を支払うべきなのだ。

第8回 『準児童ポルノ違法化』に反対します!

 以下の文章は日本ユニセフ協会が掲げる『準児童ポルノ違法化』に心底頭来てぶち切れた管理人が、メインメニューのページに臆面の無く晒した駄文である。
 いい加減旬がずれてきた感もあるのでメインメニューから外したが、それでも一生懸命書いたつもりなのでここに残しておこうと思う。

 皆様ご承知の通り、日本ユニセフ協会という団体が『準児童ポルノ違法化』と称し、それらの単純所持をも違法化するキャンペーン(以下、当該キャンペーン)を行っています。
 管理人は以下に挙げる理由のため、彼らの運動に対し断固反対いたします。
 本趣旨にご賛同の方は、どのような方法でも構いません。我が国の健全なサブカル文化発展のため、自分で出来るだけのことを行ってください。

おさらい 『準児童ポルノ』とは?

 ITmediaの記事によると、『準児童ポルノ』とは"「アニメ、漫画、ゲームソフトなどと、18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど」。アニメや漫画、ゲームソフトは「写実的なものに限られる。ちょっと漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえない」"とのことです。
 ここから先は管理人の勝手な判断になりますが、要は18禁の物全部+エッチや残虐な描写のある物の殆どが該当するかと思われます。もちろん児童とは18才未満の男女ですので、BL(ボーイズ・ラブ)系も全て該当します。

ガイドラインの曖昧さ

 「写実的」という各個人の主観が入る事がガイドラインになっている時点で問題です。
 ある人は「へのへのもへじ」を写実的と言うでしょうし、またある人は「写真以外は写実的ではない」とも言うでしょう。ちなみに管理人は、実在する人物をモデルにし、一切のデフォルメ的表現を加えていない物のみを「写実的」と見なします。一般的なアニメやゲーム、マンガの絵は単純化/正規化した「記号」であり、人物画としても認められません。
 いわゆる『準児童ポルノ』のガイドラインを正確に規定すべきです。このままでは、特定の人種による感情的な判断で善良なクリエーターを犯罪者にしてしまうようなことになりかねません。
 例えば管理人の描くヘタクソな絵は写実的ですか? 他人がどう言おうと、著作権を持つ管理人は自分の書いた絵を「写実的だ」等とは絶対に言いません。
 そもそも広辞苑では「写実的」という言葉に対して、「事実をありのままに書くこと」と説明しています。つまり完全にオリジナルのキャラクターに関しては、まるで写真のように書かれていたとしても事実ではないので「写実的」とはなり得ないのではないのでしょうか。
 本当に「写実的なものに限られる。」のであるのならば、現状のアニメやゲーム、マンガの殆どは写実的ではありませんので問題ないと考えられます。
 しかし、本当は全部のアニメやゲームを写実的と言いたいのですよね? 「ちょっと漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえない」は、クレヨンしんちゃんだけは除外するって事ですよね?

既存ガイドラインを完全に否定

 いわゆる『準児童ポルノ』に対し、ソフ倫やビデ倫、出版業界は既に自主規制とし厳格なガイドラインを定めているはずです。
 一般的に言われる「18禁」という物が存在し、現状でもいわゆる『準児童ポルノ』は児童に閲覧されるような事がない仕組みになっています。
 当該キャンペーンでは、これら既存の団体を一切無視しています。(そのように見受けられます)
 こういったやり方は、一方的な権力の行使としか見られない危険な行為であると考えます。まずは、既存の業界団体に対して公開質問状を投げることからアピールすべきです。
 我々消費者は、いわゆる『児童ポルノ』とされるコンテンツを作っている業界自体が自粛することに関しては、ここまで反対意見を述べる気は無いと思います。
 「臭い物には蓋」的な感情論でいわゆる『準児童ポルノ』を全て否定するよりも、まずは既存のガイドラインの変更を検討すべきです。

既存業界の徹底的な破壊

 いわゆる『準児童ポルノ』は、暴力団や違法な団体が違法に製造している物では決してありません。
 一般企業が通常の事業活動として製造しているれっきとした製品です。
 万が一でもいわゆる『準児童ポルノ』が違法化になった場合、該当する製品を作っている会社は殆ど倒産に追い込まれ、大量の失業者を作り出すでしょう。
 本キャンペーンでは、こういった業界のアフターフォローまで考えているのですか? 彼らは普通のサラリーマンです。自分たちの製品に自信と誇りを持って製産している立派な社会人です。
 ただでさえ、ニートや日払い労働者の問題で正規の就業人口が危ぶまれる我が国で、これ以上失業者を増やしてまでやることでしょうか。
 それにいわゆる「オタク系の萌え文化」は残念ながら現在の日本の主要な輸出産業となっています。既に電子立国などという幻想は前世紀で消え失せ、インドや中国にその座を奪われています。(既に外国では韓国製や中国製の家電が一番売れている)
 いわゆる『準児童ポルノ』とこれら「萌え文化」は表裏一体を為すものです。今後コンテンツ立国くらいしか立つ瀬のない我が国が、優秀なクリエーターを失業させるような事態に陥った場合、いったい何を外国に売っていけばいいのでしょうか。
 何度も繰り返しますが、今後工業製品で日本の貿易額が飛躍的に上がる可能性は殆どありません。今後はコンテンツを売っていくしか道は残されていないのです。
 そういった業界こそ、我が国は死守しなければならないのではないのでしょうか。

ネットワークの仕組みを無視した理論展開

 ネットワークに繋がっているPCには、ユーザの意に反していわゆる『児童ポルノ』が紛れ込む可能性があります。
 この議題は「ダウンロード違法化」でも盛んに論議されましたが、ブラウザのキャッシュやスパムメールにいわゆる『児童ポルノ』のコンテンツが紛れ込むことがあります。
 管理人は『善管管理義務』と称し、ブラウザのキャッシュやスパムメール等を定期的に削除してPCに意図しないデータが残らないようにしていますが、それでもある瞬間にはHDDに意図しないいわゆる『準児童ポルノ』のコンテンツが入っていることもあるでしょう。
 一方的にいわゆる『準児童ポルノ』の違法化を叫ぶ人たちは、自分のPCからブラウザのキャッシュをリアルタイムに消す方法や、スパムメールを完全に削除する方法を知っているのでしょうか。
 管理人はテクニカルエンジニア(ネットワーク)の資格を持っていますし、本職はシステムエンジニアです。なので、いわゆる『児童ポルノ』の単純所持が違法化された場合、技術的にほぼ無理な要件を法律に組み込んだ所為で善良なる市民が意図せず犯罪者になってしまう可能性が極めて高くなるのが心配でたまりません。
 いわゆる『準児童ポルノ』コンテンツをPCや携帯電話に保存させない唯一にして完全な方法は、ネットには決して繋がない事です。情報化社会が叫ばれてからかなり日数が経ちますが、本気でこういった事が出来ると思いますか?
 どう考えても、当該キャンペーンに関わる人間には、先端技術に明るい人間が居ないように思えます。盲目的に賛同したであろう某IT企業は何を考えているのか理解できません。自分たちのOSやブラウザの仕組みを理解していますか? 自分たちが作った検索エンジンがいわゆる『準児童ポルノ』をたくさん検索している事をどう考えているのですか?

性犯罪の発生件数と『準児童ポルノ』との相関関係

 いわゆる『準児童ポルノ』に接した人々は、皆性犯罪者になるのですか?
 もちろん「絶対にない」とは言いませんが、性犯罪者はいわゆる『準児童ポルノ』と関係なく出てくるものです。相関関係など殆どありません。
 圧倒的大多数のファンは、それがアニメ、ゲーム、マンガだからこそ喜んで見ているわけで、現実の幼女がレイプされる現場を見て喜ぶ事は決してありません。むしろ、そういったコンテンツのファンは、現実の幼女には近づきたがりません。不用意に接触する事のリスクは理解していますし、それに彼らは現実の人間になんて全く興味・関心は無いのです。
 むろん、ゲームの世界観が現実には性犯罪となる描写が為されている物だとしても、それはちゃんと虚像の世界であるが故に楽しんでいるわけで、それを現実に起こそうなどと言う感情はあり得ない事なのです。ファンは、ちゃんと現実と虚像の区別を付けて行動しています。
 むしろ当該キャンペーンを行っている人間こそが、現実と虚像の区別が付いていないのではないのですか?
 現実に存在する児童を性犯罪から守りたければ、いわゆる『準児童ポルノ』を抹殺する前に、現に被害者がたくさん出ている違法な出会い系サイトや風俗店の取り締まりをすべきです。もしくは、性犯罪者の殆どがいわゆる『準児童ポルノ』の所為で性犯罪を起こさざるを得なくなったという明確な根拠を示すべきです。
 当該キャンペーンはいかにも「臭いものに蓋をする」的な感情論と考えられますが、性犯罪の被害に遭う可能性のある児童に対して「臭い物を臭いと解らす」教育を行う事が先決であると言えるでしょう。
 当該キャンペーンの賛同団体の方々も、まずは人様の趣味にケチを付ける前に、どうぞご自分のご家庭でお子様に性風俗に対する正しい教育を行ってください。それが親としての責任なのではないのですか?

ゲームのキャラクターの人権は?

 ITmediaの記事によると、民主党の某議員は「ゲームの中で児童はひどい虐待を受けており、しかも児童は『虐待を受けて良かった』という作りになっている」等と評していますが、そのゲームの中の児童を作り上げた脚本担当にちゃんと意見でも聞いたのでしょうか。
 先ほども現実と虚像の区別が付いていないと申しましたが、ゲームの中のキャラクターは所詮脚本家やキャラデザをした人間(基本的に成人)の妄想の産物であり、キャラクターの喋った言葉は脚本家の数ある主張の一つではないのでしょうか?
 つまり管理人は、ゲームやアニメやマンガの中に出てくる児童(を想起させる記号)は原作者の人格の投射であると考えます。
 原作者がキャラクターに何を喋らせ何を考えさせるのも原作者の自由であり、他人に強制されるべき事ではありません。むしろそういった活動に強制を行うのは、検閲です。明確な憲法違反です。
 例えばひげ面のむっさいおっさんが、「俺が女子中学生なら、ひもで縛られて10人のマッチョに嬲られたい」と言ったところで、そいつの人格は果てしなく疑われるでしょうが犯罪ではありませんし、それは憲法で定められた信条の自由の行使です。TPOをわきまえれば、決して咎められなければならない類の物ではありません。
 上記のような事態においても、当該キャンペーンを行う人たちは「女子中学生である貴方を守るために、貴方の想像を規制します」とか堂々と言えますか? あまりにも極論に感じるでしょうが、ゲームのキャラに勝手に人権を付けている方が圧倒的に極論であると考えます。
 「ドラえもん」ではのび太がジャイアンにいつもいじめられていますが、それだって「アニメの中で児童(のび太)がひどい虐めをうけており、しかも児童(のび太)の『虐めが無くなる兆しがない』という作りになっている」と言って、ドラえもんもいわゆる『準児童ポルノ』にするのでしょうか。
 「ドラえもん」が良くて、その他秋葉原方面で人気のある作品がダメなどと、誰が判断できるのでしょうか。どちらとも、善良な企業・社会人が営む生産活動の中で出てきたコンテンツ商品です。これらを差別するのは、原作者を勝手な価値判断に基づいて差別しているのと全く同義です。
 上記の「既存ガイドラインを完全に否定」でも申しましたが、表現はあくまで自主規制の強化で道筋を付けるべきで、他人に強制される事態はなんとしてでも防がなければなりません。

ファンの人権をないがしろにしている

 当該キャンペーンを行う事で、アニメやゲームやマンガが好きな善良なる市民を「潜在的性犯罪者」と一方的に決めつけるリスクを理解していますか?
 ただでさえ、現状ではアニメファンだと言うだけで性犯罪者や変態と同一視されているような風潮が感じられます。こういった傾向は深刻な差別社会を作るのではないのですか?
 趣味で人を差別して良い根拠はなんですか? アニメが好きな人間は、いつしか現実の幼女をレイプするとでも言うのですか? 他人に趣味をとやかく言うのが正しい行いですか?
 性犯罪の犯人に圧倒的にアニメやゲームのファンが多いという根拠はあるのですか? 管理人は性犯罪者なのですか?
 いわゆる『準児童ポルノ』のコンテンツのファンは、圧倒的大多数が善良な市民であり、現実の性犯罪に対して絶対的な嫌悪感を抱き、それが無くなる事を切に望んでいます。彼らは潜在的な性犯罪者などとは全く無縁の存在です。
 当該キャンペーンはこういったファンの心情をまったく理解していないどころか勝手に敵に回し、「現実に存在する児童を性犯罪から守る」という当初の尊い目的を完全に逸しているとしか思えません。
 つまりそういったコンテンツのファンは、当該キャンペーンを行う人間に一方的に非難されたあげく、自分の金を使って集めたアニメやコミックを廃棄せざるを得ない状況に追い込まれているのです。
 そのような状況では、我々ファンは当該キャンペーンを行う人間などに聞く耳など持ち得ません! むしろ、我々ファンは、あなた方に自分たちの人権を侵害されているのだと考えます。

ならどうすべきなのか

 業界による自主規制の強化を行うべきです。
 具体的には、

  1. 規制の基準を絵だけでなく、一般的なコンセンサスが取れるレベルで内容にも踏み込む
  2. 店頭などでの広告の基準を厳しくする
  3. 児童に有害情報が触れないようにする

 等が考えられます。
 確かに現在、表現の自由を笠に着て行き過ぎた表現をしている部分も多々あるかと思います。しかしそういった部分は自浄努力で何とかなるはずです。
 以前、手塚治虫のマンガも一方的に有害図書指定を受けた事がありました。しかし今の世で鉄腕アトムやブラックジャックが有害図書であると思いますか?
 むしろ手塚治虫のマンガを有害指定した事に違和感と怒りを感じると思います。しかし、それと同じような事態が今起ころうとしているわけです。

管理人の勝手な思い

 人間は綺麗な部分だけではありません。欲求のはけ口としていわゆる『準児童ポルノ』とされるコンテンツが必要となるシーンもあるでしょう。
 それは人としてあってはいけないことですか? そもそも欲求を持ってはいけないのですか? 誰にも迷惑を掛けずに欲求を処理する事は人として間違っているのでしょうか?
 それとも、男性は風俗店に通えばいいのでしょうか? 女性はホストクラブに行けばよいのでしょうか? そのような価値観は、誰の物ですか? 管理人は風俗店やホストクラブに行くことなぞ、到底受け入れられません。
 ライフスタイルも価値観も多様化しています。今や、隣人は貴方にとってまったく理解できない存在となっています。
 だからこそ、お互いの価値観の違いを認識し、妥協点を探るのが大切なのではないのですか? 一方的に価値観を押しつけるのは喜ばしいことですか? あり得ないでしょう!
 確かに18禁ゲームや成年指定のマンガは威張って天下の往来で広げて良い物ではありません。しかし、そういったコンテンツは人間が欲望を持つ限り必ず需要が起こります。
 むしろそういったコンテンツがあることで、実在の児童に性被害が及ぶ事を防いでいるとは考えられませんか?
 化学薬品は、毒にも薬にもなります。薬になるのは、それが用法・用量をきちっと守っているからです。そういったコンテンツも間違った使い方をしたら有害な情報でしかありませんが、使い方さえ間違わなければそれはそれで役に立つシロモノです。
 18禁ゲームや成年コミックが、それを趣味としない人にとっては気分の良い物でないことは十分理解できますが、それは他の趣味にだって言えることです。
 例えば一般の公道でレースをしている車オタク(違法です)、今ではあんまり見かけませんがヤマンバなお顔の女子高生達、駅前でマイク片手に歌ってる人たち(これも条例違反)、数えればきりがありません。
 しかし明確に言えるのは、いわゆる『準児童ポルノ』とされるコンテンツを趣味とすることに関しては、全く他人に迷惑を掛けません。最悪、やかましいBGMやあられもない声が隣の部屋に聞こえる程度です。
 万が一にもいわゆる『準児童ポルノ』が違法になった場合、世の中が良くなることなど何一つ無く、上記に挙げる問題点が噴出し大混乱に陥るだけです。今一大ビジネスとなっている萌え系が殆ど潰れて、景気にも影響してくるでしょう。
 いわゆる『準児童ポルノ』は玉石混合で素晴らしい物からどうしょうもないものまで雑多に含まれていますが、それを精錬することなく十把一絡げに抹殺するのはあまりにも愚かしい行為です。
 つまり、「目的と手段を取り違えるな!」って事です。

ご参考記事

 日本ユニセフ協会・特集 子供ポルノから子供を守るために
 ITmedia アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同
 ITmedia 「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査
 ITmedia 小寺信良:「児童ポルノ法改正」に潜む危険
 MIAU 「準児童ポルノ」に関する公開質問

第9回 ヲタは犯罪予備軍なのか?

 世間に蔓延るパンピー気取りの中身の薄い連中に言わせるところによれば、ヲタは心が壊れていて幼女をさらって殺して存在自体がキモイのだそうだ。
 ……と、いつまでも特定の団体に利用されただけであろう浅慮な某国会議員の暴言をネチネチあげつらっていても建設的ではないのは間違いないだが、それだけ彼の言葉には今までにない斬新さと傲慢ちきな差別的悪意が感じられて、管理人の心に大いに響く素晴らしい物であった。
 人間という物は、後天的な要素のよって犯罪に走るものだ。生まれながらの犯罪者は居ないが、かといって生まれながらに犯罪を起こさない事が確定された人間もいやしないだろう。誰にでも犯罪者になる可能性はあるだろうし、メジャーな宗教では生き物を食べることも罪だといっている。
 さて、人間が犯罪者になる正確な理由や素養などは犯罪心理学だの何だのに任せておくとして、本駄文の主題は「ヲタは犯罪者」であるかを論じることであるので、以下、それについてクドクドと述べてみようと思う。
 一般的にヲタというのは、趣味にトチ狂って収集や創造に突っ走ったイタイ連中を指す言葉だそうだ。ちなみに趣味のジャンルは特定しない。良く車好きに「車ヲタ」というと激しく抵抗するが、職業に貴賎がないのと同じで、趣味にも貴賤があるわけはなく、車雑誌を部屋の床が抜けるほど買いあさって特定車種の一部分を見ただけで車種から年式まで言い当てるヤツは、これ以上ないほど立派なヲタである。
(なお、同じ職業や趣味の中には貴賤はあるだろう。要は志の違いというヤツだが、本駄文ではそれについては論じないでおく)
 もしも美少女アニメ好きがヲタで、車好きがヲタではないという方がいらっしゃるならば、エロゲで脳みその腐れた管理人にも理解できるような証拠を挙げて、ちゃんと説明していただきたい物だ。
 以下、例文を二つほどあげさせていただこう。

 もちろん後者の方がイタさキモさ炸裂なのは全く否定しないが、趣味に萌えてハァハァしているのはどちらも変わらないだろう。五十歩百歩とか、どんぐりの背比べというヤツである。
 それでも何かが絶対違うというのなら、一体何がどう違うのかバカな管理人にも理解できるように、具体例を挙げて教えて欲しい。程度の差はあれ、結局生きていくには取り立てて必要ではない知識を蓄積する行為であるという事には、何も変わらないのでは無かろうか。
 そもそも、日本国憲法では、信条の自由を基本的人権として認めている。これは、他人に思想を強要されないという国民の権利を表していると考えられるのだが、昨今見られるアニメやエロゲの差別的排斥運動には、他人に対する思想の強要が多分に含まれていると言えるのではないだろうか。
 確かに、エロアニメやエロゲにはどう考えても小学生としか言えないような20才の女性を手込めにするような、しょうもない物もあるにはあるのだが、それを嗜んだ人間がことごとく現実の幼女に手を出すのかというと、それはちょっと待ってくれと言うのがエロゲやアニメファンの正直な感想である。よくその手のファンは2次元と3次元の区別がついてないとか、現実と妄想が入り交じってるとか言われるのだが、ここだけは声を大にして言いたいのだが、『エロゲヲタが現実の幼女をレイプするとか言ってヲタを批判するパンピー気取りこそが、そもそも現実と虚構の区別がついてない』のではないだろうか。
 はっきり言って、いくら「かがみんハァハァ、俺の嫁」とかバカなコト言ってる痛々しいヲタでも、アニメのかがみんだからこそ言いたい放題ハァハァしているのであって、現実の女性に対してはその辺の一般人と同じ応対しかしない物だ。むしろ変に遊んでるような軽いナンパ野郎よりも、よっぽど誠実に対応してくれるであろう。それに管理人みたいなシャイでナイーブな引きこもり気味な甲斐性無しヲタは、現実の女性には不用意に近づきもしない物だ。幼女なんてもってのほか、あんなマトモに会話が成立しなそうな存在は、視界に入るだけでこっちが逃げる!! それが、一般的なヲタの姿である。そもそも現実の女性に気軽に声を掛けるようなヤツは、エロゲやアニメを見る暇があればホテルで彼女といちゃつくはずなので(この辺激しく偏見)、いくらヲタがイタイ格好をして歩いていようと、イタイ会話をして大騒ぎしていようと、これ見よがしにイタイ車を乗り回してイタイ歌を口ずさんでいようと、彼らは単に存在がイタイだけであって全く害がないのだ。それは、彼らは現実の人間をどうこうするよりも、アニメやゲームをしている方がよっぽど幸せに感じる人種だからだ。
 このように、現実の人間とはあまり接点を持とうとしない連中が、なぜ故わざわざ犯罪を犯すというのか。
 金が無いから? はっきり言ってヲタは金持ちだ。金を持ってなければ、パソコンやエロゲやアニメのDVDを床が抜けるほど買えやしないだろう。
 ゲームで培った性欲が暴走する? だから彼らの性的興味は、圧倒的にディスプレイやテレビの中の2次元少女達に向いているのだ。現実の女性に性的興味を覚えることは、一般人と同じかそれ以下である。
 むしろパンピーに紛れ込んでいる頭のネジが飛んだヤンキーや、どこかの大学でサークル活動と称し、何人もの女性をレイプしたスーパー何とかとかフリー何とかの方が圧倒的に質が悪い。
 そしてよく考えて欲しい。この国のバカなマスコミがどれだけ酷い偏向報道をしているのかは賢明な読者諸氏は十分すぎるほどご承知だと思うが、「エロゲ好きが高じて幼女をレイプした」とかいう、いかにもマスコミ受けしそうな事件が、一体何件報道されたというのか。確かに、管理人は一回だけ「調教ゲームにハマって誘拐してきた女性に御主人様と呼ばせちゃいました」とかいうふざけた事件を聞いたことはある。そして、それはそれでエロゲが事件の原因になったことは否定しないが、しかし女性が性的被害を受けた事件の何割がそんな感じだというのだろうか。
 また、とっ捕まえられた犯人の家を家捜しすると、エロゲやアニメが一杯出てきたなどという報道も良く聞くが、それはそれらの作品に影響されたのではなくて、元々犯人が犯罪を犯すような素質があり、その素質が特定の種類のアニメやエロゲの内容を好んでいたのではないかと管理人は考える。以前、警官からピストルを奪って人を撃ったクソガキがいたが、彼の部屋には管理人も愛読していたトラ○ガンの単行本が全巻あったそうだ。そこでニュースのキャスターは「このマンガは銃と暴力が支配する世界で、主人公が人を撃つ残虐シーンが多く描かれ、犯人はそれに影響された物と思われる」とかいうステキな原稿を読んでいたが、賢明なる読者諸氏は「いつ何処でヴァッシュが人を殺したよ!!」と100回ほどツッコミを入れるであろう。むしろ、いつでも人を殺せるごっつい銃を持っていながらも、どうやって人を殺さずに事態を収拾するかで、ヴァッシュは髪の毛が真っ黒になるまで悩んでいたハズなのだ。そして、まともな人間が本気でこのマンガを愛読していれば、むしろ暴力ではなくラヴ・アンド・ピース!となるのが道理であろう。だから件の事件を起こした犯人はトラ○ガンを読んでイカれたのではなく、既に人を撃ち殺したくてどうしょうもないと思うほどにぶっ壊れていて、たまたまそれっぽいシーンが多かったトラ○ガンを読んで喜んでいたに過ぎないのである。
 また、この例は如何にマスコミが不勉強で不謹慎で独善的で適当なでっち上げを臆面もなく夕方の全国放送のニュースでタレ流しているのかという良い例でもあるのだが、世の中のヲタに対する差別的偏見は、こういった程度の低すぎるマスコミの作り出した洗脳行為の産物であるとも言えるだろう。
 そもそも、一方では「人生では趣味を持つことが大切です」とかあちこちの番組で言っておきながら、若者がもてあますパワーと性欲をちょっとえっちな趣味で発散しているのを性犯罪者だのキモイだのアキバ系だのと排斥しようとするのだ。その行為にはまるで一貫性がない。
 敢えて述べさせていただくが、管理人は別に「ヲタが天下の往来をイタイ格好して歩くのを賛美せよ」とか言っているのではない。そういうヤツはヲタ以前に単なるバカなので、腹の底からキモイと言ってやって良いと思うし、そもそもバカなヤツは何処の業界にも必ずいるので、一人の変なヤツを見たからって他の全ての集団が変なヤツだと思うのは完全に間違いである。そして、大多数の善良なヲタは、自分の嗜みが天下の往来でおっぴろげて良い物ではないという事を完全に熟知しており、余所様の視界を穢す事が決してないよう、影でコソコソとエロゲを楽しんでいるだけなのである。
 そのような慎みある行為に、何の非難される理由があろうか。
 「今この瞬間に、例えPCの中とはいえ少女が服を脱がされるのが許せない!!」とでも言うのか。百歩譲って、「エロいコンテンツで男が喜ぶのが許せない」とでも言うのだろうか。
 もしもそこまで言い切るヤツが居るのならば、全人類のヲタの人生に対して全ての責任を取れ! 思い上がりも甚だしいというのだ。一体貴様は何の権限があって、他人様の趣味や大人としての嗜みにまでいちいち注文を付ける口を持っているというのか。最悪、一切の煩悩を捨てて全人生を他人のためだけに使いましたとかいう聖人君子のような人が「汝エロゲするなかれ」と言うのならば、その言葉は耳を傾けるに値するのだが、だいたい人のやることにケチを付ける様なヤツは、管理人を含めてクソみたいな価値しかない人間だ。そして、世の中には色々な価値観の人間が居て、お互いその違いを尊重しなさいとかいう、小学校の道徳辺りで学ぶようなことすら、理解できていない馬鹿者なのだ。
 そもそも、まっとうなヲタは余所様に向かって、自分の趣味を全面的に認めろだの、全世界の人間は全てエロゲでハァハァすべきだの、絵馬にかがみんの絵を描いて鷲○神社に飾れなどとは決して言わない。万が一言ってるヤツが居たら、普通に無視するかウザイと言ってやって構わないし、そもそもその言葉自体、センスのずれたギャグである可能性の方が圧倒的に高い。ヲタにはエンターテイナー気取りの自虐野郎が多いので、普段メイドさんなんか全然興味ないくせに、アキバでテレビカメラを向けられると、ついつい「メイド萌へ〜〜」とか口走ったりする哀れな生き物なのだ。ヲタはこれと決めた仲間(同族)を見つけると全身全霊込めて洗脳することは多いが、そのケの無いパンピーには決して自分の趣味を押しつけない物だし、彼らなりに真剣な気持ちでその趣味を楽しんでいるのだ。むしろパンピー気取りの狭量な人間こそが、ヲタの気持ちも考えずに批判や罵声や薄っぺらな正義感を振りかざし、他人の気持ちを傷つけているのだ。
 時々「ヲタは存在自体がキモイ」とか抜かす痴れ者が居るが、それが何処まで酷い差別発言なのか、もう一度人生をやり直すくらいに反省した方が良い。誤解を恐れず言わせていただくが、ヲタを毛嫌いするのは同和地区出身者や伝染病患者を差別するのと同じである!! 万が一ヲタに身体的、金銭的被害を受けたのならば、それは普通の事件であるのでウダウダ言う前に警察に通報すべきだ。そして目の前をヲタが歩いているだけで精神的苦痛を受けたなどと抜かすのならば、それはそれで正々堂々と警察なり弁護士に言ってみればいい。間違いなく頭の構造と人となりを疑われるか、お前が犯罪者になりたくなければ考え方を変えろと言われるであろう。
 さて、ヲタが犯罪予備軍などでないことは十分分かっていただいたとは思うが、では彼らはパンピーの皆様に非難されるほど劣悪な人種なのだろうか。
 先ほども述べたが、ヲタはその潤沢な経済力を駆使して己の煩悩を芸術の域まで昇華しようとしている熱い人種である。では、その経済力は一体どこから来るのか。
 親の金? そういうすねかじりは何処の業界にも必ずいるので、敢えてここでは議論しない。バイトもしていないクソガキがGTRを乗り回してるのが、良い例である。
 まず、気合いの入ったヲタにはまともな社会人が多い。そしてそういった連中は会社でも良い働きをするので、いっぱい給料を貰っているヤツも少なからず居る。
 ヲタは血の涙を流しながら自分の趣味を完遂するだけの気迫と根性を持っている。そしてそういった連中は自分の限界がどの辺なのかを良く分かっているし、それに物事を完遂させるには、どうやって行動すればいいのかを考えるスキルを身につけている。
 さて、賢明な読者諸氏は分かっていただけると思うが、こういったスキルは、社会でも大変役に立つ物では無かろうか。
 いくら学校のテストの点が良かろうと、そんなモンは会社の仕事では役に立ちはしない。学校でやっていることよりも遙かに高度な知識を用いて、専門的なことをバリバリこなしていく事が要求される現場では、それこそ「ひとりでできるもん!」といったスキルが物を言う。管理人の職場にいるヲタ達は、どつもこいつも良い仕事をするエリート達だ。根性の入れ方をわきまえているので、トラブル時には文句をブーブー言いながらもちゃんと役割をこなすし、やるときには土日返上でマシンの如く働いている。
 それに比べて、取り立てて趣味の無い連中は教えられたことしか出来ず、応用力も殆ど無い。そして問題にぶち当たった時には、手当たり次第にがむしゃらに、とにかく行動を起こして「何とかしてでもクリアしてやる!」といった魂の輝きを見せてくれることも全然ない。すぐに音を上げ「出来ません」と余裕の笑みを浮かべて言ってくる。「お前は今までの人生で、泣きが入るほどなんかに根性入れてやったことはあるのか?」と聞いても、「別にありません」としか答えない。こんな事を書くとすぐに「根性主義はダメ、ゼッタイ」だの「クールじゃない」とか言い出す仕事の出来ない口先野郎が湧いて出るが、どんな業界でも最後の最後には根性が物を言うものだ。なんだかんだ言いつつも、社会とはそういうものなのだ。学生諸君が読まれているのならば、良く肝に銘じていた方が良いだろう。
 ともかく、最後の最後で根性を入れて踏ん張れるヲタと、日頃のでかい口から弱音ばかり垂れこぼすパンピー気取りのヘタレ野郎。どちらがより信頼を得られるかは、いちいち説明しなくも分かっていただけると思う。

 世の中にはヲタがいっぱい居るし、殆どのヲタはまじめに勉強したり社会で活躍している。特にIT系はヲタがたくさんいるので、ヲタをキモイとか言ってる奴らがクールを気取って使っているケータイやらパソコンは、みんなヲタ達が一生懸命作りあげた物だ。
 そうやって人々の生活をより便利に出来る物を作り出している人々を、単に趣味が合わないからと言って差別するだけの人生とは、果たしてどれだけの価値がある物なのだろうか。

第10回 地デジ移行について思うこと

 アナログ停波まで後3年を切り、やっとというのであろうか、巷での地デジ対応機器の所有率が約半数を上回ったのだという。
 約50年続いたアナログテレビ放送からデジタル放送への移行には、各人それぞれ思うところが多々あると思うが、ここで管理人の考えを示しておこうかと思う。
 まず、地デジ移行の必要性についてであるが、これは必須であると考える。理由は簡単、電波の有効利用のためだ。アナログテレビ放送は半世紀前の化石的規格であるが故、電波の利用効率が極端に悪く、莫大な帯域を無駄使いしている。それ故、他の新しいサービスでなかなか電波を使えないのだ。
 日本政府(総務省)が言うところの地デジの利便性は、やれ画面が綺麗だの双方向通信が云々かんぬんだの、パンピーにとってはどうでも良いような事ばかりである。こんな曖昧模糊なことを言っているから、「金儲けのためだ」だの「画質なんてどうでもイイ」といった、それこそ論点のずれた反対意見が噴出するのだ。なぜ故はっきりと、技術的な理由を伴った説明を行わないのであろうか。
 「アナログ放送では、電波という有限な資源の浪費が激しく、このままでは新しいサービスで電波が全く使えません。だから電波の利用効率の良いデジタル放送に移行して、資源の有効活用を実現しましょう!」などと説明すれば、お門違いの反対意見などもう少し減ろうという物だ。それか考えられるのは、「テレビなんて所詮娯楽。だから受信の義務も課されていない国民に技術的な説明など必要もなく、娯楽をより楽しむ説明だけで構わないのだ」というロジックであるのかも知れない。
 ここでついでに、管理人のテレビそのものに対する考え方を述べておこう。それは、テレビはあくまで大衆娯楽の一つであり、我々国民はその娯楽を享受する機会を与えられているに過ぎない、という事だ。
 我々はテレビ視聴を強制されているわけではないし、テレビを見ないからと言って差別や罰則を受けることもなければ、生活を阻害されることもない。けれども、何を勘違いしているのか、世の中にはテレビはライフラインだ等と抜かす者が居る。だが有史以来、テレビが無くて死んだ人間がいるのだろうか。ライフラインとは、それが無くては社会生活に重大な悪影響を及ぼすものを指す言葉であり、所詮娯楽番組やニュース程度しか提供できないテレビなどに当てはまる物ではない。芸能ニュースや交通事故の情報など、捜せば他にもソースはいくらでもあるだろう。
 そして、テレビは娯楽であるという理由から、管理人はテレビを受信するのに関わる諸費用は、それを享受する側が全て負担すべきであると考えている。だがしかし、ネットには「政府が勝手に放送方式を変えるのだから、チューナーを無償で配れ」などという理解不能な暴言が良く書き込まれている。その意見は、万が一テレビの受信が義務化されているのならば、大いに賛成できるまともな意見だ。しかし、テレビの受信はあくまで視聴者の自由意志に基づいて行われるもので、その諸費用を他人に転嫁するなどもってのほかである。なぜ故他人の娯楽の道具まで、貴重な税金を使ってまで世話しなければならないのか。そもそもネットにくだらぬ書き込みを入れるだけの機械(PCやその辺)を持つユトリがあるのなら、その機械を売り払ってデジタルチューナーでも買えばいい。もしくはネットに文句ばかり書き込んでる暇があるなら、金儲けのネタでも考えるべきだ。
 管理人は、見知らぬ連中の暇つぶしの為に、自分が払った税金が使われることなど決して納得ができない。例え10倍のお金を払ってでも、自分の身内にチューナーを買ってあげた方が100倍以上気分が良いというものだ。そして、デジタルチューナーは買う気のある人間だけが持てばいいと言うと、必ず「テレビが見られ無ければ、緊急の災害情報はどうやって手に入れるんだ」だの「テレビ以外の、PCとか使えない弱者はどうするんだ!」などと言い出す、単なる技術音痴かそれともやたら上からの視線で物を言うヤツが湧いてくるが、それにもことごとく反論しておこう。
 今の世の中、テレビの代わりに災害情報を手に入れる手段はいくらでもある。町の防災無線、ラジオ、頑張れば携帯電話でも情報を取れるだろう。そもそも寝ているときや外出先など、テレビを見ていない時間はたくさんあるものだし、流せば流したで、時間が遅いと言って文句ばかり言う。ああいうサービスは少しでも助かる人が増えればいいといった親切であると認識すべきであるし、もっとしっかり緊急地震速報を受信したければ、無料のテレビに頼るのではなく、然るべき専用の端末を買って有料サービスを利用すればいいはずだ。ついでに言うと、最近ではケータイでもサービスを行っている。
 そして、テレビでしか情報が取れない等という屁理屈についてであるが、テレビ以外の災害情報の取得手段を全く得ようとしなかった、怠惰な生き方をしてきた責任は一体誰にあるのか、ということだ。自ら生きるために必要な情報を、いつ途切れるとも知れぬテレビなどに限定した責任は自らが取ればいい。まったくもって自業自得である。電気屋で5000円の安テレビを買えば、生きるために必要な情報を無償で必ず確実に絶対に全部届けてくれるなんて妄想は、さっさと捨て去った方が良い。世の中、そこまで甘くはないのだ。
 また、「そもそもテレビ以外の機械をなかなか触れないお年寄りのことを、どう考えているんだ」などとうさんくさい正義感を振りかざす者も多いが、その思考は完全なる差別意識であり、まったくもって上からの視点である。お年寄り=情報弱者に勝手にカテゴライズしていないか? 誰とも知れないお年寄りや自分の年老いた両親の不憫さを、これでもかというほどネットにたらたら書き込む暇人をよく見かけるが、そんな暇があるなら身の回りのお年寄りの家に行って、地デジの移行とはどんな物かと、ネットで大仰な悪口を書くくらいの素晴らしい知識を披露してくればいいし、それに自分の親の面倒くらい自分で見ろ! 田舎の両親は地デジなんか全然分かってないだの、テレビ以外の娯楽なんか無いだのと、やたら偉そうな事を書いているヤツも結構いるが、それならその辺の電気屋で6万円くらいの地デジのテレビを買って、ご両親にプレゼントしに行けばいい。そして、大切なご両親をテレビに押しつけるのではなく、たまには遊びに行ってちゃんと親子の会話を積み重ねた方がぐっといいに決まっているのだ。
 ちなみに管理人の祖母は80才近くで、九州の山の中で一人暮らしであるが、一人で勝手に光ケーブルのCATVなんぞに加入し、後はテレビを変えれば問題ないだのと言い放っていた。管理人を含め、帰郷した連中は皆その行動力にびっくりしたものだ。この例は確かに特殊ではあるが、しかしそういうお年寄りもいるという事だ。我が祖母に出来て、他人様に出来ないことなど、基本的にありはしないだろう。
 ところで、アナログ停波を機に、テレビを見ないことにするという書き込みもよく見かける。それが単なる負け惜しみでなければ、その選択は大変立派だと思うし、実に漢らしい意見であるとも思う。実際、新聞やネットでも十二分に情報取得や娯楽は可能なのだから、テレビばかりにに固執する必要など全くないはずだ。けれども、管理人はテレビなんかもう見ない等という漢らしいセリフを吐けなかったヘタレ野郎であり、結局家族の集まる部屋のテレビは、デジタルチューナーを積んだものに変えてしまった。
 そしてこれは余談ではあるのだが、デジタル放送の画質は圧倒的である。はっきり言って一度でもHD放送を見てしまったら、アナログ放送の画質など見られた物ではなくなるのだ。よく今までこんな汚い画面で喜んでいたなと、つくづく昔の自分の安さ加減に悲しくなる。そして同じ程度の画質しか表現出来ないDVDには、金を払う価値は無いと思うまでに至った。世の中にはPS3やらのアプコンで十分という人間もいるが、一度じっくりBDの画質を堪能してみればいい。いくら高度なアルゴリズムでSD画像をこねくり回しても、初めから高精細なHD画像に勝る物など有りはしないのだ。
 さて、議論を元に戻そう。先にもちらっと書いたが、表面的な地デジのウリは高画質である。それに対して「画質なんてどうでもイイ」とか言って地デジを拒否する者もたくさんいるが、あくまで地デジ移行の目的は電波の帯域の節約なのだ。だから高画質化は単なるおまけであり、画質が悪くても良いからアナログで十分などと言った理由は全く成り立たない。また中には「地デジと地アナの画質の差が分からない」などという暴言を放つことをはばからない者もいるが、それはただ単純に昭和時代に収録された番組を電気屋の店頭でチラ見しただけの勘違い野郎か、目医者に行った方が良いかのどちらかだろう。
 そもそも、画質などどうでもイイと言うのならば、ワンセグ受信機を活用してみてはいかがだろうか。お望みの通り画質はどうでもイイ程度にしか映らないし、それに端末の価格はそれ相応に安い。とあるネットの書き込みによれば、災害時ではアナログテレビは適当にアンテナを建てれば何とか見れるのに、デジタルだとアンテナをきっちり合わせないと見れなくなるので、非常時には全く役に立たないなどと、かなり笑える理論を振りかざしてあったが、既設のアンテナが曲がるほど激しい地震か何かがあったところに、テレビを稼働できるほどのまともな電力が通じているのだろうか。万が一電気が通じていたとしても、そんな状態でどうやって適当でも良いからアンテナを建て、そしてアンテナ線を適当に延ばしてこれるというのか。資材も道具も新品のアンテナ線も瓦礫の下に埋まっているだろうに、まったくもって浅慮な屁理屈であるという事が良く分かる書き込みだ。
 そういうときほど、ポータブルでしかも電気を喰わない(つまり電池の持ちが良い)ワンセグテレビが役に立つというものだ。非常持ち出し袋に、一つくらい放り込んでおくのも良いだろう。こういったところでも、地デジはそこそこ役に立つものなのだ。それに、管理人は貧乏なので古いケータイしか持っておらず、実感することが出来ないのだが、最近の新しいケータイには殆どワンセグ機能がついているというではないか。地デジが開始されたからこそ、電車の中とかファーストフード店で、ケータイ片手にテレビを眺められるようになったのだ。
 だが、アナログ停波によって、まだ普通に使えるテレビが単なるビデオモニターに成り下がってしまうのは確かにもったいないことだし、色々無駄だなぁと感じることもあるのも事実である。管理人の家にも、まだピカピカのアナログテレビがあるし、そのぶんのチューナーを買うのかと思うと、正直うんざりもする。
 しかし、古い規格にいつまで経っても縛り付けられ、ちっとも世の中が便利にならないのは、もっともったいないことでは無いのだろうか。現に、ケータイなどは何回も規格が変わり、その度に新しい電話機を買わされてきたはずである。ケータイは機種変更のサイクルが短いために、それに気がつかないだけなのだ。賢明な読者諸氏は既にご承知の通りだと思うが、その辺のテレビよりもずっと高価格のケータイ本体の代金は、単に通話料に上乗せされているだけで、結局テレビなんかよりももっと無駄なお金を延々と支払わされ続けているのが現実なのだ。それを考えると、テレビは(途中細かい仕様変更が何度かあったのだが)50年間NTSC-J方式を守り続けただけでも、十分頑張ったと言えるのではないのだろうか。
 規格の変わり目というのは、いつでも得をするヤツとしないヤツが出てしまう。しかしそれは科学技術の発展のためには致し方ない、そして貴い犠牲であり、10年後くらいに新規格が別に目新しさも無くなった頃、あのとき頑張って変えて正解だったと思えれば、それで良いのでは無かろうか。
 以前、テレビは「一生に一度のお買い物です」といったキャッチコピーの下で売られていた。今の価値に換算すると、優に100万円は越えていただろう。しかし現在、ちゃんとデジタル放送が映るテレビは、頑張って捜せば数万円で手にはいる。ワンセグで良いのならば、頼んだわけでもないのにケータイにも入っている。
 つまり、現在ではまともなテレビを見るのに数万円払えば良いだけであり、その代金すら払いたくないというのならば、テレビ自体に数万円の価値も見いだしていないということだろう。結局、そういった人間は単に「無料だから」という理由でテレビを見ているわけであり、そこまでテレビに固執しているわけではないのだと言える。
 最近は色々なサービスが無料で行われることも多く、様々な物の価値が急落しているように思える。だが、そのようなサービスが無料で享受できるからといって、それを構築するのにかかる経費が無料であることは決してない事は、小学生でも分かることである。むしろ、我々ユーザが何でもかんでも無料を追求するために、生産現場では賃金のカットが行われ、いつまで経ってもどれだけ働いても、立派で優秀な労働者の方々の銀行口座が暖まらない、ワーキングプアとか呼ばれる状況に陥ってしまうのだ。
 昔からタダより怖い物はないとも言う。それにうまい話なんか有りはしないという事は、賢明な読者諸氏に於かれては十分ご承知のことかと思う。サービスを享受するためには、それ相応の対価を支払わなければならないのだ。
 我々は、前にしか進めはしない。この駄文コーナーで何度も言っていることであるが、いつまでも古い物にしがみつくのではなく、新しい物を生かす態度も必要なのではないのだろうか。だから地デジの移行もブツブツ文句を言うのではなく、歴史が変わる瞬間なのだと素直に感動し、適当な安い地デジテレビでも一台買っておけばそれでいいのだ。

※地デジ移行のやり方に関しては、もちろん管理人も疑問に思うことはいくつもある。特に地上波に固執するが故、無駄なお金を使って大量の送信アンテナを建てまくるのには全く納得できない。IP送信やケーブル伝送など、安いコストで出来る物があれば積極的に活用すべきだ。バカな役人はいつでも目的と手段を取り違える。その点についての文句も激しくあるが、論点をわかりやすくするため、反対意見については割愛させていただいた。