第二話 Classmate

=生まれて初めての=

「有希ちゃん、とりあえず着替えましょうか、いくらずっと寝ていたといっても汗をかいているでしょ? 汗臭いよ?」

 状況が把握できるようになったのは、それからかなり時間が経ってからだっただろう。記憶障害以外に異常はないという診断を下した医師に対して真澄がペコリと頭を下げ、母娘水入らずの時間になった時だった。

「エッと……着替え?」

 勇気はそう言いながら自分の着ている服装に気が付く。

「そっ! やっぱりそんな格好じゃあ可愛くないわよ」

 可愛くないと真澄が指差すのは、有希の着ている検査着のような薄いブルーの服だった。

 いや、これに対して可愛いとかそんなものを追求しない方がいいと思いますが……というよりも着替えるって一体誰が?

 心の中で首を傾げる勇気に対して意地悪い感覚が浮かび上がってくる。

〈あたしもお母さんの意見に賛成、こんな格好かわいくもなんともないし、ものすごく病人チックじゃない?〉

 いや、病人でしょ?

 軽く有希に突っ込むが、その意味をようやく把握した勇気の顔がニヤつく。

 そっか、着替えるのか……という事は……。

 再確認するように有希は自分の着ているその服装を見つめニヤァ〜と笑みを浮かべると、顔と頭をいっぺんに叩かれるような衝撃が伝わってくる。

「いっ!」

 思わずその衝撃に有希は顔をしかめるが、痛いなどといったらこの母親がどれだけ心配をするか今までの短い経験からもよくわかる。

「ん?」

 真澄はそんな様子の有希の顔を不思議そうな顔をして見つめてくるが、それに対しては苦笑いを浮かべてごまかす。

〈勇気のスケベ! ダメだからね! 見ちゃダメ、着替えている間は目を瞑っていなさい!〉

 無茶苦茶言わないでくれよ、目なんて瞑って着替えていたらお母さんだって心配するだろ?

〈ヴゥ〜〉

 意識の有希はうなり声を上げながらであるが、勇気の意見に対しては仕方が無くも納得がいったようである。

 それに、これからずっと一緒にしていなければいけないだ……俺だって生まれて初めてなんだよ、女の子のそんな姿を見るのは……。

 ちょっと照れ臭くなり勇気は鼻先を掻くと、意外そうな反応が有希から返ってくる。

〈本当に? 勇気も初めてなの?〉

 本当だよ、さっきも言ったと思うけれど、あまり女の子とは付き合いがなかったんだよ……写真では何回か見たことあるけれど……。

 ばし〜んと、激痛が頭に走り、今度は耐える事ができずに有希は頭を抱えてうずくまる。

「有希ちゃん? どうかしたの? 頭が痛いの?」

 心配そうな顔をして真澄が有希の顔を覗き込んでくるが、苦笑いを浮かべながらそれを促して目尻に浮かんだ涙を指で拭う。

 痛いじゃないか!

〈勇気のえっち、そんな目であたしの事を見ないでよね!〉

 んな事を言われたって着替えるという行為で、それは否が応にも見なければいけないだろ? それだけじゃないぞ、お風呂に入ったりしなければいけないんだ……諦めるんだな?

 意識の中でクククと嫌な笑いを浮かべながら有希は真澄の差し出すそのパジャマを受け取りながらその検査着を結わかれている紐を外す。

〈勇気のえっちぃ〜スケベ! 見るんじゃない!〉

 頭の中で有希の悲痛な抵抗を受けながらもその前をはだかせ、唾を飲み込みながらそれをジッと見つめる。

 ――エッと、いい形だとは思うけれど、ちょっとボリュームが……。

 げすん!

 今まで受けた衝撃の中で恐らく一番であろう、その衝撃は勇気の意識を一瞬遠のかせるには十分だったが、それでも踏ん張るのは勇気の真澄に対する配慮からなのか、それともスケベ心からなのか……。

 痛いじゃないかぁ!

〈うるさい! 勇気のスケベ大魔王! そもそもそういう写真には大きい人しか写っていないんだよ! 本当は小さい娘ばっかりなんだからぁ〜! わぁ〜ん〉

 今にも泣き出しそうな有希の意識はオイオイと泣いているように感じる。

 気にする事ないだろ? 俺はやはり形の方が重要だと……俺も小さかったし……中にはそういう趣味の方だっているから、気にされる事はないと思われますが……。

どぐぁ!

痛いぞ……。

〈勇気のばぁかぁ〜!〉

 有希の意識は、まるで隠れるように消えてゆく。

 そんなに気にするほどの事ではないと思うけれど……今後気をつけるようにしよう……。



=女の勘=

「今日から一般病棟に移りますねぇ、良かったね? 有希ちゃん、いっぱい友達もお見舞いに来てくれるよ」

 仲良くなった看護師のめぐみはそう言いながら有希の顔を覗き込みながら荷物を片付けるのを手伝ってくれているが有希はどこと無く落ち着かない顔をしている。

 めぐみさんって、幼い顔をしている割には歳相応というのか、なんというのか……出来上がったボディーをしていらっしゃって……青少年にはちょっと刺激が……ね?

顔を赤くさせているその有希の目の前では大きなお尻が振られ、ベッドサイドに置かれている本を取る時にはその顔には似つかわないたわわな大きな胸が有希の頬に触れる。

 ……女同士と言うのもあるのかな? そんな無防備だとそんな趣味を持っているお兄さんに押し倒されちゃうぞ?

 視線を泳がせながらも、プリプリと動くお尻とユサユサと揺れる胸をその視線の隅で認めている勇気。

〈ふーん、やっぱり勇気はこういうのがタイプなの?〉

 頭の中に有希の意識が入ってくる、すでにこんな状況にも慣れ始めた頃だ。

 別に、好みというわけではないけれど……。

〈やっぱり男の人っておっぱいの大きいほうがいいのかなぁ〉

 まぁ、一部の例外を削除すれば大半はそうであろうな。

〈そっか……〉

 意識の中で有希がため息をつく。

だから言っただろ? 大きさよりも俺が追求するのは形だ、確かにボリュームが足りないような気もするが、それを補うだけの形はしていると思うぞ?

〈勇気のえっち!〉

 有希の意識がふっと消える。

記憶喪失という事になって、すでに三日が経過した、それは生まれてはじめて女の子になってから三日経ったという事にもなるが、いまだに慣れない……こんなに男と女に違いがあったとは思わなかった……特にトイレの時などは、思わず男子便所に入りそうになってしまう事しばしあった。

色々な構造の違いに戸惑っているというのは確かなんだけれども……。

〈やっぱり勇気のえっち!〉

 ガンと頭に衝撃が走る。

「いてぇ〜」

 頭を押さえながら有希はうずくまる、その様子を見ためぐみがあわてて有希の肩を抱く。

「どうしたの? 頭が痛いの?」

 心配そうに有希の様子を見るめぐみ、少し開いたそのナース服の胸元からは石鹸の他に、なにやら分からない良い香りが漏れ、有希の頬には柔らかい膨らみがグイグイと押し付けられると嫌がおうにも男の勇気の意識を刺激する。

「う、ううん……大丈夫」

 顔を赤らめながら有希は身体をくねらせながらめぐみから離す。

 男じゃなくって良かった……男だったら……。

〈……勇気って本当にスケベね? 幻滅しちゃうわよ?〉

 あのねぇ、十六年間やってきた男から、いきなり女になっちゃったんだぞ? それに慣れろというのはイカがいきなりタコになっちゃったのより難しいことだと思うが。

〈何それ? まぁ、確かにそうかもしれないけれど、あたしの素行に傷がつくようなことをしないでよ? あなたは女の子なの、この意味は分かるわよね?〉

 ヘイヘイ、極力注意しますよ。

〈本当にわかっているの?〉

 プリプリとした意識のまま有希は意識を消すと同時に勢いよく病室の扉が開かれる。

「有希ちゃん、お部屋引越しですってね? 良かった、思ったより早く回復しているみたいで、めぐみさんも手伝ってくれてありがとう、後はあたしがやりますから」

 ニコニコしながら病室に入ってくる真澄とモジモジと真澄の背後に隠れる一人の幼子の姿。

 誰だ?

〈妹の茜よ、今年小学校五年生になるわ〉

 この娘が茜かぁ、あんまり似ていないかな?

 伸びかけといった感じのショートヘアーは耳を隠し、前髪をクリップのような髪飾りでとめている茜の顔を見つめながら、有希はニッコリと微笑むが、その茜は怖気たように真澄の背後に再び隠れてしまう。

〈そうかもね? あたしはお父さんに似ているみたい、茜はお母さん似ってみんな言うわ〉

 確かにそうかもしれない、キョロっとした大きな瞳は真澄のそれに似ているようでもあり、見慣れはじめた自分(有希)にあまり似ているようには見えない。

「ほら茜、何そんな所で恥ずかしがっているのよ、お姉ちゃん元気になったのよ? あなた心配していたじゃない」

 後ろに隠れている茜の背中を押しながら真澄は有希の前に押し出す、その茜は顔を赤らめながら上目遣いでこっちを見ている。

「……茜……ちゃん?」

 恐る恐る有希は手を伸ばしながら茜の頭を触る。

 もし泣き出されたり、嫌がられたりしたらどうしよう、そんな事になったらきっとショックだろうな?

 記憶という形で有希の中には有希がいる、当然それまで仲良くしていた妹に拒否されれば有希は悲しむはずだ。

 頼む……泣かないでくれ。

 祈るような気持ちで茜の顔を見つめながら少し震える手でその頭を撫ぜるが、茜からの反応は無く、不気味な沈黙が二人の間に圧し掛かってきたかと思うと、その大きな瞳から、まるであふれ出すように涙が浮かび上がってくる。

「……お姉ちゃん……うぁ〜んおねぇちゃぁ〜ん! よかったよぉ〜」

 違った意味で茜は泣き出した、顔を有希の胸に埋めて泣きじゃくる、その涙はきっと再会の喜びからだろう、ほっと胸をなでおろす有希に対し意識が優しく呟く。

〈……ありがとう、やっぱり優しいのね?〉

 茶化すなよ……。

〈一応お礼だけ入っておかないとね?〉

 有希の意識は口だけは強がりを言っているが、その感覚はなんとなく感極まっているようにも感じる。

 素直に受け止めさせてもらうよ。

 勇気はそう言いながら、何とか動かす事ができるようになった身体を必死に動かすと茜がそれを助けるように腕を取りながら近くにあった車椅子まで寄り添ってくれる。

「お姉ちゃん、気をつけてね?」

 まだミルクの匂いがしそうな茜のその頭を間近にし、勇気の心の中になんとなく愛おしさが浮かび上がってゆく。

「ウン、ありがとう」

 いい妹だな?

〈でしょ? 変な気をおこさないでよ?〉

 ばぁ〜か、俺にはそんな趣味はないよ……それ以前に、俺は女になっちゃったんだろ?

〈あら? 最近はそんな趣味の人もいるらしいから……くれぐれも言っておくけれど……〉

 あたしの品位を落とすような事をしないでよ、だろ? わかっているよ。

 勇気は珍しく言葉尻を濁す有希に対して首を傾げるが、茜の手が必死に有希の袖を引っ張る事に気がつきその顔を向けると、そこには心配そうな顔があった。

「お姉ちゃん、どうかしたの? さっきからちょっと変だよ?」

 首を傾げる茜のその表情に勇気と有希の意識はフッと互いにため息をつく。

 こんないい子が有希の妹とはね?

〈随分な言われ様ね? でも、確かにいい妹という事だけは認めるわ〉

 少し嬉しそうな意識のままで有希は胸を張っているようだ。

「なんでもないよ……よっこいしょ」

 有希はそう言いながら車椅子に腰掛けると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて茜がその顔を覗き込ませてくる。

〈どっこいしょなんていわないでよぉ〜〉

 文句を言いながらも、有希の意識はどことなく穏やかな感じがするのは、恐らく勇気と同じ気持ちだからなのだろう。

「あは、なんだかお姉ちゃんオジサンみたいぃ〜」

 けたけたと笑う茜の顔にはもう涙は無くなり、心底安心したという表情だけが浮かんでいる。

「オジサンなんて言うなよ……」

 車椅子に座り茜の顔を見上げると、その顔はキョトンとしている。

〈ううん、今のはあたしもそう思ったわよ? 少しオジサンぽかった〉

 有希の意識は呆れたようにそういうが、茜は違う所に気がついているのか、シゲシゲと有希の顔を覗き込んでくる。

 どうしたんだ?

〈もしかして気が付いたとか? 小さい娘にはそんな感性があるって前小説で読んだ事があるし、昔から勘の良い娘だったから……〉

 少し慌てたような有希の意識に対してさすがに動揺してくる。

「お姉ちゃん……」

 やっと口を開く茜の頬はどこと無くちょっと紅潮しているようにも見える。

 気が付いたのか?

〈わからない、でも、ちょっと様子が違うかも……〉

 慌てる勇気に対して有希の意識は冷静に茜の事を観察しているようにも感じる。

「なっ、何?」

 務めて冷静に言ったつもりではあるが、その声はなんとなくひっくり返っているようにも聞こえる。

〈何動揺しているのよ〉

 意識の有希はそう言いなが吐息しているが、有希(勇気)は軽いパニックを起こしているように、その瞳はせわしなく動き回っている。

「エヘ、なんだかちょっとボーイッシュに見えるかな? お兄ちゃんみたい……」

 茜はそう言いながら今度は否定しようも無いほど頬を真っ赤に染める。

〈――お兄ちゃんというよりも、オヤジ?〉

 大きなお世話だ……しかし、確かに勘が鋭いという事は確かなようだな? 軽く気が付いているのかもしれないな? 幼くとも女の勘は備えているんだな?

 勇気の意識に対し、有希も同意するように頷く。



=仲間=

「アッ! 青葉さん!」

 茜の押す車椅子に乗り、それまで静かだった病棟から一変し、様々な声が聞こえる一般病棟に移ってくると、ナースセンターの前にいた三人の女の子がその姿に気がつき、その視線を有希に向けるが、その様子からの有希の事を少し心配している事がわかる。

 彼女たちは?

 勇気は微笑を作りながらその三人に視線を向けて有希の意識に語りかける。

〈あのセーラー服の女の子達はあたしの同級生、髪の毛をポニーテールにしているのが高宮鮎美(たかみやあゆみ)ちゃん、あたしの幼馴染で家もお隣だから昔から仲が良いの、その隣にいるショートカットの娘がクラス委員長の西園寺都(さいおんじみやこ)ちゃん、人が好いから無理やりクラス委員長をやらされているって言う感じかしら? 彼女も途中まで帰り道が一緒だから仲がいいのよ〉

 そんな二人を見る視線が優しく、なんとなくホッとしたように胸がキュンとするのはきっと有希の感情なのだろう。

〈そうしてブレザーを着ている娘は八雲ミーナ(やくもみーな)、アメリカ人のお父さんを持つハーフなの、この三人にあと一人加わればいつも一緒にいる仲間たち……なんだけれども、ちょっと勇気聞いている?〉

 紹介する有希の台詞もそこそこに意識の勇気は目の前にいる金髪に碧眼で背が高く、何よりもその血筋を証明するようなナイスボディーなミーナの事を見てドキドキしているのはきっと勇気の記憶のせいだろう。

〈ヘェ、やっぱり勇気もミーナを見てドキッとするのね? クス〉

 さっきと違って、軽蔑の意識を見せない有希の意識は意地悪そうに微笑み、それに違和感を持った勇気は首を傾げる。

 ――どういう意味なのかな?

 勇気はしかめっ面を作りながら有希の意識に問いかけるが、それに答える事無く有希の意識はすでに消えていた。

「有希、良かったわね」

 気がつくとポニーテールの鮎美は有希の手をとりながら素直な喜びの表情を浮かべ、その大きな瞳には涙が浮かんでいるように見える。

 この娘は本当に俺の事を心配してくれたようだな? 確か有希は幼馴染って言っていたけれど、ここまで俺の事を思ってくれるというのは、やっぱり幼馴染だからなのだろうか?

 有希は曖昧な表情を浮かべながら鮎美の事を見る。

「本当に心配したのよ? 元気がとりえの青葉さんがいきなり入院しなんていうからビックリしちゃった、しかも面会謝絶だなんて……」

 ショートカットでどこか頭の良さそうな感じはするものの、その雰囲気には嫌味なく、お人好しで頼まれた事に対して嫌と言えないようなそんな小心者のような感じがする都は、本当に嫌味なくそう言いながら有希の顔を覗き込む。

 元気がとりえって、他にとりえが無いのかな有希くんには……ともあれ、彼女は頼まれてクラス委員長をやっていると言っていたけれどなんとなくわかるような気がするよ……。

「ホントびっくりしたよ? あなたがそんなに繊細だとは思わなかった、もうちょっとガサツだと思ったのにあんたが病気するなんて思っていなかったよ? 後は飯食って寝ればすぐに良くなるよ、アハハハ」

 ツルンとして艶やかなミーナのその唇が開かれると、まるで江戸っ子の親父さんの言い方というか豪快ないい口は、清楚なお人形さんのような美少女のイメージとはまったく違い、どちらかというとヤンキー娘……なるほどそういう意味だったのね?

 有希が怒らなかった理由を解釈して苦笑いを浮かべながら改めて三人の娘たちを見る。

 それにしても三人三様だけれども、みんななかなかどうして可愛い娘だらけだな……こんな女の子たちに囲まれるなんて役得かもしれない。

〈でしょ?〉

 有希の意識が自慢げに戻ってくる。

 アァ、あんたも結構可愛いと思っていたが、この中に居たんじゃくすんじゃいそうだ、もったいない話だけれどね?

〈あら? それってあたし褒められているのかしら?〉

 俺はそのつもりだけれど?

〈ふ〜ん……なんだか釈然としないけれど、とりあえずありがとう〉

 素直になれよ。

〈あら? 素直よ〉

 そう言いながら有希の意識が飛んでゆく。

 やっぱり素直じゃないな……。

「さぁ、ベッドに入っていないと風邪をひいちゃうわよ、今日も表は雪が降っているんでしょ? 寒い中みんなお見舞いに来てくれたんだから、暖かいところでゆっくりお話しなさい」

 真澄はそう言いながら茜に変わって車椅子のハンドルを握ると病室の中に入ってゆくとそこには花瓶に生けられた花がみんなを出迎えてくれた。

「すごい……綺麗ね?」

 綺麗という台詞が俺の口から発せられる事にも驚きだけれども、それを補うほどの花束が病室のベッドサイドに置かれ、まるでそこだけが春になったように色とりどりに彩られている。

「都……パチンコ店の開店じゃないんだからぁ」

 うまい! 確かにそんな感じではあるけれど、この花束は都ちゃんが?

〈アハハ、都の家はお花やさんなの、きっとお父さんに言われたんだわ……あの豪快なお父さんらしいといえばそうなんだけれど……加減がね?〉

 ため息をつきながらも嬉しそうな有希の意識。

 お父さん?

〈ソッ、なんていうのかなぁ、サービス精神旺盛というのか、実際に買ったものよりもサービスでくれるほうが多かったりするのよね?〉

 それは……豪快だな?

 呆れ顔を浮かべる鮎美の隣では少し恥ずかしそうに顔をうつむかせている都、その状況からこの花束の首謀者が彼女である事を物語っており、みんなもその理由をわかっているように失笑している。

「でも、早く元気になってもらいたいから……」

 髪の毛の隙間から見える都のその耳は真っ赤になっている。

 ありがたいよな?

〈ウン!〉

 少し羨ましい気持ちになりながらも有希の意識に問いかける勇気に対してそれははっきりと返ってきた。



「でも、いきなりどうしたのかしらね?」

 都はベッドサイドに置かれていたパイプ椅子に腰かけながら有希の顔を覗き込む、さらっとした細いストレートの髪の毛が自分の顔にかかるが、そんなことは気にしないようにじっと有希を見続ける。

「有希ちゃんの事だからきっと食べすぎなんじゃないの? またいっぱいご飯を食べすぎたとかいってさぁ」

 ウィンクしながら言うミーナに対して勇気はジトッと有希の意識に問いかける。

 またって……有希はそんなに大喰らいなのか?

〈失礼ね、あたしそんなに食べないわよ、女の子の中でも小食な方だと思っているぐらいなんだからぁ……絶対にミーナの方が大喰らいよ〉

 プリプリとした意識で有希は答えてくる。

 それが果たしてどれぐらいの量なのか俺にはわからないが、少なくとも俺は男の中では大喰らいの種別に入るのだがな?

〈ちょっ、ちょっとぉ、あまりいっぱい食べて太ったなんていうことをしないでよね? ただでさえ最近運動不足のせいかお腹がポコッと……もぉ〉

 有希の意識はプリプリとした感覚を残して消えてゆく。

 ハハ、やっぱり女の子なんだな? 身体についたお肉は大敵なのね?

 苦笑いを浮かべる有希に対し意地の悪い顔をしているミーナはツインテールにしていた髪の毛を解き、腰の近くまである金髪を左右に振るとフワッと女の子独特の香りが有希の鼻腔をくすぐり、有希の顔が少し紅潮すると、それに気がついた鮎美が少し頬を膨らませながらその二人の間に身体を割り込ませてくる。

「でも、良くなってよかったね? そのうちまた一緒に学校に行けるんでしょ? 早く一緒に学校に行きたいよね?」

 ポニーテールの毛先を揺らしながら鮎美は病室の壁に掛けられている色気も何も無いカレンダーを見ると、そのカレンダーは三月を示していた。

 確か俺がバイクで事故を起こしたのはクリスマスが過ぎた頃だったから、あれから三ヶ月も経っているのか、そうして目の前で笑顔を浮かべている仲間たちはそんな事を知る由もない。

「……ウン」

 有希の顔が沈む。

 ゴメン、みんなの名前は分かっていても、みんなの事は良く分からないんだ、実は中身は男だという事を、こんな気のいい連中に黙っていても良いのか? 少なくともみんなを騙す事になる、みんなの善意を踏みにじることになるんじゃないか? それでいいのか?

 うつむきながら唇を噛む有希のその様子を見て、真澄は沈痛な面持ちで口を開く。

「みんな……実は有希ね……記憶喪失なの」

 真澄のその一言にそれまで笑顔を浮かべていた三人の表情が一瞬にして凍りつく。

「記憶喪失って……なんで有希が?」

 鮎美はそう言いながら愕然とした表情で有希の顔を見つめる。

「青葉さん……あたし達の事覚えていないの?」

 都は沈んだ表情で有希の顔を見る。

「そんな……許さないからね! あたし達の事を忘れるなんて、そんなのあたし嫌だから!」

 金髪を振りながらミーナは有希のベッドに顔を埋めて泣き出す。

「いや、みんなの名前は覚えている……だけど、今までの事が思い出せないんだ」

 有希は居た堪れない気持ちでそう言いながら三人を見渡す、しかし三人の表情から沈痛な面持ちが消える事はなかった。

「でも……でも」

 消え入りそうな声を上げながら有希の肩を力いっぱいにつかむのは鮎美で、その様子から三人の中で一番心配してくれているようだ。

「原因ははっきりとしていないの、倒れた原因も記憶喪失になった原因もね? でもお医者さんは心配いらないと言う事だしずっと入院しているわけにもいかないでしょ? だからみんなにお願いしたいの……いずれ元に戻る、だからみんな心配しないで今までと同じように付き合ってちょうだいね?」

 有希……本当にいいお袋だな……。

 真澄のその一言にみんなは一瞬躊躇するが真っ先に鮎美が頷き、それに触発されたようにミーナと都の二人が続けて頷く。

「当たり前じゃない、有希ちゃんは有希ちゃん! たとえ、忘れていてもこのミーナさんが全部思い出させてあげるわよ」

 大きな胸の膨らみをミーナは力強く叩き、泣き笑いのようなそんな笑顔を有希に向ける。

「そうそう、青葉さんなら絶対に思い出せるわよ、いつもと同じでいきましょうよ、ね?」

 優等生らしい結論の出し方だな、だが嫌味が無い。

「……有希、ゆっくりとでいいから……でも絶対に思い出して、あたしたちの事を……」

 鮎美はそう言いながらそっと有希の手を握る。その込められた力からは本当に有希の事を思っているという気持ちが伝わってくる。

「ウフフ、いいお友達ね? 有希、こういうお友達は大切にしないといけないわね?」

 真澄はそう言いながら優しい微笑を有希に向けてきてそれに同意するように有希も頷く。

 俺の周りでこんなに気のいい仲間たちがいたかな? そんな仲間たちを俺は騙す事になるんじゃないか?

 再び浮かび上がった疑問に悩んだ顔をしている有希に気がつかないのか、真澄は腕時計に視線を向けると一気にその顔色を変える。

「いけなぁ〜い! 夕方から予約が入っていたんだ、みんなゆっくりしていてね? 有希明日も来るから着替えを出しておいてちょうだいね、茜は暗くなる前に帰ってきなさい! じゃあみんなまた今度ね?」

 真澄はそう言いながらあわてて病室を飛び出していき、その後姿を、有希を含めた四人が呆然とそれを見送る。

「あわただしい人ね? 相変わらず」

 都はやれやれという顔をしながら有希の顔を見る。

「ハハ、俺もそう思うよ……」

 有希は苦笑いを浮かべながら真澄の出て行った扉を見つめる。

 この三日間、毎日様子を見に来てくれては、慌しく帰ってゆく、毎日これの繰り返しだった、有希に聞けば自宅で美容室をやっており時間は比較的自由に使えるらしい。ありがたいと言えばありがたいのだが、どうにも慌しい。

「俺?」

 間近で鮎美の声が聞こえ、その声に顔を向けるとそこにはキョトンとした顔の三人があった。

 しまった、つい……。

 既に口をついて出てしまった台詞を元に戻す事はできず、不用意に言ってしまった自分を猛省するが、既に時遅し、みんなの疑念の視線は有希に一気に向けられている。

「……今、俺って言わなかった有希ちゃん……」

 アメリカ人のハーフらしく、派手なボディーランゲージは本場仕込だと変な関心をする有希に関係なく、今にも鼻先にその高い鼻が当たるのではないかというぐらいに顔を接近させながら有希に迫るのはミーナ。

「ウン、今そう聞こえた……」

 ただでさえ丸い目をさらにまん丸にしているのは都。

「お姉ちゃん……」

 まるで何かいけないものでも見てしまったというような顔をする茜の視線を有希は見返すことができないでオドオドとする。

 茜ちゃん、そんな顔をして見ないでくれよ、十六年もの間に培った癖というやつはいつまでも付いて回ってくるんだな? まさかこんな事で痛感するとは思っていなかった。

「いや……俺なんていっていないよぉ、いやだなぁーみんな、アハ……アハハ」

 我ながらわざとらしすぎる、みんなの視線が自分に突き刺さっているような気がするよ。

 苦笑いともなんともつかない曖昧な笑顔を有希が周りのみんなに振りまいていると病室の扉が勢いよく開かれる。

「よぉー有希、一般病棟に引っ越したらしいな? とりあえずはおめでとさん」

 そう言いながら花を持った男の子が部屋に入ってくる。

「ちょっと拓海! 女の子の部屋に入るんならちゃんとノックぐらいしなさいよね?」

 ミーナが険しい顔をしてその方向を見ると、そこに立っているのはまるで女の子かと思うような綺麗な顔立ちをした男の子で茶髪の長い髪の毛は頭の後ろでまとめ上げ、耳にはピアスが光っており、男時代の勇気がもっとも嫌った格好をしているが……。

「江元先輩……」

 都は条件反射のように顔を赤らめ、うつむいてしまう。

「拓海君、お見舞いに来てくれたんだぁ」

 素直に喜んだような顔をする鮎美は、その花を受け取るが、生ける場所がないことに気がつき助けを請うように都にその視線を向けると、うつむいたまま都は自分の生けたその花瓶に無造作にそれを差し込む。

〈ちょっと都、その扱いは酷いんじゃないの? ねぇ勇気……ん? どうしたの?〉

 有希の意識が問いかけてくるが、まったく耳に入ってこないのか、勇気からの反応はまったく返ってこない。

 ――江元先輩……拓海君……って……江元拓海……か?

三人の声がかけられている男の子は有希の顔を見て少しホッとした表情を浮かべているものの、それに対する有希の表情は強張ってゆく。

 拓海……おまえはあの江元拓海なのか?

 そんなミーハーで中途半端な格好をしているが、みんなと談笑している男の子の表情は勇気の幼い頃の思いをくすぐってくる。

 間違いない……目尻にあるホクロ、笑うと口からこぼれる八重歯、背格好は変わっても面影は変わっていない。

それは勇気のよく知っている人物。幼稚園の頃からいつも一緒にいた勇気の幼馴染。

確か、中学卒業と同時に函館に引っ越してきたはず……ということは、ここは函館なのか?

 勇気が何度か書いた手紙の住所は北海道函館市、初めて北海道を知ったのはこの住所だった。

 なんだって……目の前に拓海がいるんだ……。

その勇気の意識は再び一気に訳の分からない感覚に陥ってゆく。

「ちょっと有希、どうしたの? また具合でも悪くなっちゃったの?」

 顔色が悪くなる有希を見て鮎美が心配そうに顔を見つめおでこに手をやろうとするが、有希はその手を優しく拒み、目の前でチャラチャラした格好をしている拓海に視線を向ける。

「いや……そんなことはない……ここは函館なのか?」

 有希のその一言に拓海を含めた全員が一斉に首をかしげるのは当然の事であろう。

「そうよ……有希、あなた、そんなことまで忘れちゃったの?」

 ミーナは両手を肩の高さまで上げ、力なく首を振る。

 忘れたわけじゃない……ただ自分の目の前にそれを納得させる人物が登場したんだ……少しは驚かせてくれ。

〈勇気? 一体どうしたの? 拓海の事をあなたは知っているの?〉

 心配そうに問いかけてくる有希の意識に勇気は頷く。

「……そこにいるのは江元拓海、広川勇気の幼馴染だ」

 ピッと有希が指差すその先ではキョトンとした顔をしている拓海がキョロキョロと周囲を見回して、その矛先が自分である事に気がつく。

「ハイ?」

第三話へ。