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特設運送船鹿野丸戦闘報告「戦場図」

防衛省 防衛研究所蔵 http://www.nids.go.jp/
アジア歴史資料センター(JACAR http://www.jacar.go.jp/)
レファレンスコード C08030762500 特設運送船鹿野丸戦闘報告(3) 33/38ページ 「戦場図」
 この図を1942年8月キスカ島で書いた。  図の中の、440,515,544 は時刻。(日本時間)  92,227は海の深さ。(尋、fathom)
 相浦大佐は、グラニオン号が鹿野丸を錨泊のできない位置で雷撃し、 鹿野丸は漂流するしかなかったことを説明している。
 2007年8月、グラニオン号を深度1,000m(550fathom)で見つけた。  火山の砂礫の急斜面に700-1000mのシュプール状の滑り落ちた跡が残っていた。
戦記雑誌「丸」エキストラ/戦史と旅 N o.29
2001年7月別冊 潮書房
われ米潜水艦を撃沈せり
輸送船「鹿野丸」八センチ砲で仕留む
 キスカ港外、死闘84発目に遂にしとめる  元鹿野丸監督官 海軍大佐 相浦誠一
 ” 翌(1942年)7月31日早朝、 キスカ港外に達したが、 相変わらずの霧である。漂泊して待つうちに ○四四○(午前4時40分)、霧もやや薄らいで、ようやく天測を行うことができた。位置を確認し、十五ノットにて、勇躍、キスカに向かったのである。
敵魚雷一本が命中
 ○五一五、「マッカーサー・リーフ」を避けながら、 セグラ島の一五八度、一二浬において 二五五度に変針した。
 「右舷前方に雷跡が見えます!」  ○五四七、信号長脇坂一曹が、突然大きな声で報告した。  見ると、白い航跡が二本重なって、右舷前方一○○メートルを約四五度の交角をもって迫ってくる。 ...”

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