2002(平成14)年度野上弥生子賞読書感想文コンクール記念誌 寄稿

歴代野上賞受賞者の言葉

野上日記に触れて
             
野上賞の受賞から、もう5年経ちました。あの時は、子に名前の由来を伝えようと書いた感想文が思いもよらぬ賞となりました。授賞式はまだ一歳にならない真知子の育児休業を妻に引き続いて取っている最中でした。
 今は亡き父が受賞を心から喜んでいたこと、家族四人で訪ねた臼杵の町並み、小手川商店でいただいたおみそ汁のそれはおいしかったこと、授賞式会場から見た別府湾のすばらしい青さなど、懐かしく思い出します。この思い出はその後の私の支えであり、また私の二人の子供もいずれ大きくなったらこの賞に挑戦し、臼杵を自分の足で訪ねてほしいと思っていたことでした。
この賞が終わるとの知らせに、この思い出が過去のこととしていずれ風化していくと思うと淋しさを禁じ得ません。しかし、こういうものなのでしょう。どんな物も人もそのままであり続けることはあり得ないのですから。
そう思って自分を納得させようと思ったのですが、一つ心残りがありました。「真知子」と共に今一つの自分の支えであった「迷路」について、自分自身の生き方に関わってきちんと考え抜いておきたいと思ったのです。
こうして、今年の夏は「迷路」の感想文に挑戦し、おかげで大変充実して過ごすことができました。そしてそれを投函し終わった後、野上弥生子の生涯への関心と疑問から、野上弥生子日記に遅そまきながら初めて触れることになりました
野上弥生子の知的に純粋な世界を作ったものは、一九一〇年代の外出もままならない疎外された状況にあったのでしょう。他の誰にも理解されないその秘密の苦悩を、現実生活で子育てに没入することと、観念生活で小説の精神世界へ飛翔することで昇華していたように感じます。
満州事変後の反戦運動への主体的関わりとその挫折、特に三三年八月の拘束の危険に際しての「ハンブル」で「プルーデント」な対応は、その後の彼女の生き方を貫く知性至上の生活態度の出発点であり、その心理は、皮肉にも若き日の自己疎外が作り出した生活基盤への自己限定と保身という視点で初めて理解できるように思います。
 自己疎外が生んだ母性神話と知性主義の見事な結晶、これが日記を読んでの感想です。
妻と共に育児休業を取り、介護・子育てと仕事を両立させる毎日に懸命な今の私としては、男と女のお互いの疎外こそが、「迷路」の時代以後現代までずっと連続する困難の原因に感じられます。そしてその困難を合理化し覆い隠してしまう多くの扉の最後の最大のものが「母性神話」だと感じています。
 「生むことと母乳を出すこと以外は何でもできる」と言い放つこんな私の生き方に野上弥生子さんは何と言うだろうと想像すると、不思議に楽しい気持ちになるのでした。

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