kyoのページ


1957年生まれ
2018年まで中学校社会科教師をしていました。「暗記ではない、楽しい、ワクワクする授業」をしたいといつも思って教師を続けてきました。
わくわく社会科授業のページ

facebookの「ノート」に書きためてきた中学校3年間350時間分の授業記録・実際の板書写真データがあり、pdfになっています。公開するか検討中です。ごらんになりたい方はご相談下さい。facebookでは、編集前のものがノートになっています。こちらは「友人」限定になっています。


社会科教師としての今までの主なできごとは・・・

■地域と学校を結ぶ総合的学習の実践

2012年第61次日教組全国教研集会第22分科会(地域連携)抄録。(2013.1
)


■地理学習における「生きる力とは」〜動態地誌の授業実践〜

■「鶴の授業」(全30時間の授業記録)
日銀金融広報委員会2007金融教育論文コンクール優秀賞

■帝国書院 社会科のしおり「産業革命の授業」


■帝国書院 社会科のしおり「身近な地域」

■帝国書院 社会科のしおり 中世「武家政治の展開と東アジア」

■h10帝国書院歴史指導書

近現代(米騒動・大正デモクラシー・世界恐慌・満州事変・)の授業アイディアと資料解説。自分の専門分野(無産運動)ですので、かなり思いを込めて執筆しています。黒羽清隆先生がいらしたらぜひ見ていただきたいところです


■h14帝国書院指導書(第1章)


2002(平成14)歴史を学ぶ意義・歴史の学び方」の指導について。h14・h18版

■歴史教科書原稿T(h18版)


■歴史教科書U(h24年版)
  
いわゆるタイムトラベルイラストの原画を中心に


その他の実践

■高度成長をどう教えるか・・・出生率低下の原因に言及する新しい授業


■2002旧指導必要「地域調査」総括 

■2012指導要領日本の諸地域・3Dアナグリフの実践

専攻は日本近代史です。授業のかたわらフィールドワークなどで研究したこと・・・

1.第2次大戦における日本の電探兵器による防空作戦の実態〜澤木修一氏の聞き取りから〜

2.歴史教科書問題での発言

3.教育基本法改定に寄せて     

プライベートなことでお伝えしておきたいことは次の2つのジャンルです。

1.野上弥生子賞全国読書感想文コンクールのこと

私の好きな作家に野上弥生子がいます。娘の名前は野上の同名の作品から取りました。娘の名前の思い出に文を書きました。これが1997年第10回一般の部野上弥生子賞になりました。「図書」掲載の様子や当時の新聞報道は、別のページに載せています。
 また、もう一つ心の支えとなる大切な作品「迷路」について最後のコンクールに提出しました。これが2002年最終回・野上弥生子賞佳作になりました。

 このコンクールがなくなり、野上弥生子の名前と記憶も次第に遠のいていくようですので、ここに残しておきたいと思います。最終回記念誌寄稿「受賞の思い出」


2.仕事と家庭の両立・・・性別分業を乗り越えること


 1998年、下の娘MACHIの育児休業を妻と分けて私も2ヶ月取りました。男女が共に仕事と育児を両立することがとても大切なことだと思っています。私の取得以後、世の中がその方向に動いていればいいのですが。その動きを助けられればと思ってここに当時の育休日記の一部を紹介します。また、この育休取得の意味は「浜松市史5」で、正確に記述して下さいました。浜松市史5 「男女共同参画社会の実践」

 それから11年。第1子ken14歳、MACHIが11歳の時、2008年6月、第3子SOUが誕生。SOUが生まれることがわかったころ、育児休業をとったことについてインタビューを受けました。厚労省の母子手帳を発行している組織のホームページに掲載されています。リンクを張ってありますのでご覧下さい。

 インタビューにも出てきますが、SOUの育児休業(休職)をどうするかは本当に悩んだ末、結局とりませんでした。3年とれる育休を妻が1年半取得し、そのあとを自分がとりたかったのですが、やめました。
 保護者や卒業生に派遣など不安定雇用や失業が非常に多い現状のなかで、学年主任の自分が学年の途中で職場を離脱することができなかったのです。大切なことは育児休業をとるかどうかではなく、「仕事と家庭を両立すること」だと考えました。
 妻の育休明けの大変な1年間が終わり、生徒も無事に卒業させることができました。卒業させた2010年春、ワークライフバランスの実現への思いを新聞に投稿したものが掲載されました。
 その後、2011年春からは、新しく制度ができた「部分休業による育児休業」を取りました。30分単位で勤務時間を短縮し、(その分給与は減額される)、子の就学前まで取得できるという制度です。とりあえず2011年4月から6年間、取得し続けました。実際には4時に帰れると言うことはなく、お迎えの6時ぎりぎりまでの瀬戸際勤務が続いたのですが、自分の勤務にブレーキをかけるという意味がありました。
 仕事と家庭の両立が本当に大変なのは育児休業あけの日々です。出生後乳児期の完全休業(休職)も大切ですが、その後の「育児時間の確保」をどうするかの方がずっと大変です。

退職して、今までのあっという間の時間を振り返っています。性別分業は少しでも緩くなったかなといえばそうでもないと実感しています。 

このページが、若い人たちの新しい生き方の参考になればと思います。大切なことは、男が家事育児をきちんと担うことでしょう。男女が共に働き、共に夕食を作る時間に帰って、家庭のことを担い合うことでしょう。男は生むこと以外は何でも出来る。生むことだって女だけでは出来ない。自分の足元から、新しい人のあり方を作っていきましょう。