第三話 秘密



=有希と……勇気=

「……有希? 何でお前が勇気の事を知っているんだ……」

 さっきまでお茶らけた顔をしていたのがウソのように拓海の顔には緊張が走る。

「有希?」

 有希の隣では相変わらず鮎美が心配そうに有希の顔を見ているが、そんな事はお構いないように有希は口を開く。

「……ハハ、まさか……また拓海の近くに来るなんて思っていなかったぜぇ……やっぱり神様は意地悪だよな?」

 有希は自嘲したような微笑を浮かべ、拓海の顔を正面から見据えると、その表情に気圧されしたように拓海の表情は怯む。

「有希ちゃん?」

 ミーナが首をかしげた瞬間に長いその金髪がサラッと揺れる。

「青葉さん?」

 その雰囲気を察したのか都の寝癖のようにピンと立った髪が小刻みに揺れ、その心配そうな表情は拓海と有希の間を行き交っている。

「お姉ちゃん……」

 茜は有希の腕にしっかりと抱きつき、やはり心配げな表情を浮かべながら顔を見上げており、有希はその小さな頭にそっと手を乗せながら優しい微笑を浮かべると、それとは正反対に真剣な視線を拓海に再び向ける。

「今でも覚えているよ……小学校の移動教室の時、一緒に夜更かしして先生に見つかって怒られたこと、お前の好きだった女の子……菅野詩織(かんのしおり)が俺の事が好きだった事、その事をお前は笑っていたけれど、それからその髪の毛を伸ばしているという事、そして、親の都合でお前が函館に引っ越した事を……」

 知る筈のない有希が明かす勇気の記憶に、強張った表情を浮かべていた拓海の顔から徐々に緊張が取れ始めて笑顔に変わってゆく。

「何で有希が……いや、お前本当に勇気なのか?」

 話を聞き終わった頃には既に、拓海はキツネにつままれたような、それでも本当に嬉しそうな笑顔に変わっていた。

「いや、勇気しか知らないことだし、何よりも詩織の事を知っているって……あぁ、そんな事はどうでもいい、本当に有希は勇気なんだ……でもなんで? なんでお前が有希になったんだ? なんかの悪い冗談なのか?」

 俺も悪い冗談だと思いたいけれど、目の前にあるこの身体と俺の頭の中で語りかけてくる有希の存在は紛れもない事実……。

 有希はフッとため息をつきながら拓海の事を見上げる。

「少なくっても俺は死んだんだ……自分の葬式も見た、でも、気が付いたら彼女の意識の中に俺が入り込んでいた……神様の悪戯なんだろう、きっと」

 悪戯にしては度が過ぎるぞ……よりによって幼馴染と同級生にするなんて。

「ちょ、ちょっと待ってよ、ということは、今あたしたちの目の前にいる青葉さんは青葉さんじゃないという事なの?」

 狐につままれたような表情を浮かべている都。

 ちょっとややっこしいな……しかし、

「そう言うことになるな……俺は広川勇気、東京生まれの東京育ち、江戸っ子といえばそうなるかもしれないな? そんな俺は雪の降る中バイクを運転して転んで死んだ……はずだったが、気がついたら女の子になっていた……まるで漫画のようだけれどそれが事実だ……、まさか生まれて初めての北海道にこんな形で来るとは思わなかったよ」

 有希はそれまで造っていた自分をやめて、ホッとしたような開放感に囚われながらベッドの上であぐらをかく。

まったくだよ、北海道に生まれてはじめて来たのがこんな形になるとは思ってもいなかったぜ、少し生まれてはじめて行く土地というものに感動を覚えたかったけれど、目が覚めたらいきなりだろ? 感動を感じる間もなかったぜ。

「ちょっと有希、パンツ見えちゃうよ」

 そんな有希に対して慌てたように鮎美が乱れたそのワンピースの乱れを直すが、既に拓海の目にはそれが写し込まれた後なのだろう、その目尻をだらしなく垂れ下げている。

「わりぃ、どうも慣れなくってね……どうもこのスカートというのはスースーするな?」

 有希はそう言いながら自分の着ているワンピースのパジャマの裾をめくると、怒った様な表情を浮かべて鮎美がその手を叩く。

 イテェな、なんだ……よ……?

 鮎美のその顔を睨みつけると、なぜかその顔は赤い顔をして、その目尻には涙のようなものが薄暗い電灯を反射させている。

 鮎美?

〈勇気ちょっと、みんなに正体をバラスつもりなの?〉

 有希の意識が慌てたように飛び出してくるが、それに対して勇気はコクリと頷く。

 どうなるものじゃないだろ? それで離れていく友達ならこっちからサヨナラだよ?

 勇気の問いかけに対して勇気の意識は少し考えたように沈黙し、やがて諦めたようなそんな雰囲気を勇気に向けてくる。

〈……そうかも知れないわね? あなたの思ったようにやって、その身体はあなたのものなんだから……でも……鮎美〉

 有希の意識はそう呟きながら消えてゆく。

 わりぃな、こんな奴がお前の中に入っちまって、でも江戸っ子をうたう以上は白黒はっきりさせておきたいんだ、こんな気のいい奴ばかりだから尚のことね?

「――そう、俺は広川勇気、男だよ!」

 獣じみた様な唸り声を上げている鮎美に対して有希は苦笑いを浮かべ、みんなの顔を真っ直ぐに見つめ断言するとその表情は様々に変わるが、勇気の予想していた……いやある意味予想外の反応を示した。

「ちょっと、有希ちゃん、それは本当の事なの?」

 最初に口を開いたミーナは小首を傾げながら有希の顔を見つめ、そうして理解できないといったようなため息をつく。

「事実だ、だから拓海の恥ずかしい過去も知っているぞ? たとえば幼稚園の時……」

 意地悪い顔をしながらそれを暴露しようとする有希の口を強引な形(口を手で押さえる)で封じる拓海のその表情は真剣に慌てている。

「うぁあ〜た、ちょっと待て……それはちょっとまってくれ……って本当に……本当に有希が勇気になっちまったのか?」

 慌てたようにその後の台詞をさえぎると、拓海は顔を近づけてくると色気づいてきたのかフワッとコロンの香りがし、勇気の意識とは違う何かがその頬を赤らめさせる。

「あっ、あぁ、そうだ、広川勇気、十六歳、スリーサイズも言おうか?」

 その変化に戸惑いながらもため息をつき有希はその拓海のおでこを中指ではじく。

 いわゆる『デコピン』というやつで、小さい頃二人の間で流行っていたよな?

「いて! って……懐かしいなぁ……本当に勇気なんだな? 形はどうであれ、嬉しいなぁ、幼馴染と再会できるなんて思ってもいなかった……」

 うっすらと赤くなるそのおでこをさすりながら拓海は嬉しそうな顔をしながら両腕を開き有希に抱きつこうとする。

「ちょっと拓海君!」

 慌てて鮎美はその間に割って入ろうとするが僅かにその身体をすり抜けられ、

「拓海! あなた一体何をしてるの!」

 ミーナの怒りの拳を掻い潜り、その身体が有希に近づいてくる。

「江元先輩……」

 都はその状況を理解したくないのか、呆然とその経緯を見守っている。

 って……先輩?

「勇気……会えて嬉しいよ……って? あれ?」

 拓海は抱きしめたつもりだったのだろうが、拓海と有希の間に障害物がある事に気が付き虚しくもヒラヒラと宙を舞うその手を見つめる。

「……駄目、お姉ちゃんは、あたしのお姉ちゃんなんだもん、だから男の人なんかじゃない、あたしの大切なお姉ちゃんなんだから!」

 二人の間に割って入っているのは茜だった。茜は頬をプックリと膨らませながら拓海の顔を見て、そうしてプイッとそっぽを向く、それに有希は毒気を抜かれたような、ちょっとホッとしたような表情を浮かべ茜の頭を撫ぜる。

「……ハハ、ゴメンよ」

 ちょっと残念そうな表情を浮かべながら拓海は茜の顔を見るが、茜はプイッとそっぽを向いたまま拓海の顔を見ようとしない。

「ウフ、拓海君、茜ちゃんに嫌われちゃったみたいね?」

 鮎美はそんな拓海の姿を見ながら意地の悪い顔をして拓海の顔を見る、その表情にもちょっと安堵感があるように見える。

「ハハハ……そのようだね」

 バツの悪そうな顔をしながら拓海は頭を掻きながら周囲を見ると、周囲のその視線は冷たく、都においては今にも泣き出しそうな顔をしている。

「アホ丸出し……」

 嘆息を吐きながら首を振るミーナは心底呆れたといった感じ。

「江元先輩は……青葉さんの事が……?」

 力なく首をフルフルと振る都の声は涙声になり、病室の中には重苦しい空気が流れる。

 少なくとも俺にはそんな気持ちがないということだけは細くしておきたいのだが、例え身体は女になったとしても心は男だ、しかも小さい頃から知っている拓海に対してそんな感情を憶えるわけがない……のかなぁ。

「……と言う事は、いま有希ちゃんの中にいるのは東京生まれの男の子ということなの?」

 重苦しい雰囲気を払拭したミーナの声にみんなは疑心暗鬼というのだろうか、怪訝な顔で一斉に有希の事を見る。

「ウン、広川勇気、東京生まれの東京育ちの江戸っ子、一月二十六日生まれのみずがめ座、身長百八十九センチ体重七十五キロ、バスト九十八センチウエスト八十三センチヒップ……測ったことないからわからない……」

 勇気のそのあたりの記憶はまだ鮮明に残っている、ついこないだまで一緒にいた身体のサイズだから多少は変化しているかもしれないが、大まかな数値はそんな所で間違いが無いあろうが、しかし……有希のスリーサイズは?

〈えっち〉

 不意に有希の意識が入り込んでくるが、それだけでその後の言葉はモゴモゴと言いはっきりとよく聞き取る事ができない。

 有希?

「ヘェ、バスト九十八センチかぁ……夢の数字かも……」

 都が呟くように有希の胸を見つめる。

 いや、男の場合バストというよりも胸囲と行った方が正しいかもしれないです……。

「……あたしより大きいかも……」

 ミーナはそう言いながら自分の胸を見下ろす。

 いや、ですから……。

「……あたし……」

 鮎美については……そのままうつむいてしまい、あまりにも可愛そうなのでこのコメントは割愛させていただく。

 有希は隣に座る鮎美の胸をチラリと見て、心の中で深いため息をつく。

「エッと……そういえば、さっき拓海の事を都ちゃんはさっきから先輩と呼んでいたようだったが? 俺の気のせいなのかな?」

 話題を逸らすように言う有希に対してようやく鮎美は顔を上げるが、その有希の表情は真剣なものだった。

 そうだ、さっきから引っかっているのは都のその一言だった。

「そっか、拓海と一緒と言うことは、勇気も『先輩』になるのよね?」

 ミーナはそう言いながら、都と鮎美を見る。

 俺も先輩? ってどういうことだ?

「あたしたちは『綾西学園高等部』の一年生……と言っても来月には二年生になるんだけれど、そこの商業科に通っているのが都と鮎美、そうして有希……あなたよ」

 ミーナはそう言いながらピッと有希の鼻先を指差す。

「そうして、このあたしは普通科のアイドルって言うこと」

 短めのスカートをヒョイッとつまみあげる仕草を見せるミーナは確かに可愛らしく、やはり黙っていればその姿にみんな振り向くであろう、しかしその一言に拓海は罵声を浴びせる。

「ミーナがアイドルだぁ? お笑いのアイドルなら納得いくけれど、ぐはぁ……」

 ほら殴られた……。

 顔を覆うまもなくミーナの右ストレートが拓海の頬にヒットし、その顔が面白いほどに歪む。

「……痛いじゃないか、先輩を敬うという事が君には出来ないのか?」

「あ〜ん? 誰が先輩だって? 四月から同級生になる人が先輩だとぉ」

 まるで大阪のヤンキーなオネエチャンのように口をヘの字に曲げながら拓海の顔を下から舐め上げるようなガンをつけると、情けなくも拓海はその身体を小さくしながら頭を垂れる。

 まさか拓海のやつ……。

「ウッ……心の傷を塩でもんだ挙句、ずかずかと人の病んでいる心に土足で入り込むようなまねをするのは、あまり感心しないが」

 それはかなり痛そうだ……って、そこが重要なわけでは無いが、やっぱり……拓海のやつ。

「留年したの?」

 有希は首をかしげながら拓海に問いかけると、頬を一気に赤くして拓海はうなずく。

 何赤くなっているんだ? こいつ。

 拓海は視線を有希から外してその鼻先をポリポリと掻きながら言葉少なに話す。

「ちょっと色々とあって学校が嫌になった時期があってな……」

 表情を曇らせるという事は、こいつにも色々とあったみたいだが、ここで問い詰めるのはちょっとかわいそうな気もする。

「ふ〜ん……ということはここにいる全員が同級生という事になるのかな?」

 有希は話題を変えるように全員の顔を見ると、みんなの顔には笑顔が戻り始め、有希の膝にはちょこんと茜が座りながら嬉しそうな微笑を有希に向けている。

「そうね? クラスは違うかもしれないけれど、でも同じ学校の同級生」

 鮎美はそう言いながら笑顔を浮かべる。

「イエス! クラスは違えどもクラブは一緒よ」

 クラブ?

 心の中で勇気が首をかしげると有希の意識が居づらそうな雰囲気を発してくる。

「あまり、出席率の良い部活ではないけれどね?」

 都はそう言いながら微笑む。

「アハハ、みんな本意で入った訳じゃなし……仕方が無いよ」

 苦笑いを浮かべながら力なく鮎美が言うが、その小さな肩はどこと無く重力に従うように下に落ちる。

 有希ぃ、一体部活って何だ?

〈……あまり話したくないんだけれど……漫画研究会〉

 ――有希はオタクな人なのか?

〈ちぃ〜がぁ〜うぅ〜、絶対的に違う! 別にあたしの趣味で入ったというわけじゃなくって、いわゆる人助けというか……頼まれちゃったからというか……仕方が無くなのよ、滅多に顔を出さない幽霊部員だけれどね?〉

 ふ〜ん、仕方無しに漫研ねぇ、それでも俺はあまりお近づきになりたくないかも。

〈アハハ……そうかも……〉

 言葉を濁す有希の意識に対し理解できないという表情を浮かべている有希、そんな有希を拓海がさっきとは打って変わって真剣な眼差しで見つめている。

「どうしたんだ? 拓海」

 首をかしげながら有希は拓海の顔を覗き込む。



=有希の願い=

「いや……そうすると俺たちの知っている有希は……女の有希はやっぱり死んじゃったのか? この世にもういないという事なのか?」

 拓海のその一言に、鮎美や都、ミーナの三人の表情が一気に凍りつく。

「そっか……そうよね? いまあたしたちの目の前にいるのは青葉さんはだけれども青葉さんじゃない……あたしたちの知っている青葉さんは……もう死んじゃったの?」

 ジワァ〜と目に涙を浮かべながら都は有希の顔を見つめる。

「嫌だよ……そんなの嫌よ……有希は……あたしの知っている有希は、あたしの憧れだったんだから……みんなが慕って、嫌な顔一つしないで答えてくれた……小さい頃からずっと一緒で、悩みを聞いてもらったりして……あたしは……あたしわぁ」

 鮎美の瞳に涙を溢れさせて、グシャグシャになったその顔を有希の横たわっているベッドに押し付けて嗚咽を漏らす。

「そうだよ……有希ちゃんは、いつもニコニコ微笑んでくれていた、あたしがドジしたってニッコリと微笑んでいてくれたよ……その有希ちゃんは……そんな有希ちゃんはあたしたちの前にもういないの?」

 ミーナも辛そうな顔をして顔を有希から逸らせる。

「青葉さん……」

 都は気丈にも有希の顔を真っ直ぐに見つめているが、その瞳は涙が覆い被さり恐らく視界は歪んでいるであろう。

 有希ぃ、どぉするよ……みんな泣いちまったぜぇ。

 女の子の涙に余り慣れていない勇気は、あたふたとしながら有希の意識に問いかけるが、有希からの返答がない。

 有希? 一体どうしたんだ? 具合でも悪いのか?

 死んだ人間に対して具合もへったくれも無いだろうと思いながらも唯一見つけた気の利いた台詞を吐く勇気に対して、神妙な有希の意識が返ってくる。

〈勇気、ちょっと身体を貸してくれる?〉

 有希のその意識は今までにないほど強く、まるで勇気が気圧されたような格好になる。

 貸しても何も、この身体はお前のものだろ? 俺が間借りしているだけなんだから好き勝手に使ってもらってかまわないと思うよ。

〈ありがと、やっぱり優しいのね?〉

 茶化すな。

〈ウフ〉

 その瞬間勇気の意識がどこかに追いやられるような感覚になり、第三者的にその後の経緯を見ることができる。

「――みんな、ありがとう……みんながそんなにもあたしの事を心配してくれているなんて、すっごく幸せです。でも心配しないで? みんなの心の中にあたしはいつでもいるよ、いつまでもずっと……だから、この身体とこの人をいつまでも受け入れてくれるかな?」

 有希の問いかけに涙を流しながら都とミーナがうなずくが、鮎美だけはそんな有希の顔を睨みつけるような勢いで顔を上げる。

「有希だよね? いまあたしたちに話しかけているのは有希だよね?」

 鮎美はしゃくりあげながら有希の顔を見ると、有希は言葉なくうなずき微笑む。

「鮎美……あたしは死んでいないよ、ただ、身体が彼になっちゃっただけ……少しスケベかもしれないけれど……でも、彼は優しいよ、だから彼を助けてあげてくれる? あたしとあなた、幼馴染の縁で……」

 有希のその問いかけに鮎美は泣き笑いの表情でうなずく。

「スケベなのは許せないけれど……」

 そりゃスミマセンね? おいらも一応生まれながらに男だったもので、女の子の身体に興味がある年頃なんですよ……。

 はにかんだ様な顔をする鮎美のその瞳は軽く有希を、いや、恐らくその中にいるであろう男の勇気を睨みつける。

「あは……ありがと、あたしもなるべく彼をコントロールするようにするからさ、鮎美も援護してくれると助かるよ」

 微笑む有希の顔はちょっと寂しそうでもある。

「でも、もう有希ちゃんは有希ちゃんじゃないの?」

 少しふて腐れたような顔をしながらミーナは有希の顔を覗き込んでくる、その表情と質問に有希は難しそうな顔をする。

「ウ〜ン、違うかもしれないし、違わないかもしれない、難しい所よね? でも、みんながどう見るかじゃないのかな? みんながこの身体の事を『有希』と見るか『勇気』と見るかだと思うよ、でも、ここにいるみんなは『有希』として見てもらいたいかな?」

 ちょっと寂しそうな表情のものの、有希のその顔は笑顔だった。

「何で?」

 都の投げかけてくる疑問に対して有希は、至極当然のように首をかしげる。

「何でって……だって、この姿格好は有希でしょ? この事実をみんなが受け入れてくれないということは、この世からあたしが消滅したっていう事になっちゃうでしょ?」

 みんなを見回しながら有希は優しくそう言う。

「そうだけどよ……その身体の中に勇気もいるわけだろ? その人間を有希として見るなんてそう簡単にはできないぜ? ましては俺の幼馴染なんだ」

 拓海のその台詞に有希は高らかに笑う。

「そうよ、でも姿は勇気じゃないでしょ? あたしは勇気のその姿を見たこと無いから分からないけれど、少なくても『女の子』じゃなかったと思うわよ? 勇気には申し訳ないけれど男の子の勇気はもういないの、今ここにいるのは女の子の有希、それは紛れも無い事実……まぁ本人もみんなもちょっと慣れるまで大変でしょうけれどね?」

 確かにそうかもしれない……女の子って結構気を使うという事を女の子になってはじめて気がついたぜ。

 ケラケラと笑う有希に拓海はちょっと苛立ったような表情を浮かべる。

「そうだけれど……勇気なんだろ? その身体を操っているのは! 紛れもない俺の幼馴染の広川勇気なんだ」

 どことなく悲痛な声に聞こえるその言葉に有希の表情が曇る。

「そう言う目で見られるのが一番辛いかもしれない……今までと同じように一緒に付き合ってくれなくなるのが……思い出も何も、彼にはないかも知れない、きっと一番辛い思いをしているのが勇気かもしれないよ? いきなり知らない所に来て女の子になっちゃたんだから……でも彼は優しく答えてくれる、あたしの身体を生かしてくれる……だから、みんなも今までと同じように接してあげてちょうだい……お願い」

 目に涙を浮かべながら有希は、切願する様な顔でみんなを見回すと、それを見て拓海は慌てたようにその言葉を撤回する。

「……ゴメン」

 うなだれる拓海の横で思案顔をしていた鮎美がパッと顔を上げる。

「わかったよ、有希は、ちょっと男っぽくなっちゃった……それでよくない? そういう病気だったって、思い出なんてこれからいくらでも作っていけるはず、今までの思い出と一緒にこれから作っちゃえばいいのよ」

 おいおい、そう言う問題なのか?

 有希の意識の閉じ込められながら勇気は苦笑いを浮かべる。

「そう! 今までの有希ちゃんとは違う……違う有希ちゃんがここにいるって考えてさ、面倒臭い事は考えないで!」

 意地の悪い笑顔を浮かべながらミーナが周りを見渡すと、鮎美はニッコリと微笑み、拓海は諦めたように肩をすくめ、都は……とりあえずうなずくと言った感じで有希を見る。

「でも、お母さんはどうするの?」

 有希の膝先で茜の声がする。

 そうだ、茜がいたんだ。純真無垢なこの娘に今のこの事実を理解しろといっても難しいであろう、あまつさえ、こんなややっこしい状況を把握させるのは幼稚園児に物理の授業を受けさせるのと同じほど難しいのでは?

「……話すしかないわよね? ずっと黙っているわけにもいかないし」

 しかし、有希の身体を操る有希は、さっして慌てた様子も見せずにため息をつきながら茜の頭を撫ぜながら言う。

「ん」

 その意見に対して勇気の懸念など無のように茜は事実を認めているようで、顎に手を当てながら思案顔を浮かべている。

 ひょっとしてこの娘は俺よりも大人な思考回路をお持ちなのかな?

 意識の奥で首を傾げる勇気は蚊帳の外にして、有希はスッとその細い髪の毛をすくい上げるように頭を撫ぜる。

「お母さんにまでこの事を黙っているわけにはいかないでしょ? 大丈夫、お母さんならすぐに理解してくれるわよ……」

 そうだ、その意見に対しては俺も同意する。実の母親をずっと騙していくなんて嫌だし、時間が経てば経つだけその傷は深まっていくはずだ。

 勇気の意識は有希の意識に賛成の信号を送る。

「でも、この事はあたしたちの中に留めておいた方が良いと思うわよ? そんな事が他の人に知られたらきっと人体実験とかされたりしちゃって、その検査の内容は……あんなことやこんなこと……って、はずかしぃ〜」

 どんな事を想像したのか一目瞭然で、発案者であるミーナは真っ赤な顔をしてうつむき、それが伝染したかのように、鮎美や都、果ては拓海まで真っ赤な顔をしている。

 あんな事やこんな事って?

 勇気が考えている間にも、その意識と相反してその顔の温度が一気に上昇していく事が体感する事ができる。

「なぁに? なんの事ぉ?」

 そんな中、ただ一人純真無垢な表情で、大人の事情な事など訳の分からないといった顔をしている茜は、キョトンとしながら有希の顔を覗き込むが、その有希の顔もまるで茹でたての花咲ガニのように真っ赤になっている。

「あは……まだ茜には判らないでしょね? というよりも判らなくって良いから……」

 苦笑いを浮かべる有希と、曖昧な笑顔を浮かべるみんな、それに向かって首をかしげる茜。

 この先の想像については未成年者お断りだ……って、俺も未成年者だったっけ?

 様々な表情を浮かべてんでに視線を逸らしている三人に視線を向ける茜は、頭の上にクエスチョンマークを一杯並べているようだ。

「まっ、まぁ、確かにそんな事になる危険性は否定できないわよね? 事実この地球上では科学で証明できない事だってあるわけだし、そんなことを知った科学者はきっと……アァァ、この話しはここにいるメンバーだけでと言うことで……」

 話を逸らそうとする鮎美だが、その話は再びそれに戻ってしまい、その顔は耳まで顔を真っ赤になってしまい、助けを請うような顔をして有希の顔を見つめてくる。

「そうかもしれない……まぁ、みんなの事だから心配ないと思うけれど……ねぇ鮎美、彼の事を頼んだわよ? ちょっと、おっちょこちょいだし、女の子には当然慣れていないから色々と教えてあげてね?」

 有希はそう言いながら鮎美を見ると、鮎美も優しい笑顔を有希に向け、力強く親指をグッと有希に突き出してくる

「安心して、有希! あたしが付いていれば心配なっしんぐよ!」

 おどける様に言う鮎美のその一言にホッとしたのか、いきなり有希の意識が勇気の意識と入れ替わる。

 おい有希? どうしたんだ?

〈ちょっとね? 疲れたかも……ねぇ、勇気……あなたは、みんなの事を好きになれる?〉

 ……当たり前だろ? みんなお前の事をこんなに心配してくれているんだ、そんなみんなを嫌いになれる訳がないだろ? むしろこっちが嫌われないようにしないといけないよな?

〈エヘ、ありがとう……良かった、勇気みたいな人があたしの変わりになってくれて〉

 それは褒められているのかな?

〈あら? あたしはすっごく褒めているつもりよ?〉

 勇気の意識に対して優しい意識を送り込みながら、有希は眠るようにその意識を消滅させる。

――それはどうも……素直に受け止めておくよ……。

第四話へ。