第一話 出会い?
=プロローグ=
「やべ!」
そう思った瞬間、広川勇気(ひろかわゆうき)の身体はそれまで跨っていたバイクからものすごい力で引き離され宙に舞っていた。
やっぱりそうなっちゃうよな……。
東京では珍しい雪の中を免許取立ての腕で走り、しかも、急に飛び出してきた子猫を避けようとすれば当然こういう結果になる事は十六歳の頭でも良く分かる。
なんだってあんな所から飛び出してくるんだ? というよりも俺も結構お人好しだったんだなぁ、猫を避けるだなんて……。
宙を舞いながら勇気は過去の事が頭に浮かんでは消える感覚に襲われる。幼稚園の入園式で隣の男の子と喧嘩をはじめたことや、小学校の時好きだった女の子に告白してフラれた時のこと、中学校の時にはじめて女の子に告白された時の事、そして、中学卒業を期に函館に引っ越す幼馴染の江元拓海の事……。
これが走馬灯というやつなのかな? ということはきっと俺は死ぬんだな……そういえば、あいつに借りたCD返していなかったよな? 後……ベッドの下に隠しておいたエロ本見つかっちゃうよな? まずいなぁ、もう少し違う所に隠して置けばよかった……まだ読んでいないやつもあったし……恥ずかしいぜぇ。
東京の小さな星空が見えたその瞬間に勇気の身体は地表に叩き付けられるが、痛さを感じたのは一瞬で、その後はなにも感じなかった。ただ感じたのは冷たく顔に降り注ぐ雪と、どこからとも無く遠くから聞こえるパトカーだか救急車のサイレンの音だった。
星空だ……なんだか久しぶりに見たような気がするなぁ……。
目を瞑る感覚などなく、意識がふわりと浮かぶような感覚とともに、その景色は薄闇の中に消えてゆき、聞こえるはずのない奴の声が聞こえてくる。
「バイクの事故だ!」
〈勇気……〉
「救急車はまだこないのか!」
〈勇気……〉
「警察だ! 警察が来たぞ!」
〈勇気……またね?〉
またねと言われてもダメそうだよ……もう会うことができなくなっちゃったよ……もう俺はお前の前に立つ事はないんだ……。
「心拍停止!」
機械に向かっていた若い医師が血相を変えて振り向く。
「まずいなぁ……心肺蘇生! いそげ!」
年配の医師はそう言いながら血相を変えている若そうな医師に指示を出すと、あわてて近くにいた女性看護師に声をかける。
「ハイ!」
ベッドに横たわった血まみれの患者の胸を若い医師が必死に押すその光景はまさにドラマのワンシーンのようで、白衣を着た医者らしい男たちに、女性看護師たちはナース服を乱しながらその患者の身体の回りを忙しそうに動いている。
――って、あれ? あそこに横たわっているのは、もしかしたら俺か?
おそらくプカプカと浮かんでいるのであろう、高い位置にある視線の先には色々な訳の分からない機械につながれ血まみれになってベッドに横たわっている自分の姿、その周りで動いている医師団と、その指示に右往左往するナース軍団。
俺はここにいるのに何であそこに俺がいるんだ?
身体に痛みはないし、むしろなんとなく心地いい気持ちがするほどだが、見下ろすその医師団はいきなり鳴り響く機械の音に落胆した様子を見せながら動きを一斉に止める。
ピ――――。
その重々しい雰囲気の中やたらと軽い電子音が鳴り止まない。
「……両親を……呼んでくれたまえ」
年長者らしき年配の医師が疲れ果てたような表情で近くにいた女性看護師に声をかけると、その看護師も沈痛な面持ちを浮かべながら扉から外に声をかけると中年の男女がそこからタイル張りの処置室に入ってくる。
「最善を尽くしましたが……誠に残念です」
沈痛な面持ちでそう告げる医師に、見覚えのある親父とお袋の顔が涙にゆがむ。
「勇気……」
親父はそう言いながらベッドに横たわる俺の顔を見て唇をかみ締める。
「勇気ぃ!」
お袋はなりふり構わずその身体に抱き付こうとするが近くにいた医師にそれを阻まれ、その胸で泣き崩れる。
そうか……俺は死んだんだ……こんな俺でもやっぱり親なんだ……まさか泣いてくれるなんて思わなかったよ……ゴメン、俺はやっぱり親不孝者だったな。
「この度は……」
セレモニー会場には大きく自分の名前が書かれ、そこに知った顔や知らない顔が続々と詰め寄せてくる。
「あの元気な勇気がねぇ……」
祭壇にはどこから探してきたのか微笑んでいる勇気の遺影が飾られており、それをしんみりと見る親戚連中。
叔父さんに伯母さん、よく家に遊びに来ては飲んだくれていたっけ?
「なんだって先の短いあたしよりも先に逝っちまうなんて、この世には神も仏もないのかねぇ」
ただでさえしわくちゃな顔をしている老婆は、そのしわに涙を流しながら遺影を見上げて手に持つ数珠を摺り合わせている。
ばぁちゃん……よく親父たちに内緒で小遣いくれたよな? わりい、先に逝って待っているよ、だからゆっくりと来てくれや。
その他にも見覚えのある制服姿が徐々に見られる様になってきたかと思うと、一番勇気にとやかく文句ばかり言っていた担任の先生が喪服を着て斎場に顔を見せる。
「広川さん、この度は……」
一通りの悔やみの言葉を両親に向けると、その脇を駆け抜けるように入ってくる制服姿の女の子が息を切らせている。
「お、おい、菅野! おまえ一人で勝手に……」
彼女は担任の言葉など無視するように、今度はゆっくりとその祭壇に向かって歩き出し、無意識にその道を空けるクラスメートの中心を歩いてゆく。
「広川くん……」
遠巻きにクラスメートが見ている中、線香の煙の中その女の子はボソッと呟き、目を赤く腫らしながら勇気の遺影を眺めている。
詩織……来てくれたんだ。
勇気の彼女である詩織は、ハンカチで涙をぬぐいながら唇を噛み締めながら、誰に聞かせるわけでもなく口を開く。
「思い切って告白して、やっとあなたの彼女になれたのに……勇気って呼びたかったよ……なのにあなたはもうあたしの前にいない……ずるいよ、あたしの中に想い出だけ残していくなんて辛いじゃない……もう何も思い切ることが出来ないじゃない……本当に馬鹿よ……ばか」
詩織はそう言いながら祭壇を背に呆気にとられている同級生たちの視線も気にした様子もなくその場から去ってゆくその姿を見送ると、その瞬間に身体が誰かに引っ張られるように周りの景色が一気に動き出す。
いよいよ三途の川への旅立ちかぁ、いろいろあった人生だったけれど、最後に詩織に会えたから良しとするか……。
諦めきれないような、でも、どことなく諦めが付いたようなそんな感覚を持ちながら勇気はその景色を見ながらふっとため息を付く。
=病院内にて=
「……きちゃん? 有希ちゃん?」
身体が重い……意識はまさに精神を覚醒させようと思っているのだが、それが思うようにいかない……脳の信号をまるで拒否するように身体は思うように動かない。
「……有希ちゃん、目を覚まして……お願い」
切願するような女性の声が耳の中に響き渡りその声に無意識に意識が覚醒してゆくと、ぼんやりと目の前に視界が広がる、そこで見える風景はさっきまで宙から見ていたのと同じような風景、しかし一つだけ違うのは周りにいるまったく見覚えのない人達。
「う……うぅ~ん」
はっきりしてきた視界に一杯広がる見覚えのない女性の顔、その顔は泣き笑いの表情という言葉が当てはまり、その頬には涙が止め処もなく零れ落ちている。
「有希ちゃん!」
その女性は嬉しそうな顔をしたかと思うと再び目から涙を溢れ出させながら勇気に抱きつき嗚咽をこぼす。
「……ここは?」
クエスチョンマークを浮かべる勇気に対してその女性は無遠慮に顔を撫ぜまわしてくるが、自分でも不思議なほどそれに鬱陶しさを感じず、その手の暖かさにホッとした感覚を憶える。
「よかったよぉ~! 有希ちゃぁ~ん」
女性は泣き崩れるようにその場に跪き、その隣にいる白衣を着た明かに医師と思われる人物もホッとしたような表情を浮かべる。
「山は去りました、もう心配はありません、意識が戻れば後は回復を待つばかりです」
ひょっとして俺は助かったのか? それにしては周りにいる人間は知らない人間ばかりだしそれに……ユキって誰だ? 俺はユウキだぞ?
思うように身体が動かない為、視線だけを動かし周囲を見るが、そこは今まで見た事の無い場所。病院ということはわかるのだが、どことなく暖房設備が仰々しく見えるし、雰囲気からしてどこかの田舎の病院というような雰囲気が感じられ、チラッと見える窓の外には白い綿のような雪が積もっているように見える。
「……ここは?」
どことなく自分の声がいつもと違いトーンが高く感じるのは耳に障害がある為であろうと自身で勝手に決め付ける。
「……覚えていないでしょうね? いきなり家で倒れてそのまま一週間も意識が戻らなかったんだから……死んじゃうのかと思ったわよ」
いきなり倒れて? 俺はバイクで事故ったんじゃないのか? それにこの女性は一体誰なんだ? 何で俺のことをこんなにも心配そうな顔をして見つめているんだ?
まだ朦朧とする意識の中で、自分の顔を触りながらしゃくり上げている女性の事を必死に思い出そうと記憶の中を模索するがまったく思い出せない。
思い出せない……よく見れば綺麗な女(ひと)だし、なんらかの知り合いであれば忘れるはずがないけど……。
意識の中で勇気はしきりに首をかしげる。
「……本当に良かった、一時はどうなることかと思っちゃった、もし有希ちゃんが死んじゃったら、あたし……」
再び泣き崩れるその女性に勇気はわけが分からず、その女性の顔を見つめてやっとの思いで口を開く、それは今一番勇気が確認したいことだった。
「……あなたは、誰……ですか?」
その一言に泣き笑いの顔を浮かべていたその女性の顔が一瞬にして凍りつく。
「……有希ちゃん? もしかして、分からないの? あたしの事が……?」
隣にいた医師があわてた様子で勇気の顔を見つめ、ペンライトを勇気に当てる。
「…………」
医者はため息をつきながら女性の顔を見る。
「……先生?」
女性は勇気の手を握り締めながら医師の顔を見上げる。
「お母さん、ちょっと……」
落胆したような表情を浮かべながら医師はその女性を連れて部屋を出てゆくが、その一言に勇気は得体の知れない引っ掛かりを感じる。
ちょっと待て? 今、医師は、あの女の人の事を『お母さん』と言ったよな?
勇気は記憶をフル回転させながら自分の母親の事を思い浮かべようとするが、なぜかその顔がぼやけてはっきりと思い出すことが出来ない、しかし、あんなに若くて綺麗な女性でなかった事だけは分かる。
「おかあ……さん?」
その一言に近くにいた女性看護師が微笑む。
「そうよ、あなたのお母さん、ずっとあなたに付きっ切りだったんだから」
看護師はそう言いながら再び機械に向かうが勇気の中ではやはり納得がいかず、視線を再び動かすとサイドテーブルに携帯電話が置かれていることに気が付き、やっと動かす事のできるようになった手をそれに伸ばす。
「駄目よ? ここは病院なんだから、携帯はご法度よ……と言っても、充電が切れちゃって電源は入らないかぁ」
看護師はそう言いながら優しく勇気の顔を見つめ、携帯を手渡す。
「ありがとう」
見覚えのない携帯には可愛らしいストラップが付いているけどたぶん俺のやつなのだろう、どこと無くホッとした気持ちになるという事がそれを裏付けている。
勇気はその折り畳まれている携帯を開く。
「……これは?」
電源が入らない真っ黒な画面に写り込む自分の顔を見て息を呑む。
これが……まさか俺なのか?
なにも写っていない携帯の画面にははっきりとはわからないものの、長いであろうその髪の毛に少し垂れ目がちな大きな瞳の女の子が今の勇気の心境を現した様に驚いた顔をしてこっちを見ている。
「どうかしたの?」
看護師は勇気(有希)の異変に気がつき顔を覗き込む。
「……これが……俺?」
携帯の画面から目が離せなくなっている勇気のその台詞に看護師は一瞬驚いた表情を浮かべるが、やがて何かを諭すように優しい笑みを浮かべる。
「……俺って、駄目よそんな言い方したら可愛い顔が台無しよ? 乱暴な口の利き方していると男の子にモテなくなっちゃうぞ?」
看護師はそう言いながら勇気(有希)のおでこを人差し指で突っつく。
男の子にモテるって、俺の記憶が確かならば、生まれた時から今まで男だったはずだ、男にモテたいと思ったことはいまだかつてない……しかし、
「昨日だって同級生が心配してお見舞いに来ていたわよ? まぁ、ここには入れなかったから、でも男の子も何人か来ていたみたいだし、学校ではモテモテだったんじゃない? 有希ちゃん可愛いし、ウフフ」
看護師のその台詞が勇気の頭に留まる事をしない、まるで他人に話しているように勇気は聞き流すだけだったが、その看護師は勇気(有希)の顔を見ながら話している。
一体何のことなんだ? 男にモテる? 同級生が見舞い? 自慢ではないが俺のことを恨む人間こそいるものの、俺を気遣ってくれる人間なんていないと思う。
〈……あなたは誰なの?〉
不意に勇気の頭の中に女の子の声が響く。
エッ?
目をまん丸にして看護師を見るが、看護師は人にお尻を向けながら何か機械を操作しているようだ、それに今聞こえた声はさっきのこの看護師の声とは違う……そうだ、さっきまで俺が口を開くたびに聞こえる声と同じ気がする。
勇気(有希)はキョロキョロと辺りを見回すが、ほかにそんな声を発するような人物は見当たらない。
〈ねぇ、何でそこにいるの?〉
再びその声は頭の中に響き渡る。
「なんでって……」
その声に看護師が振り向く。
「なに?」
ニッコリと微笑むその看護師に勇気は苦笑いを見せながら首を横に振ると看護師は怪訝な顔をしながら再びお尻をこっちに向け作業を再開する。
君は誰なんだ?
意識の中で呟くと、それに答えるように女の子の声が聞こえてくる。
〈あたしは有希……青葉有希(あおばゆき)、あなたは?〉
穏やかに言うその声は、さっきより少し落ち着いてきたようで、こちらの問いかけに対して穏やかに答えてくる。
俺は広川勇気……一体何が起こったのか教えてくれないか?
〈あなたがあたしの身体にあなたが入り込んだのね? あたしはもう死んだの、でも身体は生きている、その身体にあなたの意識が入り込んだということなのかしら?〉
……なんだか随分とオカルトチックな話だな? ということは、俺は今お化けと話をしているということなのかな?
勇気の問いかけに有希と名乗る意識が楽しそうに反応する。
〈クス……結果からすればそうなるかもしれないわね? あたしがお化けなのかも……〉
楽しそうにしているその意識にむけて勇気はため息を付く。
だったら俺が死ねば良いんじゃないのか? もともと俺が死んだわけだし、君がそんな辛い思いをする事はないだろう。
勇気の意識に有希の意識は微笑んでいるように感じる。
〈ウフフ、あなたって優しいのね? でも駄目みたいなの、あたしの意識はその肉体に戻れないみたい、だからあたしの代わりにあなたの意識がその身体に入っている、あなたがあたしの身体を動かしてくれている、だからこれからはあなたが『青葉有希』としてこれから生きていってちょうだい〉
そんな事を言われたって、俺は男だぜ? 何で俺が女の子にならなければいけないんだ?
〈……分からないけれど、もしかしたら神様の意地悪なのかしら?〉
……嫌な意地悪だな、俺にオカマになれと言うことなのか?
その問いかけに有希の意識がケラケラと笑う。
〈ばかねぇ、身体は女の子なのよ? オカマじゃないわ〉
ウッ、確かにそうかも……でも、生まれてこの方女の子なんてやったことないぜ? どうしていいかわからないよ。
なんだか会話が徐々におかしくなっていることに勇気は気がついていないようで、真剣に有希と会話している。
〈大丈夫だよ〉
有希はきっぱりとそう言う。
何を根拠にそう言い切れるのかな?
〈う~ん……なんとなく……かな?〉
うぉい!
〈エヘへ、あなたなら大丈夫、きっとこの状況を乗り越えてくれると思うわ、お願い『青葉有希』を一日も長く生かせて上げて、そうしないとお母さんが悲しむ……〉
有希の願いはきっと切実だったのだろう、ズシンと勇気の心の中にその言葉の意味を残して有希の意識はプツンと途絶える。
確かにそうかもしれないけれど……ちょっと、任せる相手を間違えていないか? どうせならもう少し品行方正で可愛らしい女の子だっていると思うが、なんだって俺のような男を選ぶんだよぉ、ちょっと有希出てこい!
勇気はしきりに有希の意識に語りかけるが、しかしその後勇気の呼びかけに対して反応するものはなかった。
「有希ちゃん……」
再び病室に現れた母親と呼ばれた女性はさっきまでの落胆した表情とは違って、ニッコリと微笑みながらこっちを見ている……いや、正確には笑顔を造ってと言ったほうが良いかもしれない、微笑む顔の中にもちょっと引きつっている様に見える。
「……」
今までの有希が言っていた事が本当ならば、きっとこの人が俺のお母さんになるのであろう、ずいぶんと若そうにも見えるが……。
〈真澄ちゃんは三十四歳だよ〉
「うぁぁ、びっくりした」
そんな素っ頓狂な声を上げる有希に母親の真澄と医師、看護師はキョトンとした顔をする。
「……ごめんなさい、なんでもないです」
有希はそう言いながらその場を取り繕う。
何だ、いきなり出てくるなよ、驚いちまったじゃねぇか!
〈ウフ、ごめんなさい、基礎知識をあなたに教えておくのを忘れたから〉
基礎知識?
〈そう、家の家族構成とか、色々ね? まぁその都度応用は教えていくからとりあえずは基礎編からよ〉
基礎だとか応用だとか、俺の一番嫌いな分類かもしれないなぁ。
〈そんな事言わないでよ……とりあえず家族構成からね? 今言ったようにそこにいるのが真澄ちゃん、あたしのお母さんね、それともう一人妹がいるの、名前は茜〉
親父は?
〈……離婚した〉
……ゴメン。
〈クス、勇気君はやさしいね?〉
何で?
〈ううん、そんな事で素直に謝るなんて、女の子を気遣ってくれるんだって思って、勇気君にはあたしの身体を任す事が出来そう〉
だから、俺は……。
再び有希の意識がプツンと消える。
「有希ちゃん?」
気がつくと心配そうな表情を浮かべた真澄が有希の顔を覗き込んでいる。
「アッ、なんでもない……です」
有希はそう言いながら顔を背ける。
任せるといわれても、女なんて今までやったことないし、どうすればよく分からないし、俺の知っている女の子は詩織しかしらないよ。
「ウフ、おかしな有希ちゃん……聞いてくれる?」
微笑んでいた顔をフッとため息をつきながら真剣な表情に戻し、真澄は改まって有希の顔を見る、その顔には何かを決心したようだ。
「……なに?」
有希は再び真澄の顔を見上げる。その真澄の顔は少し寂しそうな表情が浮かび、うっすらと瞳には涙も浮かんでいるように見える。
「気を確かに持ってね? あなたは……」
その表情に勇気は心の中で舌打ちする。
ばれた! 俺が男だっていう事が……そして有希は俺の意識の中にいるという事が。
目をぎゅっと瞑り、今まさに判決を聞く被告人のような気持ちになりながら真澄の口が開かれるのを待つ。
「……あなたは、記憶喪失になったみたい」
……有希、お前の母親は天然か?
とてつもない脱力感が有希の身体にまとわりつく。
〈そんな事言わないでよ……否定はしないけれど〉
意識の中に恐らく苦笑いを浮かべているであろう有希が現れる。
「……はぁ、どうやらそのようで……というより、そうゆう事にしておいた方がいいかも知れないなぁ」
有希は苦笑いを浮かべながら周囲を見渡すと、キョトンとした顔が一斉に自分を見ている事に気がつく。
「有希ちゃん? どういう意味?」
首を傾けながら真澄は有希の顔を見つめる。
「いや……いえ、別に……そうなんだぁ、あたし記憶喪失になっちゃったんだぁ……あは、アハハ……こまっちゃうぅ~」
わざとらしく身体をくねらせながらそう言う有希。
〈ちょっとぉ、何よ、その間延びした言い方! まるで馬鹿な娘みたいじゃないのよぉ〉
意識の中で有希が頬を膨らませているようだ。
いや、どうも慣れないもので……生まれて十六年、女の子と仲良くなったこともあまりないし、女の子がどういう言葉遣いしているか良くわからん。
〈はぁ……〉
有希の意識が深いため息をつくその様子は、力なく首を振るのが目に浮かぶようだった。
「そう、だから気をしっかり持って、それは一時的なものだから、きっと思い出すことが出来ると思う、大丈夫、あたしがついているから……だから、大丈夫!」
涙を浮かべながら真澄は有希に抱きつく。
思い出す事ができるか……いい母親だな、ちょっと羨ましいよ。
そんな勇気の意識に有希の意識がコクリと反応したような気がした。