2002(平成14)年度 野上弥生子賞全国読書感想文コンクール一般の部佳作

「『迷路』を受け継ぐ」             

(君たちの中に火を受け継ぐ人はいるか。)
今になって思えば、あれは先生のそのような問いかけだったのかもしれない。
 21年前、日本史研究生として卒業後も将来の当てもなく大学に残っていた私は、K先生の講義で「迷路」を知った。K先生はその書きだしを紹介しながら、「私は別の時代のことだとは思わない。むしろ君たちの中にこそ・・・」広い教室を埋める学生を眺め、探すようにこう言った。「むしろ表面的には平穏なこの大学のあなた達の中にこそ、菅野と同じ疾風怒濤が去った状況を生きている人がいるのではないか。」
 あの時のことははっきり覚えている。教室の一番後ろの席で、自分より数年若い学生たちの私語に囲まれていた私は講義が終わるとまっすぐ生協に行き、文庫の「迷路」を買ったのだった。あの時、確かに私はK先生から、「火」を分けてもらった。
 私はどんな火を受け継いだのか。私はその火を誰にどう受け渡すのか。そして何よりも、私の生き方はその火の器足り得るのだろうか。
「迷路」には、近代日本の歩みを相対化できる孤高の認識者江島宗道と、当時の日本を超越した未来への希望である万里子という二人を両極として、その間に、時代をどう生きたかを象徴する様々な人物が登場する。
 上昇する日本資本主義の中央の政治と経済を代表した垂水重太・増井礼三、そして彼ら男性の付属の性として家父長的権力構造の再生産を分担した松子たち。男は弱肉強食の資本主義の勝利者となることを目指し、女は勝利者の庇護の元で有閑な生活を過ごす。また作者の故郷臼杵の美しい風景を背景として、地縁血縁の派閥に安住する地方の人々の姿が描かれる。ここでも人々は「まず儲けて飲んで食って」であり、地方から中央へと続く社会構造のどこで輪切ってみても明治体制の既成の生活相は個の自立にとって不毛だった。
時代の社会構造が人の生き方を限定するならば、時代を超えて人を神ではなく動物たらしめる制約が性愛だが、作者はその不思議と深淵に人がどう向き合うかも正面から描いている。その深みが人を肉欲のみの動物と化せしめる不毛の象徴として阿藤夫人を描きつつ、自立した個同士の心と体と知の愛が一致した時の豊かな実りへの希望を失ってはいない。
 時代の社会構造と性愛と。作者は、人生前半の体験と観察を通してその二つを知悉していた。だからこそ人生後半という高みにあって、自分の子供の年代の若者たちがこの二つに対して新しく生きようとする姿を愛おしみをこめて描き出そうとしたのだろう。若者たちの社会改革の理想が前者に屈服させられるところから物語が始まり、その肉体が後者に翻弄される展開で物語が進んでいくのである。
 また、この作品は軍部台頭に対する知性と良心の不安の表現として世に出され、さらに総力戦体制下で一旦は筆を措くことを余儀なくされたという時代の子でもある。続く時代に、作者は不幸にもこの若者たちの夥しい死を目撃することになった。こうして、戦前と戦後の両方を俯瞰したこの知性は、彼ら新しい若者がどのようにしか生きられなかったのかをも描くことになったのである。
私たちの生きる現在は、省三たちの時代の迷路を完全に過去のものとしたのだろうか。多津枝をして、死を前にしなければ「今とはすっかり別な新しい生き方」を希求せしめ得なかった彼女の制約から、そして、省三が捕虜処刑を目前にしなければ離脱できなかった「愛するもののために負けてはならない」という戦いの呪縛から、今の私たちは抜け出して全く別の新しい道を歩いているのだろうか。
 私はそうは思わない。
 万里子と省三の新しい生活が「女中」なしで始まったことの意味を思う。他の階級にであれ他の性にであれ、自分を他人に委ねることが自立を阻むことである。
 青鞜にせよ社会主義にせよ個人の自立と社会的な新しい繋がりをめざす運動に対して、作者が声高な支援者であるよりもむしろその理想を阻むものへの深く鋭い観察者でありつづけたのは、作者が恵まれた知的な環境にあったからかも知れないが、日常となればやはりしわ寄せの多い疎外される側の性として社会自立と身辺自立を共に自分のものにする困難を常に意識したからではないだろうか。「女性の自立」は「男性の自立」であり、作者の観察眼からすればその困難は、口で理想を説きつつ足下は性差別に無自覚で身辺自立のできない性分業下の男性の問題にまで行き着いていたと予想されるがどうだろう。それこそが21世紀の現在に通じる射程である。
 現在は「女性の自立」は大きく進んだ。しかし、「男の自立」はどうか。社会責任だけでなく家庭責任を果たし身辺自立ができる男性の少なさはどうだろう。せつの強さ、そして木津のせつに対する後悔の浅さを思う。
 男と女の繋がりを見れば、自由な個人同士の輝かしい愛が、「男は仕事、女は家庭」という日常の分業の中で相互の無関心に色あせていく例がいかに多いことだろう。そこには、一方に働くことから切り離された無数の多津枝の不幸が広がり、もう一方には省三と同じ呪縛を会社人間の群に見い出すことができる。この性分業の陥穽は「家族のために」という呪文で「本当は何をするべきか」を見失わせる。それは省三の時代の「男は戦争、女は銃後」となんと似ていることだろう。
 かつて寄生地主制に代表されるあからさまな半封建制が日本を世界から孤立させたと同じように、私たちの現在の固定的性別分業が日本を世界から異質な存在にさせ、特殊な閉塞状況を生み出していると感じられてならない。さらに言えば、その性分業の強固な存在と根を同じくする硬直した思考が、過去の歴史への理性的な反省の目を曇らせ、多様で豊かな個人と社会の可能性を単色に塗り変えようとしているのではないか。閉塞への苛立ちから再び生まれたその「黒い流れ」の危うさに、私は鈍感ではいられない。
 世界の理性と良心が報復と憎悪の新しい挑戦を受けてはじめている今、私たちは省三と多津枝の迷路を決して抜け出ていない。まだまだ私たちはもっと足下を見つめ直し、もっと真剣に新しい生活を願うべきなのだ。
これが、受け継いだ火への私の認識である。
 K先生。今は亡き黒羽清隆先生。私は17歳の時、家永三郎・黒羽清隆共著の『新講日本史』に出会って日本近代史の道に進みました。24歳のあの時、先生からいただいた火を頼りに迷路の中をここまで歩いてきました。今、共に教職にある妻と生き、2人の幼い子供と多くの中学生にこのような認識の火を伝えるつもりで生きています。これでいいですか、先生。21年の時を隔てて、あの教室のはるか後ろから今、先生に返事をしましょう。
「先生、私はこうして、ここに立っています。」
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