ビジネス作文(びじねすさくぶん)

事実と意見

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事実(じじつ)意見(いけん)区別(くべつ)

実用文(じつようぶん)については、事実(じじつ)意見(いけん)とを区別(くべつ)して()くべきだといわれる。ここでは、事実(じじつ)意見(いけん)とがどのように区別(くべつ)されるのか(まな)ぶ。

事実(じじつ)とは?

事実(じじつ)」とは、(だれ)でも経験(けいけん)できる()たり、()いたり、(さわ)ったり、()ったりできる)物事(ものごと)のことである。事実(じじつ)は、調査(ちょうさ)実験(じっけん)によって確認(かくにん)することができる。そのため、事実(じじつ)記述(きじゅつ)した(ぶん)は、(ただ)しい本当(ほんとう)間違(まちが)(ウソ)かのどちらかである。

事実(じじつ)記述(きじゅつ)する(ぶん)基本的(きほんてき)(かたち)は、『……である。』という(かたち)である。

たとえば、

『この大根(だいこん)は50(えん)です。』

というのは事実(じじつ)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。大根(だいこん)が50(えん)だというのは、(だれ)でも経験(けいけん)できることだからである。

また、「この大根(だいこん)」が「50(えん)」であるかどうかは、調査(ちょうさ)によって確認(かくにん)することができる。調査(ちょうさ)結果(けっか)、もし「この大根(だいこん)」が《50(えん)》であれば、「この大根(だいこん)は50(えん)です。」という(ぶん)(ただ)しい(ぶん)である。他方(たほう)、「この大根(だいこん)」が《80(えん)》であれば、「この大根(だいこん)は50(えん)です。」という(ぶん)間違(まちが)った(ぶん)である。

いずれにしても、「この大根(だいこん)は50(えん)です。」という(ぶん)では、(ただ)しいのか間違(まちが)っているのかどちらかに()めることができるという(てん)重要(じゅうよう)である。

意見(いけん)とは?

意見(いけん)」とは、自分(じぶん)判断(はんだん)自分(じぶん)(かんが)えのことである。意見(いけん)は、個人的(こじんてき)なものであり、調査(ちょうさ)実験(じっけん)によって確認(かくにん)できないものもある。そのため、意見(いけん)は、(ただ)しいか(ただ)しくないか()められないこともある。

意見(いけん)記述(きじゅつ)する(ぶん)基本的(きほんてき)(かたち)は、『……と(おも)う』/『……と(かんが)える。』という(かたち)である。

たとえば、

『この大根(だいこん)(やす)いです。』

は、意見(いけん)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。大根(だいこん)(やす)いかどうかは、個人的(こじんてき)判断(はんだん)だからである(だれも(おな)じように経験(けいけん)するとは(かぎ)らない)。それを(やす)いと(かん)じる(ひと)もいるだろうが、(たか)いと(かん)じる(ひと)もいるかもしれない。つまり、この(ぶん)は、「『この大根(だいこん)(やす)いです』と(おも)う。」という(かたち)だと()なすことができるのである。

大根(だいこん)(たか)いか(やす)いかを()める基準(きじゅん)個人的(こじんてき)なものだから、「この大根(だいこん)(やす)いです。」(ただ)しいか間違(まちが)っているかを簡単(かんたん)()めることはできない。

したがって、(ただ)しい事実(じじつ)であれば(だれ)もが同意(どうい)するはずだが、(どんなに(ただ)しそうに(おも)えたとしても)意見(いけん)には同意(どうい)しない(もの)もいるだろう。たとえば、「この大根(だいこん)は50(えん)です。」(ただ)しい事実(じじつ)記述(きじゅつ)していたとしても、(だれ)もが「だから、この大根(だいこん)(やす)いです。」同意(どうい)するとは(かぎ)らないわけである。

事実(じじつ)意見(いけん)(ちが)

リチャード・ニクソンはアメリカの(だい)37(だい)大統領(だいとうりょう)であった。

は、事実(じじつ)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。『リチャード・ニクソン』という人物(じんぶつ)は、『アメリカの(だい)37(だい)大統領(だいとうりょう)』であったか、『アメリカの(だい)37(だい)大統領(だいとうりょう)』ではなかったかのどちらかだからである。また、そのどちらであるのか(『アメリカの(だい)37(だい)大統領(だいとうりょう)』であるのかないのか)は、簡単(かんたん)調査(ちょうさ)()めることができるはずである。

リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であった。

は、意見(いけん)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。『リチャード・ニクソン』という人物(じんぶつ)が『アメリカの大統領(だいとうりょう)』だったかどうかは簡単(かんたん)調査(ちょうさ)()めることができるだろう。しかし、『リチャード・ニクソン』という人物(じんぶつ)が『アメリカの大統領(だいとうりょう)』だったとしても、『(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)』だったのかどうかは簡単(かんたん)には()められない。(すぐ)れていたと評価(ひょうか)する(ひと)もいるかもしれないし、(すぐ)れていなかったと評価(ひょうか)する(ひと)もいるかもしれない。あるいは、ある(てん)では(すぐ)れていたが、(べつ)(てん)では(すぐ)れていなかったという評価(ひょうか)もあるかもしれない。

なお、このような場合(ばあい)は、

リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であった(おも)

か、

リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であった(かんが)える

のように()けば、事実(じじつ)ではなく意見(いけん)であることをはっきり(しめ)すことができる。

事実(じじつ)
  • (だれ)でも経験(けいけん)できる物事(ものごと)
  • 調査(ちょうさ)実験(じっけん)でかならず確認(かくにん)できる
  • (ただ)しいか(ただ)しくないかのどちらか
  • 「………である。」
意見(いけん)
  • 自分(じぶん)判断(はんだん)自分(じぶん)(かんが)
  • 調査(ちょうさ)実験(じっけん)確認(かくにん)できないこともある
  • (ただ)しいか(ただ)しくないか()められないこともある
  • 「………(である)と(おも)う/(かんが)える。」

意見(いけん)表明(ひょうめい)している事実(じじつ)

事実(じじつ)意見(いけん)とは(こと)なるものである。ただし、〈意見(いけん)表明(ひょうめい)していること〉は事実(じじつ)になる。

たとえば、

リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であった。

というのは意見(いけん)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。しかし、

(かれ)は、リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であったと()っている。

というのは事実(じじつ)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。また、

リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であったと評価(ひょうか)する(ひと)がいる。

というのも事実(じじつ)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。このように、(だれ)かが特定(とくてい)意見(いけん)表明(ひょうめい)していることは事実(じじつ)になるのである。

ただし、『(だれ)か』が()()であるときには事実(じじつ)でなく意見(いけん)になる。たとえば、

(わたし)は、リチャード・ニクソンはアメリカの(すぐ)れた大統領(だいとうりょう)であったと評価(ひょうか)している。

というのは意見(いけん)記述(きじゅつ)した(ぶん)である。

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